第74話 ハァ……ハァ……取り消しなさいよ、今の言葉
【オズリンド邸 グレイの自室】
何の脈絡もなく、俺の部屋に姿を現した王位継承権第3位……レイナ様。
彼女が発した予想外の言葉でアリシア様は硬直していたが、すぐに平静を取り戻したように口を開いた。
「レイナ様が、ワタクシと継承戦を……ですか?」
「そう。面白そうでしょ?」
ぴょんっとベッドから飛び降りて、レイナ様が一歩前に歩み出る。
桃色のふわっふわの癖毛。顔立ちは数多くの美女を見てきた俺でも、思わず唸ってしまいそうになるほどの可憐さだ。
服装は三角のトンガリ黒帽子に……胸元、へそ、ふとももの辺りが大きく開いている露出度高めの魔法衣。
外見年齢は14歳くらいだろうか。でも、ナザリウス陛下の娘なら……いや、あの若作り陛下ならなんでもアリそうだよな。
「戯れはおやめください、レイナ様。貴方ほどの人が、どうして15位のワタクシなんかに継承戦を?」
「なんで? どうせ最後は最終戦になる。低順位の継承者を狩るのは上位陣の役目」
「それはそうですが……」
わざわざ3位の人間が動く必要はないはずだ。
アリシア様はそう言いたいようだが、レイナ様は真顔で言葉を続ける。
「もしかして嫌なの? 貴方達、結婚の為に上位10位以内を狙っているんでしょ?」
「「!!」」
俺とアリシア様は揃ってギョッとする。
どうしてその事をレイナ様が知っているんだ?
「レイナを倒せば、一発で願いが叶う。躊躇う理由……見当たらない」
「それは勝算がある場合の話でしてよ」
俺はレイナ様についてほとんど何も知らない。
しかし、継承順位3位というだけでも……彼女がどれほどの強敵なのかは分かる。
「……案外弱気なんだね」
「強気になれる理由の方がないでしょう?」
「でも、貴方がどう思おうと関係ない。レイナが勝負を挑んだら、貴方は断れない」
そう。継承戦は上の順位から挑まれた場合、下位の者は断る事が出来ない。
断るのなら、継承権を失う事になってしまう。
「……どうしても、ですか」
「うん。あ、でも……ひとつだけ条件がある」
顎に手を当てて、んーっと唸るレイナ様。
「レイナには騎士がいない。だから、勝負内容を……レイナと貴方の魔法比べにしたい」
「は?」
アリシア様の目が再び大きく見開かれる。
そしてすぐに両手を顔の前に上げて、降参のようなポーズで首をブンブンと左右に激しく振り始めた。
「む、無理ですわ……!!」
「アリシア様?」
いつも強気なアリシア様が、挑まれた勝負に即白旗というのは珍しい。
いくら相手が上位だからって……
「グレイ、レイナ様はお師匠様と同じ【七曜の魔導使い】なのよ? 今のワタクシでは、どう足掻いたって勝てる相手じゃないの」
「七曜の魔導使い!? こんなに若いのに……」
「ぶいっ。ぴちぴちの13歳」
勝ち誇ったようにピースサインをして、歳不相応な大きな胸をばるんと揺らすレイナ様。
すごい……スズハ様何人分の破壊力なのだろうか。
「前任の【七曜の魔導使い】を圧倒して、史上最年少でその座を奪ったとか。お師匠様から、レイナ様の恐ろしさは十二分に聞いているわ」
「アドルブンダ……そんな事を。今度会ったら、髭を全部……引っこ抜く」
ぷくーっと頬を膨らませて、レイナ様がジト目になる。
こうして見ると普通の少女なのに、それほどまでに強いのか……
「レイナ様、もっと他の勝負は……」
「なんで? じゃあ、レイナと騎士の勝負でもいいよ?」
「「!!」」
俺がレイナ様と戦う?
いや、単純な戦闘においては俺の方が勝率は高いかもしれないな。
「分かりまし……」
「でも、それでいいの?」
「え?」
俺が名乗りをあげようとするのを制して、レイナ様がチラリとアリシア様を見る。
その顔にはあからさまに侮蔑の感情が色濃く映し出されていた。
「アリシア。貴方、いつも彼に頼りきりだね」
「……っ!?」
「グラ……グ、グラ……グラタン?との継承戦も怯えるばかり。ドラガンとの戦いでも、重傷を負って死にかけたのは彼だけ」
「……!」
煽るようなレイナ様の淡々とした言葉に、アリシア様の表情が変わる。
「いくら好きだの愛しているだの言っても、相手はただの平民。貴方自身が命を掛ける価値はないってことでしょ?」
「ハァ……?」
「所詮、貴族の戯れ。こんなのただの【恋愛ごっこ】だよ」
「ハァ……ハァ……【恋愛ごっこ】?」
プルプルとアリシア様が震える。
歯を強く噛み締めながら、ピクピクと額に青筋を浮かべていた。
「取り消しなさいよ、今の言葉……!!」
「ダメですアリシア様!!」
ヤバい雰囲気を感じ取り、俺はアリシア様を引き留めようとする。
しかし、俺が足を動かそうとした瞬間。
「!?」
ビリッと体に電流のようなものが走る。
それと同時に、全身が金縛りにあったように動けなくなってしまう。
「なっ……!?」
見ると、レイナ様が俺の方に右手の人差し指を向けていた。
何か魔法を使われて、動きを封じられたのか!?
「ワタクシ達の関係は【恋愛ごっこ】なんかじゃないわ!!」
「どこに間違いがあるの?」
「ワタクシは……! ワタクシは本気でグレイを愛しているのよ!!」
「ふーん? 愛している、ね。その割には【彼の変化】に気付いていない」
「……え?」
「断言してあげる。今のままだと、貴方は近い内に彼を失う」
そう言って、レイナ様はパチンと指を鳴らす。
すると彼女の足元を中心に、大きな魔法陣が広がっていく。
「その意味を知りたいのなら。貴方が本気で彼を愛していると証明したいのなら。レイナに勝ってみせて」
瞬間、雷鳴の音と共に部屋中が白い光に包まれる。
その眩しさに俺達が目を覆い隠し、しばらくして目を開くと……そこにはもう、レイナ様の姿はなかった。
「…………」
「アリシア様、ご無事ですか!?」
レイナ様が去った事で体の自由を取り戻した俺は、すかさずアリシア様に駆け寄る。
「ええ、大丈夫。気にしないで」
「でも……」
「いいの。本当に大丈夫だから……ね?」
アリシア様はそう言いながら、俺の胸に飛び込んでくる。
「……レイナ様の言う通りなのかもしれないわね」
「いえ、そんな事は!!」
「ううん。これはグレイが決める事じゃないの。ワタクシ自身の心の問題だから」
「……っ」
「自分が貴族の地位にいるからと言って、ワタクシは驕っていたのかもしれないわ。恋人同士である以上、ワタクシ達は対等のはずなのに」
「…………」
「ねぇ、グレイ。ワタクシ、決めたわ」
俺の胸に置かれた手が、ぎゅっと握りしめられる。
そしてアリシア様は、決意を秘めた強い表情で……俺の瞳に目を合わせる。
「レイナ様に勝って……貴方に相応しい女だと証明してみせる。そうしたら、結婚しましょう」
「アリシア様……」
こうして、アリシア様はレイナ様の勝負を受ける事を決めた。
しかし、その決断が俺達を大きく引き裂く事になるなんて……
この時の俺達は、夢にも思っていなかった。
【ヴォルデム魔導学院 理事長室】
ヴォルデム魔導学院。
その理事長であるアドルブンダは困惑していた。
「ぶちぶちぶちぶち」
「いたたたたたっ!」
執務をこなしていると、突然目の前に転移魔法でレイナがやってきた。
しかもその後、間髪入れずに自分の髭を引き抜き始めたのだから。
なんというご褒美……ではなく、嫌がらせであろうか。
「どういうつもりじゃレイナ。学院の厳重な結界魔法をくぐり抜けて、わざわざ空間跳躍してくるとは」
「あの程度で厳重? 老いぼれて魔法の腕がどんどん劣化しているんじゃない?」
髭を抜く手を止めて、レイナは呆れたように呟く。
アドルブンダとしても反論したいが、実際にレイナは難なく結界を通過しているので文句は言えない。
「しかし珍しいのぅ。お前が儂に会いに来てくれるとは」
「まぁね。アリシアに会ってきたついで」
「アリシアちゃんに? という事はまさか……」
「うん。継承戦を持ちかけてきた」
「やはりか。それで、アリシアちゃんの返事は?」
「嫌がっていたから、挑発しておいた。多分、乗ってくる」
計画通り、という表情でレイナがニヤリと笑う。
そんな彼女の黒い笑みを見て、アドルブンダは深い溜息を漏らした。
「はぁ……レイナよ。なぜ、そんな事をする?」
「なぜ? 質問の意味が分からない」
「お前は以前、ワシに話してくれたじゃろう。あの日以来、お前は……」
ギロリと鋭い眼光でレイナを射抜くアドルブンダ。
重々しい空気が漂う中、彼は衝撃的な言葉を続ける。
「アリシア×グレイのカップリングが大正義じゃと言っておったじゃないか!!」
「えへへへへ♡ うんっ、あの二人しか勝たん♡」
頬に手を当てて、ぐねぐねと体を揺らすレイナ。
その顔は喜色満面。とても満足げだ。
「始まりは、兄上に無理やり連れて行かれた舞踏会」
「……そこでアリシアちゃんを庇うグレイ君を見たんじゃったな」
ファラとリムリスと問題を起こしたアリシア。
彼女を庇うように、その本意を通訳したグレイ。
「その後の、月明かりの下での二人きりのダンス……アレでご飯百杯はいけるね」
ダンスを踊れない不器用な平民と、それをリードする高慢ちきな令嬢。
それを目にした瞬間、レイナはすっかり二人の虜になってしまったのだ。
「いくらワシの弟子じゃからって、そこまで観察しておったとは」
「なんかこう、ビビッと来たから。あの二人……特にグレイ様が本当にたまんない」
「だったらなぜ、継承戦を挑んだのじゃ? お前が勝てば二人の関係は終わるし、かといってお前が負ければ二人はゴールインなんじゃぞ?」
いわばこれは、グレイとアリシアの恋愛関係に決着を付ける行為だ。
「もしや、二人の為に自らの継承権を犠牲にするつもりか?」
「ううん、違う」
「なんじゃと?」
「レイナはね、あの二人……特にアリシアにはもっと試練が必要だと思う」
「……たしかに、ワシの目から見てもあの二人は危うい。共依存しあっておるが、その負担の多くはグレイ君にばかりかかっておる」
立場上仕方ないのかもしれないが、地位の低いグレイがいつも苦汁を舐めている。
いや、ペロペロ舐めているのはアリシアの方ではあるし、ある意味ご褒美なのかもしれないが……
「それに、レイナ的にアリシアの方が最近ちょっとだらしない。思わずスズハ×グレイに浮気しそうになるくらいには」
「そ、そうなのか……?」
「あと、このまま勝ち進んでも……いずれグレイ様は誰かに負ける。そうならない為に必要なのは……」
「アリシアちゃんの強化というわけじゃな?」
「そう。師匠がこんなクソ野郎だから、アリシアは真面目に修行しようとしない。だから、レイナがあの子に厳しい現実を……絶望を叩きつける」
そう言うレイナの顔は、先程までのカプ厨のキラキラモードから一転。
七曜の魔導使いの座に相応しい威厳のある表情へと変わる。
「二人の輝かしい希望の為の踏み台になるのが、レイナの役目。その為なら、レイナは鬼にも悪魔にだってなれる」
「……そうか。ならばワシは何も言わん」
「じゃ、そういうことで」
パチンと指を鳴らし、雷鳴と共に再び転移魔法を発動させるレイナ。
そしてただ一人きりになったアドルブンダは、ヒリヒリとする顎を撫でながら……
「ほっほっほっ。さて、アリシアちゃんの為に修行プランを立てておくとするかのう」
もうじき、慌てて部屋に駆け込んでくるであろう可愛い愛弟子の顔を想像し、口元を緩めてしまうのだった。
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