第40話 六花編  1  私の知らない橘

 私の名前は橘六花。


 普段はハナが語り部の役割を担って物語を進めているそうだが、その肝心のハナが賊を相手に不覚をとったため、任務の遂行が不可能となった。


 そこで私に当面の間、語り部役を……と、白羽の矢が立ったわけだ。

 不慣れな為にお見苦しい点も多々有るかとは思うが、ハナが回復するまで私が語り部を代行させて頂く。

 以上、宜しくお願い申し上げる。



 というわけで早速。

 ……ずは、あの後のことを少し説明しておこう。



 紅蜂が去り、一旦の危機は回避されたもののハナの脇腹の傷はかなり深く、出血も酷かった。

 しかしこの傷を治療できるような病院はこの辺りには無いという。

 うどんちゃんはその辺に放置しておけば良いと瓦礫の山を指差したが、流石にそれは気が引けた。

 なにせ、ハナはまがりなりにも私の命の恩人なのだから。


 すると廃墟と化した工場我が家を見つめていた千鶴さんが立ち上がり、

「まぁ、みんなが無事なのは不幸中の幸いね」

 と言って柔らかに微笑んで見せた。

 私は思わず感嘆のため息を漏らしてしまった。

 なんと逞しい心根だろうか。


 自宅兼工場を完膚なきまでに破壊され、自分にはなんの落ち度もないのに寝床すらままならない身の上にさせられたにも関わらず、他人の事をおもんぱかるなんて。

 つくづく、千鶴さんには尊敬の念を禁じ得ない。


 ハナは「俺は無事じゃねーしなんもよくねーし」と呻いたが、文句を言える内は命に別状なしと判断され、彼の主張は黙殺された。


「取り敢えずハナくんをなんとかしなきゃね」

 そう言って、千鶴さんはすたすたと廃墟の中へと入っていく。

(え? そこには何もないのだが……)

 私はそう言いかけたが、言葉に詰まってしまった。

 千鶴さんが廃墟の一角、何もない壁の辺りで立ち止まったのだ。

 そこには治療用具はもちろん、ベッドすら無い。あるのは瓦礫だけだ。


(よもや、自宅を破壊されたショックでおかしくなってしまったのか?!)

 そんな考えが脳裏を過り、私の背筋が凍りつくが、千鶴さんは意外な行動で私の不安を吹き飛ばしてくれた。

「最近使ってなかったから、埃っぽいかも。我慢してね」


 そう言いながら、壁の一部に手をかざすとそこから液晶画面のついたコントロールボックスの様なものが出現した。

「……っと、これでよし」

 千鶴さんがコントロールボックス操作して、それを仕舞うと我々の背後……丁度、工場の入り口付近から何か大きな物が動くような音がした。


 行ってみると先程までは何もなかった場所に地下への入り口のような扉が出現していた。

「シェルターよ」

 唖然とする私の心中を察し、千鶴さんが声をかけてくれた。



 ……jpの住民の多くは自宅の敷地内に強固な避難用シェルターを設置していると聞いたことがある。

 それは核戦争や自然災害に備えて、というようなものではなく、普段から物騒なこの町で自分の身を守るために、日用品の様な感覚でシェルターを用意するというのだ。

 その話を聞いた時は正直眉唾物だと思ったのだが、廃墟と化した千鶴さんの工場を目の当たりにしてしまうと納得せざるを得ない。

 うどんちゃんの様な兵器同様の火力を有する人物が鎬を削るような場所だ。シェルターは物置小屋の様に身近な存在に違いない。



 我々は千鶴さんにシェルター内へと案内され、彼女曰く「一番広い部屋」へと通された。

「これがシェルターか……?」

 私がキョロキョロと視線を忙しなく移動させているのを見て千鶴さんは首をかしげた。

「どうかした? 六花ちゃん」

「いや……とても綺麗だな、と思って」

「またまたぁ。おだてたって何もでないわよ」

「御世辞ではないよ。本当に綺麗だ。掃除も行き届いている。まるで別荘だ」


 私の感想は言葉の通りだ。

 ここはシェルターというよりは別荘、或いは隠れ家のような感じだった。

 まるでひとつの家屋の様な暖かみすら感じる、居心地のよい空間だったのだ。


 私の知っているシェルターはもっと殺風景で無味乾燥な、単に安全な空間でしかない。

 少なくとも、橘製作所ウチが販売しているシェルターはそうだ。


 ここのように絵が飾ってあったり、可愛らしいソファーやお洒落なランプなど置いたりしていない。

 あるのは固いマットと段ボール製のパーティションと、味気ない光を放つLEDの簡易ランタンくらいのものだ。


 千鶴さんのシェルターは思いの外広く、所謂3LDKの間取りであった。

 その内の一室が医務室を兼ねているというのでそこに意識が朦朧としつつあったハナを運び、備え付けのベッドに横たえた。


 するとうどんちゃんが実に手慣れた様子でハナの衣服を裂いて傷口を露出させて洗浄し、大きめの絆創膏を取り出して傷口に張り付けた。


「……縫わなくても大丈夫だろうか?」

 私は思わず口に出してしまった。

 なにせ、傷の程度に対しての処置があまりに適当すぎる。

 ハナはついにうわ言のように痛い痛いと繰り返すようになっていた。

 しかし、彼女は大丈夫だよ、と笑って見せた。

「こいつがあれば痛みも吹っ飛ぶぜ」

 うどんちゃんが懐から取り出したのは、注射器だった。


「え? いや、それは……まさか」

 ……軍隊等で手遅れの兵士を少しでも苦しみから遠ざけるために麻薬モルヒネを打つことがあるというが、つまりそういうことなのだろうか……。


ヤクかって? そんな大袈裟なもんでもないよ。ただのナノマシンさ」

「え? ナノマシン……って、あ!」


 うどんちゃんは何の躊躇もなくその注射針をハナの腕に刺し、注射器の中の液体を一気に押し出した。

 すると、ハナの体が釣り上げられた魚のようにビチビチと跳ね、直ぐに海老のように反り返って痙攣した。


「あが、が、がっ……!」


 ブルブル震えて声にならない声を漏らすハナの表情は正視できない程に苦悶そのもので、それがかえって私に何もさせなかった。

 というか恐怖で体が固まり、言うことを聞かなかっただけなのだが。

 そんな私を安心させようと、うどんちゃんが私の肩に手を置いて爽やかに笑った。

「心配すんなよ六花。あれは人間の細胞を再生させる為のナノマシンだよ。あの程度の刺し傷ならこのナノマシンちゃんが治療なおしてくれるよ。大丈夫大丈夫!」

「あ、ああ……」

 ハナは未だに苦悶の表情で痙攣したまま、海老反りだった。



 ナノマシン技術の発展により、今や程度の限度こそあれ、外科手術なしに患部の接合や修復は可能である。

 再生細胞ナノマシンの移植により、人間の体はを手に入れたのだ。


 しかし、その代償は全身を襲う激痛、苦痛だった。

 それもそのはず、異物であるナノマシンを人間の体は拒絶し、排出しようとするのは当然のことだろう。

 その際生じる凄まじい苦痛に耐えかね、治療を断念する者も少なくない。

 そしてナノマシンの投与は専用の薬剤で何倍にも希釈し、点滴でもってゆっくりと少量ずつ体内に入れていくのが常識だ。

 だが、うどんちゃんの手にしていた注射器の中身からしてあれはほぼ原液。しかもその中身を一気に静脈注射したのだ。下手をすれば死ぬ。


(……あとは運を天に任せるしかないのか……)

 ハナの容態はハナの天運とナノマシン次第だ。

 それを確認したのか、組合長がやって来て千鶴さんに何かを小声で伝えていた。

 それに対して千鶴さんが小さく頷くと、組合長は私とうどんちゃんに部屋から出るように促した。


「約束通りあの紅蜂ガキの事、教えてやるよ」

 組合長がそう言うと、千鶴さんがそれに繋げるように言った。

「私はハナくんの側にいるわ。容態が急に変わらないとも限らないし」


 確かに、今のハナをひとりこの部屋に残していくには不安がある。

 うどんちゃんは自分が残ろうかと提案したが、組合長がそれを制した。

「うどんよ、お前さんはこっちだ。あのガキと直接ヤり合ったんだしよ」

「……そうだな。わかったよ」


 そうして私たちは退室する運びとなったのだが、ドアを閉める直前、部屋の中に残った千鶴さんと目が合った。


「……」


 なんだろうか、あの戸惑う様な表情は。


 その表情に見え隠れする感情の機微は、私のような若輩者には察しかねる深みというか……闇があるように思えてならなかった。

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