第42話 六花編 3 世界企業・橘製作所
「六花よ、お前の言いたい事はわかってるよ」
組合長は深く静かな声色で私の心をなだめるように続けた。
「橘には盗みも殺しも、確かに必要のないものだ。しかしな、それだけじゃあ守れねえモノもあるんだよ」
「……」
頭では、わかっている。
しかし、口にせずにはいられなかった。
「それでも暴力は必要ないと……私はそう考えます」
組合長が言っているのは綺麗事だけでは食っていけないというような事だろう。
それはそうだ。分かっている。分かってはいるが、それでも……
「お前の考えなんて関係無ぇんだよ、六花」
うどんちゃんが吐き捨てた。
だが、そこに侮蔑の色はない。
「タチバナの社員の数は全世界合わせて40万人。その家族も合わせたら余裕で100万超えだ。そんだけの人間守ろうってなればお前、
「……」
「全部の勝負に勝たなきゃいけねぇんだよ。あたしらと同じさ」
「……」
私は組合長が千鶴さんをハナの側に残し、うどんちゃんを指名した事に得心していた。
今の私に必要なのは、いかなる現実も受け入れて咀嚼する事であって、決して目を背けてその場をやり過ごすことではない。
仮に千鶴さんがこの場に居たら、彼女は私を庇い、慰め、守ってくれた事だろう。
そして私は、それに甘えてしまった事だろう。
だが、うどんちゃんはそれを許さない。
その竹を割ったような性格が私の甘えを看破し、突き放してくれた。
今の私に必要なのはそういう厳しさなのだと、組合長は見通していたのだ。
「……そのための、紅蜂」
私が絞り出したその言葉に、組合長は頷いてみせた。
「そうだ。紅蜂は橘製作所に関わる荒事を一手に引き受け、
紅蜂がいつから在るのか、どれだけ居るのか俺も正確には知らねえが、俺が入社した時には既に存在していた。……もちろんあのガキとは別人だ。紅蜂は名前と役割を引き継いで、代替わりを繰り返してるそうだ。
俺も海外出張の度にボディーガードがついたからな。今思えば、そのどれかが『紅蜂』だったのかもしれねぇな」
組合長は話を結ぶ様に、酒の注がれたグラスを傾けた。
するとうどんちゃんが深いため息とともに、毒づいた。
「つーことは、あのバケモンみてぇなガキと同レベルの奴が何人も居るってのかよ」
「そうだ。
組合長が可笑しそうに笑うと、うどんちゃんは肩をすくめて吐き捨てた。
「勘弁してくれよ」
同感だ。その気持ちは痛いほどよくわかる。
あの紅蜂と名乗った少女、相当な手練れであることは身をもって知っている。
不意を衝かれた上に毒で体の自由を奪われていたとはいえ、ベストコンディションを想定しても私は紅蜂に勝てるだろうか……。
私はいつの間にかそんな事を考え、自分自身に対しても明確な答えを出せずにいた。
そんな私の心中を見透かしたか、組合長は真剣な顔で私に問うた。
「六花よ。お前さん、まさかあの紅蜂とやり合おうってんじゃねえだろうな」
実の娘をたしなめるような組合長の目と声色が、私の心を……というか、心臓をぎゅっと握りしめる様にして、それが余計に私の決心に対する不安を浮き彫りにしてしまう。
「私は……」
紅蜂が待つこの夜。
私は果たして答えを導き出すことができるのだろうか。
残された時間がそのまま自分自身の残り時間の様で、時計の針を見るのが怖かった。
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