第54話 完全義肢
昨日の晩、栗鼠組の組長が俺を尋ねて千鶴さんのシェルターへ来た
「例の依頼は取り下げる。理由はわかっているな?」
あの時、組長は開口一番そう言った。
……紅蜂に負けたからお前はクビね、という事だ。
でも、俺の感じていた嫌な予感はその事じゃない。
核心はその先にあった。
「だから、別の仕事を持ってきてやった」
そう言って彼が差し出した書類入りの封筒の端に橘製作所のロゴを見つけた途端、嫌な予感が像を結び始めたのだ。
「それは補足資料だ。細かい依頼内容は……」
組長は自らの通信回路を開き、無線接続するために俺のシステムに通信要請を出してきた。
データで依頼内容を無線送信しようとしていたが、そのデータは
どうしてそんな面倒な事をするのかわからなかった。
個人間の通信なら暗号化する必要は無いし、そもそも仕事の依頼なのになんでそんな手間なことを?
「……もしかして、ヤバイ系?」
俺が茶化し気味な訊き方で様子を窺うと、組長はその鋭い眼光を揺らす事なく答えた。
「職安を通さない
「は? 俺を?」
「そうだ。これといって大きな実績のない無名のお前を、だ」
その時点でただ事ではないことは確実だった。
「……組長は内容見たの?」
「見た。仲介をする以上、内容を把握しないわけにはいかんだろう」
「……危ない仕事?」
「お前にしかできない仕事だ」
それは暗に、覚悟を促している。
極道の親分が直々に持ってきて、しかも俺をご指名だ。
この仕事を断る権利は、端から無かった。
内容を知った後は、断る理由が無かった。
だから俺は、この仕事を引き受けた。
そして対峙した俺と六花。
六花は俺と一定の距離を保ったまま動かない。だから俺も動かなかった。
もし、何も邪魔が入らず、このままの距離をキープ出来たのなら、俺達はずっとこのままでいられるだろう。
それが橘製作所の設定した条件であり、技術でもある。
「……六花ちゃんが橘そのものってどういうこと?」
紅蜂の息が荒い。ダメージはかなり深刻のようだ。
「そのままだと死ぬからあんま喋んな。お前には今から手伝ってもらいたいことがあるし、お前を助けることが俺の仕事なんだ。死んでもらっちゃ困るんだよ」
「教えてくんなきゃ手伝ってあげない。死んで困らせてやるもんね」
紅蜂はにやりと口角を吊り上げて見せた。その表情に生への未練は感じられなかった。
それは
こんな顔、
これが橘を陰で支える荒事師なのか……つくづく、橘製作所の闇の深さを思い知らされる。
「六花は
俺が言うと、紅蜂は明らかに表情を強張らせた。
「……六花は四歳の時に持病が原因で死亡した。兄貴の幻煌は
最初は反対してた
クローン人間が理論上製造可能になったことで倫理的是非が本格的に問われ始めた10年ほど前に、橘は既にクローン人間を完成させてたんだ。
そして六花は蘇った。本人の意思は無視してね……って感じの資料をお前のボスからもらったんだよ。まったく、未だに信じられねぇよ」
紅蜂は暗闇でも見つめている様な表情でその話を訊き、俺をある種、威嚇するような目つきで睨んでいた。
「……幻煌様からの依頼ってのは本当みたいだね。完全義肢計画は絶対社外秘なんだし……でも、六花ちゃんのそんな話は聞いたことない。完全義肢計画は倫理的にヤバイからって、かなり初期段階で破棄されたはずだし」
「橘も巨大企業だからな。モラル云々を鑑みて、顧客や株主への配慮で表向きはには破棄されたが、裏では開発を続けたんだよ。
そして六花の身体は最新の培養技術で再生したが、問題は脳機能だった。細胞から復元した脳は脳としての機能は果たしたが、人間としての意思を持つことはなかった。そこで幻煌はAIを駆使してプログラムを組んだ。六花の脳を、一から作り直したんだ。
そしてそれは成功した。六花は
だけど社外秘のクローン技術と倫理へのタブーは漏洩を許されない。だから六花には自らの危機を感知した際に発動する『自己防衛システム』が搭載されたんだ。
外敵が現れた際にはその敵を抹殺できるように、商売敵にその技術を盗まれないように、六花自身がその身を守る為に、橘家自慢の兵法橘流の全てが詰め込まれた。
橘流の
つまり六花は、六花であって六花ではない。強いて言うなら、橘製作所……というか、『橘』そのものってとこじゃないか?」
紅蜂は険しい表情で、刀を構えたまま動かない六花を見つめていた。
「……道理で。まるで幻煌様と戦ってる気分だったよ」
「六花の兄貴は強いのか?」
「無茶苦茶強い。私じゃ全く相手にならないよ」
「……じゃあ、今の六花は兄貴のコピーみたいなもんか?」
「殺しに来てる分、幻煌様よりタチ悪いね」
そして紅蜂は深いため息をついた。
「……幻煌様はこうなる事を見越して、ハナさんに仕事を振ったんだね。任務失敗かぁ。私もこれまでだね」
「幻煌はお前の救出を依頼したんだぞ。だから、生きて帰る事を考えろよ」
「……そだね」
俺は四散した紅蜂の手脚を目で探した。
「……紅蜂、お前の刀は? あの空から飛んでくるやつ」
俺は紅蜂がうどんちゃんと戦った時に口笛で呼んだあの黒い箱に入った刀を探したが、見当たらない。
「呼ぶ暇もなかったよ。あっという間に両腕吹っ飛ばされたから」
「腕? って事は、どっちかの腕があれば呼べるのか?」
「腕っていうか、手ね。でも、今は左手だけかな。右は斬られちゃったから」
俺は少し離れた所に転がる紅蜂の右手を見やった。
「うわー……」
遠目で見てもグロテスクなほど、その右手は中指と薬指の間から肘まで真っ二つにされていた。そのやや奥に、左腕が落ちている。肘から先は完全な形で残されていた。
しかし、六花のすぐ側だ。彼女に接近しなくてはあれを取り戻せない。
「……俺が合図したら、あの箱を呼んでくれ」
俺は立ち上がり、銃を収納していたホルスターを外した。
「は? まさか取ってくるの? てゆーか、やる気?」
「お前の救出と六花の無力化が今回の仕事だからな」
「無力化って……」
「どっちみち今の六花からは逃げられねーよ。やるしかない」
「それはそうかもだけど、銃は? なんで置いてくの?」
「さっきのアレ、見ただろ。撃つだけ無駄だよ」
「だからってさぁ……まさか、なんか作戦あんの?」
「一か八かの作戦なら」
「ギャンブルじゃん。そんなん作戦って呼ばないっての」
「正面から行っても
「……もしかして、そのギャンブル作戦とその
紅蜂は俺の足を見て呟いた。
「なんでダンサーインザダークなんて
俺は答えず、上着のボタンを上から順に外していく。
「ダンサーインザダークにしかできない事と、お前の刀と、『これ』があれば、俺は勝てる」
そして上着を脱いだ。急激な冷気が肌を刺すように纏わり付くが、その寒さが両腕に装着された銀のシュライバーを映えさせた。
「……ブラックジャック?!」
紅蜂の声が震えた。
「静馬宗一郎が俺専用にチューンし直してくれたこいつが、俺たちの切り札ってわけよ」
闇に煌めくその
「で、でもブラックジャックは医療用シュライバーだよ? OSだって作業用だし、そんなもんで何が出来るって……」
紅蜂の言葉が
銀色の拳は光の軌跡を残し、音を置き去りにする速度で虚空を切り裂いた。
打つ、ではない。文字通り切り裂く程のスピードで闇を駆け抜けたのだ。
「……OSの
それを一目で看破した紅蜂は、殺し屋としてだけではなく、それこそ義肢屋としての実力もあるようだ。
OSのリライトとは、シュライバーそれぞれが持つ固有のシステムをハッキングして、書き換える事を指す。
通常、シュライバーシステムは互換性を保つために統一規格が設けられているが、それは装着と操作に関わる『最低限の作動を保証するための』部分でしかなく、個々のシュライバーはそれぞれの企業がオリジナルのシステムを組み、それぞれの良さや強みを最大限発揮するように設計されている。
だからこそ各社は基本的な部分以外のシュライバーシステムに対するセキュリティには強固かつ複雑なプロテクトを施す。
同業他社に情報を盗まれないために必要不可欠な行為であるが故に、その取り扱いも当然法的に保護されている。
と言う事はつまり、シュライバーシステムの改竄は、紛れも無い犯罪行為なのであった。
「……シュライバーシステムのハッキングは執行猶予なしの重罪だよ。良くて
紅蜂が呆れた。それほどの事だと、さすがの俺もそれくらいは知っている。でも……。
「ここは日本じゃねえ。ここはjpだ。俺たちの『街』なんだよ。お前らの都合で作った
俺は
或いはここが自分の最期の場所になるかもしれないと本気で思った。
また、六花に対しても同じ気持ちを持った。そこまでしないと、六花には勝てない。
勝てなければ、俺は六花にやられて終わる。
だからここで六花を、終わらせる。
「……紅蜂、頼んだぞ」
絶句する紅蜂を背に感じ、遂に俺は六花と『再会』したのであった。
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