第2話 しめい
だが男は拘束されたままだ。
抜け出す為に手足に撃ち込まれた釘を抜かねばならない。
肘を背の十字に当て、支点にしてテコの原理で引き抜こうとする。
ようやく止まりかけていた傷口が開き、血がまた手から流れ始めた。
「ガア゛ア゛!!」
だが痛みを気にしている場合では無い。
いつまで油汗を滲ませ、抗っていたか判らないが、随分と長かったように思う。
引き抜いたと同時に足だけの支えでバランスを崩し、重力に任せ前のめりに落ちた。
足の傷が釘の返しによって抉れるように広げられ、それを感じた時には何を叫んだかすら分からなかった。
震える体をゆっくりと動かし、口で手の釘を引き抜いていく。
ようやく動けるようになった時には、ステンドグラスの光の角度は変わっていた。
手元に武器は無く、鎧も壊れかけ、歩く事もままならない。
まともに戦える状態では無い。
「取り敢えず、治療しないと……」
男が教会の礼拝堂を見渡しても使えそうなものは、傷口を抑えるのに使えそうなカーテンだけだった。
「無いよりかはマシか……」
手と足に包帯代わり巻き付ける。その上から履いた穴の開いたブーツの中でじわりとした湿った感覚が不快だった。
「ここから出ないと」
重い体を引きずるように教会の扉まで向かう。
もたれるように扉を押し開けると、その先にあったのは緑生い茂る中園だった。
男が事前に調べた限り、この館から出るには正面玄関からしか出口は無い。
だがその中庭から館への格子戸は鎖で巻き付けられており、乗り越えようにも足を掛けられそうな場所も無い。何処か他に何か無いかと辺りを見渡す。
その横にあったのは誘い込むように開け放たれた庭園へ続く生垣の迷宮だった。
館の主の趣味なのか、それはかなり大きいように見える。
「梯子か鎖を切れるものでも有ればいいが……」
ここで待っていてもあの彼女がやって来るだけ。
男には彼女が来る前に、早く抜け出さなければならなかった。
慎重に、何があるかわからない夜の闇に隠れた庭園に、足を踏み入れるしかない。
月明かりだけを頼りに、やけに入り組んだ道を進む。
今、男は武器もなく満身創痍。曲がった先から奇襲を受けても、応戦することもままならない。中庭も迷宮内も使用人やメイド、自分と同じ鎧を着た騎士たちが死屍累々としている。
彼らを襲ったのは一体誰か?抵抗する使用人に痺れを切らし騎士が襲ったか、それとも難癖にも等しい強引さで捜査を行う騎士に怒り使用人が襲ったか?
いずれにせよ、ここでは皆が既に事切れていた。
そんな時ふと、向こうの影に動く物を見つけた。
茂みの後ろで隠れながら様子を
着ている服からメイドの生き残りだろうか。ふらふらと迷宮の奥へ歩いて消えた。
(生き残りか?)
ふらふらと
男は追いかけて、その背へと手を伸ばす。
「なぁ、あんた大丈夫か?」
だが、その掴んだ背中の裏側は、男の思い描いたものでは無かった。
振り返ったその顔は目があるはず場所はくり抜かれたように空洞で、そこや耳、口からはゴポリ……と泡立つ白い液体が
「な!?」
肩を掴まれた怪物は男の手を掴み、顔から零れ落ちた液体が泡立ちその手へと
突然の事に驚いた男は驚き、腰から転んでしまった。力なく怪物も男にもたれかかるように倒れる。
自身の右手を這うようにゆっくりと身体を登っていく。否が応でも何処を目指しているかは分かってしまった。
どうにかしなければと残った左腕で辺りを探り、手にしたモノを怪物に向ける。
反射的に、身を守るように突き出されたのは一枚の書状。司祭が神の名の下に祈りを込めた、一枚の紙切れ。任務の前に渡された、まだ男の手に残っていたお守り。
書状から神々しい光が放たれると共に怪物は吹き飛ばされた。
メイドの身体はその場で倒れ伏し、その中から飛び出した白い液体は、また何処かの宿主を探して動き回っているのが見える。視覚も聴覚も無いのか周辺をびちゃびちゃと、手探りで周囲を探っている。
男は急いで立ち上がり、液体がこちらに向かって来ないうちにその場から逃げ出した。
遠く離れた場所で息を整えていた男の手に残っていたのは、焼け焦げた紙屑だけだった。
男は歩きながら考える。
一体、どうしてこうなったか。騎士達はただ、この館の主の異端信仰の裁判に出頭命令を伝え連行すると言う、領主の抵抗くらいしか問題は起こらない簡単な任務だったはずだ。
それが今や誰もが物言わぬまま横たわるか、憑りつかれ彷徨うかしか違いは無い。
そして男もいつ、その中に加わってもおかしくはない。泡立つ怪物がすぐ男のそばを通り、庭の芝生に残した赤い足跡がその刻限に思えて、どうあがいても迫りくる死に怯えている。
「ハァ……ハァ……」
一歩一歩、歩く度に男から抜け落ちる血液と意識から、早く抜け出さなければ直ぐにでも倒れてしまいそうだ。限界を感じる度に男は仲間の死体を漁り、使えるものを探す。
薬、鎮痛剤、任務の書かれた巻物。武器も握れぬ手では小物を漁ることしか出来ない。
血が抜ける度に薬を飲むが傷は大きく、すぐに塞がる気配はない。
恐怖や痛みで動けなく度に、えづくような透き通る臭いのする鎮痛剤を嗅ぐ。
巻物を握り締め、茂みの中で怪物がいつ襲い掛かっても良いように構える。
その場しのぎの延命で自らの命を繋ぎながら、脱出の為の道具を探る。
成果は見えずただ悪戯に時間を浪費しているように思えた時、ようやく迷宮の情景に変化が現れた。
たどり着いたのは開けた庭園。幾つかのの調度品と華やかな薔薇に包まれた園芸風景の広場、その真ん中の日よけ屋根と八角形の形に並べられた柱だけの建物、ガゼボにあるティーテーブルを整え、せっせと食器やカップなどを運ぶメイドや使用人の怪物が見える。
迷宮の内では明確な目的も無いように彷徨っていた怪物たちが何人も集まり何かをしていた。
書状で怯ませても、倒せるわけではない上に限りがある。
ともなれば、バレないように迂回しようとした時だった。
「まぁ!」
背後から聞こえた声に男が、しまった……!と思った頃には腕を掴まれ、引きずられていた。怪物と同じとろりとした泡立つ液体が手を包んでいた。
だが最も男を驚かせたのはその後に続く一言だった。
「そちらから来て頂けるなんて!」
なんのことかすら見当がつかず困惑する男を放って令嬢は続ける。
「ちょうど良かったですわ!もう少しで準備が完成するところでしたの!」
「な、なんの真似だ!」
「貴方の為にお茶会の用意をしましたの!さ、座って下さい!」
そう言って彼女は対面の席に座る。
男と令嬢のそばには使用人の怪物が控えている。抜け出せる状況では無い。
仕方なく席に座る男を見るニコニコとした満面の笑みを向ける令嬢は、変わらず貼り付けたように変わらない。
「そういえば、大事な事を忘れておりましたわ。貴方様の名前を聞いておりませんでしたわ!」
感情高々に声を張り上げて居るのに微笑む目は変わらず、口元しか動かない。
男はその様子に警戒を強めることしか出来なかった。
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