第25話 橘六花VSシュライバー管理組合組合長

 ごちゅっ……!!


 ものすごい音だった。

 この音。それは組合長の拳が六花の顔面を潰した音……ではない。

  逆だ。

  六花の「頭突き」が、組合長の顔面にめり込んだ音なのだ。


 六花は斬撃の間合いを詰められたと認識した瞬間に戦術を変え、構えをほとんど必要としない頭突きでカウンターを取ることを選択したのだ。

 なんて柔軟で攻撃的なんだろうか。

  俺は思わず「おおお!」と唸って拳を握ってしまう。

 A子ちゃんは無言のままだけど、明らかに息を飲んで目を見張っていた。


 ぷぱっ、と組合長の鼻血が散る。

  小柄な体躯とはいえ、六花全力のカウンター頭突きが鼻っ柱にクリーンヒットしたんだ。ただではすまない。

  大きく仰け反る組合長に好機を見出だした六花はすかさず刀に手を掛けるが、またしても抜けない!

  既に組合長の手刀が彼女の首を狙っていたのだ。


「くっ!」

  六花の口から口惜しげな声が漏れた。

  好機を潰されたことに対する、というより組合長の早すぎる反撃に動揺したのだろう。

 六花はバックステップで間合いを取り、組合長は手刀を自分の眼前で止めるようにして無傷をアピールしているようだった。


「……効いたァ~!」

  組合長は鼻血を拭いながら笑顔で言う。

「フツーあそこで頭突きするか? おもしれえ嬢ちゃんだ」

  あの音と衝撃から相当な深手かと思われたが、組合長はピンピンしている。

 相変わらず化け物じみたおっさんだ。

  対する六花は深く身構えて警戒する。その表情に余裕は既に微塵も窺えない。


「なぁ、嬢ちゃん。あんたの師匠は幻夜なんだよな?」

 組合長はこの状況でも、いつもの様に軽口を叩いた。

「……そうだ。だが、ここ数年は兄が私に稽古をつけてくれている」

  六花も組合長の軽口に付き合うつもりらしいが、やはり余裕は無い。

 無理矢理に作った冷静な表情が、顔面に張り付いている様だった。


「じゃあ、その兄貴ってのも幻夜の仕込みってことだな。どんな兄貴なんだい?」

  組合長の問いかけに一瞬、逡巡するような間を置いた六花。

「兄は兄だ。それ以外、答えようがない」

「剣の腕前は?」

「……父は兄に印可いんかを授けている」

「つまり免許皆伝か。それはそれは……あんたはどうなんだい?」

「……程遠いよ。兄は特別だ。あの人は私とは違う」

 六花はどこか吐き捨てるように言った。

「そうかい。まあ、どんな野郎にせよ幻夜が認めるんだ。腕前は確かなんだな。『程遠い』とか言っちまってるあんたからもこんなにもをビンビンに感じるんだもんな」

  組合長がニヤリと歯を剥くと、六花は眉をひそませた。

「……何が言いたい?」

「あの幻夜やろうは相変わらずだって言ってんだよ。あんたの喧嘩から伝わってくらぁ。昔っから荒っぽくて大雑把でよぉ」

「……おまけに自己中心的で向こう見ず」

「ははは、そうそう。さすが実の娘だな。よく分かってらぁ」


 組合長は可笑しそうに笑う。六花も口角を上げては見たものの、その笑みに柔軟さは無い。

「流石は幻夜の娘だ。口も達者で喧嘩も強ええ。幻夜あいつらしい、いい仕込みだぜ」

  組合長は六花の腕前を素直に賞賛している。六花もそれが誇らしかったのか、微かに表情が緩んだ。

 その時だった。


「……兄貴の方は、どうかな?」


 !!


 六花から明らかな動揺が……というより、感情の機微が感じられた。


 それは時間にして、1秒にも満たない数十分の1秒。

 組合長が六花との距離を詰めるのには充分な時間だった。



「キャオラアアアッ!!」

  組合長は六花めがけて突っかけると大きく跳躍。奇声にも似た気合とともに右の飛び蹴りを放った。


 ガッッ!!

 鈍い音!

 六花の防御ガードが間に合った。


 ただ、腕を上げて盾にする様にして受けるのが精一杯だったのか、鈍い衝突音を残して彼女は蹴られた方向へ吹っ飛んでしまった。


「まだまだいくぞ、嬢ちゃんよお!」

  吹っ飛ぶ六花を追撃する組合長。

 六花はすぐさま立ち上がって組合長を迎え撃つが、組合長の矢継ぎ早の攻撃を捌ききる事しか出来ず、反撃に移ることが出来ない。

「オラオラオラオラァァァッ!」

 組合長はテンションマックスで六花を追尾する様に追い掛けながら、拳と蹴りの連続攻撃を放ち続けた。

 連打なのにも関わらず一撃一撃が必倒の打撃を繰り出す組合長も恐ろしいが、その超速の殺人的破壊力を寸前で躱す六花も凄い。


  目にも止まらぬ攻防は互角にも見えるが、六花は未だに抜刀出来ないでいた。

 組合長が六花の攻撃を未然に潰しているのだ。

 いわゆるせんせんを獲っている。


 当然、抜刀されれば圧倒的不利に陥るのは組合長なのだから組合長も必死なんだろうけど、当の組合長は本当に楽しそうに戦っていた。

  六花は苦戦が見て取れるが、防戦一方の中に勝機を見出す気迫は衰えていない。


 白熱する激闘に俺とA子ちゃんのボルテージはアガる一方だが、それが絶頂に近付けば近づくほどクライマックスもまた近い。


 ぱら、ぱら……


 突然、俺の目の前に細かい砂のようなものが落ちてきた。


「ああ? なんだこれ……?」

  意外なものに気をとられて、それが落ちてきた方向……つまり、天井に目をやって驚いた。

  先ほど六花が天井までめり込ませたデカいソファーがずりずりと不安定にずり落ち始め、俺が声を上げた時にはもう落下する寸前だったのだ。


「あ~~~?! 危なッ…………!!」

  俺は無意識に叫んでいたが、その直後に鳴り響いた轟音にすべてが掻き消されてしまった。


 ~~~!!


 天井に突き刺さったソファーがぼろっと落下……それを皮切りに、脆くなった天井が一斉に大崩落したのだ。


「~~!!!」


 凄まじい破壊音を響かせて瓦礫が落ちて来る直前。そこに決定的な瞬間があった。

 崩落する天井。降り注ぐ瓦礫と砂埃の中、六花と組合長はお互いを最高のポジションで捉えていた。


 六花は深く踏み込み、逆手さかてに刀の柄を握っていた。

 身体の捻りとバネを存分に活かした逆手斬りを放つ。

 対する組合長はどこまでも実直なストレート……つまり、正拳突きを放つ。


 二人の意思は固かった。

 この大破壊の最中さなか、それでもお互いが逃げも隠れもせず、真正面から勝負に出るというのだ。


 間合いはお互いを制空権に入れている一触即発の距離。

 しかし、六花の深い踏み込みが組合長の正拳突きを牽制している。

 彼女が組合長に先んじたのだ。

 今度は六花が先の先を獲ったのだ!

 俺は集中した。

 まるで自分が当事者の様に、時間が緩慢に流れる感覚を覚えた。

 実際は高速の、一瞬で終わるような時間。

 しかし、感性は時空を凌駕する。

 まるでスローモーションの様に映る決着の瞬間だ。


 二人の距離は縮まり、

 六花の白刃がその姿を表し、

 組合長の拳が空気を斬り裂き、

 そして衝突する…………!


 その時、これまでで一番の轟音が天井から落ちてきた。


 どどどっ! バラバラバラッ!!!


 二人の衝突の瞬間と同じくして、残りの天井が全て崩落してしまったのだ。



「ろ、六花! 組合長!!」

 俺は叫んだ。当然、安否の確認だ。

 崩落は一瞬だったが瓦礫と砂埃は凄まじく、二人の姿を完全に隠してしまうには十分だったのだ。


 ……

 …………

 ………………。


 徐々に砂埃が治まっていく。


 すると、二人の人間の影が見えてきた。

 六花と組合長だ。

「お、おい二人とも、大丈夫か!?」

 俺は半ば絶叫のように呼び掛けた。

 しかし、動きがない。

 二人ともじっとして動かない。

 何事かと思ったその時、不意に風が通り砂埃を吹き飛ばし、二人の姿がはっきりと現れた。


 二人とも膠着していた。

 その距離はほぼ、ゼロ。

 崩落の直後、二人の勝負は決していたのだ。


 しかし、六花の刃は鞘から完全に抜けきらず、7割ほどの白刃が組合長の胴体を両断する寸前で止まっていた。


 その原因は組合長の『肘』だった。

  明らかに出遅れ、間合い的にも不利と思われた組合長の正拳。

 六花の深い踏み込みからの逆手斬りに対してはリーチが長すぎる。

  それを、組合長は猿臂えんぴ……つまり『肘打ち』に変化させたのだ。


 六花の踏み込みにあわせた肘のカウンターだ。

 そのカウンターが……ゴツくて狂暴な組合長の肘が、六花の端正な顔のまさに眼前でピタリと止まっていた。

 それぞれが相手を捉えながらも、捉えきっていない。

 二人は決着の寸前を描いた絵画のように、完全に停止していた。


「……何で止めるんだい」

  その姿勢のまま、組合長が六花に問う。

「そのまま振り抜きゃ、俺の体は真っ二つだってのによ」

  組合長の素肌に触れるか触れないかの距離で、その白刃は停止している。

  組合長の肘を眼前に据えたまま、六花は返す。

「あなたこそ。そのまま打ち込めば、私の顔面は潰れていた」

 組合長はひひっ、といつものような下品な笑みをこぼし、言った。

「あんたがあんまり綺麗なんでな。躊躇しちまったよ」

  それを聞いて、六花は少しだけ不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、

「素直に喜べんな」

  と、呟くようにして答えた。


「……久々に若いねーちゃんとイチャイチャ出来て、おじさん満足だわ」

  組合長は肘を収め、六花から離れた。

「遊んでくれてありがとよ、


 組合長が初めて六花を名前で呼んだ。

 それは彼が六花を一人の剣士として認めた証なのだろう。

「……呼び捨てにしてくれ。むず痒い」

  六花もまた、組合長との間に何かしらの信頼のようなものを感じたのだろう。それはその台詞からも窺えた。


 そうして、二人の勝負は終了した。



「……引き分けでしょうか?」

  A子ちゃんがその小さな声で、俺に問う。

「わかってて訊かないでよ、意地悪だなあ」

  俺は紙幣を一枚彼女に差し出し、答えた。

「どっから見ても六花の敗けだろ」



 この勝負、六花は結局一度も抜刀出来なかった。

 組合長がさせなかったのだ。

 組合長はすべての局面において先手をとっていた。

 最後の最後、六花にとっての最大の好機チャンスもカウンターをった。


  この短い時間、六花は何度敗北を喫したのだろうか。

 それはきっと、彼女が一番分かっているのだろう。

 瓦礫に佇み、組合長の背中を見つめる六花。

 小刻みに震える彼女の瞳に滲む涙が、それを物語っていた。

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