最終話 心音フェチな彼女がたどり着いた究極の心音

「じゃあさ、俺たちが後ろでピースしてるよ。ツーショットがまずいならさ、それで良いでしょ? 別に高校に通ってれば男友達の一人や二人いるって皆分かる……」


 三人組は条件を色々と変えて土岐野に食い下がっていた。

 そこに俺は割って入るような形で登場する。


「おい」


「んだよ。土岐野さんに写真撮って欲しいなら順番守れよ」


 男たちの一人が、前のめり気味になって強い言葉を押し付けて来た。

 俺はそういうのではない。


 ないのだが、どう言って彼らを説得するのか全く考えておらず、困っている様子の土岐野をとにかく助けたいと思って飛び出しただけなので、すっかり行き詰まってしまった。


 沈黙がその場に居座っていた。

 誰もが困惑して言葉を発せずにいる。


 俺は俺自身を奮い立たせた。

 土岐野だって「心音フェチ」を俺に明かしてくれたんだ。きっと、これまでの日常の中で、少しでも何かがわかると信じて。


 俺だって、やって見せる。


「写真、やめてやれよ」


「は?」


「その手でハート作るやつ。嫌がってるだろ」


 声が震えて仕方がない。上ずっていて格好悪い。


「別に無理矢理じゃねえし。ってかこれくらい普通じゃね? 意識するから恥ずかしいんだよ。ほれ、ネットじゃみんなやってるぜ」


 そう言って彼らのうちの一人がスマホの画面を見せてきた。SNSの投稿一覧だ。やっぱり土岐野との写真をしっかり上げるつもりだったんじゃないか。

 憤ってくる。

 こんなやつら、こんなやつら……。

 俺の原動力が「怒り」に染まる。自然と言葉が紡ぎ出されていた。


「なら、俺とハートマークを作れ」


「は?」


 何言ってるの俺?


「俺が右手をやるから、あんたは左手だ。ほら、土岐野はスマホで俺たちを撮影して」


「え? あ、うん? どうしてそうなった?」


 疑問を抱くのは自然だ。三人組も誰一人納得していなかったが、案外彼らは提案すれば素直に従ってくれた。


 俺は人生で初めて手でハートの半分を作って写真に収まった。

 写り具合を男たちが確認していた。俺の心臓は、洗濯機のように回転しているのではないかと思えるくらい緊張で震えていた。口が渇く。


 そのうち男がため息をついて不満そうに舌打ちをする。


「あのなあ」


 まあ、この流れがおかしいと気づくだろう。


「お前、舐めてるだろ? この『ハートのぴかりんポーズ』をよ。全然なってない」

「何だよ。どこがおかしいんだよ」

「お前全然笑ってねえし。楽しそうじゃねえし。やり直しだ。もう一回手でハート作れ。しっかり笑え。楽しかったことを思い出せ。デビュー十七年の歌手のベスト盤ぐらいに厳選して振り返れ」


 予想外のダメ出しだった。


「おらっ! さっさとしろっ! はい、土岐野さんも俺のスマホ持って! しっかり撮影して! あと、さっきの俺の顔にしっかりピン置けてなかったから!」

「は、はいっ! 申し訳ございません!」


 こうして俺はこの後、五回のリテイクを食らって、ようやく三人組から解放されたのだった。写真はしっかりと俺にも共有された。




「うふふふ……ふふふふふ」


 さっきから俺の横で土岐野はスマホを眺めて怪しげに笑い続けている。


「これ、この写真、待ち受けにしたら面白いですよね。騒がれますかね?」


 俺は土岐野にせがまれて仕方がなくさっきの三人組との「ハートのぴかりんポーズ」の写真を送っていた。


「スキャンダルにはならないと思うが、みんなに心配されるぞ。精神状態を」


 冷静に指摘をしておいた。

 しばらく無言が続いてこの話の流れがキャンセルされた。大歓迎だ。さっさと忘れたい。


「……その、どうして声をかけたんですか。日常が脅かされるのは明らかだったのに」


 切り替わって、いきなり核心を突いた話をしてくる。


「何かさ、俺の心音を聞いていた時の君を見てるからさ、皆と写真を撮ったり話してる君がどうも、何というか……放っておけなくて」

「私はアイドルでモデルで声優なんですから、少しは無茶をしますよ」

「でも、時には『嫌だ』って言っても良いと思うんだ。俺たちは確かに決まった道を歩いてるのかもしれないけど、多少の脱線なら戻って来られると思うよ」


 何を根拠に言っているのかは自分でも分からない。

 多分に無理矢理な主張だとも気づいている。


 それでも俺はアイドルの土岐野と一緒に、心音フェチの土岐野がこの世界のどこかにいても許されると感じたのだ。


 軽薄な俺の主張。

 まともに土岐野は受けてくれたのだろうか。

 それとも聞き流されたのだろうか。

 確かめようと彼女の方を向くと、驚いたような表情がそこにはあった。


「あれ……?」


 土岐野は自分の胸に手を当てていた。何か異変が起きたらしい。弄るように色々な角度で手の平を押し付けている。


 しばらく彼女の動きは止まる。


 目を閉じて鼓動を確かめているようにも見えた。

 やがてゆっくりと目を開くと、俺の行く手を阻むように回り込んできた。


「お、おいっ!」


 制止する間もなかった。

 土岐野は俺の胸元に、抱きつくようにして密着してきた。

 学校から離れているとは言え、れっきとした往来だ。今この瞬間に誰がやって来るかも知れない。生徒も通るだろう。

 彼女を引き離そうとすると、俺の胸板の側でぼそぼそと囁く声が聞こえた。


「これですよ透流那さん。あなたの中で今……いや、あなたと私で、『黄金の心音』が奏でられています」


 土岐野は目を爛々と輝かせ、若干狂気の混じった笑みを浮かべながら言う。


「鍵は私の心音だったんです。なるほど……。盲点でした。あの電車の中で私が抱いた感情。それによって高鳴った鼓動。内から聞こえる自らの心音に、あなたの心音が共鳴した。それが『黄金の心音』だったんですね」


 しばらく土岐野は探し求めていた音を堪能していた。

 微笑ましく眺めながら俺はふと一つの疑問を抱く。


 あの電車で土岐野はどんな心境の中にいたのだろう。今この瞬間にどんな感情で胸を満たしていたのだろう。


 謎は今の段階で全く解けそうにない。

 でも、それで今はいいだろう。もしかしたら、土岐野から明かしてくれるかもしれない。


 そんな風に考えるのは甘えているだろうか?



 次の日からも基本的に日常は守られる。

 だが、いくつか変化した事柄もあった。


 一つは土岐野が満員電車で俺の近くを狙うような動きを見せ始めたこと。

 隙あらば俺の胸に飛び込んでこようとしてくる。俺も体臭のケアとか大変になった。通販サイトの履歴がメンズケア用品ばかりになっていた。


 あとは例の無礼な男子生徒三人組。彼らは上級生だったらしく、あれから頻繁に絡んでくるようになった。漫画やゲームを無理矢理貸して来ようとしたり、小銭を処理するとか言って自販機でジュースを買って俺に押し付けてきたり、帰りに皆で駅のベンチに座りテスト対策と称して俺に知識を自慢して来るのだ。


 本当に迷惑な奴らだ。


 お陰で少し学校が楽しくなってしまったじゃないか。


 土岐野とはそれからも月に一回ぐらいの頻度で心音を聞かせている。


 演劇部の準備室で、俺の心拍数が上がるような仕掛けを何度も試されていた。


「やっぱり、透流那さんの心音が一番の癒しですね。ああー。お店でも開きます?」


 全く愚かしいことを彼女は今日も今日とて囁いてくる。

 結局、「黄金の心音」とやらがどんなものなのか、俺には分からずじまいだった。

 土岐野の心音を自分の内で鳴らして、その上で俺の心音を聞く。その仕組みからして俺の耳がそれを捉えるのは不可能だった。


 それならばせめて「黄金の心音」に至った彼女の心音がどのようなものなのか知りたい。


 聞かせてもらう権利はあるはずだ。今度要求してみよう。


 その時の言葉は……。



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君の心音を聞かせて Garanhead @urongahara

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