第46話 六花編 7 たった1つの想い

 私がハナの部屋を出るとシェルターの灯りは全て消され、足元灯だけが廊下の板張りをぼんやりと照らしていた。

 千鶴さんはもう眠ってしまったようだ。


 リビングではうどんちゃんがすやすやと寝息を立てていた。

 出入り口の施錠がされているところを見ると、組合長は帰宅してここには戻らないのだろう。


 私はあらかじめ千鶴さんに部屋と寝床をあてがわれていたので、そこへ向かった。


 部屋は簡単なベットがあるだけの狭い空間だったが、掃除と整頓が行き届いており、シェルターの一室にしては小綺麗なここが客室である事は見て取れた。

(有り難い……)


 私は横になり、布団を被る。

 すると、まるで体が沼の中に引きずり込まれるような錯覚に陥った。

 快感にも似た睡魔は私の意識を気持ち良いほど削いでいく。


 見る見る薄くなっていく私の意識が、そのまま漆黒の闇にとけていくのにそれほど時間はかからなかった。


(お父様……)


 父を想う。

 家を出てからまだ何日も経っていないのに、もう何ヶ月、何年も会っていない様な気がする。


 父の体調はどうだろうか。落ち着いていると良いが。


 消えてゆく意識の中で、父を想い、兄の事を考え、母の事を思い出し、を……。

(千鶴さん……)



 …………

 ……

 …



 朝が来たことに気が付いたのは、誰かの気配を感じたからだった。

 だが、部屋に誰かがいるわけではない。

 私は部屋を出て、リビングへと向かった。

 うどんちゃんはすでに居なかった。

(……11時? 眠りすぎた……)

 柱の時計はもう昼と言っていい時間だった。

 きっとうどんちゃんも帰宅したに違いない。

(誰もいない……)

 居ないが、確かに人の気配がする。

 だが、姿が無い。


 ハナかと思ったが、何せ怪我人だ。

 きっとあの部屋でまだ眠っているのだろう。

(であれば、この気配は……?)

 外か? 私はそう感じ、出入り口へ向かった。



「……じゃないかしら」


 微かな話し声は千鶴さんの声と、


「……って言ってんじゃん」


 紅蜂の声だった。



 紅蜂?!



 私は耳をドアに当てて声を探るが、よく聞こえない。

(静かに開けて出ても、ここは上からは死角だ……)

 シェルターの出入り口は地面より下だし、今は瓦礫に隠れて正面からしか出入り口は見えない。


 ふたりが立っているのがドアの正面ではないことを祈り、私は極力音を立てない様にしてドアを開いた。


 そして、そっと顔を出して辺りを窺う。

(正面ではないな……)

 私は声を頼りに千鶴さんと紅蜂の位置を探り当て、見つからない様に静かに、瓦礫に紛れる様にして顔を出した。


(……いた!)


 2人がいたのは荒れ果てた工場の真ん中あたり。

 そこには、数メートルの間を置いて対峙する千鶴さんと紅蜂がいた。



「何度も同じことを言わせないで。あなたを六花ちゃんに合わせる訳にはいかないわ」

 千鶴さんはあの紅蜂相手に怯むことなく、毅然とした態度で言った。

 しかし、紅蜂はそれをいなす様にしてヘラヘラと笑っていた。


「なんで千鶴さんがそんな事決めるんですかー? カンケーないっしょ?」

「無いことは無いわ。……それとも、あなたは知らないの?」

 千鶴さんの意味深な問いに、紅蜂は小首を傾げ、

「何がぁ?」

 と、本当か嘘か分からない顔で言う。

「……帰って」

「やだよー」


 膠着する2人。原因は私だ。

 紅蜂の目的は私の身柄。千鶴さんはその紅蜂から私を守ってくれている。

 互いの主張は平行線を辿り、折り合いは決して付かないだろう。


 2人の距離は数メートルだが、あの程度の間合いなら紅蜂にとっては一息で詰められる。このまま紅蜂が強硬な態度を崩さないのなら、千鶴さんの身に危険が及びかねない。


 私は深呼吸し、覚悟を決めた。


「……紅蜂」

 私は瓦礫の陰に潜むのをやめ、彼女たちの前に姿を現した。

「六花ちゃん?!」

 千鶴さんの声は驚きよりも焦りを感じさせる様に上擦ったが、紅蜂は呑気な声色で、

「おっはよー、六花ちゃん」

 と、友人にでもする様な挨拶で私を迎えた。


 千鶴さんは二の句を失い、この状況をどう処するべきかの判断に迷っていたがそれも一瞬。

「ねーねー六花ちゃん、一晩考えてさ、答え出た?」

 紅蜂のストレートな問いに初動を抑えられた。


 千鶴さんは反射的に私を見たのだ。私の判断を確かめたかったのだろう。

 それを自覚した彼女は、私をじっと見つめてそれ以上何も言わなかった。

 全てを私に委ねてくれたのだ。


「……いや、まだだ」

 私が答えると、紅蜂は不貞腐れたような表情かおを見せたが、私は被せるようにして言葉を繋ぐ。

「もう少し時間をくれないか、紅蜂」


 私の要求が意外だったのか、紅蜂は即答しない。

 好機だ。だから私は頭を下げた。

「頼む」

 深々と頭を下げ、懇願する私に彼女がどう反応したか……下を向いている私に確かめる術は無い。


 しかし、彼女の答えは期待通りのものだった。

「うーん、そこまで言うならぁ……いいよ。待ってあげる」

 私が顔を上げると、紅蜂はにっこり笑って「6時間待ってあげる」と付け加えた。

 その時間の根拠はわからない。だが、それだけあれば十分だ。

「ありがとう」

 私が礼を言うと、紅蜂は笑顔で首を傾げた。

「あれぇ? 六花ちゃんてば、なんかすごく素直。キャラ変わってない?」

「私は元々素直なたちだよ」

「それなら私の言うことも素直に聞いてよね」


 紅蜂はやれやれと言いたげに肩をすくめ、くるりと踵を返した。

 そして、背中越しに言った。

「よーく考えてね六花ちゃん。何をどうするのが自分と会社タチバナの為か」

 紅蜂はその右手をひらひらと振りながら「じゃあ、また後でね」と言い残して去って行った。



 そして残された私と千鶴さん。

 千鶴さんは神妙な面持ちで私を見つめていた。

「六花ちゃん……」

 その眼差しは窺うような、叱るような、慮るような……複雑な感情の機微が幾重にも重なった、正直心地よいものではなかった。


 所在無さというか、なんだかこそばゆいものと、叱責された時特有の胸の痛みを感じたからだ。


「……心配無用だよ、千鶴さん。私とて馬鹿では無い。何も武力ちからだけが問題の解決方法ではないと分かっている」

「でも、六花ちゃんは答えを出すって言ったじゃない。それって、紅蜂あの子の言ってる事に応えるか、拒否するかの2つに1つでしょう」

「争わずに済む方法はあるさ」


 私は努めて笑顔を作り、千鶴さんの杞憂を晴らしたかった。


「大丈夫だ千鶴さん。我に秘策あり、だ」

「……秘策? どんな?」

「それはまだ秘密だ。どこかで紅蜂あいつが聞き耳を立てているかもしれないからな。でも大丈夫。紅蜂との取り引きにも使える重要ながあるんだよ」

「……六花ちゃん」

「だが、それをどう使うかが問題だ。それを考えたいんだ。あと6時間もあれば、きっと妙案に辿り着くだろう」

「六花ちゃん……」

「だから少しの間、ひとりにさせてくれ。策を練りたいんだ」

「六花ちゃん!!」


 余程私の笑顔は引きつっていたのだろうか。

 千鶴さんの杞憂が晴れた気配は全くなかった。

 或いは、全てお見通しなのかもしれない。


「……六花ちゃん。ひとりで何もかも背負い込もうとしないで。私を、私達を頼って」

 真摯な瞳が私の胸を騒がせる。

 私はその瞳から逃げたかった。

 そうしないと……。


「千鶴さん、少し出掛けるよ。なぁに、遠くへは行かない。ひとりになってじっくり考えたいんだ。すぐ戻るよ」

 私はそう言って千鶴さんの瞳から逃げ出した。

 そうしないと、私の嘘が見透かされそうで怖かったのだ。


 秘策だの何だのという嘘を見透かされ、私の本当の気持ちまで見抜かれそうで、怖かったんだ。


 そう、怖かったんだ……。

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