第43話 六花編 4 私の戦い

 『紅蜂』という橘の闇。


 それを私は間近に居ながら知る事もなく、感づく事も無かった。或いは、隔絶されていたのかも知れない。


 私のような未熟者が知る必要は無いと、父も兄も、会社の幹部達も、その闇から私を遠ざけていたのだろうか。


 私がまだ、子供だから……。


 いくら気を張っても16歳と言う年齢はまさしく子供のそれで、どれだけ背伸びをしてもその壁は高く、結局は大人達のいる世界を外側から覗くことしか出来ないのだ。


 組合長は「取り敢えず、今話せることは全て話した」と言って話を一旦終わらせ、席を立った。


 うどんちゃんはそのまま酒を飲むと言うので、外の空気を吸いたかった私はリビングを後にし、シェルターから出た。


 そして、荒れ果てた工場入口の瓦礫の山に腰を下ろし、思い切り深呼吸をした。


 ………。


 此処『jp』の空気は北海道ニッポンの空気とは違い、少しだけ重い気がする。


 それがある種の匂いなのか何なのかはわからないが、腹にストンと落ちていくような、不思議な心地よさがあった。

 きっと人間が人間らしく、欲望むき出しで、自分に正直に、本気で生きているからではないだろうか。

 そんな人間達から立ち昇る熱気が、空気を独特のものにしているのではないか……。

 なんて、何の根拠もない事を考えてしまう。

 それほどに、私はここで出会った人々……特に大人達に衝撃にも似た感動を抱いていた。

 jpの大人達は皆、楽しそうに生きている。


 私の知っている大人達は誰も彼もが例外なく様々なものに忙殺され、無表情だ。

 楽しそうに生きている大人が、私の周りに果たして存在するのだろうか。


(かく言う私はどうなのだろうか……)


 はぁ、とため息を吐くとそれは白くなって霧散する。


 街は煌めき、空は綺麗だ。

 私はこのjpと言う『国』を贔屓目に見てしまうほど、此処に好意的な興味を持つようになっていた。


 外へ出る際、うどんちゃんは自分の外套コートを貸してくれた。

 質が良く、暖かい。彼女の細部まで拘るセンスが光る逸品だ。


 しかし、背の高い彼女のコートは私には丈も袖も長すぎて、それがまた大人との距離を感じさせる。

「……」

 うどんちゃんのコートから微かに香る火薬と饂飩出汁の香りと、私の今の情緒とが織り混ざり、私の感覚を僅かに鈍らせたようだ。

 目の前に現れた何者かに気がつくのが数瞬遅れたのだ。


「お嬢さん」

 呼ばれてから、ようやくその人物の存在に意識が向いた。

「……」

 私は答えなかった。答えず、慌てて臨戦態勢を整える事に集中した……が、声からは敵意のようなものは微塵も感じない。

 むしろ、その掠れた老人然とした声色は優しさを含んでいた。

「ここは暮石くれいし千鶴ちずるさんの工場……で、合ってるかい?」


 私にはその問いに思うところがあった。


 だが、今はそれを問いかけ返す状況ではないだろう。

「……千鶴さんのお知り合いか?」

「シュライバーのメンテナンスで世話になってる。茶飲み友達でもあるがね」

 ゆっくりと歩み寄るその人物を、月明かりと街灯が照らし出した。

「……いかにも、此処は千鶴さんの工場だ。とはいえ、この有様だがな……」

「工場跡って風情だね」

 声の主はやはり、老人だった。


 着物に厚手の羽織と言う和装だが、足元のブーツと浅めに被った山高帽が和洋折衷の上品なセンスを感じさせる、どこか飄々とした老紳士だった。


 彼は破壊され尽くした工場を見回すと、くくっと皺だらけの頬を吊り上げ、微かに笑った。

「ひでぇ有様だとは聞いてたが、思った以上だ。この様子だと、あの……いや、が大層暴れたんじゃねぇかい?」

「……うどんちゃんをご存知か? 」

「ここいらの連中はみんな知り合い同士さ。商売敵も含めてね」


 老人が私の『間合い』に入る直前で立ち止まった。

 これは偶然ではない。彼は私の間合いを読み、立ち止まったのだ。


 この男……只者ではない。


 それまでは暗がりでよく見えなかったが、間近で彼を見て驚いた。

 老人にしては……というより、老人離れした体格だ。

 着物と羽織で隠れているが、骨格は元よりそこに備えられた筋肉はまるで若者のそれで、太い首元を見るに相当な鍛錬を重ねている事だろう。おまけに抑えきれない覇気が離れていても直に伝わってくるようだ。



「そう警戒しなさんな、六花よ」

 背後から組合長の声がすると、老紳士はスッと右手を挙げた。シェルターから出てきた組合長はそれに応えるように手を振り、親しげな声色で彼に話し掛けた。


栗鼠りすの旦那よ、いくら美人べっぴんだからって手ェ出すなよ。このは俺の親友ダチの愛娘だからな」

 すると老人は微かに頬を緩ませた。

「幻夜に似なくて良かったな、六花さん」


 老人の言葉に驚いた。何故父の名が?

 そして、私の名も。


 その表情から察したか、老紳士は帽子を取り、私に真っ直ぐ向き直った。

「自己紹介が遅れてしまったな。私は栗鼠りす銀一郎ぎんいちろう。君の父上とは古い友人……いや、悪友というべきかな。以後、お見知り置きを」


 まさか、とはまさにこの様な出来事を指す言葉だろう。

 よもやこの地で父の友人に、しかも2人も出会うとは。


 組合長はいいとして、この老紳士と父との関係性は少なからず気になるが、邪推は無礼にあたろう。


「……私こそ失礼しました。橘六花です。宜しくお願い申し上げます」

 私が頭を下げると、銀一郎氏はそれを右手で制した。

「幻夜の事は組合長から聞いたよ。病に臥せっていたとは知らなかった。今更だが、私に出来る事があればなんでも言ってくれ」

 彼はそう言うと右手を差し出して握手を求める。私はその分厚い手を握り、再び頭を下げた。

「お気遣い、痛み入ります」


 そんなやり取りを見ていた組合長はわざとらしく「おいおい」と、呆れたような声をあげた。


「なんだよふたりとも、らしくねぇな。大体、旦那が『わたし』だなんてよ、笑わせようとしてるとしか思えねえ。六花も六花だ。いつもみたいに偉そうにしてろよ」


 すると銀一郎氏は帽子を被り直し、違いねえ。と言って笑った。


「じゃあ、普段通りでいかせてもらうぜ。お前さんもジジイの前だからって畏まるこたねえよ六花さん。どうか楽にしてくれ」

「……では、お言葉に甘えよう」

 私が微笑むと、銀一郎氏もその深く刻まれた頰の皺を緩やかにして笑んでくれた。


「で、どうしたよ旦那。こんな夜更けによ」

 組合長がかじかんだ手を擦り合わせながら問うと、銀一郎氏はうん、と頷いた。

「ハナに用事でな。いるんだろう?」

 その問いに、私は組合長より早く反応してしまった。なぜなら、ハナの怪我は私に依るところが大いにあるからだ。


「栗鼠さん、生憎だがハナは怪我をしてしまって……」

「らしいな。あらかたの事情は知ってるよ。でもな、俺はアイツの仕事のクライアントって奴でね。仕事の事でハナに話があるんだよ。しかも急を要するんだ」

「いや、しかし、ハナの怪我をご存知なら、尚の事……」

 私が言いかけると、そこに組合長が被せる様に答えた。


「流石旦那、情報が早いな。知っての通り大怪我して死にそうだったけどよ、今さっき目ぇ覚ましたよ。それにうどんのナノマシンのお陰で話ができる程度にゃ回復してる。で、ハナに何の用なんだい?」

「今回の仕事の依頼を取り下げに来た」


 数瞬、無言がその場を支配した。


「そ、そんな」

 私は震える声を何とか整えながら、おずおずと口を動かすことが精一杯だった。

「……栗鼠さん、それは、ハナが賊に遅れを取ったからか? それならそれは私の所為なんだ。だから」

「悪いな六花さん。これは俺とハナとの仕事の話なんだ。お前さんは引っ込んでてくれないか」


 その言葉に私はまたしても自分の前に立ちはだかる壁の存在を感じ、言葉を失い立ち尽くすしかなかった。

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