第31話 うどんちゃんVS橘六花

 時計は午後3時を少し過ぎていた。


 例の中華料理店から千鶴さんの工場はさほど離れてはいないけど、組合長はタクシーを拾って「ベタ踏みでぶっ飛ばせ!」と運転手を煽り、普通ではあり得ないほどの速さで千鶴さんの工場へとやって来ることが出来た。


「おーい千鶴よ、居るかい?」

 タクシーから降りるなり俺達を待つこともなく、組合長はずんずんと千鶴さんの工場へと入っていく。

 なんて無遠慮なおっさんだ。

 俺も六花もそんな組合長を小走りで追いかる始末だった。

(ちなみにタクシー代金も組合のだ)


「あら、組合長? 六花ちゃんも、ハナくんも?」

 千鶴さんは工場の奥から出てきて出迎えてくれたが、どうやら休憩でもしていた様子で、機械油まみれの作業着とエプロンは脱いでいた。

「おっと、休憩中だったのかい、そりゃ済まねえな」と組合長。

 千鶴さんは微笑んで『いえいえ』という風に小さく首を振るが、千鶴さんの背後から飛んできた声は千鶴さんとは正反対の考えのようだ。

「あたしらの大事なお茶会を邪魔すんじゃねーよ、筋肉達磨」


 毒づきつつ奥から現れたのは、その乱暴な言葉遣いとは裏腹な程スマートなスーツ姿の女性だった。

 知的な顔立ちとキリッとした目元がいかにもデキる女を感じさせるその人こそ、俺のハロワ仲間のうどんちゃんだ。

 うどんちゃんはトレードマークとも言える長い黒髪をかきあげ、さも可笑しそうな視線を組合長に投げた。

「おっさんとこの事務所、空爆でもされたんじゃねーかってくらい滅茶苦茶になっちまったらしいな」


 組合長はふん、と鼻を鳴らして「笑い事じゃねぇよ」と言いいつつも口角を微かに上げて見せた。

「相変わらず情報が早ええな、うどんよ」

「面白そうな事は特にね。他にも面白そうな話を聞いたんだけどさぁ」

 うどんちゃんはその視線を組合長から俺の横にいた六花に移し、ふふんと楽しげに笑った。

「……オメーが日本からはるばるやって来たっていうかい?」

 威嚇と同時に挑発するような態度のうどんちゃんに対して六花は特に動ずる事もなく、そして言葉を返すこともなかった。

「……」

 長身のうどんちゃんを無言で見上げる六花の瞳が鋭さを増していく。

 その様子に(六花の性格を鑑みて)危険を感じたのか、千鶴さんがうどんちゃんと六花の間に割って入った。


「ごめんね六花ちゃん。あなたの事をこの人に話したらすごく興味持っちゃって。この人はうどんちゃんって言ってね、怖そうに見えるけど本当はすごく優しいのよ。あなたとお友達になりたいんだって」

 うどんちゃんと六花が衝突しないように千鶴さん自身が緩衝材になるような格好だったが、六花の瞳は既に研ぎ上がっていた。


「……貴様、臭うぞ」

 六花がうどんちゃんに吐き捨てた。

「かなり臭う」


 その不躾過ぎる物言いに、その場にいたうどんちゃん以外が青ざめる。

 うどんちゃんは不快感を露にし、千鶴さんを押し退けて六花の前に出た。

「あァ? このあたしが臭えってか?」

「そうだ」


 ……その瞬間。きっとその場の全員の哨戒機能センサーが一斉にアラームを鳴らしたことだろう。

 が安全装置を全解除したのだ。


 あー、やば。


 俺はとりあえずダッシュでその場を逃げ出せるように逃走経路を思い描いていたが、六花の次の一言が空気を変えた。


「……これは火薬の匂いだな」

 すると、うどんちゃんは意外そうに表情を少しだけ崩した。

「へえ。鼻がいいんだな。他には何か臭うかい?」

さばか……?」


 火薬から鯖とはジャンルがふざけているほど飛び過ぎだけど、うどんちゃんの反応は好意的だった。

「お? 他には?」

かつおと昆布……醤油と味醂みりん……」

 六花は謎を解く探偵の様に顎に手を当て沈思したが、すぐに顔をあげた。

饂飩出汁うどんだしか?」


 するとうどんちゃんは俺たちには見せたことのない、花の咲いたような笑顔を六花に向けた。

「おお、そこまでわかんのか! すげえなお前!」

戌年いぬどしなんでな。昔から鼻の良さには自信がある。その身体からだに染み付いた香りから察するに、あなたはうどん屋か? だからうどんちゃんなどと呼ばれているのだな」

「あたしはただのうどん好きさ。しっかし、服に出汁の臭いが染み付いてんのは気づかなかったわ。レディーとしては致命的だな」

「私は嫌いではないよ。私もうどんは大好物だからな。北海道ニッポンは魚介類も小麦もいいものが獲れるんでな。子供から老人まで皆、うどん好きだ」

「へえ。あたしも噂でしか聞いたことないけど、ニッポンのうどんは旨いらしいな。jpここのうどんも化学調味料まぜもんが効いてて悪くないけどよ」

「ああ、きっと気に入るぞ。いつか日本へ来い。私の行き付けに招待しよう」

「そりゃあ楽しみだね」


 そして二人はどちらからともなく右手を差し出し、固い握手を交わしていた。

「橘六花だ。宜しなに」

「あたしの事は好きに呼んでくれ。うどんちゃんってのが呼びやすければ、それで構わねえ」

「私の事も好きに呼んでくれ。うどんちゃん」

「ああ、そうするよ。六花」


 センサー類が一斉にアラームを止めた。

 うどんちゃんがシュライバーの安全装置を入れ直したのだ。

 うどん好き同士で通じ合うものがあったのか、2人の間には目に見えるような絆を感じる。危機は去ったようだ。


(危なかった……)

 俺が冷や汗を拭いながら千鶴さんを見ると、千鶴さんも心底ほっとしたように呼吸を整えていた。

 ……組合長は既に物陰に隠れていた。


 まぁ無理もないわな。こんなところでうどんちゃんのシュライバーが全開したらと思うと、冗談抜きで生きた心地がしない。


「で? ハナもおっさんも、六花も。雁首揃えて何しに来たんだよ」

 うどんちゃんのその問いかけには俺が答えるべきだろう。

「いや、実はね……」


 俺はここまでの経緯と、事務所での出来事、それから金男酒店での話を簡潔にまとめてかいつまみつつ、それでいてシンプルに、なめらかに、これまでになく分かりやすく説明した。


「ごめん千鶴さん。あのシュライバー持ってきて」


 俺がそう言うと、うどんちゃんは小首を傾げるだけだったが千鶴さんにはすべて伝わったようだ。

「……まあ、あなたたちが揃って来た時点でなんとなくそんな気はしてたけどね」

 千鶴さんは呆れた様に微笑むと、地下工房へと向かった。


 うどんちゃんは取り残された様に辺りを見回し、肩をすくめた。

「は? あたしにはなにがなんだかわかんねーんだけど?」

「うどんちゃん、あなたには私が説明しよう。ハナでは無理だ」

 そう申し出た六花の一言に俺は深く深く傷付いたものの、それが最善に違いない。

ずは、私がここに来た経緯いきさつから話そうか……」


 六花の説明は実に分かりやすく明解で無駄がなく、彼女の頭の良さが伝わってくるようなものだった。


 最後まで黙って聞いていたうどんちゃんは、ポケットからハンカチを取り出して自分の目尻にそれをそっと添えた。

「……そりゃあ、なんていうか、うまく言えないけど、あたしで良ければ力になるよ、六花」

「ありがとう、うどんちゃん」

 うどんちゃんは乱暴でがさつなところもあるけれど本当は優しく、そしてかなりの人情家なので六花の身の上話に目頭を熱くしていた。


 そして組合長は六花の聡明さに感心するように何度も頷き、

「ハナの馬鹿さが浮き彫りになるなぁ」

 と、俺の心の傷に塩を塗りたくった。

「……返す言葉もねーよ」


 俺が不貞腐れて近くにあったパイプ椅子に腰掛けると、ちょうど地下工房から千鶴さんが戻ってきた。

 千鶴さんは大きな台車に例のシュライバーを緩衝材に包んで乗せていたが、その輝くシルバーの腕は緩衝材越しにもハッキリと見えた。


「おお! おおお!!」

 突然、六花が雄叫びを上げながら飛び出した。

 そして千鶴さんが押してきた台車に駆け寄り、台車の上に乗せられた銀色に輝くシュライバーをまるでいたわるように優しく撫でた。

「よ、よかった……無事で良かった!」

 そして、肩を震わせぽろぽろと涙を落としたのだった。


「ハナよ。お前、今回の一件をよーく覚えとけよ。普段の心がけってのはな、大事だぜ」

 組合長は呻くようにして俺の側に寄ってきて、右拳をにぎにぎした。

「そうだぞテメー。もしあのシュライバーを売っ払ってたりでもしてたら、あたしがお前のココの風通しをよくしてやってたところだぞ」

 うどんちゃんが組合長と反対側から寄ってきて、右手を拳銃のような形にして俺のこめかみにあてがった。

「……肝に命じときます……」

 この近辺の危険人物ランキング上位に位置するであろう二人に挟まれ、俺は生きてるのか死んでるのかわからない心持ちだった。


「さあ、善は急げよ。早速はじめましょう」

 千鶴さんが作業台へシュライバーを移動させると、組合長がおもむろに前へ出た。

「久しぶりに張り切ってみるかな……千鶴よ、工具やらなんやら勝手に漁らせてもらうぜ。あと、システム解析に使える端末を用意してくれ」

「ええ。すぐに用意するわ」


 組合長の目の色が変わった。なんていうか、鋭くなったとかじゃなくて、子供みたいなキラキラした目というか……


「組合長、楽しそうね。久しぶりに見たわ。あの人のあんな顔」

 千鶴さんがそう言って目を細めた。

 その視線の先の組合長は、ぶつぶつとなにかを呟きながら作業に没頭している。

 その表情からしても、実に楽しそうだった。


「……千鶴さん、組合長の素性っていうか、昔の事とか知ってんの?」

 俺の素朴な疑問に千鶴さんはにっこり微笑んで答えた。

「知ってるもなにも。組合長は私のメカニックとしての師匠よ?」

「え? そうなの?」

「ええ。この工場はお母さんからもらったけど、その工場で生きていくためのメカニックとしての技術は組合長からもらったの。今の私があるのは、組合長のお陰なのよ」

「そ、そうなんだ……あのおっさん、色んな意味でただ者じゃねーんだなぁ」


 すると六花が俺達の側にやって来て、両手を擦り合わせて有り難い、有り難いと繰り返した。

「静馬さんと千鶴さん。おふたりのお陰だ。まさに奇跡……これほどの幸運に巡り会うとは……本当に有り難い」


 見た目とは程遠い、妙に年寄臭い仕草に俺達が笑いあっていると、ぶつぶつ独り言を言いながら作業をしていた組合長がふと顔を上げて言った。

「とりあえず電源復帰まで行ったぞ」


 はやっ!


 千鶴さんが手も足も出なかったシュライバーがあっという間に分解され、システム解析用の端末は確かに電源系の命令コードを示していた。

 おそらく、このままエンターを押せば電源が入るのだろう。


「いやー、組合長師匠には敵わないなぁ。私もまだまだね」

 千鶴さんは苦笑いで組合長へと駆け寄る六花の背中を見送った。


「く、組合長! ど、ど、どうすれば? どうなった?」

 そんな焦る六花をなだめる組合長。

「落ち着け六花よ。システムは壊れていなかったし、特に異常は見当たらない。電源が復帰したらあとは駆動部をチェックして、問題がなければそのまま使えるだろうぜ」

「……ほ、本当か?」

「俺はOBとはいえ橘の主任メカニックだったんだぜ? 信用できないかい?」

「め、滅相もない」


 復活直前のブラックジャックと対面した六花はまたしても泣きそうになったか、瞳に一杯の涙を溜めていた。

 しかしそれを溢すまいと顔を上げ、呼吸を整えた。


「……ありがとう、静馬さん」

「礼だなんて気が早ええよ。仕事はこれからだ。そして、これはその第一歩だ」

 組合長は端末を六花に向け、キーボードのエンターを押すように促した。

「電源はあんたが入れな。いや、入れるべきだ」

「私が? 何故?」

「あんたがここまで頑張ったから、このシュライバーが甦るんだよ。あんたが頑張ったから、幻夜の野郎が助かるかも知れねえんだ。だから、六花よ……」


 組合長はそれ以上なにも言わなかった。言葉がつまってしまった様にも見受けられる組合長に対し、六花も無言で頷いた。


 そして、六花の細い指先がゆっくりとキーボードへと向かい、エンターを押した。


 ピピ、とシュライバーから音がして、肘の間接にあった小さなインジケーターが点滅を始めた。

「……電源復帰。異常無し」

 組合長が呟くと、六花は柄にもなく拳を握って小さくガッツポーズのような仕草をとった。

 それにつられるように俺と千鶴さんも立ち上がり、笑顔で拳を握り合ったがうどんちゃんは違った。


 うどんちゃんは工場の天井を見つめ、じっとしていたのだ。

「どうかした? うどんちゃん」

 俺の呼び掛けに答えず、うどんちゃんは耳を済ますように目を閉じた。


 そして……叫んだ。


「みんな! 伏せろぉ!」


 え?


 という言葉よりも早くうどんちゃんの絶叫を飲み込むように、空から降ってきた轟音と衝撃に俺達は吹き飛ばされてしまったのだった。

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