第55話 橘六花VSハナ

 橘幻煌が用意した例の補足資料には、六花のスペックが記されていた。


 人工培養された細胞から構成される六花の肉体は、正直に言って人間のそれを逸脱するものではなかった。


 確かに、ある種のアスリートと同程度の運動性能はあるものの、人間の範疇を超えていない。

 よく言えば一流のスポーツ選手並み、悪く言えばその程度の能力……要は、裏の世界では凡庸だということだ。


 ただ、その資料を眺めながら俺は何とも言えない違和感を覚えていた。

(じゃあ、あの時はなんだったんだ?)

 ……あの時とは、突然現れた六花に斬りかかられたあの時のことだ。


 六花は俺の天衣無縫シュライバーの機動にしっかりとついてきていた。今思い出しても、あれはあり得ない事なのだ。


 組合長との喧嘩の時もそう。たとえ修行の賜物とはいえ、俺の見立てでは六花は組合長と正面からやりあえる戦闘能力スペックを持ち合わせていない筈なのだ。

 それなのに、あいつは組合長とも互角に渡り合い、シュライバーの機動に対応し、『生身』離れした戦闘を繰り広げた。


 骨格も筋肉も、それらの性能も、本来の能力を大幅に上回る結果を出しているのは何故だ。

 至近距離から発射された銃弾を見切り、プロの殺し屋を返り討ちにする強さの秘密は何だ?

 俺はそれを考えた。

 そこにこそ、六花をするヒントがあるに違いない。



「……六花」

 そして今、こうして向き合ってようやく、俺はその手掛かりを得た。

「おい、六花。見ろよこの銀色のアーム。最高にカッコイイよな。俺はさぁ、幸せ者だよ。誰よりも早くブラックジャックを装着出来て、光栄の至りって奴よ」

「……」


 俺の呼びかけに応じない六花。その瞳は、感情を遮断するように閉じられている。

 俺にはそれがとても機械的に見えた。

 シャッターが下されているように、六花の瞳を窺うことはできない。


 ……つまり、『音声には反応は無し』……か。


(じゃあ、こいつはどうだ?)

 俺は手元に隠し持っていたレーザーポインターを六花に向けて照射した。

 その瞬間だった。


 ざん!!


 六花のブーツが激しく鳴る。突如、六花は身を屈めてその場を飛び退いたのだ。


(赤外線に反応した!)


 それは明らかに機械的な反応だ。

 俺の使ったレーザーポインターは可視波長のモノではない。

 センサーや暗視ゴーグルの類でなければ認識は出来ないのだ。

 なら尚の事……!


(ってことはやっぱり、今の六花は……)


 しかし、六花の機動は俺に考える暇を与えない。飛び退いたかと思ったら、そのまま深く踏み込んで俺に向かってきたのだ。


か……!)

 しん、と不思議な音が俺の眼前を過ぎていく。

 神速の白刃が虚空を斬って、去って行くのだ。

(避けら……れ!)

 去って行ったはずの刃が直ぐに俺を追うが、俺はその刃も躱す事に成功した。

(さっすがブラックジャック!)

 思った以上に動ける! 文句のつけようのない精度だ。



 俺がブラックジャックを使用するにあたって、組合長につけた注文のなかで一番重要なものは、この『精密機動』を意識システムさせることだった。


 通常、シュライバーは装着者の持つシステムとリンクして動く。

 しかしごく稀にシュライバーの持つ固有のシステムが装着者を飛び越えてシステムの根っこである神経系に逆リンクを起こすことがある。


 これは単なるバグであり、医学用語でいうところの幻肢痛にあたる。切断されたはずの腕や足が、あたかも存在するように疼痛を感じる感覚の錯覚だ。


 つまりシュライバーが装着者とシステムを超えてリンクするバグ……シュライバーから発生した純粋な運動に必要な電気信号が元々の神経を刺激し、それが脳まで届いてまるでシュライバーシステムと自分の運動神経が一体化するという錯覚を起こすのだ。


 俺はそれを意図的に起こし、ブラックジャックの精密機動を俺の神経にリンクさせ、その性能を間借りすることを考えた。


 結果、俺の神経系はブラックジャックの精密機動をベースに動き、それがそのままさらにリンクしたレッグのシュライバーであるダンサーインザダークを動かす事になるのだ。


 だから俺は六花の攻撃を躱す事ができた。

 ギリギリで躱し、俺は俺の希望する位置に自分を移動させる。躱し、移動し、躱し、移動……寸分も違わない精密さで、同じ行動を繰り返すのだ。


 ただ、六花の斬撃スピードは俺の持つデータを遥かに上回るものだった。 

 もし予めを予想していなかったら、多分今の一撃で終わっていただろう。


 詳しく分析する暇がないが、俺の持っている六花のデータと、その運動能力や反応速度は釣り合わない。

 さっきも感じたが、今の六花は明らかに『チートモード』だ。


 ……そう、チートなのだ。



 六花は自衛のためにデジタル化された兵法橘流をインプットされている。

 彼女はそれを必要に応じてアウトプットしていると見られるが、それも全てAIが判断し、実行していると俺は踏んだ。


 通常時と戦闘時、そして状況、環境等を勘案してそれに応じた戦闘能力を調整している。

 ただ、六花の身体は人工的に造られたとはいえ人間ヒトの……もっと言えば、少女の枠を超えていない。

 だからきっと、兵法橘流の最大出力フルパワーには耐えられないのだ。


 橘幻煌が紅蜂より強いなら、その実力が組合長より下って事は無いだろう。

 にも関わらず、六花は組合長に手も足も出なかった。

 今もそう。状況的には紅蜂を圧倒したようだけど、チートモードに入る前は全くの逆だっただろう。


 恐らく、六花は自壊しないために常に能力ちからをセーブしている。その限界値が、せいぜい天衣無縫について来られる程度の機動力と、組合長を認めさせる程度の戦闘能力なのだろう。


 それだけでも十分人間離れしているが、それでは紅蜂には勝てなかった。

 六花は散々に打ちのめされ、命の危険を感じた。

 その時、自己防衛モードが『安全装置全解除状態チートモード』に切り替わったのだろう。


 紅蜂が言った『あれは六花じゃない』という言葉の通り、今の六花は六花じゃない。

 彼女は既に外敵排除を実行する機械……いや、だ。


 六花の設計限界を超える能力を開放している事実に、橘が六花の身体の保護より機密保持を優先していることは明らかだ。


 俺は、それが何よりもムカついた。



(早くしねーと、こっちがもたねぇ……!)

 俺は自分を斬り伏せようと襲い来る斬撃を躱し続け、その間に紅蜂の左腕に辿り着いた。

「紅蜂!!」

 俺は彼女の名前を叫び、その左腕を思い切り蹴り飛ばした。

 まるでサッカーのフリーキックだ。鋭い軌道で紅蜂の左腕は宙を舞い、倒れている紅蜂のだいぶ離れたところに着地した。


「へ、下手くそー!!」

 紅蜂が叫ぶ。

 その直後、俺の脇を六花の斬撃が掠めていく。

(やっば……!!)

 紅蜂の抗議に反応する暇は無い。

 だから俺は俺の作戦に集中した。


 六花の攻撃を躱し、攻め、守り、退く。そしてまた躱し、攻め、守り、退く……それを繰り返す。ひたすら繰り返すのだ。

 同じ速度、同じ距離、同じタイミング……それを可能にするのは、ブラックジャックに他ならない。

 ブラックジャックの超精密機動能力が俺の神経に逆リンクし、レッグのダンサーインザダークを文字通り『規則正しく』操っている。


 紅蜂がそれに気付くまでに、時間は掛からなかった。

 彼女はすぐに手足の十分では無い体を捻り、這うように転がるように、俺の蹴り飛ばした腕に向かう。


 紅蜂は状況をよく見ていた。

 俺の正確無比な動きに、六花も同様に正確な反応で応えていた事を見逃さなかったのだ。

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