第16話 橘 六花 16歳

 というわけで、翌朝。

「寒い……痛い……」


 床寝のせいで全身がとにかく痛いし寒いしで目覚めは最悪だ。

「……いない……」

 ソファーで眠っていたはずのサムライちゃんの姿がない。

 刀も消えていたのできっと先に起きたのだろう。


 俺はむっくりと体を起こし、辺りを見回した。

 時計はまだ7時。かなりの早起きだ。

 俺は立ち上がり、工場の2階へ向かう事にした。

 2階は千鶴さんの自宅だ。

 そこにきっとサムライちゃんはいるだろう。

 多分。いや、間違いなく……。


 階段を上がり、扉を開けると……サムライちゃんは、やはり居た。

「ハムッ!ハフハフッ!んぐぅッ!」

 食ってる……。

 彼女はまた、食っていた。

 昨夜のあの光景の再来だった。


 そこは2階に上がってすぐにある、千鶴さんのダイニングキッチン。

 テーブルには大量の食い物と、それを貪るサムライちゃんと、それをニコニコと眺める千鶴さんがいた。

 予想通り、サムライちゃんは朝飯をかっ喰らっていたのだ。


「おはよ、千鶴さん……」

「あら早いのね。おはようハナくん」

「……」

「どうかした?」

「……いや、なんでもないよ」


 サムライちゃんは俺に一瞥もくれず、目の前の食い物を一心不乱に食い続けていた。

それにしても、このの食欲は凄まじい。とにかく食いまくっている。


 俺がその様子に唖然としつつ椅子に腰を下ろすと、千鶴さんはコーヒーを差し出してくれた。

「はい、どうぞ」

「ああ、ありがと千鶴さん」


 俺はカップに手を伸ばすが、指先が触れる直前にカップが目の前から消えた。サムライちゃんに掠め盗られたのだ。


 その速度スピードはカップが残像を残しそうなくらい素早かったが、サムライちゃんがコーヒーを飲むスピードは実にゆったりとしたものだった。


 ふー、ふー、とコーヒーの表面に撫でるような吐息を吹き掛け、冷ましている。

(え、猫舌……? )

 その様子は昨夜、熱々の雑炊をかっ込んでいた人物とは思えない弱々しさだった。


「……御馳走様でした」

 全てを食い尽くし、サムライちゃんは姿勢を正してお行儀よく手を合わせ、実に凛々しい声色で言った。

 千鶴さんはにっこり微笑んで「お粗末様でした」と応えた。

「……千鶴さん、とは貴女あなたの御名前か」

 サムライちゃんは食ってるときとは別人の様な真剣な眼差しで千鶴さんに問いかけた。


「ええ。そうよ」

 千鶴さんは頷いて応えた。

 フルネームで名乗らない理由は昨晩の一件で分かっていたので、俺は何も言わなかったし、言うつもりも無い。


 サムライちゃんは更に姿勢を正し、千鶴さんに対して深々と頭を垂れた。

「危ないところを助けて頂き、心より御礼申し上げます。貴女は命の恩人だ」

「ええ? やだやだやめてよ~大袈裟よ」

 千鶴さんは驚いて立ち上がり、サムライちゃんの肩に優しく触れた。

「困ったときはお互い様じゃないの。気にしなくていいのよ。六花ちゃん」

「……何故、私の名を?」


 サムライちゃんが目を丸くすると、千鶴さんは俺の方をちょんちょんと指差した。

「彼のこと、覚えてない?」

「……」

 サムライちゃんは難問に直面した学者のような表情で俺を眺めた。

「……貴様ッ!」

 そして彼女が脇に置いてあった刀に手を掛けようとしたが、千鶴さんがそれを優しく制した。

「彼があなたをここまで運んでくれたのよ」

「……そうか、あの後、私は……」

 サムライちゃんは俺をじっとりと値踏みするように眺めて、呟いた。

「変な事してないだろうな」


 それはつまり『悪戯イタズラしてないだろうな』ってことか……?

「するわけ無いだろ! お前死にかけてたんだぞ? つーか俺はお前に殺されかけたんだぞ!?」

 俺が半ギレすると、

「お前お前と無礼な奴だな。私には橘六花という名前がある。そもそもお前こそ何者だ?」

 サムライちゃんもキレ返してきた。

「 い、命の恩人に対してなんつー態度だ! 千鶴さんが言ったとおり俺はお前をここまで運んでだなぁ……っ!」

 ムカつきすぎて言葉に詰まってしまった。

 言いたい事が多すぎて舌が回らなくなるぶち切れあるあるだ。


 そんな俺に向かってサムライちゃんは涼しい顔でふん、と鼻を鳴らす。

「わかったわかった。そういうことならまぁお前も命の恩人だな。一応礼を言っておくよ。だが、本当の恩人は千鶴さんだ。千鶴さんは私を手厚く介抱し、暖かい食事と寝床を提供してくれた。それがなければ私はきっと事切れていたに違いない。お前はただ単に私をここまで運んだだけだ。違うか?」

「お、お前なぁ……!」

 俺が思わず立ち上がると彼女も立ち上がり、睨み合いの形になった。

「なんだ? やるか?」

「こ、こンのガキ……!」


 伸縮性と柔軟性を兼ね備えた絶対切れない夢の新素材で出来た俺の堪忍袋の緒が今にも引き千切れそうな悲鳴を上げているが、目の前の小娘はただの小娘で、そんなガキんちょ相手に本気でキレて説教ぶちかましても俺には一文の得もない。


 ぶちかましたところでむしろ器の小さい男とバカにされて終わりだ。

 何より、そんなことになって万が一にも千鶴さんに嫌われたら俺はもう生きていけない。


「……助かってよかったな!」

 俺は噴き上がる怒りを無理矢理押さえ付け、傍にあった椅子にどすんと腰を下ろした。

 その様子に千鶴さんは今が好機チャンスと感じたようで、こほんとかわいらしい咳払いを一つ。

「ところで六花ちゃん。あなたのことを聞かせてくれないかな?」

 と、仕切りなおすように六花に問うた。

「私の事?」


 サムライちゃん…………いや、『六花』はどこかとぼけるような、やり過ごすような顔だが千鶴さんはそれを許さなかった。

「そうよ。恩を着せるつもりは無いけど、あなたを助けた私たちにはあなたの事を知る権利と必要があると思うの。違う?」

「……仰る通りだ」

 六花は観念するような瞳で頷き、背筋を伸ばした。

「私の名前は橘六花……国籍は日本国。歳は16。住所すまいは……と言った方が、あなた方には早いだろう」


 俺も千鶴さんもそれには同感だった。

 橘製作所といえば今や世界企業だ。北海道は札幌の巨大な本社ビルも併せて、世界中の誰もが知っていると言っても過言じゃないだろう。


 というかこの子、16歳……。

 見た目通りというか、やっぱりというか、子供じゃん。

 しかも、大人になりかけの中途半端な子供。

 生まれも育ちも性格もめんどくさそうだ。

 正直、あまり関わり合いを持ちたくない。


 俺はそこまでわかればもう十分だったので、ふーん。と興味のない反応で終わらせたが、千鶴さんは続きを促すように頷き「知ってるわ」と答えた。

「昨日、あなたを寝かせてるときにその刀を見せてもらったわ。鍔の装飾とあなたの名前で大体の素性は分かってる。私たちが知りたいのはあなたがどうしてjpここにいるのか、何をしに来たのか、そういうことよ」


 千鶴さんがいつになく真剣だ。俺もその雰囲気に飲まれそうになる。

 六花も少しだけ気圧されているが、そのペースを乱すことはなかった。

「人を探している」

 意外な答えだった。武者修行とかなんとか、アホみたいな理由かと思っていたけど存外まともな理由みたいだ。

 でも、千鶴さんはちょっと違った。とても興味深そうに六花の言葉を繰り返したのだ。

「……ひと?」

「そうだ。ある人物、というよりそれが出来る……が出来る人物を探している」

「修理?……何を修理するの?」

自律機動機械式自動義肢じりつきどうきかいしきじどうぎしだ」


 聞きなれない名前だった。

 じりつ、じどう……?

 俺は頭の中で繰り返してみたが、上手く言葉として言えなさそうだ。


 それを知ってか知らずか、千鶴さんはその難解なモノの名称を誰にでも簡単に理解できる言葉で翻訳してくれた。

「シュライバーね」

 千鶴さんがそう言うと、六花はこくんと頷いた。

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