第36話 橘製作所謹製・日本国防陸軍特別攻撃用義肢『五ツ星』

 日本が国軍を有しておよそ百年。


 この世は既に専守防衛が通用するほど平和なものではないと、あの国がようやく気付いて百年だ。

 しかし、核兵器の保有はしていない。未来永劫、保有しないとまで豪語している。

それは既に世界七不思議の1つでもあった。

 『日本はなぜ、核を保有しないのか』と。


 答えはこうだ。

『シュライバーがあれば、日本に核は必要ねーんだよ』


 核を保有することは、安心を保有すること。

 みんなと同じ武器を持っているからそれで安心という、そんなすかしっ屁みたいな屁理屈を、日本は軟弱者の詭弁と一蹴しているのだ。

 つまり、本当に必要なモノは大量破壊をもたらすものではなく、確実な抹殺をもらたすモノだと考えているという。


 無差別破壊は平和に反するが、完全指定の絶対殲滅はそれに反しないという、これまた馬鹿げた屁理屈。


 装備、人材、技術、精神……そして、個の戦闘力。それこそが、真の武力だと言っているのだ。


 なんとも子供みたいな理屈だけど、それなら俺にもよくわかる。

 使える武力にこそ価値がある。日本は、その力をシュライバーに求めた。

 そして、その日本が求めた『力』が、紅蜂を兵器そのものへと変貌させていくのだ。




 徐々に濃さを増す殺気の中、六花が微かに呻いた

「……い、『五ツ星』? なんだそれは……」


 橘製作所の人間である六花が、を知らない。

 そこに感じたのは違和感ではなく、共感だった。

『六花は知らなくても良い事だ』

 誰かがそう言っている様な気がした。


 しかし、期せずして彼女はそれを知る事となる。

 当然、その先も知らなくてはいけないだろう。


「ほーんと、六花ちゃんてばなんにも知らないんだね」

 紅蜂が呆れるように吐き捨てた。

橘製作所ウチが国防軍に供給おろしてるシュライバーが災害復旧作業用のシュライバーだけだなんて、マジで思ってないよね?」


 おどけるような紅蜂の問いかけに、六花は言葉を失ったままで答えない。

 その様子を溜め息で吹き飛ばすようにして、紅蜂が言った。


「いい機会だから見せてあげるよ。技術開発部がハゲる思いでどんな仕事をしてるのか……いつか橘製作所ウチになるなら、よーく見といてよね」

「な、何を言っているんだ、紅蜂あいつは……」

 六花の瞳が戸惑いに揺れている。

 紅蜂はそれをつまらなさそうな一瞥で済ませた。

「そんじゃあ、いくよ。お姉さん」


 一瞬、音が消えた。


 それはきっと、俺の聴覚マイクがその音を拾えなかったからだろう。

 紅蜂の初動を捉えられなかったが故に、視覚センサーと聴覚センサーが混乱し、一瞬のエラーが生じたのだ。


 たん、と踏み込んだ紅蜂が、既にその場にいない。

 残像すら残さず、彼女は消えた……


(はやっ……!)


 俺がその姿をようやく認識した時、紅蜂は既にうどんちゃんの顔面にその右拳を深々と突き刺していた。


 バキッ……!


 コンクリートに鉄球をぶつけて破壊する……そんな、嘘みたいな打撃音だった。


 顔面を打ち抜かれ、うどんちゃんの顔面が大きく仰け反った。

 彼女の長い髪が、衝撃を孕んで虚空に向けて勢いよく散らばっている。


 センサーが追い付かない速度。


 それすら信じられないのだが、最も驚くべきは、あのシュライバーからは本当に音がしないし、排熱も無い……あれでは赤外線による警戒も、音波探知も、映像解析も不可能だ。


 あの「五ツ星」は、シュライバーが持つ根本的な『機械である』という弱点を完全に克服してしまっているのだ。


 だから「次」が読めない。


 真に無音で、淀みが無い。

 モーターの駆動による運動ロスも、動作遅延も、何もない。

 まさに意のまま。

 まさに、生身。


 その自由自在さは紅蜂の意識とリンクしているのだろう。

 滑らかに音もなく、迷い無く。


 紅蜂は素早く右拳を開き、うどんちゃんの顎を押さえて頸部を無防備にした。

 そしてその白い肌を見て紅蜂はニヤリと笑む。同時に左手を大腿部のホルダーに伸ばし、逆手でナイフを抜いた。


「……お姉さん。お肌、綺麗だね」


 呟くと、その刀身を仰け反らせたうどんちゃんの首元、丁度耳の下辺りから反対側の同じ場所まで一息で斬り裂いてしまった。


 あっという間の出来事だった。


 紅蜂は逆手斬りの勢いそのままに半回転し、うどんちゃんに背を向けた格好でピタリと静止した。

 まるで自分に酔うようなポージングだ。

 対してうどんちゃんはゆっくりと真後ろに倒れていく。



 俺は白む意識でぼんやりと思った。


 ――うどんちゃんが、死ぬ。


 斬られた頸動脈から噴水のように鮮血を撒き散らし、悶え苦しみながら死ぬ。

 血の海に沈んで加速度的に死んでいくうどんちゃんを、俺はどんな気持ちで目の当たりにするのか……。


 とか思ったものの、やっぱり想像できなかった。

 つーか、うどんちゃんの死に方がそんなにあっさりなはずがない。


 うどんちゃんとマジでやり合うなら、もっと準備をしっかりしないとダメだって。

 俺は紅蜂を気の毒に思った。


 それに気がついたか、紅蜂はそのままでハッと顔だけを上げた。

 そのを本能的に感じていたのかもしれない。


 うどんちゃんは倒れていなかった。それどころか、出血も無い。

 そもそも、首には傷ひとつ無かった。


 うどんちゃんの体はかなり傾いでいたが、完全には倒れていない。

 なぜなら、下腿から飛び出たアウトリガーがうどんちゃんの細い体を支えていたのだ。



「……ヘイヘイ糞餓鬼ロリータ、詰めが甘めぇぜ!」

 そしてうどんちゃんが勢い良く右手を伸ばす。

 すると袖口から拳銃が、文字通り飛び出してきた。


 仕込銃スリーブガンだ!


「っ!?」

 紅蜂は弾かれたように飛び退きつつ半回転。

 その目はしかとうどんちゃんの銃口を追っていた。

 この状況でなんという冷静さだろうか。それとも直感か。


 背後で何が起きているのか察知したのだ。

 その判断のおかけで、紅蜂の防御が間に合った。


 ドンッ、ドンッ! と2連の銃声。


 迷うこと無く発砲したうどんちゃんだったが、紅蜂はナイフを縦に構えてそれに備えていたのだ。

 そして銃口から目を離さず、マズルフラッシュにも瞬きせず飛来する銃弾を目で追い、その軌跡を予測し、一発目の到達予想地点である自分の眉間にナイフを移動させ、その刀身で銃弾を弾き飛ばし、二発目の到達予想地点である喉にはそのままナイフを切り下ろす様にして、高速で飛来する銃弾を一刀両断してしまった。


 まるで漫画の様な光景。

 だがうどんちゃんは全く気にせず、残りの弾丸を吐き出すように引き金を引きまくった。


 ッ! ッ!! ッ!!! ッ!!!!


 ドンともバンともつかない激しい銃声が破裂する。

 10度目の銃声と同時にジャキッ、という音がすると、そこで銃声が止んだ。

 うどんちゃんが手にした銃のスライドが引かれた状態で固定している。

 全弾を撃ち尽くした事を示す、ホールドオープンだった。


 全12発の銃弾を受け、紅蜂は……健在だった。

 最初の2発は前述の通り、蝿を叩き落とすようにいなした紅蜂。

 残りの10連発は宙を舞い、地を駆け、全てを躱しきってしまった。

 とんでもない運動神経だ。


 再び睨み合う紅蜂とうどんちゃん。


 うどんちゃんとの距離はかなりあるものの、紅蜂は依然として眼前にナイフを構え、警戒を解く気配はない。

 一方、うどんちゃんはアウトリガーを解除しながらゆっくりと体を起こすと撃ち尽くした銃をポイと投げ捨て、殴り付けられた顔面をいかにも痛そうに擦った。


「痛てて……流石、幻のシュライバー。いいパンチだったぜ」

 ニヤリと口角を吊り上げ、血の塊のような唾を吐いた。

「だけど一発で決めるにはちと体重ウエイトが足りねえな。ナイフでぶっ刺しゃそこで終わってただろうによ。なんで刺さなかったんだい?」


 あのパンチをまともに受けてダメージが無いわけがない。

 だが余裕を滲ませるうどんちゃんに忌々しげな視線を投げつつ、紅蜂も不敵な笑みを浮かべ、答えた。


「お姉さんがあんまり綺麗だからさ、一発ぶん殴ってみたかったの。るのはその後でいいかなって思ったんだけど、ダメだったね。そのお肌、防刃皮膚ぼうじんひふ?」

 紅蜂はうどんちゃん向けて自分の首元を撫でた。

 うどんちゃんもニヤニヤしながら、斬られたはずなのに傷ひとつ無い自分の首を撫でる。

「デリケートゾーンの守りを固めんのはレディーの嗜みだぜ。大体なぁ、そんな玩具オモチャじゃあたしのお肌にゃ引っ掻き傷ひとつ付けられねーんだよ」

「……そうかな。試してみる?」


 紅蜂は左手を腰まで下ろして背中に回すと、そこに隠してあったホルダーからもう一本のナイフを抜き、構えた。

「どう? 二刀流。カッケーっしょ」

 まるで忍者の様に二刀を構える紅蜂。

「イケてんな。じゃあ、あたしも……」

 うどんちゃんが両手を勢い良く前方に突き出すと、その両袖口からそれぞれ拳銃が飛び出した。

 サーチ・アンド・デストロイの仕込銃スリーブガンは、片方だけではなかったのだ。


「わーお、2丁拳銃! かあっこいいー!」

 年相応な無邪気な笑顔を見せる紅蜂。

 うどんちゃんもクールな笑顔を浮かべている。

 楽しげな二人だが、彼女達が立っているのは生きるか死ぬか、文字通りの決闘場。

 ……むしろ、二人ともそういう場所こそが楽しいからこそ、笑っているのかもしれない。


「さぁ、お喋りはこれくらいにして……」

 紅蜂が言うと、

「だな。とことん遊ぼうぜ、紅蜂……」

 うどんちゃんが笑った。

 それが合図だった。


 再び、音が消えた。

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