シャーロット
「ようやく見えてきたね、狼さん」
深い深い緑の森を越えれば、広大な湖があった。
赤ずきんと狼は湖に沿って街道を進んだが、見えるのは湖畔に映る山と森だけで町が全く見当たらない。
数日間似たような景色のなかで夜を過ごし、時折馬車に先を越されながらもマイペースに行けば湖畔のコテージが見えてきた。
さらに町もある。
尖った屋根に細長い家ばかりが並ぶ。
『相変わらず大きい湖だな……』
振り返れば既に広大な湖しか見えず、通り抜けてきた深い深い緑の森がどこなのか分からなくなっている。
弱々しい足取りでコテージに向かう。
「疲れたの? 狼さん」
『まぁ……そうだな。どうせ町には入れないんだ、無人なら休憩に使わせてもらおう』
赤ずきんはボルトアクションライフルを手に持ち、窓から覗いた。
薄暗く、人の気配はない。
少し埃がかぶっている程度の家具と、荒らされた形跡もない室内を見て、
「誰もいないみたいだね」
銃口を下ろす。
狼の背中からキャンプ一式と食料が入ったリュックを外し、床に置いた。
軽くなってもふらつき、ゆっくりと湖が臨めるベッドに乗る。
伏せの姿勢になり、ゆっくり波紋を描く湖面を眺めた。
『それじゃあ行ってこい。シャーロットに伝えなきゃいけないこともあるだろ、ついでに鹿肉をたらふく買ってきてくれ……腹が減った』
「はいはい」
呆れながら町へ。
人通りが多く、身なりの整った人がたくさんいる。
ボルトアクションライフルを背負い、リボルバーを腰ベルトに収めている赤ずきんに自然と視線が集まる。
軍の支配を批判するポスターが所々に貼られ『法整備を整え人民の為の新たな組織を作ろう』と希望者を募集中。
町の中央には台に乗って、
「軍なんていらない! あいつらが戦争を引き起こしたんだ、クーデター、内戦、人食い狼の放置、苦しめられるのはいつも俺達だ!!」
高らかに訴えている。
「俺達は新しい組織を立ち上げる。軍に頼らない、もう軍に正義など存在しない、自分達で一から制度を作り、解決していく! そのためにはみんなの力が必要だ!!」
台に集まる町民達は片腕を上げて握り拳をつくった。
教会の壁に凭れて眺めている軍人が2人、特に何もしない。
興味を示さず、赤ずきんは通り過ぎた。
食料品店の看板を見つけ、ガラス扉を開けるとカゴに敷き詰められた瑞々しい葉菜類、根菜類、果菜類の野菜が目に飛び込む。
奥には様々な肉が小分けにされてショーケースに並んでいる。
脂は切り取られ赤身の部分ばかり。
小さなコーナーには、味付けに使う粉状の物が入った袋とビンに入っている液体が並ぶ。
赤ずきんは干し肉と赤ワイン、それと鹿肉を多めに購入。
「観光ですか?」
店主の爽やかな声と笑顔に、穏やかな碧眼で微笑み返す。
「何でも屋をしながら旅しています」
「それはそれは、外は大変でしょう。ここら辺は森が多くても狼が守ってくれているので安全なんです」
「人食い狼じゃなくて?」
「えぇ、本物の狼です。『彼らが森の守護者である、彼らが消えた時、秩序が崩壊するだろう』、と祖父たちから教わりました」
「なるほど、神秘的ですね。ところで、シャーロットという女性を探しているのですが、知ってます?」
店主はシャーロットという名前に首を傾げた。
「人が多いので、常連さんじゃない限りなかなか名前までは、特徴とかありますかね」
「えーと、金髪に青い目をした綺麗な方です。最近引っ越してきたはずです」
「最近引っ越してきた綺麗な方……あぁ! 挨拶に来てました! 貴女と同じく美しい方でしたから覚えてますとも、つい先ほど湖畔のボート場に行くのを見かけましたよ」
店主にお礼を言った後、ボート乗り場に足を運んだ。
町の端は無人で、寂れた桟橋の傍には小舟が湖に浮かんでいる。
桟橋の先、ブロンドヘアの長い髪と黒い控えめな服で佇む人物。
桟橋の手前には、コテージで休憩しているはずの狼が座っていた。
「あれ、狼さん」
『来たか、俺の方が先に見つけたな』
声に気付き、悲哀に満ちた表情で振り返った美しい少女。
細く尖った顎、鼻は高く目立たない、目元の周囲は薄く赤く腫れている。
「だね。それで、シャーロットさん、ですか」
「はい……あの、どこかでお会いしましたか?」
「いえ、初めまして。私は赤ずきんと申します、何でも屋をしながら旅をしてます」
赤ずきんの自己紹介に、シャーロットは静かに首を横に振る。
「せっかくお尋ねくださったのに申し訳ありません。わたし、今は誰かと話す気分じゃないんです……」
「それでもシャーロットさんに伝えたいことがあります」
「…………」
「グレタさんから伝言を」
グレタ、その名前に目を大きく開けたシャーロット。
赤ずきんの両肩を掴んで迫る。
「どうしてグレタのことを? 会ったことがあるんですか? いつあの町に?」
ぐいぐいと詰め寄ってくるシャーロットに押されてしまう。
「落ち着いてください。数日前に、町へ寄ったことがありまして、グレタさんと話す機会がありました」
「グレタが……わたしに、な、なんて」
不安そうに喉を震わせたシャーロットに、
「愛している、会いたい、と」
優しく伝えた。
青い瞳はどんどん潤み、震える喉は何も言えなくなり、手紙を赤ずきんに渡す。
ゆっくり手紙の封を開け、丁寧に折りたたまれた紙を広げた。
走り書きの文字を読み、内容に驚いてしまう。
「……今朝、届きました。2日前の夜に容体が急変したと……」
シャーロットは声を絞り出す。
無言の時間が過ぎて、詰まる呼吸を整えたシャーロットは続けた。
「あなたに厚い信頼を寄せたのでしょうね……手紙だと、両親が先に捨てるでしょうから」
すすり泣く声に、穏やかな瞳のまま耳を傾ける。
「わたしはグレタを、愛してました。両親が気付いて……引っ越すことに」
『……』
「前夜、想いを伝えたくて会いに行ったのに…………怖くて、竦んで……なのにっ」
堪えられず、頬を濡らし、両手で覆う。
涙で滲ませながら手紙を受け取り、唇を震わせる。
呼吸を整えて、前を向く。
「本当に……ありがとうございました。おかげで両想いだったことを知ることができました……愛する気持ちはこれからも変わりません……誰になんと言われようとも」
頭を下げ、再びシャーロットは遠い故郷がある方角に身体を向けた。
祈るように胸に両手を寄せ、瞼を閉ざす。
赤ずきんと狼は湖畔から立ち去る。
「あ、あの、大きな狼さん」
『なんだ?』
「胸が締め付けられるぐらい苦しくて、でも満たされるものだと思います」
『そう、か』
人通りが疎らな通路に戻ると、中年の夫婦が悲しみと不安に挟まれた表情で赤ずきんを待っていた。
狼は赤ずきんの足元で伏せる。
「お嬢さん、うちの娘と何の話を?」
グレーのスーツを着たシャーロットの父親。
隣で俯いている青と白の服を着たシャーロットの母親。
「彼女の大切な方から伝言を頼まれたので、伝えに来ただけですよ」
赤ずきんは簡潔に答えた。
夫婦は突然、硬い金属ケースを差し出す。
ケースを開け、束となった紙幣が入っていることを見せる。
「……グレタのことは残念に思う。だが、どうかお願いだ、娘の異常を黙っていてくれないか」
「異常?」
「グレタに対して、異常な感情を抱いたんだ。そんなことが知られたらもう、どこにも暮らせない」
『この野郎何が異常だ』
「受け取れません。言いふらすこともしません。失礼します」
怒りに満ちた狼の言葉を遮る。
素通りして町から離れた湖畔のコテージに戻った。
尻尾を時折揺らし、再びベッドに伏せた狼は湖を眺める。
「そうそう、お望みの物を買ってきたよ、狼さん」
『そうか』
赤ずきんは荷物を下ろし、狼の隣に座った。
ふわふわのクッション、触り心地のいいシーツに手を添えて、赤ずきんは小さく頷く。
「うん。ここが気に入った?」
『あぁ、まだ居座っていたい気分だな……』
狼の呟きに、赤ずきんは微笑む。
「それで、シャーロットさんに何を訊いたの?」
『…………忘れた』
「なんだそりゃ」
『近いうちにちゃんと言うさ……今は待ってくれ』
「はいはい、良いところだねぇ」
『あぁ』
1人と1匹は静かに湖畔を眺めてゆっくり時間を過ごした……――。
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