第28話  六花の覚悟

「盗難? パクられたってのかい?」

 聞き返す組合長に、六花は弱々しく頷いた。

「私の不注意で……ようやくあなたまで辿り着いたというのに、申し訳ない……」

「そりゃあ気の毒だけどよ、無理筋ってもんだぜ。修理も何も、現物モノが無きゃあ修理なおしようがねぇじゃねえか」

「その通りだ、その通り……」

「もし修理できなかったら、あんたがここに来た意味もなくなっちまう」

「そ、そんな! 修理できないなんて言わないで!……できなかったら、できなかったら……わああっ!」


 六花はついに泣き出してしまった。

 まるで小さな子供のように泣きじゃくる六花。

 ……俺の胸が猛烈に傷んだ。


 もちろん、千鶴さん家の地下にある『六花の持ってきたシュライバー』が原因だ。

 俺の胸をちくちくというかずぶずぶ痛め付けるその存在を、俺は未だに言い出せないままでいた。


 俺が心の痛みに悶絶していると、突然A子ちゃんがすっくと立ち上がって組合長の頬を力一杯つねり始めた。

「痛てえ! いてて! 何すんだよA子!?」

 痛がる組合長を無視し、A子ちゃんは空いている方の手で自分のうなじを何度か擦った。


「……組合長! そんな言い方はないでしょう!!」

 A子ちゃんが怒鳴った。

 初めて聞く、A子ちゃんの怒声……というか、大声だった。

 それは人間の声を拡声器で増幅したような、どこか掠れた声だった。


 彼女のうなじがになっているのは知っていたけど、使われるのを見たのは初めてだ。


「い、痛ててて! やめろA子! 痛てえって!」

「六花さんはそのシュライバーを修理するためにわざわざ日本からやって来たんですよ! 複雑な事情があるに決まってるじゃないですか! それなのに無理とか意味無いとか簡単に言って! デリカシーが無さすぎです!!」

「わ、わかった! 悪かった! 謝るからつねるのやめてくれ!」

「謝るなら六花さんに謝りなさい!」


 A子ちゃんはまるきり別人のようにひとしきり怒り狂うと、六花の側に寄り添ってハンカチでその涙を優しく拭った。


「ごめんなさい六花さん。うちの鈍感おやじが酷いことを……」

「う、うう……ありがとう、A子さん」


 そして組合長は六花に対して深々と頭を下げ。謝罪した。

「六花よ、無神経な物言いをしてすまなかった。深く反省しております」

「や、止めてくれ組合長。私こそ取り乱してしまって……」

 六花は鼻をすすり、一息つくと胸を張った。

 涙目のままだったが、表情はいつもの六花に戻っていく。


「A子さん、ありがとう」

 六花が言うと、A子ちゃんはにっこり微笑んでから組合長にじとっとした視線を投げ、再び組合長の隣へと腰を下ろした。


「A子さん、その、声が……」

 六花は訊きにくいことを訊く様に言葉を選んでいた。だが、義肢屋の娘だからか、その好奇心には勝てないようだ。

 しかし、A子ちゃんはにっこりと笑っていた。

「私の声帯はシュライバーなんです。以前トラブルに巻き込まれて声帯を傷付けてしまって、上手く声が出せなくなってしまったんです。……でも、シュライバーのお陰で普通に会話するには困らない程度の声は出せるようになりました。でも、やっぱりスピーカーから出る音みたいであんまり好きじゃなくて。普段は声のボリュームを下げているんです」

「そうだったのか……ありがとう、A子さん」

 六花が頭を下げると、A子ちゃんは再び微笑んてうなじを擦った。

 ボリュームを元に戻したのだ。


「……」

 ふと、押し黙る六花。そして、呟いた。

「私は、浅慮だな……」


 よく聞こえなかったので「ん?」と、俺が聞き返すようにすると、六花はなんでもないと言う風に小さく首を振って顔を上げた。

「盗まれたシュライバーは必ず見つけ出す。どんなことをしても見つけ出す。それまでどうか、お待ち頂けまいか」

 六花のあまりの真摯さに、組合長は気圧されるように姿勢を正した。

「そ、それはいいけどよ……あんたがそこまで言うなんて、修理して欲しいってのはどんなシュライバーなんだい?」

「医療用のシュライバーだ。橘製作所が全勢力を注いで造り出した、ヒトの未来を切り開く医療用義肢だ」


 六花の誇らしげな表情から、そのシュライバーの凄さが伝わってくるようだった。

「医療用……治療用じゃねぇ、つまり普通の義肢シュライバーの類いではないと?」

 組合長の目が鋭い光を放っている。

 それはすでに、職人の目だった。


「その通り。患者が装着するのではなく、医師が装着するシュライバーだ」

「業務用? しかも医者がか。外科手術用か?」

流石さすが。仰る通り、外科手術用の医療用具に該当する」

「ほう。その感じだと、相当な自信作だな?」

 組合長が意味深な笑みを向けると、六花は力強く頷いた。

がんの治療に主眼を置いている」

「ガン……癌の切除ってことかい?」

「そう。そのシュライバーは100ナノメートル単位での正確な超々精密作業が可能だ」

「……そりゃすげぇ」


 つまり10000分の1ミリの仕事が出来るってことだ。

 もしそれが本当なら……。

「具合にもよるだろうが、ほとんど完全に切除できるな」

 組合長が俺の考えていることを代弁した。


 そんだけ細かい手術ができるなら、これまでの医療技術じゃ助からなかったガン患者だって、十分希望が持てるだろう。


 この時代。これだけ科学技術が進歩しても、病気だけは未だに治療法さえ確立していないものも少なく無い。

 特にガンについてはここ100年以上ほとんど進歩していないと言っても過言では無い状態だ。


 抗がん剤や放射線治療の技術進歩はあれど副作用も比例して強くなる一方で、根本的な解決には程遠い状態が続いている。

 結果的に切除しかないパターンも少なくないというし、一番の問題はその切除オペの技術水準が21世紀と同程度でしかないということだった。


 六花は気持ちを落ち着けるようにジャスミン茶をひと口含み。深く息をついた。

「完成は目前だった。あと一歩……いや、爪半分。様々な実験にも成功し、安全性も確保できた。あとは臨床試験……という段階で、突然起動しなくなった。

 原因はメインコンピュータの設計不備ではないかと結論づけられたが、もしそうなら大幅な改良は避けられず、完成は数年遠のいてしまう……故障の前日まで問題なく動いていたんだ。実験データも問題ない。あの状態で突然故障するなんてあり得ない! あるはずがないんだ!」


 六花は興奮していた。

 それは怒りにも似た感情だった。


 そこで組合長は「落ち着け」と一言声を発した。

 その深く静かな声色は、熟練の職人を感じさせる響きがあった。


「六花よ、物理的な過負荷や過電流の可能性は調べたか?」

「勿論。そもそもその様な不具合が起こらないように設計されている。仮にあったとしても、電気系統の回路は何重にも保護される機構だ。にも関わらず、電源すら入らないとは考えられない」

「となれば、人為的な原因も考えられるか?」

 組合長の言葉に、六花の口元が引き締まる。

「……私はその線だと思っている」

「つまり、誰かにされたってか。商売敵か、産業スパイか……?」

「外傷が無いから見た目での判断は困難だ。それに内部構造やシステムを弄られていたのなら、それは私ではわからない」

「内部構造か、システムをか。……そんなことが出来るのは社内の人間か、社内に外部との内通者がいるか……」

「開発中の製品の管理は厳重だ。件のシュライバーは研究室に保管されていて、警備もついていた。例え内通者の犯行だったとしても、実行できるのは橘の社員だろう。しかも責任者クラスの人間。あまり考えたくないがな……」


 六花の言葉は次第に張りを失い、最後は失速するように消え入ってしまった。

 苦虫を噛み潰す様な六花の表情に、その苦悩は見てとれる。


 組合長は暫く黙って六花を見つめ、静かに問う。

「そこまでの代物を、なんで持ち出したんだい?」

 それは修理して欲しいからだろ? と俺は答えそうになったが、組合長の質問の真意はそこには無いと気付き、俺はそのアホみたいな一言を飲み込んだ。


「六花よ、今朝の新聞を見たろ。あんたが行方不明だってあの記事だ。記事にはそのシュライバーの事は何も書かれてなかったが、橘の連中がそれを把握してないわけがない。今頃血眼になってあんたとそのシュライバーを探してるだろう。或いは、あんたよりシュライバーを探してるのかも知れねぇ」

「……分かっている。自分が何をしているのか、事の重大さは承知の上だ。全てが済んだ後、どの様な罰でも受ける覚悟は出来ている」

「そこまでの覚悟はどこから来るんだい? どうしてそこまでそのシュライバーに拘る。直せるかどうかもわからない物を、自分の身の危険を顧みず、こんな危なっかしい街まで担いで来るのは生半可な気持ちじゃ出来っこねえ……俺が訊きたいのはそこさ。核心といってもいいだろう」

「……」


 六花の短い沈黙は、明らかな逡巡だった。

 その理由は彼女の優しさ故であることは後に分かることなのだけど、このときの六花の心境はそれまでのものに輪を掛けるような複雑さだったことに違いない。


 しかし、それでも六花は避けては通れない道だと覚悟し、口を開いた。


「父が数年前に癌を患った。今やもう末期で、余命幾ばくもない状態だ。父を救うにはあのシュライバーしか無いんだ。あの……」

「『ブラック・ジャック』か……」


 組合長の呟くような一言に、六花の顔が驚きで張り付いた。


 なぜ、それを?


 言葉にならなくても伝わってくるような、そんな顔をしていた。


 組合長は今まで見たことがないような……いや、見せることがなかったような、深みのある表情でもう一度呟いた。


「……幻夜め。ミイラ取りがミイラになっちまってどうすんだよ、馬鹿野郎」

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