第33話 たとえ刺し違えても
「
俺は余裕を装ってみたが、上手く出来ただろうか。
脇腹のナイフ……咄嗟に急所は外したものの、ナイフそのものは避けきれなかった。
紅蜂の攻撃が速かったから、というより『迷いがなかった』から反応が追い付かなかった。
奴はもののついでに、といった感覚で人の腹を刺し貫いていったのだ。
可愛い顔しといて、えげつない。
行為に対して殺気みたいなものをまるで感じなかった事が、俺の背筋を凍りつかせるのだ。
(早く何とかしねーとヤバイ……特に血が……)
紅蜂は死ぬほどでもないとか抜かしてくれたけどそれは遅いか早いかの問題で、放っとけば死ぬ事に違いはない。
こういう仕事をしている都合上、こんな怪我はこれまで何度も経験している。
撃たれたことも、刺されたことも、一度や二度ではないのだ。
しかし、何度刺されても刺し傷は慣れない。
とにかく痛いからだ。もうほんと泣くくらい痛い。
リアルに死を思わせるような鋭い痛みが、波状に寄せては俺を苦しめる。
「
紅蜂はニヤニヤしながらゆっくり近づいてくる。俺の心の中を覗き見して、楽しんでいるかのようだ。
「ハナさんは撃たれるのが好き? 刺されるのが好き? それとも、斬られるのが好き?」
まるでプレゼントを選ぶ少女のそれだ。
そんなことを、心底楽しそうに訊く。
「なんで俺の名前知ってんだよ……」
俺が痛みを我慢しまくってようやく訊いているのに、紅蜂はつまらなさそうに答えた。
「なんの予習も無しに来るわけないでしょーが。ハナさんの事も、千鶴さんって人の事も知ってるよ」
俺の胸がざわついた。
千鶴さんの名前まで出てくるなんて。
だが、予習という単語や知っているという口ぶりからして、あくまでも『予習』なのだろう。
つまり、それらの情報は資料か何かで得ているとみて間違いない。
そうだとしたら、どこのどいつがそんな事を……?
「お前、何者だよ……」
俺はなんとか立ち上がることが出来た。だけど、戦闘は無理っぽいな……。
そんな俺に紅蜂は相変わらず屈託のない笑みを向けていた。
「紅蜂は紅蜂だよ」
「ベニバチか……カッコいいじゃねーか。他にもいるのか? 蝶とか、バッタとか?」
「バッタはいないけど蝶はいるよ。あとはナイショ」
「ええ? いいだろ教えろよ。俺のことは知ってたのに、ズルいぞ?」
「別にズルとかしてないし。つーかもうすぐ死んじゃうんだし、知っても意味ないじゃん。時間稼ぎしてんならソッコー殺すよ?」
「おー、怖ぁっ」
純真無垢な子供と、冷酷な殺し者が同居している。
演技ではない……こいつはこういうモノなんだ。
(
紅蜂は六花を殺そうとしていた。
なぜ、というのは置いておいて、
そして紅蜂が持っている情報はあくまでも資料がソースだ。
つまりその資料を作って渡した奴がいる。
要は、彼女は集団の一部だということ。
そして殺すことに迷いや抵抗がない上に、余計な遊びをする気配がない。しかし、その中に相手を追い詰めて楽しむ嗜虐性が滲み出ている。
さらに『単独行動』……それは実力の高さと、もしもの時にその痕跡を残さないためだろう。
ヤバい相手だ。
俺たちみたいな善良な人間の素性を洗うなんて、紅蜂のバックにいる奴等の目的もそいつらが何者かも全くわからない。
出来るなら敵に回したくない手合いだが、もう遅い。
「ごめんねハナさん。あんまり長居したくないし、さっさと終わらすね」
紅蜂は俺の右手首から転げ落ちた俺の銃を拾い上げると、その銃口を俺に向けた。
「バイバイ」
そんなありふれた別れの挨拶とともに、紅蜂は銃の引き金を……
「たあああっ!!」
気合い一閃。六花の鋭い掛け声が俺の背後から飛んできた。
「エイイイッッ!」
飛び込んできてからの大きな踏み込み、そして抜刀! ……しかし、紅蜂は冷静にバックステップでその斬撃を躱し、笑った。
「あらら、六花ちゃんてば、まだ元気?」
紅蜂から俺を守るように、六花は紅蜂の前に立ちはだかった。
しかし、息が上がっている上に足元は
立っているのがやっとだと、その揺れる切っ先が報せていた。
「ろ、六花……お前、怪我してんじゃねーのか……?」
俺が絞り出すようにして言うと、彼女は背中越しに答えた。
「怪我人は黙っていろ。私は大事ない」
しかし、ガタガタと震える膝が彼女の虚勢を露呈させている。
「……毒か……!」
六花は紅蜂に鋭い視線を向け、問いかける。それに対し、紅蜂はにっこりと微笑んで答えた。
「毒だなんて大袈裟だなー。麻酔薬だよ。眠り薬とか、痺れ薬的な?」
「い、いつの間に……!」
六花は自らを支えきれなくなり、ついに膝をついた。
ふらふらと揺れる上半身が、既に戦闘不能を物語っている。
「薬とは、卑怯だぞ……!」
六花の訴えに、紅蜂はわざとらしく肩をすくめて見せた。
「卑怯とか言わないでよー。命令は生け捕りだったんだもん。麻酔で眠らせて一件落着の予定だったけど、抵抗されたから殺してもまぁ、いいかなーって思ったんだけどね。でも生け捕り出来そうだから、やっぱり殺すのは
「命令……?」
六花が繰り返すと、紅蜂はしまった、というような表情をしたものの、
「隠すこともないかぁ」
と、ペロリと舌を出して笑った。
「
六花は絶句した。
そして、「
「そうだよ。お兄様。だから生け捕りなんだよ。フツーならソッコー殺して海にポイだよ? 良かったねぇ」
紅蜂は再び銃を構え、六花を狙った。
「抵抗されるとめんどいから、手足は潰させてもらうね」
銃口を向けられているにも関わらず、六花は呆然としたまま「何故だ」と、溢すように言葉を落とした。
「……なんでって? 知りたい?」
紅蜂は可笑しそうに笑うと、銃を構えたまま焦らすような声でおどけた。
「そりゃあ〜知りたいよねぇ? ホントはダメだけど、教えてあげよっか?」
六花は何も言わなかったが、紅蜂は我慢できなかったのだろう。自らその口を滑らせた。
「今回のミッションはね、六花ちゃんの確保と、六花ちゃんが持ち出したシュライバーを壊して捨てちゃう事なんだよ〜」
それを訊いた六花は震える体に鞭を打ち、顔を上げた。
「壊して捨てるだと!? ……何故だ!」
「何故って……ねえ?」
「あれはお父様の命を救うかも知れないモノだ! それは橘製作所、そのものを救うことになるんだ!」
「えーと、うーんと……邪魔だからっしょ、普通に考えて」
「邪魔……? お父様がか!?」
「えー? わかんないの? それとも知らないの? 六花ちゃんって、思ったより世間知らずなんだね」
「な、何を……!?」
「知らないまんまの方が、幸せかもよ」
ニッコリ笑う紅蜂。
それは明らかな嘲笑だ。
「つーわけで仕事は仕事なんで、撃つね」
紅蜂が再び六花に狙いを定める。
「かなり痛いと思うけど、我慢してね? 六花ちゃん」
引き金にあてがった紅蜂の指先が微かに動く、その直前……!
「そう焦るなよ、紅蜂……!」
俺は最後の力を振り絞り、六花の背中を掴んで思い切り引っ張ってその反動で立ち上がった。
「うぎゃっ!?」
短い悲鳴とともに転げる六花。
そうしてなんとか六花を庇うように紅蜂の前に立ちはだかることができた俺。
だが元気一杯とは程遠く、弱々しく震える足元に自分でも情けなくなってくる。
「なぁに? しつこいよハナさん。しつこい男は女の子に嫌われるよ?」
「だから彼女ができねーのかな……?」
「なら六花ちゃんに彼女になってもらえば? お似合いだよ?」
すると六花が呻くように「だれがこんな甲斐性なしと……」と、ほざいた。
「……
六花は俺の足首を掴んでそう訴えるが……。
「もうガッツリ関係してんじゃねーか。今更遅ぇよ」
紅蜂はそんな俺達を見物するように、大昔の西部劇に登場するガンマンよろしく銃をクルクル回してもてあそんでいた。
「わかったわかった。もうふたり仲良く殺してあげるから、順番決めてよ」
「は? 誰が誰に殺されるって? 寝言は寝て言えよ」
俺が六花の盾になるように構えると、六花が呻いた。
「逃げろ、ハナ……私に構うな……」
当然、俺はそれを却下する。
「俺はフェミニストなんでね。女の子見捨てて逃げるくらいなら、ホモに掘られる方がマシだね」
「……下品な上に、意味がわからん……」
「お前は俺が守るって言ってんだ。言わせんな馬鹿」
「……」
その時、不意に紅蜂が銃をもてあそぶのを止め、構えた。
「……なんのための時間稼ぎか知らないけど、タイムオーバーだよ。じゃ、ハナさんからバイバイね」
そして、紅蜂は微塵の迷いも無く、俺を撃った。
バン、という渇いた音と、薬莢が瓦礫に落ちる音が続く。
俺は崩れ落ちるように膝をつき、そのまま六花に覆い被さるようにして倒れた。
がちゃ、と何かが落ちた音がした。
大きな音だった。
俺の銃が瓦礫に落ちて、音をたてたのだ。
紅蜂の手を離れ、数メートル吹っ飛んで落ちたのだから、大きな音だったのだ。
あの感じだと、もう使えないくらい壊れてんだろうな……。
今の銃声は、紅蜂の射撃とは別に、もう一発の射撃が重なっていた。
しかし僅かだが紅蜂のそれよりも、もう一発の方が早かった。
その一発が紅蜂の持っていた俺の銃を正確に撃ち抜き、弾き飛ばしたのだ。
俺は紅蜂の構えていた銃が弾き飛ばされたのを見届け、安全を確認できたからこの格好まで持っていけたのだ。
……間に合った。
間に合ったけど……。
もう少し早く出てきてくれよ。
なぁ、うどんちゃん。
紅蜂は弾かれた右手をプラプラと振って、眉間に皺を寄せていた。
「痛ったぁ〜!」
撃たれたのは銃だけで、彼女に
「もう! 誰ぇ? 邪魔しないでよー!」
紅蜂の恨めしそうな視線の先には、瓦礫から銃を持った腕だけが顔を覗かせていた。
しかし、すぐにその『本体』が瓦礫から姿を現した。
「いててて……千鶴さん家が滅茶苦茶じゃねーか。お前、殺されんぞ?」
瓦礫の下から、うどんちゃんが現れたのだ。
「いやぁ、マジでひでーな。こりゃあ……笑えねぇな」
うどんちゃんはスーツの埃を
「……おいハナ。もう一発くらいイケるだろ? 六花連れて、下がってろ」
さすがうどんちゃんだ。全て分かってくれている。
「悪ィな、うどんちゃん……!」
俺は脚部の
「な、何をする?!」
突然抱き締められた六花が抵抗するが、俺は構わない。つーか、構ってられない。
「黙ってろ! 舌噛むぞ!」
「は? え!? ちょ……」
(……ラスト一発、イケる!)
そして、天衣無縫を全開にした。
残りの全ての水分を分解、爆発させて六花ごとぶっ飛んだのだ。
「~~ッッ!!」
凄まじい爆音と、桁違いのGが俺と六花の意識を刈り取っていきそうになったが、俺にはまだやることがある。
「六花……!」
ロケットのようにぶっ飛ぶ俺達は、いずれにしても頭から落ちるか、瓦礫に衝突して止まる。だから、俺は六花を守らなくてはいけないのだ。
彼女の小さな頭を胸の中に抱くようにして、身体そのものも両腕で守るようにして、衝撃に備え………………!
!!!
日頃の行いの良さが運が良さに繋がったか、俺達は壁に激突したものの、上手く崩れ落ちてそれが緩衝になった。
おかげでそれほどのダメージではなかった。
痛いものは痛いけど、俺も六花も無傷とは言えないものの、無事だった。
過程はどうあれ、紅蜂との距離を取ることに成功したのだ。
うどんちゃんはそれを見届け、安心したような吐息を漏らした。
「……別に悪くねぇよ。お前には随分と借りがあるからな」
うどんちゃんはそう言って笑うと、紅蜂に向かって銃口を向けた。
「ヘイ
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