新世界まであと何歩

はにかみいちご

臍帯は愛の必要条件か

#1

「へその緒は愛情の証ですか」


 覆現に映るその言葉を見て、どこで聞いた言葉だろうと記憶を巡らせると、妻との初デートで見た映画に出てきたセリフだと思い至った。


 受精卵を自分の子宮ではなく人工に造られた子宮に着床させ、出産まで人体外ex vivoで発育させる義胎妊娠では、胎児のへその緒は母体ではなく義胎につながっている。


 それを「卵を産むようなものだ」と詰り、娘の生き方を規定しようとする母親に対し、娘は「へその緒は愛情の証ですか」と母が内面化する古い規範への決別を表明する。


 当時イスラエルで使われだした義胎の実態を描き、生殖支援技術によって変化するリプロダクティブ・ライツの在り方について問いかけた映画は大ヒットして、一九歳のミチルはウェブの高評価を口実にしてツキミをデートに誘ったのだ。


 妻との初デートに選んだ映画だから思い入れがないと言えば嘘になるけれど、映画で問いかけられていたヒトの誕生のかたちが変わることへの是非について、私は当事者性を抱けなかった。


 義胎はただの先端医療で、完全非接触の空間タッチパネルだとか、建築や食品まで印刷できる3Dプリンティング技術、低侵襲性思考操作デバイス搭載の最新ゲーム機だとか、コンタクトレンズ型の覆合現実コートデバイスだとか、そういった日々の生活に徐々に馴染むハイテクのひとつでしかないと思ったのだ。


 テクノロジーは私たちの生活を便利にしてくれるけど、それだけのものに過ぎない。ヒトの在り方が変わると問いかけられても、そんなものはSF的な空想で、地に足のつかない哲学者がやる空中戦としか思えなかったのだ。


 低迷を続ける出生率向上のため義胎妊娠を導入しようとする運動もそれに反対する運動も日常の向こう側の騒ぎに過ぎなくて、義胎妊娠の周知活動の中で見かけるようになった「へその緒は愛情の証ですか」というフレーズにいくばくかの懐かしさを抱く程度だった。


 私の人生には、持つかどうか分からない子どもの産み方について悩むよりも先に悩むべき事柄が多すぎた。


 映画の間考えていたのは、どうやったらこの後うまくツキミを夕食に誘えるか、それだけだったし、付き合いだしてからも些細な事で喧嘩する度に振られるんじゃないかと気が気でなかったし、初めてのクリスマスはプレゼントとしてネックレスとピアスどちらがいいのか知恵熱が出るくらいに悩んだ。


 学士課程の後、就職するか博士課程に進むかも頭が痛くなるほど悩んだし、大学に残ると決めた後も周りのカップルが次々に結婚していくのに、自分は食い扶持すら稼がず、総合職として働き始めたツキミに奢ってもらう有様なことに引け目を感じていた。


 結局大した業績も残せずに逃げるようにして公務員になった後も、こんな自分が安定したキャリアを積み重ねるツキミの夫として相応しいのだろうかという劣等感が消えることはなかった。


 一〇年間の交際を経てようやく結婚した私たちの次の問題は、子どもを持つかどうかだった。


 三〇歳という年齢はまだまだ自然妊娠に期待が持てる年齢だったけれども、順調にキャリアを積み重ね、次第に仕事が忙しくなっていくツキミのライフスタイルを思えば、早めに考えておくに越したことはない。


 産婦人科医の父に相談したり、新しく始まった義胎妊娠助成金制度で費用をどれだけ抑えられるか考えたうえで義胎妊娠専門クリニックの面談を受けようと決意したのは、二〇四四年の春。


「ちょっと、面談中なんだからぼーっとしないでよ」


 面談室の壁に貼られた「へその緒は愛情の証ですか」と大きく書かれたポスターを見つめて、かつて自らの将来にすら確証が持てなかった自分が子どもを持つことを本気で考えるまでに至ったのかと感慨にふけっていた私をツキミが小突く。


 すまないと謝り、壁のポスターから目の前に鎮座する長さ二メートル幅五〇センチほどの薄ピンクの筒に意識を戻す。


「この筒が義胎ですか」


 散漫になっていたのをごまかすように尋ねると、若い医師はお気になさらず、とでも言いたげなあいまいな笑みを返してくれた。


「ええ、ダミーですがね。後ほど実際に義胎が置かれている部屋、胎育室をご案内いたしますが、安全管理上遠巻きにしか見れないと思うので」


「結構大きいんですね」


「人工子宮だけでは子供はできませんからね。胎児を育てる人工子宮部とそれに酸素や栄養を与える維持機構、異変を感知するセンサー類、そして非常用の電源部。これらがひとつの装置としてまとまったものを義胎と呼びます」


 医師がパネルを開き、内部構造を示す。


 車のエンジンみたいだ、と思った。


 人工子宮が収まる黒い円柱型の容器は全体の四分の一程度、残りの領域は栄養や酸素を送るだろうチューブやポンプ、胎児の発育状況を監視するセンサー類のコード、電力途絶時のための非常用電源が占めていた。


「多くの部分は維持部ですね」


「そうですね。人工子宮という生きた細胞から成る人工臓器を栄養し、その状態をモニターするにはこれくらいの大きさが必要になります。動かしてみましょうか」


 医師がいくつかのスイッチを押すと、維持部が稼働しはじめる。


 ローラーが回転し人工血管をしごくようにして人工血液に流速を与える。艶々のコーティングが施されたペールオレンジの人工血管は、血の赤色が透けて見えることで被膜された電気配線のようにも見えてしまう。


 人工子宮の収まった真っ黒な円柱から排出された暗色の人工血液は大小二つのカラムに順々に注ぐと鮮血色に変わり、他のルートから注がれる様々な栄養剤を加えられて人工子宮部へと戻っていく。


「維持部の役割は人工子宮と胎児に酸素と栄養を供給し、老廃物を取り除くことです。ローラーポンプは血液を循環させる心臓の役割を果たし、大小二つのカラムはそれぞれ肺と腎臓の役割を果たし、拡散原理によって酸素と二酸化炭素を交換し、尿素や過剰な電解質を取り除きます。血糖を一定値に維持し、酸塩基平衡の偏りを戻すため、モニター部からのフィードバックによって適切な量の栄養や輸液が供給されています」


 何度も説明を重ねているのだろう。医師の言葉は立て板に水を流すようだった。

 ややこしい説明を右から左へと聞き流し分かったようにうなずいていると、人工子宮が収まっている黒い円柱に重なるように人工子宮の3Dモデルが現れた。


 覆現コートだ。


 私が掛けている眼鏡型のデバイスが描く、現実世界に覆いかぶさり合わさる覆合現実。表示された人工子宮のホログラムは半分が切り取られて、内部が見えるようになっている。


「中はこのようになっています」


 教科書で見たような子宮が円柱の下部から生えるように収まっていた。

 長さは六、七センチ、幅は四センチほどだろうか。子宮の横からは左右三本ずつ血管とセンサー類のコードが伸びていて、内部に液体を蓄えた光沢のある半透明の膜が子宮を前後から支えるように包んでいる。


「結構小さいんですね」


人工子宮部の筒は頭を突っ込めそうなほどに大きいのに、中の子宮はこぶし大で残りの領域は水枕で占められている。


「これは妊娠前の状態です。人工子宮は黄体補充法によって増殖期の着床に適した状態に調整され、体外培養によって桑実胚にまで成長した受精卵を胚移植します。一〇日後に着床を確認したら、ホルモン補充によって胎児の成長を管理していきます」


 子宮が膨れると同時に、それを覆う水枕がしぼんでいく。最初はこぶし大ほどだった子宮が、高さ五〇センチほどの容器に一杯になるまで膨らんだ。


「子宮は胎児の成長に伴い大きくなり、それに合わせて子宮を支える人工腹膜は適切な圧を保ちつつ縮小し、出産までの間胎児と子宮を適切な圧で包み込みます」


 子宮がしぼみ、元の大きさに戻る。


「子宮の状態や胎児のバイタルサインは子宮に埋め込まれているセンサー類で二四時間モニターされます」


 薄ピンクの外殻の表面に張り付けられたモニターには、義胎の状態を示しているであろう様々な数値が映っていた。


「受精後四週以降からは定期的な超音波検査を、中期からはMRI検査を追加で行い、発育状況に寄り添った個別化医療が実現できるよう、血圧や人工血液のヘマトクリット値、血糖値、電解質、各種ホルモンを調整していきます」


 人工子宮の覆現コートがかすれるように消えていき、かわりに胎児の覆現コートが虚空に現れた。


「自然妊娠ではMRI検査は妊婦にストレスを与えますし、侵襲性の低い超音波検査は骨や脂肪に阻まれて詳細な描写が得られないことがあります。義胎妊娠ではそのような障害物もないので精密な覆現画像を生成することができます。今、表示しているのは受精後三八週、そろそろ産まれる頃の胎児です」


 宙に浮かぶ胎児を手に抱きかかえるとしっかりとした重みを感じた。胎児が可愛らしく笑みを浮かべたように思え、自然と私も微笑む。


「重みを感じますね」


 同じように胎児を抱いたツキミが感心したとばかりに声を発する。

 多知覚モデリングがされているのだろう。最先端のモデリング技術のはずだ。


「ええ。これが私たちのクリニックの売りなのですが、胎児体重や体温や心拍などのバイタルサインとリンクした多知覚覆現モデルをご両親に体感してもらえるようになっています。自宅でも職場でも我が子の成長を体感していただくことができるのです」


 へえ、とツキミが関心の声を上げる。

 まだ産まれてもいない子を抱けるのは、義胎を外から見たり、画像を眺めるのとは全く違う、子が育っている実感を与えてくれるものだった。


「義胎妊娠を躊躇する大きな理由のひとつが、我が子であるという実感が湧きにくいことですから。覆現モデルがあるからこのクリニックを選んだという方も多くいらっしゃいます」


「本当に自分の腕の中にいるみたい」


 ツキミが感嘆の言葉をつぶやき、リズムを取りながら体を揺らし腕の中の赤子をあやす。


「喜んで頂けたようでなによりです」


 医師はにっこりと笑い、「私からの説明は以上なのですが、なにか聞いておきたいことはありますか」と尋ねた。


「あの、義胎が子宮のクローンでないという話を聞いていて、それが不安なのですが」


 ツキミの質問。

 父から義胎について話を聞いた時に、彼女が一番心配していたことだ。


「それはつまり義胎が3Dバイオプリンティング法で作られていることが不安、ということですか」


 父からの受け売りだが、現代医学は依然として臓器の発生過程の再現には至っていない。クローンを作って臓器を奪うという倫理を無視したSF的解決策を除けば、現在実用化されている臓器の作り方は、3Dバイオプリンティング法、つまり細胞や基質、成長因子を層ごとに印刷し、レンガのように積み上げていく方法だ。


 ツキミが不安視したのは、こうして作られる人工子宮には母体由来の細胞以外にも、人工ポリマーや生体用セラミックといった異物が含まれることだった。


「確認なのですが、その情報はどちらでお知りになりましたか」


 ウェブの不確かな情報に惑わされているのではないかと疑ったのだろうか。医師の声色は若干警戒ぎみだった。


「私の父が産婦人科医をしているので」


 横から口を挟む。


「伯木というのですが」


 その一言を口にした瞬間、後悔した。


 偉大な父の影から外に出たいと、宗教学という医学とは真反対の学問を志し、姓まで変えたというのに、父の威光を我が物として使ってしまったことがたまらなく恥ずかしかった。


「伯木教授ですか。私も大学病院ではお世話になりましたよ。お元気ですか」


 医師の顔がほころぶ。


 小さいころから、父が優秀な医師であることは十二分に知らされていた。

 父が提唱した低酸素性虚血性脳症を未然に防ぐための予防的胎児移植は、今では標準治療のひとつとなり、そのリスク算出のための基準はホウキスコアとして教科書にさえ載っているらしい。


 出先で会う人々は、みな父のおかげで元気な子が産まれたと感謝し、隣にいる私に父と同じ医者を目指すのかと尋ねるのが常だった。

 昔は純粋に誇らしい気持ちを抱いていたその質問を嫌うようになったのは、自分が父ほど優秀でないと気付いた中学生の頃からか。


 結婚を機に妻の姓である住吉に合わせたのも、既に働いていたツキミが姓を変えるのは不便というのが表向きの理由だけれど、優秀な父の陰にいつまでもいたくないという拗ねた気持ちがなかったかと聞かれたら嘘になる。


「私の子どもが育つ子宮が私の子宮とは違う造りをしているということを考えると、なんだか嫌な気持ちになるんです。不自然というか」


 私が自らの些細な一言に自己嫌悪を抱いている間にも、ツキミは自分の不安を訴える。


「お気持ちは分かります」


 医師は傾聴してうなずき、


「ですが、義胎妊娠が不自然であるという考えには口を挟ませてください」


 と、「一般公演用の資料ですが」と断りを入れ、「義胎妊娠の歴史」とタイトル付けされた資料を覆現に共有した。

 タイトルの横に、カモノハシをモチーフにした義胎妊娠普及の公式キャラクターがポップに添えられている。


「ミチルさんは保育器というものを知っていますか」


「保健体育かなにかの授業で見たことがあります。未熟児を育てる機械ですよね」


 医師が「正解です」と手のひらでマルを作り、「医学的には低出生体重児と言い表すのが正しいですがね」と付け加える。


「一九世紀に新生児治療が始まって以来、より多くの新生児が救われるようになりました。孵卵器から発想を得て作られた保育器はアルコールランプで温水タンクを暖めることで木製の容器の内部を三七℃に保つことができ、体温も保持できず感染にも無防備な早産児はこの原始的な保育器を子宮の代わりに、正産児と同じように育つことができたのです。ですが二一世紀の半ばまで、妊娠二八週未満の超早産児の救命は難題のまま残り続けていました。特に妊娠二二週未満は生育限界、母体外で生命を保続することはできないと見なされていました」


 目前に早産児の生存率を表した折れ線グラフが映る。各国のデータをまとめたグラフはどれもこれも二二週に近づくにつれ数値が0%に近づき、そして二一週より早いデータは存在しない。


「彼らを救う上での最大の問題は未成熟な脳と肺でした。原始的な肺胞すら満足に作られていない彼らに肺呼吸は早すぎ、また外気の高すぎる酸素濃度は大脳皮質の正常な発達に悪影響を及ぼしました。当時の保育器は一九世紀の黎明期とは違い、人工呼吸器もバイタルモニターも動静脈ラインも備わっていましたが、結局は胎児に外呼吸を強いる母体外の環境でしたから。彼らを育てるには、外気ではなく人工羊水で胎児を包み、人工呼吸器ではなく人工胎盤によってガス交換を行う、子宮と同じような保育器が必要でした」


半透明の袋の中に入った羊の写真が表示される。


生体外子宮環境Ex Vivo Uterine Environment療法、EVE療法と呼ばれた最初期の人工子宮は羊による動物実験を経て、妊娠二一週から二四週の間に生まれた超早産児の標準治療として用いられるようになりました。組織工学や再生医学の発展によって、ポリエチレン製の袋は生きた細胞で出来た人工子宮に変わり、人工子宮を生かすための人工心肺腎システムが開発されました」


「それが今の義胎につながるんですか」


「そうとも言えますが直系の子孫とは違います。EVE療法はあくまで超早産児救命を目的としていましたから。超早産児の生育限界は一〇週台まで前進しましたがそれ以上には進みませんでした。進む必要がなかったとも言えますが」


 ポリ袋に包まれた羊の写真の次に表示されたのは、回転する試験管の中を浮かぶ胚芽のムービー。


「イスラエルで研究が進んでいた胚培養監視システムは胚芽の発達過程を解き明かし、これがEVE療法に結びついたことで、今の義胎が生まれたのです」


 当時のニュースが映る。義胎に対する世界の動揺を示す数々のニュースの中に、初デートで見たあの映画も入っていた。


 覆現の共有が切れ、目前にリアルの義胎の姿が戻ってくる。


「新しいテクノロジーが現れると、多くの人が否定的な反応を示します。保育器は最先端の医療として万博で展示されましたが、優生学が大きな影響力を持っていた時勢、保育器が当たり前のように使われるには年月が必要でした。生き延びるにはあまりに小さすぎると病院で見捨てられた子を抱えた親たちが、博覧会の見世物小屋で展示されていた保育器を頼りに駆け込む時代が長い間続いたのです」


 医師が「保育器で育つことはヒトの生から外れていると思いますか」と尋ねる。

 ツキミは首を振り否定する。


「そうです。保育器は不自然ではありません。小さく生まれることは、その子が死すべき運命であることを意味しません。ならば義胎も同じです。現代のカップルは過去数千年のカップルとは異なった環境下にあります。妊娠が、身体的、精神的もしくは社会的に困難であれば、義胎妊娠を選択することは当然のことです。人工母乳が母子間の愛情を損なわないように、義胎妊娠は親子の繋がりを破壊しません」


「そうなんでしょうか」


 ツキミの声は不安げだ。信頼していないとか疑っているとかではない。


 なにがただしいのか分からないという不安。


「これはあくまで提案なのですが、」と医師が切り出す。


「今週末、自助グループの会合が開かれます。義胎妊娠を迷っている方や出産を迎えるまで親になる準備をされている方、子育てに勤しんでいる方を交えて、互いに不安を共有し、解消するための会合です。そちらに参加してみませんか」


 ツキミは鼻頭をこすり、しばし逡巡してから「はい」と答えた。

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