第45話 六花編 6 ある装着者

 私がシェルターへ戻ると、すぐに千鶴さんと鉢合わせた。

 彼女は毛布と枕を手にしていた。

「うどんちゃん、寝ちゃったのよ」


 千鶴さんの視線の先にはソファで横になって寝息を立てるうどんちゃんがいた。

 余程の深酒だったのか、うどんちゃんの顔は赤かった。

「大暴れして疲れたのね、きっと」


 千鶴さんはうどんちゃんの頭に枕を敷き、優しく毛布をかけると不意に私の手を取った。


「ち、千鶴さん?」

 唐突な手の温もりに、上擦った声が出てしまった。


「外、寒かったでしょう。手が冷たいわ」

 そう言って、彼女は私の手を包み込む様に温めてくれた。

「……千鶴さん」

「ん?」

「どうして、そんなに優しくしてくれるんだ?」

「どうしてって……」


 千鶴さん。


 私は知っているんだ。


 あなたの名前が『暮石千鶴』である事を。


 そしてあなたも知っていた。


 私の事を。


 だからあの時、私が初めてあなたに会った夜。


 ハナがあなたの氏名フルネームを口にした際、あなたは咄嗟にそれを遮った。


 それは私を慮っての事だったんだ。


 私はあの時、眠っていなかった。


 そして、それを聞いていたんだ。


 しかし、その時点ではぼんやりとしたものでしかなかった。

 はっきりとしない靄のなかで、誰かがそこにいる様な……。


 いま、それが何かが分かったんだ。

 全ての点と点が繋がり、像を結んだ。


 あなたは知っていたんだ。

 気が付いていたんだ。

 私が何者であるか。

 あなたにとって、私が何者であるか。

 だからハナの言葉を遮った。


 万が一にも、私に悟られまいと。

 知られたくなかった?

 知るべきではないと?


 いずれにしても、それはあなたの優しさだ。

 だから、だから私は――



「誰かに優しくすることに、理由なんている?」

 そのたおやかな言葉と掌が、私の心をぎゅっと優しく締め付ける。

「……千鶴さん。私は、あなたの様になりたい……」


 その言葉はあまりに小さく、彼女まで届かなかった。

 だから千鶴さんは小さく首を傾げたが、私はその言葉ねがいを繰り返さなかった。


「……そうだな。その通りだ。流石は千鶴さん」

 私が今出来る精一杯の笑顔を向けると、彼女もそれに笑顔で返してくれた。


「そうだ、ハナくん目を覚ましたのよ。でも……」

 千鶴さんの表情に影が差す。理由は言わずもがなだろう。

「表で栗鼠さんに会ったよ。だから仕事の事も知っている。しかし、別の仕事を回す様な事を栗鼠さんは言っていたが」

「うん、そうみたいだけど、やっぱり落ち込んでる。六花ちゃん、行って励ましてあげてよ」

「それは構わないが、私はむしろその原因を作ったようなものだから、上手くいくかな」

「原因だなんて、そんな事ないわ。ハナくんも全然そんな事思ってないと思う。だから、ね?」

「……千鶴さんがそこまで言うなら」


 千鶴さんは「お願いね」と微笑んで別室へと向かっていった。



 ――千鶴さん。


 私は言わないよ。


 あなたが言わないように、私も言わない。


 でも、いつか……。




 様々な思いを巡らせていると、いつのまにかハナの居る部屋の前にいた。


 少なからず平常心では無かった私は深呼吸し、気持ちを切り替える。


 すう、はあ、すう、はあ、


 3度目の呼吸の終わりが、合図だ。


「……ハナ、六花わたしだ。入ってもいいか?」


 部屋の中からハナの声がした。

 なんと言ったか判然としない声だったが、拒否の色は感じなかった。

「……入るぞ」


 入室すると、ベッドの上で半裸のハナが何かの資料のような書類を手にしていた。新たな仕事に関する書類だろうか。

「……具合はどうだ?」

「ん」

 ハナは書類から目を離し、答えになっていない声で左手を軽く挙げて応えた。

 その様子から、命の危機は脱したと見える。

 しかし、上半身の半分以上を覆う包帯がミイラ男の様で痛々しい。


 そして、手首を切り落とされた右のシュライバーは取り外され、肩関節の接合部ピンが露わになっていた。

 左腕ひだりのシュライバーは無傷だったが、それを見て私は息を飲んだ。


(……あれは『パックマン』!? まさか、左右別々のシュライバーを装着していたのか?)

 私はハナの容態より、その事に意識が向いた。



 装着者マニピュレーターは自分の手の内を明かさないために妨害電波を用いて自分のシュライバーがが分からない様な処置をする者が大半だ。


 そして人工皮膚で覆われたその外観は個々の装着者に馴染むような処理をされるため、一見するとシュライバーであるのか否かすら分からない。

 特に長袖の服を着ればそれは尚の事だ。


 しかしがそうであるように個性は隠すことができない。

 それはモーターの駆動音や動作の癖もあるが、特に関節や接合部の形状に顕著に現れる。


 私も義肢屋の端くれ。そのシュライバーを肩口から手部までのを目視出来れば、前述のを頼りに一般に流通しているシュライバーなら看破する自信はある。


 だから私はハナのシュライバーは両腕とも射撃特化型の「ガンスリンガーガバメント」だと認識していた。

 というより、基本的に四肢のシュライバーは左右一対だ。片方だけの場合も当然あるが、それは事務的な使い方をするそれがほとんどだ。

 作業用、或いは戦闘用シュライバーは両側セットで使用しなければバランスを崩し、使い物にならない。そもそもまともな同期ペアリングが出来ないのだ。

 

 私はハナが銃を抜いた時に右腕みぎG・Gガンスリンガーガバメントだと察知したが、それだけで左も同じシュライバーだと決めつけていた。

 しかし、ハナの左腕は「パックマン」という打撃特化型のボクサーアームシュライバーだったというのだ。

 にも関わらず、ハナは両方のシュライバーを不自由なく使いこなしていた。

 しかも下半身は天衣無縫というマニューバーシュライバーだ。

 普通なら、まともに歩くことすらままならない筈だ。


……或いは、この男はとんでもない天稟てんぴんを持っているのか……!?



「なんだよ六花、黙って人の体ジロジロ見てさぁ」

 ハナのおどけたような言葉で我に返った。

 同時に、その声色から察するに彼が思ったほど落ち込んではいないのかと安堵した。

「いや、傷の具合はどうかな、と思って」

「傷は塞がったよ。まだ痛ぇけど」

「そうか……あの、その、わ、悪かったな……」

「ん? 何が」

「し、仕事の事とか……色々、迷惑をかけた。せっかくありついた仕事だったんだろう?」

「まあね」


 やばい。ハナの表情がみるみる暗くなっていく。

 仕事の話は禁句だったか。


「で、でも別の仕事を回すとかなんとか、さっき栗鼠さんから聞いたぞ?」

「はぁ!? あのジジイ、なんて言ってたんだ?! 」

 何故かハナの声が荒くなった。変な事を言ってしまったか?


「わ、私は挨拶をしただけだよ? その時、別の仕事を持ってきたと……それ以外は、何も」

「そうか。……あのクソヤクザ……」

 ハナは自ら呼吸を整え、落ち着こうと努めていた。

「あの爺さんな、ヤクザの親分なんだよ。だからあんまり関わらない方が身のためだよ」

「極道? ……道理で」

 あの全身から滲み出る威圧感と貫禄は、潜り抜けた数多の修羅場からの賜物であろう。

 あの老人、やはり只者ではなかったか。


「あのさ、座れば?」

 ハナはベッド脇にあったパイプ椅子を私に勧めてくれた。

「ありがとう」

 私が素直に腰を下ろすと、ハナは珍獣でも見るような目で私を眺めていた。

「……どうした?」

「やけにしおらしいな。お前らしくねー」

「迷惑をかけてしまったからな」

「まだ終わってないだろ」


 言われて、ハッとした。

 ハナは紅蜂の事を言っているのだ。

「そ、そうだな。まだ全て片付いたわけではないな」


 紅蜂は一晩考えろと言ったが、何を考えろと言うのだろうか。

 私のはらは決まっているのだ。紅蜂ヤツがその邪魔をすると言うのであれば、私のとる行動は1つだろう。


「あのさ」

 ハナが明後日の方を向いて私に問うた。

「お前の技で一撃必殺の技とかねーの?」

「は? 一撃必殺?」

「そう。超必殺的なやつ」

 唐突に、そんな阿保のような事をハナは言う。


「……あったとしても、お前の想像している様な光線が出たり、大爆発が起こったりしないぞ」

「わかってるよ。例えば紅蜂みたいにすばしっこい奴を一発でおとなしくさせる様な奴でいいんだよ」

「……」

「俺にもできそうな奴な。刀使うのはナシで」

「……」

「おい六花、聞いてんのか?」


 ハナは紅蜂と再びまみえる事を想定しているのか。

 ……あれほどの目にあっておきながら、もう雪辱を晴らす事を考えているとは。

 大した胆力だ。


「……なくは無い。だが必殺技では無い」

「ならなんだよ」

「人間の構造の弱さをく『方法』だ」


 私は拳を握り、突き出した。ストレートパンチである。

「拳にせよ蹴りにせよ、被弾インパクトの瞬間、人の体はその衝撃に耐え得るよう筋肉のみならず神経までもが極度に緊張する。結果、内臓や脳といった重要器官にダメージを伝えずに済む。これは生物の生理現象だ。一瞬にも満たない無意識のレベルで、人間の体はダメージから身を守る機能を備えているのだ」


 私は拳を構え直し、今度は2度打った。


「しかし、その準備は一度につき一度。つまり、2度目の衝撃に対して生物は無防備を晒すんだ。ただ『連続且つ高速で』という条件付きでだがな」


 私は三度みたび構え、普段の稽古で『これ』をやるように、出来得る限り素早く2度、虚空を打った。


 ボッ、ボッ、


 と、空を切る鋭い音が静かな部屋に響く。


 素早いストレート、というより速度を優先した『ジャブ』が、音だけを残して過ぎ去った。


 するとハナが「おお」と、感嘆の声をあげた。

「いいパンチじゃん」

「刀を使わない柔技やわらも剣術の大事な修行のうちだからな。これは雲雀返ひばりがえしという稽古型だが、先程説明した2度打ちの術理を体現している。しかし、その効果を真に発揮するにはこれではあまりに遅すぎるし、正確では無い」

「遅い? 十分速いし、綺麗なパンチだったぞ」

「0.2秒未満に同じ力、同じ速度、同じ位置に打ち込まねば効果はないと……というのも、人間にはそんな芸当は不可能だからな。あくまでも理論であり、理想だよ」


 黙って聞いていたハナが、ぽそりと呟いた。

「でも、成功すれば?」

「実現すれば一撃必殺も可能だと思う。ただ、威力が伴えばだ。雲雀返しは打ち込みの力がダイレクトに伝わるだけで、元々の攻撃が貧弱であればあまり効果はない。つまりこの技は元からある程度の威力があって、初めて理想に繋がるんだ」

「……そーゆーのでいいんだよ」

「ん? 何か言ったか?」

「いいや。そーゆー感じかって、言ったんだよ」

「……?」


 ハナは何かを言い淀んだ様子だが、敢えて掘り返す程でもなかろう。

 彼はふーっと息を吐くと、起こしていた体を横たえた。


 ……無言。

 お互い話が続かず、少し所在のない沈黙が流れた。


「……六花」

 唐突にハナが口を開いた。

「な、なんだ?」

「親父さん、良くなるといいな」

「……」


 少し意外な感覚だった。

 まだまだ短い付き合いなのでこんな事を言うのもおかしいが、ハナはこんな取り繕った事を言うイメージがなかったからだ。


 良くも悪くも、この男は正直で鈍感で純粋だと思う。

 そして馬鹿だが、憎めない。

 私に気を遣ってくれたのか、それとも単に沈黙がむず痒かったのか、ともかく彼の不器用な優しさは感じ取れた。


「……そうだな。だが、本当にこれで良いのかどうか、少し迷う」

「迷う?」

 柄にもないハナに感化されたか。私も同じように心のうちを吐露してしまった。

「父を治療することは、父の苦しみを長引かせるだけなのかもしれない」


 癌はその症状だけでなく、治療すらも痛みを伴う。父も例に漏れず痛みに耐える日々を送っているのだ。

 例えブラックジャックが手術オペを成功させたとして、その痛みが消え去るかといえばそれは否であろう。

 私がやろうとしていることは、単なる延命措置にすぎないのだ。


「私はそれが正しいと盲信して、突っ走ってしまっただけなのかもしれないな、と思って……」

 自嘲的な笑みを浮かべてしまった。自分でもそれが少し嫌だったが、ハナは真剣な表情かおで私を見ていた。

「もうさ、親父さんをサイボーグにしちまえばいいんじゃねーか?」 

「……」 

「いや、ふざけてないよ。割とマジなんだけど」


 この状況で普通に無神経且つ浅慮な言葉にため息しか出ないが、実にハナらしい言葉でもあった。

 この悪気と嫌味のない馬鹿さ加減が、この男の良いところでもあるのだろう。


「サイボーグか……確かにそういった考えを持つ者もいるが、父は違う。父は我が兵法橘流の理念で生きている」

「橘流……お前んとこの流派ってやつか?」

「そうだ。橘流は生から死を一直線の道として捉えている。古代中国の思想に『死をることするが如し』というものがある。死ぬことは家に帰るようなものであり、少しも恐れず泰然自若とする心持ちを表現している言葉で、橘流の死生観と同一の……」


 ふとハナを見やると、完全に思考を放棄した顔をしていた。

「……要するに、『死を恐れない』という覚悟の話だ」 

「じゃあ、親父さんを治療することは橘流のポリシーに反するとか?」

「簡単に言うとな。実際、父のサイボーグ化が議論されたこともあったが、父の流儀を勘案して結局無かったことになった。『武』の究極的な理想とは宇宙と一体となることだ。自然から生まれ、自然に帰す。だから父は機械となって生き長らえる事は望むまい。治療を頑として受け入れなかったのもその意志の現れさ」

「お前はどうなんだよ、六花。お前の考えは、どうなんだ?」


 突然名指しされて驚いた。

 ハナは何故か真剣な瞳をしていた。


「……私も同じ考えだ。だから迷っている」 

「もしも、自分が親父さんの立場だったら?」

「……」

 続く言葉を紡ぐまで、少し時間が必要だった。

「……勿論、同じ考えだよ。私も橘流の剣士だ。覚悟は出来ている」

「そっか」


 ハナは意味深なため息をつき、目を瞑った。

「少し寝るわ。起きてたらしんどくなってきた」

「あ、ああ。休むといい」

 随分長話しをしてしまった。ハナが怪我人だという事をすっかり忘れていた。


「……ハナ。本当に、色々と済まなかった」

 退室する直前、不意に素直な言葉が口をついた。

 先程の謝罪とは違う、素直な気持ちの、素直な言葉だ。

 しかしハナは「気にすんな」と、どうでもいいことのように言い放つ。

 人の気も知らないで……。


「そ、それともうひとつ」

 私は意を決してその言葉を発した。

「あ、ありがとう。その、守ってくれて……」

「ん? 何が?」

「べ、紅蜂から私を守ってくれただろう。盾になって、ほら、撃たれそうになった時に」

「……ああ、アレか。別にいいよ、あんくらい」


 私はかなり勇気を出して愛の告白にも匹敵する意気でようやくその気持ちを言葉にしたというのにこの朴念仁め、全く意に介さないとは何事ぞ。

 私は今、おそらく耳まで真っ赤だろう。

 だから足早に退室しようとしたその時だった。


「……六花、お前は何にも悪くねえよ。だから、やりたいようにやれよ。親父さんのことも、あの紅蜂ガキの事もさ」

 ハナはそう言うと、布団を頭まで被ってそれきり黙ってしまった。

「……」

 私はそれに沈黙を以て応え、静かに部屋のドアを閉めた。


 その瞬間、張っていた気が緩んでしまったか。

 思わず大きなため息が出てしまった。

「人の気も知らないで……」

 部屋の中で眠る朴念仁に恨み言を呟き、私はその場を後にしたのだった。

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