第3話 きょうき



「答えては下さらないの?」

「……」


 彼女のティーカップに茶を注ぎながら尋ねる。ポットを掴む指先は、関節の無い軟体生物のであるかのように滑らかに巻き付いている。

 目の前の化物に名を明かす事が最善とは思えない。


「そう……では、私から。こほん、わたくし、アレシア・グリンダムと申します。グリンダム公爵領令嬢です。好きな物は……そうですね……甘いケーキに」

「待て、いや待て!」

「なんです?」

「なんの話なんだ!?」


 どんな冒涜的な言葉や恐ろしい事態が起こるかと黙して反応を伺っていた男だったが、彼女、アレシア嬢の口から出た言葉はなんてことの無い単なる自己紹介。


 それをまるで楽しいお茶会であるかのように、いや、お茶会ではあるのだろう。

 相手と状況が違えば楽しくもあっただろうそれは、男からすれば理解出来ない行動だった。 

 その男の問いに遮られたアレシア嬢は困ったように口をすぼめている。


「何と言われましても……取り敢えずは手軽な話題から……」

「……お前は一体、何がしたいんだ?」

「……?」


 首をかしげるアレシア嬢と反応を窺う男の間に、少しばかりの沈黙が訪れる。

 男には目の前の存在を邪悪なナニカだと思っていた。だが、このお茶会の様子ではその内面にはそう言った一面が見えない。


 だからこそ、彼女の底知れない純粋なナニカに息を呑み、彼女を見つめる。


 痺れを切らしたのアレシア嬢の方だった。


「どれのことか存知あげませんが、そのことを聞きたければ、まず私の質問に答えるのが礼儀でなくて?」

「……レイモンドだ」

「家名は?」

「農民の出にそんなもんは無い」


 男、改めレイモンドはアレシア嬢にその名を明かした。彼女が一体何を思ってこの事態を引き起こしたか、ここで何があった知るために。


 それを脱出と任務達成の為に活用するための、引き換えだった。


「レイモンド、レイモンドさんですか。それで、何を知りたいのですか?」

「……」


 だが、いざ聞こうとしても知りたい事とやらなければならない事が多い。

 レイモンドは順立てて整理する。


 彼がやらなければならない事は三つ。

 目の前のアレシア嬢の対処、脱出、館で何があったかの報告。


 それを達成する為に、知る事も三つ。


「お前や使用人のそれは何なんだ?グリンダム卿に……いや、ここで何があった?」


 仮面の笑顔を貼り付けたアレシア嬢を見つめながら問う。書状を握り締め、いつでも立ち上がれるように椅子と机の間を空けて座り直す。


「少なくとも俺たちがここに来た時には既に、館の奥でグリンダム卿は死んでいた」


 レイモンドが覚えている限りでは、館の門を叩き、誰も出て来ない事に痺れを切らした仲間が押し入った。中では恐慌する様子の使用人たちが押しかけ、その奥の広間には魔法陣が描かれ、その中心には胸を一突きされた壮年の男の死体。


(グリンダム卿は異教の儀式に手を出していた。それはあの魔法陣を見るに確かだ。だが彼が既に息を引き取っている以上、事の顛末を報告し異教の品を回収しなければならない)


「この事態を引き起こした原因は、お前なのか?」

「それは……何とも難しいですね」

「難しい?」

「その質問が使用人たちとお父様を殺したのは、と言うなら間違いなく私です」

「……!」


 アレシア嬢。


「ですが、貴方が知りたいのはこれのことでしょう?」


 そう言って彼女は指先を突き出し見せてくる。

 その指先からテーブルの上にぽたり、ぽたりと白い粘性のあるモノが垂れる。

 口を付けていなかった茶に落ちるのも気にせず彼女は続ける。


「ナニが私をこの姿にしたかでしょう?」

「……ああ」

「うーん、どうしましょうか?」


 何かを企むように目を逸らし、指先を弄り回すアレシア。

 そして、最後に手を鳴らして仮面の微笑みに戻る。


「それではじゃあ、私と遊んでいただけませんでしょうか?」


 そう言い終えるとアレシアはゆっくりと立ち上がる。

 それに反射的にレイモンドも椅子から飛び退く。目の前に凶暴な野生生物と相対したように、相手を刺激しないようにゆっくりと。


「お父様の最期の部屋、あの私たちが出会った大広間。そこがゴールとしましょう」


 レオナルドのそれを了承と見たのか、脇に居た使用人はガゼボの出口から退き、道を開ける。警戒し身構えるレオナルドを見据え、佇んでいるアレシアの首から下の肌が蠢き始める。


「いーち」


 そうアレシアが呟くと、走りにくそうなスカートが浮き上がる。


「にーい」


 アレシアの背から蜘蛛のような足をかたどった白い触手が生える。


「さーん」


 三言目には既にレオナルドはガゼボから飛び出していた。


「しーい」


 庭園から出る為の道具はまだ見つかっていない。つまり今、来た道を引き返してもただ袋の鼠になるだけ。ガゼボの周辺には庭師小屋のようなものが建っている。


「ごーお」


 急いで扉を開け、中を見る。使えそうな道具を片っ端から探る。


「ろーく」


 机の上、食材が並べられている。キッチン、道具が出されたまま放置されている。ベッド、埃しかない。壁棚、園芸用のハサミや枝切りハサミが仕舞われている。


「なーな」


 枝切りハサミを取る。だが専用の道具では無い為、これだけで出れるか不安だった。


「はーち」


 他にも何か無いかと探る。だが見つかったのは、釘打ち用のハンマーだけだった。


「きゅーう」


 小屋から出て塞がり切ってない足で、何とか中庭の出口を目指す。


「じゅーう」


 ガゼボの方からぬらりと影にが動き出した。




 天高く輝いていた月は庭園の生垣に隠れ、本格的に視界が悪い。

 薄暗い、辛うじて見える庭園を来た道から引き返そうと、出来るだけ早く走る。


 だが、怪我をした足では後ろからアレシアから逃げ切るのは、難しい。


 すぐに追いつかれてしまう。


「フフフ!フフフフフフフ!」


 笑っているのかそれとも叫んでいるのか、甲高い声がこだまする。

 背から生えた触手の足が虫のように忙しなく動き迫る。


 その濡れた手がレオナルドに触れられる前に書状による吹き飛ばしで時間を稼ぐ。


 何度か繰り返したところでようやく中庭出口、鎖の巻きつけられた扉の前まで戻ってこれた。


 鎖を枝切りハサミで切ろうと急いで力を込める。

 全体重を掛けるように押し込むが、あと少しで断ち切れそうな所でハサミの留め具が壊れ、真っ二つになってしまった。


「あと少しだってのに!」

「次わぁ……私のばぁん!」


 扉を何とか開けようとしていたレイモンドの背後から現れたアレシアによって、触手に掴まれ持ち上げられる。


 「この!離せ!」


 片手のハサミを近づけて来るアレシアの顔に振り下ろす。


「アァ!!」


 怯んだ隙に書状にを掲げる。

 だが地に足を着けていない持ち上げられたレオナルドの体が、背後の扉に向かって吹き飛ばされた。打ち付けられる勢いそのままに、切れかかってた鎖が壊される。

 転がる体を何とか起こし目を向けた先には、赤い血を流す顔を抑えながらも笑うアレシアの歪んだ瞳だった。


 急いで館の中へ飛び込み隠れられる場所を探す。


 手にはハサミのもう片方、一本の刃物だけが残った。

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