第29話 ワタクシの騎士を舐めないで【前編】
【オズリンド邸 裏庭】
アリシア様の騎士を決める為の決闘。
それを使用人の俺と、騎士学校から来た女騎士が行うというのだから、集まってきた外野の数はそれなりに多かった。
「グレイー! がんばれよー!」
「グレイさーん! 負けないでくださーい!」
特にモリーさんとメイさんなんか、最前列で声を張り上げてくれている。
彼らの期待を裏切るわけにはいかないな。
「よし……」
俺は試験の為に用意された剣を鞘から引き抜いて構える。
そしてそんな俺の正面では、マインさんが無表情のまま背中の剣に手を添えていた。
剣を抜かないところを見るに、居合の使い手なのだろうか。
「グレイ・レッカー……全力で来い。女相手だからと手を抜いたら、私は容赦なく貴様の首を跳ねてやる」
「はい。とてもじゃないですけど、そんな余裕はありません」
それに彼女は騎士としてこの場に立っている。
だから性別なんて関係ない。俺は持てる力の全てで彼女を倒すだけだ。
「グレイ……」
野次馬の使用人達とは反対側の方で、ディラン様と並んで見物しているアリシア様。
俺を信頼してくれてはいるのだろうが、やはりまだ少し不安は拭えないらしい。
ハラハラした様子の彼女を見て、俺は自分に腹が立ってきた。
俺がだらしないから、アリシア様にあんな顔をさせてしまっている。
だから、ここで証明しないといけないんだ。
俺は……アリシア様に相応しい強い騎士であると。
「では、そろそろ始めるとしよう」
ディラン様が一歩前に出て、その右手を振り上げる。
それが下ろされた瞬間、この決闘が始まるというわけだ。
「お互い、悔いのない戦いをするように」
「「ハッ!!」」
「それでは――」
そこから次第に、俺達を取り囲む世界が段々と速度を緩めていく。
風のそよぐ音。外野から漏れてくる喧騒。
それら全てがゆっくり、ゆっくりと流れて……止まった。
「はじめっ!!」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
瞬間。
俺の視界からマインさんが消える。
そして俺の瞳が再び、彼女の姿を捉えた時には……超高速の剣戟が俺を襲う。
「……ふんっ!」
ガキンッと、俺の振り上げた剣がマインさんの剣を受け止める。
上下左右。ほぼ同時に放たれた斬撃であったが……それらが交わる瞬間。
要するに十字の真ん中の部分が、攻撃を受け止める弱点となった。
「……えっ?」
マインさんの顔が驚愕に染まるよりも先に、俺は剣を滑らせて斬撃をいなす。
そしてそのまま――バランスを崩した彼女の腹部に膝蹴りを見舞った。
「がっ、はっ……!?」
鎧の砕け散る音と共に、マインさんが苦痛に呻く。
俺はその隙を見逃す事なく、彼女の腕を掴み……そのまま関節を反対側に曲げる。
「あぐぅっ!?」
マインさんの関節を極めたまま、俺は彼女を地面へと押し倒す。
うつ伏せの状態で、後ろに回された腕を完全に掴まれたマインさんに……もはや成すすべは無い。
俺は空いた手に握っていた剣を逆手に持ち帰ると、マインさんの首スレスレの地面へと剣を突き立てた。
「……勝負あり、ですね」
「は……?」
シーンと静まり返る裏庭。
それは無理もない。なにせ、まだ決闘が始まってから数秒も経っていないのだから。
見物人達は、俺達の動きが早すぎて目で追えなかったに違いない。
「……グレイが、勝ったの?」
最初に静寂を破ったのはアリシア様だった。
彼女は腰を抜かしたのか、その場にペタリと座り込んでいる。
「あ、ああ……そう、だよな? これはグレイの勝ちだ!!」
「グレイさん……すごい」
「うおおおお! やるじゃねぇかグレイ!!」
「うっそ!? アイツ、本当に強かったの?」
次いで、モリーさんの叫びを皮切りに使用人達も一斉に歓声を上げ始める。
正直、俺も嬉しくて叫びたい気持ちなのだが……まずは確認が先だ。
「ディラン様。この勝負……私の勝ちでよろしいですか?」
「あ、ああ……どうやら、そうらしい」
顔面蒼白のディラン様が頷いたのを見て、俺はようやく肩の力を抜く。
っと、いけない。まだマインさんを抑えたままだった。
「……よっと」
俺は急いでマインさんの上からどいて、地面に突き立てていた剣を引き抜く。
しかしそれでも彼女は地面に突っ伏したまま、ちっとも動こうとはしない。
「……嘘だ。こんな事、夢に決まっている……」
「…………」
勝者が敗者に情けを掛けるのは、相当な屈辱になるだろう。
だから俺はあえて、彼女には何も言わず……背中を向けようとしたのだが。
「くっ……殺せ」
「え?」
「ぐっ、ひぐっ……こ、殺せと……ぐすっ、言っている……っ!」
ジャリッと、地面の土を握りしめ……マインさんが顔だけをこちらに向ける。
怒りと悲しみと悔しさが入り乱れ、涙と鼻水と土で汚れたその顔は――なんとも痛々しくて仕方がない。
「こんな……!! こんな無様な負けを晒してっ! うっ、うぅぅぅっ……! 私は、私は……!!」
「……」
どう答えてよいものか分からず、俺が困っていると。
ふいに、外野の一人がこんな声を張り上げた。
「んだよ、だっせぇ。やっぱ女の騎士なんかダメだな」
「っ!」
「そうよね。平民のグレイが勝てるくらいなんだし、騎士学校の中でもクソ雑魚なんじゃないの~?」
「え~? でも主席がどうとかって噂を聞いたけど?」
「どうせ教官に体で取り入ったとかじゃねぇの? 顔も体も悪くねぇし」
そんな下卑た中傷の言葉が、マインさんに容赦なく降り注ぐ。
それを聞いてディラン様やアリシア様や、モリーさんとメイさんという良識のある人間は不愉快そうにしていたが……なおも、野次は止まらない。
「とっと、帰れよ女騎士。お前は負けたんだからさ」
「何が殺せ、よ。そんな度胸、本当にあるわけ?」
「あーあ、つまんない。アンタみたいなのがいるから、女が軽く見られるのよ」
好き勝手、言いたい放題の野次馬。
マインさんは何も言い返せないのか、言い返したくないのか、言い返す気力もないのか。
ただ、俯いたまま沈黙している。
俺は、そんな彼女を見て……動き出していた。
「おい、いい加減にしろよ?」
「「「「「っ!?」」」」」
「お前達なんかに、この人の何が分かるんだよ」
俺は剣に付いた土を振り払い、その剣先を……マインさんを馬鹿にしていた連中へと向ける。
「……よせ」
だが、そんな俺の手を制したのは……他ならぬマインさんだった。
「マインさん!? でも……!」
「……これ以上、私の誇りを傷付けてくれるな」
土だらけの体を起こし、マインさんはフラフラと立ち上がる。
まだ腹部のダメージが残っているらしく、右手で痛そうに抑えていた。
「今回は私の完敗だ。心のどこかで……貴様を侮って……うぐっ!?」
「マインさん!」
「触るなぁっ!」
俺が差し伸べようとした手を、バチンと弾くマインさん。
さらに彼女は憎しみに満ちた瞳で、俺を射殺さんばかりに睨みつけてくる。
「覚えていろ、グレイ・レッカー……! 私はいずれ、貴様に勝ってみせる。そして必ず、貴様を……!!」
「どうしてそこまで、俺の事を……?」
ハッキリ言って見に覚えなんかない。
ただ試験の日に少し顔を合わせて、挨拶を交わした程度だというのに。
「やはり、貴様は……!!」
「ちょっと、貴方達。そこまでにしなさい」
パンパンと手の鳴る音がして、そちらの方へ顔を向けると……アリシア様がうんざりとした表情で立っていた。
「決闘はもう終わったのよ。これ以上の争いは無意味でしょ?」
「「……」」
「マイン、貴方も体を休ませるべきよ。今夜は屋敷に泊まっていきなさい」
「……はい。ありがとうございます」
「そして、そこの使用人達!!」
マインさんが大人しくなったのを見届けたアリシア様は、次に使用人達の方へと標的を定める。
「今の醜い罵倒はなんのつもり? ワタクシの目の前で、ワタクシの家の使用人がそんな品の無い真似をするだなんて……覚悟は出来ているの?」
「「「「「っ!!」」」」」
「言っておくけど、しらばっくれても無駄よ。誰が何を言ったのか、ワタクシはちゃんと覚えているのだから」
そしてアリシア様はまさしく【氷結令嬢】の異名を思わせるほどの、氷のような声と表情で――使用人達に宣告する。
「解雇処分は追って通達するわ。今夜中に荷物をまとめておきなさい」
「「「「「ひっ!?」」」」」
「お父様も、それでよろしくて?」
「……ああ、構わん」
「では、そのように」
アリシア様はドレススカートの両端をつまんで、優雅に頭を下げる。
そしてそれから、クスリと微笑んで。
「じゃあワタクシはこれで。今から、新任の騎士を労わないといけませんので」
「……好きにしなさい」
「勿論、好きにしますわ。さぁ、グレイ! 付いてきなさい!」
「は、はいっ!」
そそくさと屋敷へ戻っていくアリシア様を急いで追いかける。
一時、不穏な空気になりかけたが……おかげで助かったな。
「……」
「……?」
そんなアリシア様と一緒に連れ立って、屋敷の廊下を歩いて行くのだが。
彼女はさっきから何も喋らない。
てっきり、労いの言葉の1つでもあるかと思ったのに。
「……あの、アリシア様?」
堪えきれず、俺の方から話しかける。
するとアリシア様は立ち止まり、俺の方に左手の手のひらをバッと見せてきた。
「黙って」
「え? どうしてです?」
「……今は、ダメなの」
「……は? ダメ?」
何がダメなのか分からず、俺は困惑するしかない。
しかし、俺はその意味をすぐに理解する事となった。
「グレイが……あっ、あっ、あぁっ……あんなに格好良すぎたせいで、ちゅっ、うぅぅ、ちゅ……我慢できそうにないの」
「あっ……」
振り返ったアリシア様の両目にはバカでかいハートが浮かんでいた。
そしてその可憐な唇が、段々とすぼめられていき……
「ああ、いけないわ。こんな日くらい、クールに貴方とイチャイチャしたかったのに……うっ、ぐっ……ちゅっ、もう、ちゅちゅっ……自分を、抑えられ……ちゅちゅーっ!」
「うぉわぁぁぁぁぁっ!?」
両手を広げ、ガバッと飛びかかってくるアリシア様。
両腕を俺の首に回し、しがみついてきた彼女は……そのまま唇を俺の首筋、頬、耳元へと吸い付かせてくる。
「かっこいいグレイにちゅちゅちゅーっ♡」
「ぎゃああああああああっ!?」
「ぺろぺろぺろっ♪ ワタクシだけの騎士をぺろぺろー♪」
「おふぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
ああ、神様。
俺、今日はすっごく頑張ったんですけど……そのご褒美がコレなんですか?
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