第29話 僕がやりましたと言えそうで

「組合長、なぜ『ブラック・ジャック』のことを……?」


 六花の声が震えている。

 それは単純な驚きというよりも、感動からくるものだったに違いない。

 なぜなら、六花の瞳がこれまでになく輝いて見えたのだ。

「ブラック・ジャックは開発中だったその義肢シュライバー暗号名コードネームだ。それをなぜ、あなたが?」


 問われた組合長は六花とは対照的な程、落ち着いていた。

「やっぱりそうか。ブラック・ジャック計画はまだ生きていたんだな」

「生きていた……?」

「今から30年以上前の話だが、俺がまだ橘の社員だった頃、ある医療用義肢製作計画が立ち上がった。超精密作業を可能にする外科手術用の義肢シュライバー製造を国立の医科大学から依頼されたのさ。

 俺達は若かったからな、そりゃあ燃えたぜ。歴史に残るシュライバーを作るんだって、仲間たちと昼夜を問わず仕事に夢中になったよ。

 その頃はまだ現場で次期社長として修行中だった幻夜がプロジェクトリーダーに就任し、設計を任されたのが俺だった。俺たちはそこで知り合ったんだ。

 歳も同じでウマがあったんだろうな。すぐに親友と呼び合える仲になった。ブラック・ジャックのコードネームもヤツとよく行った飲み屋で決めたんだ。俺がガキの頃から好きだった医者の漫画がそんなタイトルだったのさ。冗談のつもりで提案したら、次の日から正式なコードネームになっちまってて焦ったぜ」


 若き日を振り返っている組合長の表情は優しかった。

 まるで孫に昔話を聞かせているじいさんの様な顔だ。

 きっと、楽しい思い出に違いない。


「しかし当時の技術じゃミリ単位の精密作業が精一杯だったし、シュライバー自体も重すぎて実用には程遠かった。……それがついに日の目を見る時が来たって訳か。しかも信じられねえ位パワーアップまでしてるとは恐れ入ったぜ」

「まさに、事実は小説より奇なりだな……」

 六花は涙目でそう呟いた。

 組合長は腕を組み、得心するように頷いて言った。

「つまりだ。その完成したブラック・ジャックの患者第1号を幻夜にする……そのためにあんたは海を越えてここまでやってきたってわけだな、六花よ」

「仰る通りだ。組合長……いや、静馬さん。どうかお力添えを願いたい」


 六花は震えていた。

 その瞳は希望に満ちて輝いている。

 あるかどうかもわからない一縷の望みにようやくたどり着いたんだから当然だろう。


 組合長は一寸の間を置き、少しだけ表情を引き締めて六花に問う。

「幻夜の具合はどうなんだい?」

 六花は目を伏せたが、決心を揺らがせまいと、すぐに顔を上げた。

「……長くはないと思う。痛み止めも限界だと、医者が……」

「そうか」


 組合長の言葉は素っ気なくも聞こえたが、その響きからは言い知れない感情の機微が垣間見えた。


 短い言葉の中に、俺の語彙力では到底表現のしようがない、深い葛藤があったのは間違いないだろう。


「しかし六花よ、言葉が悪いのは承知の上で、敢えて訊くが……」

 組合長は珍しく相手を気遣うように断りを入れ、続けた。

「そのシュライバーで幻夜を治療したとしても、それは延命治療だ。根本的な治癒は望めないだろう。……幻夜あいつはそれを望んでんのか?」

 その問いに、六花は言葉を失った。

 それは彼女の迷いでもあっただろう。

「……多分、望まない」

 だから言葉を絞り出す六花。

 組合長はため息とともに呟いた。

「だろうな」


 組合長は目をつぶり、うんうんと頷きながら椅子の背もたれに体を預けた。

「あいつはそういう奴だよ。きっとまともに治そうとも思ってないんじゃないか? あんたに泣きつかれてようやく入院したとか、そんな感じだろ?」

「はは、全くその通りだよ。困った父親だ」

 六花はうっすらと微笑んでいるが、悲しそうな表情でもあった。


「死は死として受け止める。自然に生き、自然に死ぬのは人の宿命さだめ……それは兵法橘流の死生観だ。剣士として父がそれに沿って生きていることは理解するが、としては別だ。あの人は橘製作所の社長だ。背負っている物が大きすぎる……」


 組合長は言葉を選ぶような目で、そんな六花を見つめていた。

「なぁ六花よ。そこまで分かっていて、どうして幻夜の治療に拘る?」

「……」

 六花は答えない。逡巡していたのだ。

 その迷いは組合長とけんけんを交えていた時に見せた迷いと同質だということは、表情で見て取れた。

「……それは、兄が原因だ」


『兄』というキーワードに、組合長の瞳が鋭さを増した。

「兄貴……次期社長って、アレか」

「父が病に伏せて以来、既に社長の振る舞いさ」

 六花は半ば諦めた様な声色で吐き捨てた。

「……兄は父がこれまで築いてきた橘製作所を破壊しようとしているんだ」


 六花の唇が震えている。

 それは怒りか、悲しみか、それとも別の感情からか。


 組合長はそれを察し、努めて六花を刺激しない様に、囁く様に問うた。


「おいおい、穏やかじゃねぇな。どういうこったよ」

「例えば、兄は父がこれまで敢えて避けてきた他業種展開や金融商品への投資などを会社の新規事業として立ち上げる準備を始めている。それだけではなく、大規模な人員整理も視野に入れているそうだ」

「リストラか? ……橘製作所は今期も結構な黒字決算だったはずだろ。儲かってて事業拡大すんなら、逆に人を入れるだろ? 」

決算あれは粉飾決算だ。実際は大幅な赤字を計上している」




 場の空気が一瞬で凍りついた。




 いくら経済に疎い俺でも粉飾決算ぐらいは知ってるし、それがどんだけヤバい事なのかは、組合長の表情を見れば分からないわけがない。


 六花は一旦呼吸を整えるを入れ、「ここだけの話にしてくれ」と断りを入れた。


「とはいえ、それで橘製作所の屋台骨が崩れる様な事はない。さまざまな要因があって、結果として赤字を計上しただけだ。それなのに兄は粉飾決算を指示し、嘘をついてまで大企業としての体裁を保っている。父ならそんな事は絶対しない。リストラなど、そんな仲間を裏切る様な行為は特に嫌うだろう」


  語気が荒くなり始めた六花をなだめる様に、組合長が割って入った。


「つまり、兄貴の暴走を止めるために幻夜を復活させるってことか」

「兄を止めるためには……従業員を守るためには、橘製作所を存続させていくには、我々には父が、橘幻夜が必要なんだ!!  父ならきっと、兄の暴挙を止めてくれる! そして、そうしたらきっと、全てが上手く……上手く……っ!」

 六花は怒鳴る様にして拳を握りしめ、慟哭した。


 その様子に皆が押し黙り、静まり返った店の中には六花の嗚咽が微かに響くのみ。


 この話がだという事は、六花の涙が教えてくれている。だから組合長もA子ちゃんも、ただ何も言わずに六花を慰めることしか出来なかった。


 俺は、ひたすら胸が痛かった。


 俺はそのシュライバーがどこにあるか知っている。

 であれば、この八方塞がりな状況を打破できるのは俺だけだ。

 六花と、六花の救いたいものを救えるのもきっと。


「……あのさ、ちょっと話があるんだけど……」

 俺はそう切り出し、全てを吐露する決心をした。

 六花の涙は、俺には眩し過ぎたんだ。 


 久しぶりに感じた罪悪感の前に、俺はあっけなく白旗を挙げたのだった。

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