#2
「子どもを持ちたいと真剣に考え始めたのは五年前、ちょうど三二歳の誕生日を迎えた日。子宮頸癌の可能性があると知らされたときです」
参加者がぐるりと輪になった真ん中で、主催者の女性が自らの体験を語る。
自助グループの会合はクリニックの屋上で行われていた。
クリニックは3Dプリンティング工法に特有の曲面をデザインに取り入れた、まるで卵のような形をしている。
屋上は人工芝生で一面緑色で、原っぱの真ん中に設けられたリフレッシュルームは木材を編み込んだような鳥の巣モチーフ。
卵の上に乗っかる鳥の巣というのは錯綜的で、設計者の遊び心にクスリと笑ってしまう。
「それまで私は子どもを産むことに消極的でした。仕事も適度に忙しくて楽しくて、夫も子どもが欲しいと言うこともなくて、自分が親になる資格があるのか不安な気持ちもありました。一八歳の時に卵子は冷凍保存していたので、四〇歳でも五〇歳でも産みたくなったら産めばいいと、そんな風に思っていました」
かつては主に
私も精子を提出した時のことは覚えていた。中高一貫の男子校で六年間を過ごし、異性と付き合うなんて現実味のある出来事のようには思えなくて、冷凍したところで一生自分はひとりのままではないのかと、そんな風に思ったものだ。
「ですが癌の可能性があると知らされた瞬間、最初に頭に浮かんだのが『産めなくなるんだ』という言葉で、その時初めて自分が産むことができる状態に甘えていたことに気付いたんです」
主催者の言葉に何人かの女性が深く力強くうなずく。
その心からの所作に私はなんとなく自分が場違いのような、疎外されているような気分になる。
「幸いにして健診で見つかった前癌病変だったので妊孕能は残せて、それから妊活を始めたんです。でも一年経っても妊娠しなかったので、不妊クリニックに行きました」
「義胎妊娠は考えなかったんですか」
隣に座っていたツキミが手をあげ、質問する。
「選択肢のひとつとして考えはしました。けれど不妊治療だったら助成制度が使えて一〇万程度で済んだので、わざわざ義胎妊娠で産まなくていいと思ったんです。その時は義胎妊娠の助成制度もなくて費用も高額でしたし、それに幸運にも妊娠能力を残せたんだから自分で産むのが、なんといったらいいんでしょう、自然ではないかとそんな風にも思っていました」
女性は言葉を切り、唇をかむ。
「ですけれど、その子は八週でダメになりました」
ダメになった。
その言葉が発された途端、屋内の空気がふっと変わったのが肌で分かった。
静けさから寂しさへ。
儚くなった。
亡くなった。
逝ってしまった。
死にまつわる言葉は比喩の婉曲表現で丁寧にくるまれるけれど、それでも緩衝材の奥に押し込められた死の冷たさは私たちの気持ちを揺るがしてしまう。
「お医者さんは、最初の方にダメになるのは受精卵の問題が多くて、子宮が原因になることは少ないって説明してくれました。ですが、どうしても考えてしまうんです。自分が子宮頸癌の手術を受けたからこうなったんじゃないか、もっと早めに妊娠してたらこうはならなかったんじゃないか」
女性の言葉に感じるものがあったのだろう。ツキミが目元をハンカチでぬぐう。
「そうして落ち込んでいた時に、夫が義胎妊娠で再チャレンジしないかとこのクリニックを勧めてくれたんです。院長先生は私の話を丁寧に聞いてくれて、私が抱いていた義胎妊娠への抵抗感も解きほぐしてくれました。そうしてあの子に出会えたんです」
外の芝生で父親と共に遊ぶ子供に手を振り、女性が笑みを浮かべる。
「さあ、私の身の上話はこれくらいにして、これからみなさんの質問や悩みを聞いていきたいと思っているのですが」
女性はあたりを見回して、
「どうかしら、さっき質問してくれた貴方から話してくれませんか」
と、ツキミに尋ねた。
「私ですか」
「ええ。みんな自分の話をするのは怖いですから。出産なんてプライベートに立ち入る話になると特にそう。さっき質問してくれたあなたなら勇気があると思って」
ツキミは促されるまま円陣の真ん中に置かれた椅子に座る。
鼻頭をこすりながら、「こんなこと聞くのは義胎妊娠をした人に失礼かもしれませんが」と前置きして、話し始めた。
「私、義胎妊娠すべきかどうかすごく悩んでいるんです。いろんな事情を考えると義胎妊娠がいいなって思うんです。できるかも分からない自然妊娠に一年二年と挑戦し続けるのはしんどいだろうし、それは不妊治療でも同じ。私も夫も仕事があって義胎妊娠なら仕事との折り合いもつけやすい」
ツキミは視線をそらし、
「義胎妊娠をした人に言うことじゃないと思うんですけど」
と再び言い訳して、言葉を続ける。
「けれどそれは私たちの都合なんです。子どものためを思って決めたわけじゃない、どこまで行っても親の都合でしかないんです。子どもが大きくなった時、『どうしてお母さんは義胎妊娠で産んだの』って聞かれたら、答えることができないなって怖くなってしまうんです」
主催者はツキミの話を頷きながら聞き、「勇気を出して話してくれてありがとう」とねぎらった。
「ツキミさんの疑問はだれしもが持つ疑問です。親ならだれだってこれから産まれてくる子どものことを考える。それは全然不自然なことじゃないわ。私も最初、義胎妊娠ではなく不妊治療を選択したのはそっちの方が子どものためになるんじゃないかとなんとなく思ったから。義胎妊娠で気楽に産むより、妊活したり、不妊治療したり、がんばって産んだ方がいいんじゃないのか、そう思っていたの」
「ええ。分かります」
「でもね、がんばって産むことって本当に子どものためなのかなって私は思うの。そうでしょう。今の人より昔の人のほうが苦しんで産んでいたはずよ。子どもができなければ石女って陰口を叩かれるし、綺麗な病院じゃなくて掘っ立て小屋みたいな産屋で産まないといけないし、麻酔もないからすごく痛いし、子どもが亡くなってしまうことも、自分自身が死んでしまうことも今よりずっとあったはず。けれど私は自分の母親が昔の母親より子どもを愛していないとは思っていない」
女性がツキミの瞳をじっと見つめる。
「あなたは、自分がどう産まれたか知っている……」
「一応。生まれた病院ぐらいは」
「じゃあ無痛分娩だったかどうかは……」
ツキミは視線を泳がせて、
「分からないですね。痛かったって話は聞いていないので、もしかしたらそうかもしれませんけど」
「じゃあ母親が実はすっごく苦しんで自分を産んだと知ったら、うれしいかしら」
ツキミは想像をめぐらすように首をかしげて、
「うれしいって言うよりは、申し訳ないって思っちゃうかもしれませんね。そんなに苦労したんだって」
想定していた答えが得られたのだろう、女性は満足げに口角を上げる。
「分かりますか。これが親の頑張りに対する子どもの素直な感想です。親の心子知らずとはよく言ったものですよね。良かれと思って親があれこれ苦労しても、子どもがそれを望んでいるとは限らない。あなたは我が子が大きくなったら、自分がどう産まれたか興味を持って、母親から産まれてきた方が良かったと思うだろうと考えていたけれど、それはあくまで想像。あなたのように自分がどう産まれてきたのか想像もしないかもしれないし、もしかすると将来は義胎妊娠がもっと一般的になって母親が出産するなんて古臭いって言われるかもしれない。子の心親知らず、未来の子供がどう思うか今から考えても答えは出ない。だれにとってもただしい産み方なんてないの」
主催者の言葉にツキミの瞳が輝いたのが、私からでも見て分かった。
「ただしい産み方はない」
ツキミは確かめるように繰り返す。
「けれど、子どもが親を怨むとしたら、自分の産まれ方がただしくないと感じるとしたら、それはなにか悪いことが起きたときのはず。まともに産んでもろくに感謝されないのに、まったく不公平な話よね」
やれやれと両手を上に挙げる。おどけた表現に参加者から笑いがこぼれる。
笑いが収まると、女性は両手を膝の上に戻し、真剣な声色で言葉を繋ぐ。
「出産はリスクを孕む。私が流産してしまったように。妊婦がお酒や煙草を控えた方がいいって言われるのは、そうした方がリスクが少なくなるから。安産お守りを貰うのだって、神様に祈ったならなんとなく悪いことが起こらなくなる気がするから。禁酒も安産祈願も気が引けるようなことじゃないでしょう。なら妊娠のリスクを最も減らしてくれる義胎妊娠だって同じで、少なくとも私にとって義胎妊娠はただしい産み方だったわ」
そう言い切ると、だれに促されるでもなくおもむろに拍手が湧きあがった。
「どう。あなたの抱えている悩みの助けになったかしら」
問いかけに、ツキミは考え事をしていたのか、ちょっと間を置いてから慌てて、
「ええ。助けになりました」
とペコペコと周囲に頭を下げながら、席へと戻る。
「おつかれさま」
次の相談者の話が始まり、ひそひと労いの言葉をかける。
ツキミは小さくうなずき、視線を前に向けたまま意を決するように口を開いた。
「ねえ。ミチル」
「なんだい」
「私、義胎妊娠で産むわ」
急な宣言におどろき、彼女を見つめる。
彼女の横顔、輪の中心の会話をまっすぐと見つめる視線は晴れ晴れとしていた。
「うん。そうだね。それがいいよ」
そう返事をするけれど、リスクを避けるため義胎妊娠を選択するのがただしい産み方であるとする主催者の意見に、なんとなく私は言い表しがたい違和感を覚えていた。
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