番外編2 アリシア様の初めて

【オズリンド邸 食堂】


これは俺がまだ、アリシア様の専属使用人になったばかりの頃の話だ。

 昼食を終えたアリシア様は、不意にこんなことを訊ねてきた。


「ねぇ、グレイ。貴方って、何か好きな食べ物はあるの?」


「好きな食べ物、ですか?」


 急にそんな事を言われても、何も思いつかない。

 貧しい出身の俺の人生において、食事に好き嫌いを言う権利なんて存在しなかった。

 だからまともな食べ物なら、なんでも好きだと言えるが……


「うーん……ええっと、その……特に好き嫌いはありません」


「……そうなのね。貴方らしいと言えば、らしいけれど」


「あの……」


「なんでもないわ。ただの興味本位だから気にしないで」


 そう答えて黙り込んでしまうアリシア様。

 それなら構わないと、俺もこの時は気にも留めなかった。

 しかしこの日の夜、俺はアリシア様の真意を知る事になる。


【オズリンド邸 食堂前の廊下】 


 夜の帳が下りて、静まり返るオズリンド邸。

 普段の日課である剣の鍛錬を終えた俺は、水分補給のために食堂へと向かおうとしていた。


「今日は少し、集中しすぎちゃったな」


 もはや日付が変わるほどの時間。

 使用人たちもほとんど寝静まっており、恐らく厨房には誰もいない。

 そう思っていたのだが、食堂の前までたどり着くと……扉の隙間から明かりが漏れていることに気がついた。


「……シェフさんが明日の朝食の仕込みでもしているのかな」


 ゆっくりと近付いて、食堂の中を覗き込もうとした瞬間。

 突然、中から聴き慣れた声が聞こえてくる。


「ふふふっ……いよいよ、この時がやってきたのね」


 この声はアリシア様か……?

 剣の鍛錬に向かう前に寝かしつけたはずなのに……こんな時間に食堂で一体何をしているのだろうか。

 俺はそのまま息を潜めて、中の様子を窺った。


「グレイったら、本当に鈍感だわ。このワタクシの計画に気付かないなんて」


 どうやらアリシア様がいるのは、食堂ではなくて奥の厨房だ。

 そして包丁を手に持ちながら、怪しい笑みを浮かべている。


「ゲベゲベ、貴方には特別に見せてあげる。このワタクシの初めて……」


「……」


「……のお料理をね?」


 アリシア様がそう話しかけたのは、調理台の上に置かれたコック帽姿のゲベゲベ。

 よく見ればアリシア様もネグリジェの上から、愛らしいピンクのエプロンをしている。

 しかし、あのお嬢様が本当に料理なんて出来るのか……?


「え? 本当に料理なんて出来るのか……ですって?」


「っ!?」


「ゲベゲベ、それはあまりにも失礼よ」

 一瞬、俺の心の声に反応したのかと思ってドキッとしたが、どうやらゲベゲベとの会話だったようだ。


「ワタクシを誰だと思っているの? オズリンド家の令嬢、アリシア・オズリンドよ」


 胸に手を当てながら、ゲベゲベに向かって啖呵を切るアリシア様。

 その自信満々な表情は、もはやドヤ顔に近い。


「見ていなさい。明日、グレイをあっと驚かせる朝食を作ってみせるんだから」


 まさか、アリシア様……

 俺に食べ物の好き嫌いを質問したのは、このためだったのか……?


「使用人の分際で、いつもいつもこのワタクシを幸せな気持ちにして。本当に生意気な使用人だわ。だから、今度はワタクシがグレイを喜ばせるのよ」


「……」


 俺はその言葉を聞いて、そっと食堂の扉を閉めた。

 ご令嬢がたった一人で料理をするなんて、危ないから止めるべきだろう。

 でも俺には、アリシア様のお気持ちを無下にすることなんて出来ない。


「それじゃあまずは肩慣らしに、ゆで卵から作ってみるわよ。茹でるのにはフライパンを使って、殻を剥くのは包丁を使えば大丈夫そうね」


 食堂から離れる時、そんな声が聞こえた気もするが……

 ゲベゲベ、お前が俺の代わりにアリシア様を守ってくれよ。


【オズリンド邸 グレイの自室】


 コンコンコン。

 早朝、まだ日が登ったばかりの朝焼けに、俺の部屋の扉がノックされる。


「ふわぁ……はい、今開けます」


 寝ぼけ眼を擦りながらベッドから起き上がる。

 そしてそのまま扉を開くと、そこにはアリシア様が立っていた。


「お、おはよう……いい朝ね」


 どんよりとやつれた顔。

両目の下にクマを作り、精根尽き果てているといった様子のアリシア様の両手には、料理を乗せたトレイが握られていた。


「おはようございます。えっと、それは……?」


「た、たまには……料理をしてみるのも悪くないと思ってね。その、早起きしたから暇潰しに作ってみたんだけど……」


 トレイに視線を落とすと、そこにはキレイな形のオムレツ。

 それにケチャップで描かれたハートマークのおまけ付きだ。


「わぁ、凄いじゃないですか!」


「え、えへへへっ……そうかしら? まぁ、この程度は簡単だったけどね」


「……」


 照れくさそうにはにかむアリシア様だが、果たしてこの一皿を作り上げるためにどれだけ苦労したのか……考えるだけで涙があふれそうになる。


「じゃあ、頂いてもよろしいでしょうか?」


「もちろんよ。あっ、でも……」


 俺がオムレツの皿が乗ったトレイを受け取ると、アリシア様は後ろ手を組みながらもじもじそわそわとし始める。

 それから上目遣いに俺の顔を覗き込むと、小さな声で呟いた。


「貴方が、どうしてもって言うのなら……ワタクシが食べさせてあげても、いいのよ?」


「……はい。じゃあ、どうしてもとお願いします」


「ふ、ふふっ……! もうっ、グレイったら! 本当にしょうがないんだから!」


 アリシア様はパァッと眩しい笑顔を浮かべると、俺の部屋に入ってくる。

 そして、スプーンを手に取ると……


「はい、あーんっ♡」


 世界中の誰よりも可愛いデレデレ顔で、俺にオムレツを食べさせてくれたのだった。

 ちなみに、肝心な味については……


「……アリシア様」


「どう? 美味しい?」


「私は、アリシア様を愛しております。何があろうとも、絶対に……」


「もうっ♡ ばかっ♡ そんなに喜んでくれるなんて♡ じゃあ、どんどん食べさせてあげる♡ なんならおかわりだって作ってあげるんだから♡」


「…………とにかく俺はアリシア様が大好きです」


いつか、機会があったら話すことにしよう。

 


※※※※※※※※※※※※


出版前の改稿作業などで、中々更新を挟めずに申し訳ございません。

ガガガ文庫様より7月19日に発売される本作ですが、

すでに書籍の予約受付が始まっております。

各種書店様は勿論、密林などの通販サイトでもご予約が可能ですので、

是非ともご予約くださいまし……! くださいまし……!

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