血の手紙(過去の話)
「よし、これでいいだろ」
処置を終えた、消毒のニオイが漂う部屋。
よれた革ジャケットを羽織り、赤ワインを片手に赤ら顔の男は、へらへらと笑う。
45口径のダブルアクションリボルバーをホルスターに収める。
眼球を失くし、右目はぴったりと閉ざす。
鏡に映る我が身を眺めた狼は、唸り、男を睨んだ。
「んな怖い顔で睨むなや、狼さんよ。飼い主の可憐なお嬢ちゃんに感謝しろぉ」
ベッドで疲れ眠る8歳の女の子を顎でさす。
『ヤブ医者が』
「そりゃ間違いない、けど応急手当ぐらいはできる、軍人だからな」
人差し指を突きつける。
『何故オレを助けた』
「は?」
『オレは人を食う、あの辺境のちっぽけな森で、老いぼれを演じてきた』
「はははっ」
楽し気に笑い、アルコールを流し込んだ。
「お前は化け物だが、人食い狼じゃない。狼の皮をかぶった言葉を話す化け物。俺の幻覚の中じゃまぁマシな形だな」
『お前の幻覚だと? ふざけるな!!』
怒鳴り吠えた声に、ベッドから勢いよく起き上がった。
金髪の三つ編みに、美しい碧眼、丸みがある輪郭。
「オオカミ、さん? なおったの?」
『あ、あぁ、こいつにな』
「起きたかお嬢ちゃん、名前は?」
しゃがみこんで、目線を合わせた軍人。
名前を聞いて、狼は尖った耳をぴくりと動かす。
「お嬢ちゃんにピッタリな名前だな。じゃ、治療費貰おうか」
「お金……ない、です」
「だろうねっ。そんなお前らにチャンスをやろう、俺は何でも屋をやってる、代わりに請け負ってくれたらチャラだ」
『こいつはまだガキだぞ、仕事なんか』
「関係ねぇ、治療費の為にやれ。できなきゃお前を肉にして売り、嬢ちゃんは俺の便所だ」
『このクソ野郎がっ!!』
短気を起こし、軍人に飛び掛かった。
「うあぁぁ、やめろっ、やめてくれっ!」
牙を立て、顔の皮膚を軽く裂く。
「だめっオオカミさん、助けてくれたのに、そんなことしちゃだめ」
『ぬるい奴め……ペッ! クソっ仕事はなんだ!』
皮脂と血を吐き出し、軍人に向かって吠える。
ボトルを握りしめ、よろめきながら起き上がった。
「あぁーげほ、げほっ化け物め、ああ……街道を真っ直ぐ進んだ場所にワイン保管所がある、そこに入って赤ワインを持ってこい」
『なんだそれ』
「精神安定剤さ、内戦で激化した兵の心を癒す。あそこにならたくさんあるが、邪魔してくんだよ」
『誰がだ』
「狩人だよ、同じ軍人だってのに、仲間なら助け合うもんだろ?」
『知るか、とにかく、ワインを持ってきたらいいんだな。ほら行くぞ!』
ベッドに座る女の子の裾を引っ張り、無理やり下ろすと背中を押して、外に出た。
国境沿いの辺境に、リンゴ園の町と、小さな森が遠くにある。
雑木林に囲まれた街道を進むと、樽が積み重なった看板を見つけた。
【ワイン保管所】
『なんて書いてある?』
「ワイン、ほかんじょ」
『あぁ簡単な場所にあったな、よし……いや、血のニオイがする』
周囲を警戒しながら、保管所に近づいていく。
赤いどろどろとした液体を浴びた、若い男が、壁にもたれて座り込んでいた。
右腕はズタズタに噛み潰され、真っ黒。
深い呼吸を繰り返す若い男は左手に手紙を抱えていた。
横にはボルトアクションライフル。
「あ……」
若い男の霞む視界に、狼と女の子が映る。
女の子は恐怖で声をしまい込む。
『お前が狩人か? はは、ざまぁないな』
狼は嘲笑う。
痛みを堪えるわけでもなく、ただ真っ直ぐ、穏やかな瞳をした狩人。
「人食い狼が、いる……お嬢さん、この銃を持って、逃げた方がいい」
『ガキに? そんなことより赤ワインはどこだ』
「持っていけっ」
急かした声に、女の子は慌ててライフル銃を掴んだ。
手に持った瞬間、重さに体が少し屈む。
震える左手でライフル銃の部位を指し、一つずつ手短に説明していく。
女の子は不安げに頷いた。
「いい子だ……手紙を……」
弱々しくなる狩人の声。
『ほら、そいつはもう助からん、さっさと人食いが来る前に戻るぞ』
赤ワインが入ったボトルを銜え、軍人のもとに戻っていく。
小さな指先で手紙を受け取った。
「あり、がと……」
穏やかな瞳は遠くなり、首がだらんと下がった。
「……」
ぎゅっとライフル銃と手紙を握りしめ、ふらふらとバランスをとりながら戻った。
『ふがふが!』
赤ワインのボトルを銜えたまま唸った。
軍人は、微かに滴る空き瓶に舌を伸ばしている最中。
「ん、おっおぉ……ほぉーはっはっ!」
満たされたボトルを前に、へらへらした表情筋が大きくなった。
千鳥足で近づき、狼の口から強引に掴んだ。
栓を開けると、赤ワインを喉に流し込む。
『もう行くぞ、じゃあなヤブ医者、酒に溺れて死ね』
毒を吐いて立ち去る。
「あぁー……なんで、持ってんだ、お嬢ちゃん」
アルコールに満たされた軍人は、譲り受けたライフル銃を指した。
「かりうどさんが」
『仲間は本物の人食い狼に噛み殺されてたぞ、幸いお腹いっぱいで食べられずに済んだみたいだな』
赤ら顔が一気に青ざめる。
「おいおいおいおい、冗談じゃない! 仲間を殺したのかっ化け物がよ!」
『はぁ? このクソ、酒で頭茹で上がってるのか』
「総帥は仲間殺しを許さねぇ、銃殺か、火あぶりか、エサか」
部屋の壁と壁を揺れながら往復。
『人食い狼に噛まれて死んだだけだ……もう行くぞ、今度こそ酒に溺れて死んじまえ』
再び毒を吐いて立ち去った。
重たいライフル銃を抱え、女の子は追いかけていく。
「ふ、ふざけんな、ば、化け物、便所! 逃げるな、逃げるな、逃げるな!!」
震える右手で、リボルバーの銃口を尻尾に向けた。
1発、破裂音が響く。
弾丸は灰色が混じった体毛を掠り、焦げた毛が宙に舞う。
遅れて音に驚いた狼は、前のめりに鼻先から転んだ。
「あっ?!」
喉を鳴らし、尻尾を股の間に丸めて震わす。
「どうせ、殺されるなら、お前を丸焼きにして食う、嬢ちゃんは、俺の便所になれぇあ!」
ボトルを傾け、口から零す。
何発も撃ち込むが、地面を削るだけで狼に当たらない。
「ほら、ほら、起きろ、起きろ、仕留めさせろぉ化け物、俺の視界から消えろ、消えろ、こわくねぇぞ、うひぃ、うぃぃぃひひい」
狩人の説明を思い出しながら、女の子は重たいライフル銃を構えた。
脇と顔で固定し、照準器越しに軍人を狙う。
「やめて……オオカミさんを、いじめないでっ」
爆裂音と同時に衝撃波が生まれ、女の子は背中から転んでしまう。
街道に飛び散る破片と赤い液。
血だまりが土に染み込み、じわりと広がっていく。
「あ……あぁ……ぅま、またわたし」
静まり返り、狼は体を起こした。
瞳孔が大きくなり、呼吸を乱す女の子に寄り添う。
『行くぞ……なるべく遠くに……お前がこれから強く生きられるよう、教えてやる』
……――使える物を盗み、リボルバーとテント一式のリュックを抱えて街道沿いの無人小屋に辿り着いた。
狼に包まれた女の子は、硬めの体毛に凭れ、乾き始めた手紙を広げた。
辛うじて読める文字。
未開封のはずなのに、中の手紙は皺くちゃになっていた。
文は、『愛しい僕の妻へ』、から始まった。
『僕はもうこの世にいない。
でも、これだけは忘れないでほしい、僕は君を愛してる。
もっと君に、「愛してる」を言えばよかったと、後悔もしてる。
寂しがり屋で怖がりな君は、きっとこの手紙を知ったら悲しむだろうけど、書かせてほしい。
内戦が激化した中心地より離れた場所で、人食い狼が国境を越えていかないよう駆除するのが僕の仕事だった。
ある日、僕は親狼を撃った。
亡骸に向かって喉を鳴らす子狼は、まだ生えそろっていない歯で僕の足を噛むんだ。僕の心は、途端に恋しくなった。
僕がこの子に食べられたとしても、反乱者に撃たれたとしても、どうか、どうか憎しみを持たないで、悲しまないで、どうかお願いだ。
憎しみに満ちた君を見たくない、泣きじゃくる君を見たくない、愛してくれる君でいてほしい。
どうか自分を責めないで、傷つけないで。
僕も、君を愛してる。
だけど、いつか落ち着いた時、僕のことは忘れて、誰かを愛してあげてほしい。
僕はずっと、ずっと、ずっと、ずっと、君を愛してる』
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