第4話 心音フェチな彼女との、衝撃的な別れと強引な出会い
土岐野と並んで校舎を出て歩くと、彼女の存在感に驚く。
今までは「心音フェチ」を公言した美少女だったのだが、最終下校時刻が迫った今、彼女はカリスマ性を身にまとった美少女だった。
「あなたには驚かされますね。どうしてなんですか」
「何が……ですか?」
ついついこちらも丁寧に話してしまう。それほどに雰囲気が変わっていた。
「そんなレンタル料金を延滞して借りている猫のような話し方じゃなくても……まあ、無理もないですか」
どこか諦めを表すように笑う。
「どうして私について来たんですか。よりによって、その……『心音フェチ』なんて性癖を告げた私に」
何となく、ぼんやりだけど、言いたいことは分かってきた。
「だって、心音フェチですよ? そんな気色悪くて不気味で変態っぽい趣味に、どうして付き合おうと思ったんですか」
「特に断る理由もなかったから」
その答えは、そのまま俺の話の前置きとなった。
「中学から高校に入るまで、何かさ、あんまり自分の意思で何かしようって思ったことがないんだ」
どうしてこんなことまで彼女に話しているのか。冷静になると不思議だったが、そのまま続ける。
「この高校を選んだのだって、中学の親や先生がそうしろって言ったから。勉強しろって言われてるから今は勉強してる。きっと夏の終わり頃からは予備校に通うんだと思う。そんな風に親に言われたから」
「予備校? 大学受験ですか。まだ二年生ですよ?」
「普通は高校一年から通うんだって。先生も言ってた。だから少し遅いけど通う。こんな風にさ、誰にも逆らわず生きていくんだと思う」
これは自虐ではない。
変な感覚だった。
理解してほしいから、知ってほしいから、俺は土岐野に自分のことを話していた。
「だから断らなかったのかもしれない。君がどんな趣味でも、きっと俺は同じようにしたよ」
「それでは、本当の意味で私のことを受け入れてくれた訳ではなかったんですね」
「いや、その、そういうことではなくて」
「良いんですよ。悪気がないのは分かってますから。それに、私も似たようなものですし」
「似てる?」
「誰かに言われるがままに生きてるんです、私も」
そう言って彼女は何歩か前に進んで振り返ると、苦笑いをしてみせた。
「最初は雑誌のモデル。それからアイドル。声優もやりました。でも、どれ一つとして本当に自分からやりたいと思ったことなんて、実はないんです」
「え……?」
土岐野のその告白は衝撃的だった。彼女が心音フェチだという事実よりも、何倍も世間的には重要な事柄ではないだろうか。
「母親が私をモデルとして雑誌に紹介してくれて、それが好評だったから次々に色々な大人が声をかけてくれて、あれよあれよという間です。ありがたいことだけれど。でも、私は一度だって何かに『ノー』を突きつけたことはないんです」
夕焼けを背に話す彼女はどこか寂しそうだった。
「贅沢な悩みだと自覚してはいます。私の今の立場にたどり着こうと、必死で努力している人もいる。分かっています。だから、ますます嫌とは言えないんです」
「嫌なの?」
「嫌じゃありませんよ。楽しいですし、期待に応えるのは気分が良いです。品行方正で誰からも愛されるタレント。そういう風に生きていくんだなって思います」
スケールはまるで違う。でも、俺たちはどこか根本で同じ思考をしていた。
流されて生きていく。
それが最も効率的だから。
もし、悪い流れに乗せられているなら跳ね除けるのも可能だろう。
俺たちが身を委ねているのは、それとは違う。
「これから私はまた流される生活に戻ります。事務所のレッスンがあるんです。そして、明日が来ればまた同じように電車に乗って学校へ行って……」
「今日のようなことは、もうしないのか」
「出来ませんよ。確かにあなたの心音は胸に染み入りました。でも、自分らしさを解放して生きてみて、分かったんです。やっぱりどこか不安なんです。そう思いませんでしたか? この瞬間は土岐野巳玖と一緒に過ごせてきっと幸せでしょう。でも、明日も明後日も同じことを繰り返せますか」
言われてみて、そんな仮定に身を浸してみた。
毎日をこんな学園の有名人と過ごす。
各所から注目されて、色々と評判も立つだろう。良いものと悪いもの。しかし、そのどちらが降りかかってきても、平穏からは程遠くなる。
「だから、私は私の毎日に戻り、あなたはあなたの日常に帰る。それが一番なんです」
釈然としない。けれども、切り返す言葉はどこにも見当たらなかった。
「最後に一つだけ」
そう述べる彼女の笑みはすっかり雑誌やネットで見るようなものに変わっていた。見惚れてしまう。
「誰かの心音を聞いたのは今日が初めてでした」
「え?」
「あんな風に誰かに私の心音を聞かせたのも、初めて」
どこからか吹く風が言葉の響きを歪ませる。
「楽しかったです。いつもは一人で聞いていただけの心音が、全然違うものに感じました。それだけで、もう十分」
そう言い放つと、土岐野は走って校門まで向かってしまった。
土岐野の言うように、翌日から日常が戻った。
朝も土岐野はいつもの電車に乗ってきた。時間帯をずらすとか、車両を変えるとか、そんな方策は取らないようだった。
戻ってきた日常。しかし、何もかもが元通りにはならなかった。
電車から降りた後の通学路でも、学校にいても、土岐野のことが目に入った。
別に追っていた訳ではない。
賑やかな所に目を向けると、そこには必ず土岐野が中心にいるのだ。
彼ら、彼女らの会話も聞こえる。
「今度の映画、楽しみにしてます」
とか。
「共演してる俳優さんって、オフではどんな感じなんですか」
とか。
何でそんな下らないことが気になるんだ。
耳にするたびに俺は胸の中で呟いていた。
きっとこれは今に始まったことではないだろう。
今まで俺は意識していなかっただけなのだ。
さらに気がついた事実がある。
誰一人として土岐野本人についての話をしていない。話題に上がっていたのは、新作映画や共演している俳優やモデル業界のことだ。
そして、皆は会話の終わりに必ず写真を撮る。
きっとSNSに上げるのだろう。
撮影ボタンがタップされるその一瞬に、土岐野の笑顔が鮮やかに作られる。
俺には不自然に映っていた。
昨日のように笑ってない。
でも、これが土岐野巳玖という人間の道なのだろう。
有名人だから注目されるのは仕方がない。人に囲まれるのもある程度は許容されるべきだろう。時と場合にもよるけれど。
しかし、俺は毎回のように目にする写真撮影の場面にはもやっとする。
初めは違和感のみだったが、段々と度を超えていると思うようになる。声をかけて助けたくなる場面もあった。
それでも、思うだけだけだった。
そんなことをしたら、俺の日常は大きく変化してしまう。
土岐野だって困るはずだ。彼女の生活は台無しになってしまう。
それだけがただ怖くて、俺はいつものように土岐野を眺めるだけの日々を送る。
器用に満員電車へと乗れない彼女をもどかしく見つめる。
登校中はどこを歩いていても人に囲まれて、話しかけられれば軽く笑顔を作って対応する。
そして、おまけのような写真撮影。
その日も授業が全て終わり、俺は校門の辺りに土岐野を見つけた。
立ち止まって誰かと話している。
ああ、またか。うんざりするのにも慣れてきた。
異変を察知した。
土岐野を取り巻く人たちはこれまでと様子が違う。
今までは女子と男子の比率が半分くらいだった。この瞬間、彼女の周囲に集まるのは男だけ。皆、背が高くて制服を思い思いに着崩している。絶対に俺だったら関わり合いになりたくない類のやつらだ。
長いこと話をしている。
俺は自然と足が向いていた。
「どこにも上げないんだよ? だから、手で半分だけハートマーク作ってさ、そしたら俺がもう半分のハート作るから、それでこうやって、ぴったり合わせて綺麗なハートを作ろうよ」
男は胸の前で両手を使い、ハートの形を作りながら熱弁していた。
「いえ、その……ええと、昨日のレッスンで手を怪我してしまいまして、指をあまり曲げたりしないでってマネージャーが」
土岐野は笑みを絶やさないようにやんわりと断り続けている。
「えっ、怪我? ヤバっ! 大丈夫なんですか? 右手? 左手?」
「ひ、左……が少し痛いかなってくらいです」
「じゃあ俺がこっちに立つからさ。右で! 右でハートの半分を作ってよ」
何と厚かましい連中だ。
土岐野とツーショットで写真を撮ろうと交渉をしているらしい。しかし、これは実質的な強制だろう。
周囲には止める人たちもいない。
俺が、割って入るしかないのか……?
しかし、そんなことをしたら、俺の日常も彼女の日常も安全な軌道を外れてしまうだろう。
迷った。
しかし、胸の奥から湧き出てきたのは、ある一つの事実だった。
あの日、土岐野は俺に「心音フェチ」をカミングアウトした。
そのために人気のない場所を選んで、何ヵ所も何ヵ所も巡り歩いたのだ。誰にも聞かれたくなかったからと彼女は説明していた。
でも、今にして思えばそれは嘘だろう。
彼女は迷っていたのだ。
今の俺と同じように、自分の前に引かれているレールから外れるかどうかを悩んでいた。その時間稼ぎに色々な場所をうろついたのだ。
その末に土岐野は決断したじゃないか。
思い込みかもしれないけれど、そんな予感がしてからは胸が高鳴り始めた。
すぐさま、彼女に教わった「真呼吸」で鼓動を落ち着かせる。
俺だって……。
決心を固めて土岐野の元へと歩み出した。
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