最終話 愛している

 町の明かりが消えていく真夜中のこと。 

 湖畔のコテージを勝手に使う1人と1匹。

 体長160センチの大柄な狼は、ふかふかのベッドで伏せている。

 穏やかな瞳で見守る18歳の赤ずきん。

 対岸が見えないほど広大な湖を狼は左目の琥珀に映す。


『あんなにたくさん食べたのは久し振りだった。最高に気分がいい……』


 狼は夕食に満足げ。


「それは良かった」

『……まだ寝ないのか?』


 のんびりとイスに腰掛ける赤ずきんに、狼は訊ねた。

 クスっと微笑んだ赤ずきんは、


「うん、もう少しだけ。狼さん、その脚で次の町へ行くのは難しいんじゃない」


 穏やかな口調で返した。


『年寄り扱いするな。ちゃんと歩ける』

「ごめんごめん」

『まぁ、ここにもう少し滞在するのは悪くない。良い眺めだしな』

「そうだね」


 赤ずきんはただ相槌を打つ。

 灰皿に葉巻を置く。

 マッチでゆっくり火をつけた。

 思わずうっとりするような甘い香りが漂いはじめる。


『いい香りだな』


 狼の感想に、赤ずきんは目を大きくしたが、すぐに微笑んだ。


「狼さんも分かってきた? 香りを堪能するのが乙なんだよ」

『あぁ』


 湖面に反射して、ゆらゆらと波で揺れる月を眺める。


『赤ずきん……』

「なに?」

『もうお前は、いつだってオレを仕留めることができる』

「そうだね」

『何故、撃たない?』


 イスからベッドにゆっくり移る。

 灰色の毛を撫で、閉ざした右目に口づけ。

 ふさふさの尻尾を垂らしたまま横にゆっくりと振る。


『全く……最初は食料だったのに、いつの間にか傍にいるもんだから困る』


 穏やかに、赤ずきんは微笑み続ける。


『10年経つのか……そりゃ年も取るし、お前は増々綺麗になるわけだ』

「褒めても何も出ないよ、狼さん」

『ハハァ、もうこれ以上はいらん』


 渇いたような笑い声を出す。


『お前と一緒に幾度と過ごせるだけで、この上ない幸せだ。身勝手だろ?』

「ううん、そう言ってもらえて嬉しいよ。私も同じだから」

『なぁ、少し散歩……いやデートに行こう』


 狼はよろよろと身体を起こし、ベッドから降りてコテージから出ていく。

 赤ずきんは咎めることなく、ライフル銃を背負い、電池式のランタンを持って、ゆっくりと歩く狼の尻尾についていった。

 月の明かりとランタンだけが頼りのなか、森の中へ入っていく。


『ここは不思議な森だ……人食い共のニオイがしない……』


 か細くなっていく狼の声。

 森の中にほんの少しだけ拓けた場所があった。

 月明かりが地面を照らし、微かな風に草が揺れている。

 中央にひっそりと佇む獣の骸があり、狼はニオイを嗅いで近づいていく。

 骸の近くで伏せて、狼は月を見上げた。


『彼女だ……あぁ、森を守っていたのか』


 小さな声で謝罪を零す。 

 赤ずきんは狼の傍に座り、背中を撫でる。


『……ずっと、言いたかったんだ、赤ずきん、いや……』


 か細く、彼女の名前を呼ぶ。

 赤ずきんは狼の閉じた右目にそっと、もう一度口づけをする。


『……オレに言う資格があるのか分からないが……』


 弱々しくなる左目の琥珀、赤ずきんに横顔を撫でてもらう。


「あるよ、アナタは特に、ある」

『なら、お前を愛している、これからもずっと、愛してる…………少しここで、休憩させて、くれ……』

 琥珀の左瞼は閉じていき、呼吸も、心臓の音も聴こえなくなった。

 赤ずきんは穏やかな瞳で、年老いた大柄な狼の身体を見つめ、それから夜が明けるまで傍に居続けた……――。

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狼さんと他愛のない日常と冒険 Akikan @OBkan

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