第30話 ワタクシの騎士を舐めないで【後編】

【オズリンド邸 二階 バルコニー】


 夜空に美しい星々が輝き、心地よい風が頬を撫でる。

 そんなバルコニーに立ちながら、抜き身の剣を見つめているマイン。


「こんな場所で何をしているの?」


 星の光を反射させるその刀身に、星すらも霞むほどの美少女が映り込む。

 マインが振り返った先には、この屋敷の令嬢であるアリシアが立っていた。


「ここはお気に入りの場所なの。自殺するなら、他の場所にして」


「……お戯れを。そのようなつもりはございません」


 マインは剣を鞘に戻し、アリシアに一礼する。

 すでに昼間の決闘によるダメージは抜けているらしく、その動きに淀みはない。


「あらそう? 随分と思い詰めていた顔をしていたから」


「そんな事よりも……私に何かご用でも?」


「ええ、そうね。一応、確認しておこうと思って」


 アリシアはバルコニーの手すりに手を置き、気持ちよさそうに夜風を浴びる。

 そして彼女は視線を夜空に向けたまま、マインに質問をぶつけた。


「随分とグレイに恨みがあるようだけど、それはなぜ?」


「……気になりますか?」


「当然でしょ。グレイはワタクシの大切な騎士なんだから。彼に関わる事はちゃんと頭に入れておかないとね」


「…………」


 マインは押し黙る。

 適当な嘘を吐いて誤魔化すのは簡単だろう。

 しかし、果たしてそれでよいものか。

 アリシアは自分を庇い、あの醜悪な使用人達を処分してくれるような人だ。

 そんな彼女を騙し、逃げるのはマインの心情的に許せない。


「分かりました。順を追ってご説明しましょう」


「お願いするわ」


「……私は、代々有力な騎士を排出する名門の家系に生まれました。祖父も父も、銀騎士として貴族に仕え……その名誉は広く知れ渡っているほどです」


「ワタクシも聞き及んでいるわ。どの方も優れた騎士ばかりだと」


「私はそんな父達に憧れ、幼少の頃から騎士を目指して来たんです。しかし、家族の誰一人として……そんな私を応援してはくれませんでした」


 瞳を伏せ、拳をギリギリと握りしめるマイン。


「お前の役目は騎士になる事ではなく、強い男を産む事だ。何度もそう言い聞かされ、私が剣を握る度に……両親は私の事を貶しました」


「……」


「ですが、そんな私をとある騎士が認めてくださったんです。父の古い友人で、騎士学校で教鞭を振るっていた……元金騎士の方です」


「金騎士……!」


「彼は私の剣の才能を認めてくれて、立派な騎士になれると褒めてくださって。私は……あの方の期待に応えたかった」


「応えたかった……?」


「………全ては、あの入学試験の日」


 そしてマインは語り始める。

 彼女がグレイを恨み、憎むようになったきっかけを――


【数ヶ月前 とある病院】


「エドム様!! ご無事ですか!?」


「おお、マインか。よく来てくれたね」


 王都のとある病院の一室。

 そこに息を切らしながら飛び込んできたマインを見て、ベッドの上の男性……エドムは優しい顔で微笑んだ。

 しかしその表情とは裏腹に、彼の体には痛々しい包帯が巻かれていてた。


「なんておいたわしい……! どうしてそのようなお姿に!?」


「……マイン。よく聞いて欲しい」


「は、はい……」


「私はもう、騎士学校の教員を降りる事にした」


「え?」


「昨日行われた実技試験。君も覚えているだろう?」


 勿論、覚えている。

 教員と受験者が戦い、その実力を示すという試験だ。

 マインは幸運にもエドムと戦えるグループ分けとなり、自分のこれまでの努力全てを彼にぶつける事が出来た。


「君はとても強くなった。私が数年ぶりに本気を出したほどにね」


「……ありがとうございます。しかし、結果は惨敗でした」


 あの手この手でエドムを攻めたマインだが、結局はかすり傷1つ負わせる事は出来ずに終わったのだ。

 しかし、自分のよりも先に試験を受けた者は全員秒殺されていた事を思えば……彼女がいかに健闘したのかが伺い知れる。


「ああ、そうだろうとも。老いたとはいえ、私は元金騎士。現役の騎士ならともかく、生徒候補にはまだまだ負けない……そう思っていたよ」


 そしてエドムは遠くを見つめるように、窓の外へ視線を向ける。

 その言葉、その行動で。マインは彼が何を言いたいのかを理解してしまった。


「まさか……負けたのですか?」


「ああ。君の試験が終わった後、最後に戦った相手にね」


「馬鹿な!? ありえませんっ!!」


 彼女は思い出す。たしか、自分の班で最後に残っていたのは……騎士の家系でもない、どこか冴えない顔の少年だった。

 ピリピリした試験会場で呑気に笑顔で挨拶して来たので記憶に残っている。


「事実だよ。君は私が気絶させていたから、見られなかったかもしれないが」


「それで……そのような怪我をっ!」


「おっと、勘違いしないでくれ。これは私がムキになって、しつこく食い下がってしまった結果だよ。彼の合格は明白だったというのに」


 そう答えて、エドムは自分の傷口にそっと手を添える。

 その顔には微塵も、負の感情は浮かんでいない。


「彼はいずれ、誰よりも強い騎士になるだろう。そう思った時……私はおのずと剣を置く事を決めたんだ」


「なぜです!? まだまだ、エドム様なら……!」


「私は君が思っているよりも小さい男なのさ。自分よりも強い男に指導するなんて真似は、プライドが許さない。だから、私は彼に夢を託す事にした」


「夢?」


「平民の出身者が金騎士となったケースはある。しかし【王位継承戦】を勝ち残り、主人を王座へ導いた者は一人もいない。だが、彼ならば……きっと」


 そう語るエドムの瞳には、確かな輝きがあった。

 それは今まで、ただの一度も……マインに向けた事の無いものだった。


「マイン、君には間違いなく才能がある。だが、決して彼には勝てまい」


「……っ!!」


 恐らくそれは、エドムなりの気遣いだったのだろう。


「……君は女だ。道はまだ他にもある」


 自分のように、少年の才能を前に心を折らないように。

 あるいは「挫折を乗り越えろ」と、発破をかけようとしたのかもしれない。

 しかし、いずれにせよ。

 それはマインにとって、エドムから最も聞きたくない言葉であった。


「し、失礼します……!!」


 堪えきれず、マインは病室を飛び出した。

 溢れ出そうな涙を堪え、叫びだしそうな声を必死に飲み込んだ。


「(違う……! エドム様は、私に期待してくださっていた!!)」


 女である自分に、今まで見た誰よりも才能豊かだと言ってくれた。

 祖父や父を超える騎士になれると太鼓判を押してくれた。

 だが、そんな彼が今や……例の少年の事しか見ていない。

 もはや、マインの事など眼中に無いと言うかのように。


【騎士学校 とある教室】


 あれから一ヶ月。騎士学校の入学式。

 当然の如く合格となっていたマインも、その場にいた。

  

「……」


 彼女はあれから毎日のように悩み、苦しんだ。

 そして遂に決意した。

 今はまだ届かなくても、実力が劣るとしても。

 在籍中に例の少年を追い越せば良い。

 そうすれば……自分こそが本当の一番なのだと証明すれば、きっとエドムは再び自分の事を見てくれるはずだ。

 そう、思っていたのに……


「…………いない?」


 教室にあの少年の姿がない。

 しかし、すでに教室の席はすでに全て埋まっている。

 これは一体、どういう事なのか。


「あの、教官殿! 質問してもよろしいでしょうか?」


「ん? どうかしたのか、イグナイテ?」


「はい。その、私と同じ班で試験を合格した者が……まだ、来ていないようなので」


「お前と同じ班の合格者? ああ、グレイ・レッカーの事か」


 教官は思い出したようにポンッと手を叩いた後、すぐに口元を歪めた。


「たしか、そいつは入学しなかったよ」


「えっ……」


「どうやら入学金が払えなかったらしい。まったく、これだから貧乏人は困るよな」


「入学金が、払えない……」


 理由なんかどうでも良かった。

 大切なのは例の少年……グレイが入学しなかったという事実。

 彼のせいで憧れのエドムが教職を退き、自分は指導を受けられなくなったのに。

 彼がいなければ、自分は二度と……彼よりも上だと証明する機会を得られないのに。


「そういうわけだ。まぁ、試験ではすごかったという噂だけどな。どうせ貧乏人が騎士になっても大した事ないさ。ハハハハハ!」


 下品な笑い声を上げて、去っていく教員。

 だが、もはやマインの目にそんな汚物は映っていない。


「グレイ……!! グレイ・レッカー……!!!!」


 失意の奥底から、メラメラと激しい怒りの炎が浮かび上がってくる。

 許せない。許せない許せない許せない許せない!!


「いつか必ず、思い知らせてやる……!!」


 こうして、グレイの知らないところで恨みの火が燻る事となった。

 その火の粉がグレイに降りかかるのは……まだ少し先の話である。


【現在 オズリンド邸 バルコニー】


「はぁ? 完全に逆恨みじゃない」


 マインの話を全て聞き終えたアリシアが開口一番に呟いたのは、そんな呆れの言葉であった。


「……勿論、そんな事は分かっております。ですが、どうしても私は抑えきれなかった! この怒りも、憎しみも……全部!」


「……」


「ですが、そんな怒りを持って……ようやく奴と戦えると思ったのに。結果はご覧の通りでした。やはり、エドム様は正しかったのでしょう」


 自嘲めいた笑みを浮かべ、首を振るマイン。


「あの男の才能は凄まじい。女である私なんかでは、とても……」


「……歯を食いしばりなさい」


「え?」


 パァンッという乾いた音。

 それが、頬を叩かれた音だと気付いたのは……その鈍い痛みがジンジンと伝わってきてからであった。


「ふざけるのも大概にしなさいよ。貴方の夢は女でも立派な騎士になれると証明する事じゃなかったの? それなのに、負けた理由に【女】を使うつもり?」


「あっ……」


 痛む頬に手を添えながら、自分の軽率な言葉に気付くマイン。


「そもそも、貴方は1つ大きな勘違いをしているわよ」


「勘違い……?」


「何よりも重要なのは【立派な騎士】になる事でしょう? それなのに貴方は騎士としての姿勢よりも、【女】が騎士になれる事を重要視しているのよ」


 【女でも】立派な騎士になれる事を証明する。

 女でも【立派な騎士】になれる事を証明する。

 同じ言葉でも、どちらに重きを置くかで……その意味は大きく変わる。


「そ、そんな事は……」


「だったら貴方が考えるべきはエドムでも、グレイでもない。仕えるかもしれないワタクシの事ではなかったの?」


 そう言われて、マインは過去の己を振り返る。

 グレイと戦う事。彼を倒して自分の力を証明する事ばかり考えて、彼女はアリシアの事など微塵も意識していなかった。

 彼女と円滑な関係を築こうとも、彼女の為に戦おうなどとも。

 まるで、何一つ……考えずに戦いに臨んだ。


「グレイはね……必死だったわよ。どうしてもワタクシの騎士になりたいと、ワタクシを幸せにしたいと頑張っていたの」


「……」


「それなのに、グレイの事を少しも知らないくせに。男だから強い? 才能があるから強い? ふざけるのも大概にしなさいっ!!」


 アリシアが憤怒の表情で、再びマインに鋭いビンタを見舞う。

 そして再び、キッと鋭い視線でマインを睨みつけ……叫ぶ。


「グレイを……ワタクシの騎士を舐めないで!!」


「……っ」


 マインは何も言い返せなかった。

 アリシアの言葉の全てが、ビンタ以上に彼女の心へと深く突き刺さる。

 一体いつから、自分は道を間違えたのか。


「う、ううぅぅぅっ……うぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……」


 膝から崩れ落ち、涙をこぼしながら嗚咽を漏らすマイン。

 そんな哀れな少女の姿を、夜空の月はいつまでも照らし続けていた。







【一方その頃のグレイ】


「…………」


「モ、モリーさん! グレイさんが廊下で倒れていますよ!?」


「ああ、メイちゃん。気にしないで、それはいつもの事だから」


「ふぇ? なんだか、顔や首筋が赤い斑点だらけで……しかもベトベトですけど」


「……ちゅっちゅモンスターの仕業さ。ちゅっちゅモンスターのね」


「う、うぐぐ……ちゅっちゅ、怖い……」

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