第28話 右手の中指の爪はいつも短くしていましてよ

【オズリンド邸 裏庭】


「よっ! ほっ! はっ!」


 アリシア様の騎士として認められる為の試験として、騎士学校の主席合格者と戦う事が決定した夜。

 俺は最近、サボり気味だった剣の稽古を再開していた。


「……やっぱり、毎日振っていないと感覚が鈍るな」


 重りが付いた訓練用の剣を地面に突き刺し、俺は一息を入れた。

 すると、その頭にふわりと柔らかなタオルが被せられた。


「定期的に汗を拭いておかないと、風邪を引くわよ?」


「ありがとうございます」


 俺はアリシア様から頂いたタオルで体の汗を拭う。

 どうやら、俺の様子を見に来てくれたようだ。


「それと、さっきお父様から聞いたのだけれど。対戦相手の女騎士は明日、屋敷に来るらしいわ」


「……試験は明日ですか。もう少し、感覚を取り戻す時間が欲しかったですけど」


「そうさせない為でしょうね。お父様も姑息な真似をするわ」


 両腕を組みながらぷくーっと頬を膨らませるアリシア様。

 そのネグリジェ姿でその体勢は、お胸が強調されて……目の毒だ。


「あら、グレイ。顔が赤いようだけど、根を詰めすぎているんじゃ?」


「い、いえ! 大丈夫です」


「ならいいけど……あっ、そのタオルはワタクシが片付けておくわ」


 そう言ってアリシア様が、俺の手に握られたタオルを取ろうとする。

 しかし俺はそれを上に持ち上げて阻止した。


「ダ、ダメですよ。こんな汚くなったものを、アリシア様に触れさせるわけには」


「気にしないで。ワタクシは別に気にしないわよ」


「ですが、その……匂いとかが」


「はぁ? だからいいんじゃないっ!」


「え?」


「え?」


「と、とにかく! 貴方は特訓に集中しなさい! いいわね!?」


 届かないタオルに向かってぴょんぴょんと跳ねるアリシア様はすっげぇ可愛くてずっと見ていたかったのだが。

 結局は勢いに負けて、俺は彼女にタオルを手渡した。


「にひっ……そう、それでいいのよ。これさえあれば……」


 まるで愛おしい我が子を見るような目で、アリシア様が汗濡れのタオルを見つめる。

 なんだか酷く嫌な予感がするのは、気の所為だろうか。


「……グレイ、今夜は特訓が終わったら休んでいいわよ。絶対に、ワタクシの部屋を訪ねて来たりしないで」


「へ?」


「いいから! 部屋の中から何か声が聞こえても、決して扉を開けないで!!」


「あ、はい。それは構いませんが……」


「ふふふっ……それじゃあ、後は頑張ってね」


 最後にそう言い残し、るんるんとスキップしながら屋敷へと戻っていった。


「……?」


 まぁ、アリシア様なりに俺の体を気遣ってくれての発言だろう。

 この時の俺は、そう思っていたのだが……


【オズリンド邸 食堂】


 俺が騎士となる為の試験を受ける……運命の日。

 いつものようにアリシア様を起こし、朝食の為に食堂へと移動したのだが。


「ふぅ……」


 アリシア様は目の下にクマを作り、どこかぐったりとしている。

 すっかり憔悴しきっているといった様子だ。


「……ふむ、アリシアよ。どうやら、昨晩は不安で眠れなかったようだな?」


 珍しく、今日は朝食を共にしているディラン様が怪訝そうに訊ねる。

 そりゃあ、この状態を見ればそう思うのも当然だ。


「いえ……ちょっと、ヤりすぎてしまっただけですわ」


「なに?」


「スープ……おいひぃ」


 まるで老人のようにノロノロとした動きで、ズズッとスープをすするアリシア様。

 ディラン様は意味が分からないといった表情で首を傾げていた。


「……」

 

 だが俺は、昨晩何があったのかをおおよそ理解している。

今朝、俺が起こしに行ったアリシア様は……それはもう酷い有様だったからな。


「(もう二度と、タオルは渡さないようにしよう)」


 ベッドの上で仰向けになって、顔の上には例のタオルを被せたまま……ビクンビクンと痙攣していたアリシア様。

 丸見えにこそなっていないが、すっかりはだけてしまったネグリジェは……汗だらけで肌に吸い付くようにベッタリ。

 隣に置かれたゲベゲベの顔は普段と変わらないはずなのに「とんでもないもんを見ちまった」という表情に見えたのは気のせいではなさそうだ。


「アリシア様。今日が大事な日だって分かってます?」


「ごめんなさい……いけない事だとは思いつつも、イッてしまったわ」


「誰が上手い事を言えと」


「ふぎゅっ!?」


 この期に及んで冗談を言うアリシア様の背中をちょんっと突く。

 ディラン様には気付かれないように、一瞬のアタックだ。 


「……じゃれ合うのは構わないが、グレイよ。今日の試験に落ちた場合、どうなるかは分かっておるな?」


「は、はい」


 わぁ、バレてるー。


「アリシアの通訳係としての役目も、新しい騎士に任せる。お前は以前のように、掃除係として過ごすのだ」


「かしこまりました。しかし、そうはならないでしょう」


 俺は確かな自信を持って、ディラン様に答える。

 何があろうと、どんな手を使おうとも。

 俺はアリシア様を手に入れて、幸せにしてみせるんだ。


「グレイ……素敵……」


 胸を抑えながら、恍惚の表情で呟くアリシア様。

 そんな愛娘の姿を見て、ディラン様はますます眉間にシワを寄せていく。


「ふむ……まぁいい。結果は後に分かる事だ。それよりも、まずはお前達に彼女を紹介しなくてはな」


 ディラン様は言い終えるのと同時に、パチンと指を鳴らす。

 その合図と同時に、入り口に控えていたメイさんが慌てて扉を開き……廊下から一人の女性が食堂へと入ってきた。


「失礼致します」


 一礼し、その女性は俺達の前を通ってディラン様の傍にまで進む。

 動きやすそうな軽鎧と背中の鞘に収められた剣からして……今回、俺と戦う女騎士見習いというのは彼女の事だろう。


「お初にお目にかかります、ディラン様、アリシア様。私はマイン・イグナイテと申します……以後お見知りおきを」


「あらあら、女騎士というから……屈強な女性をイメージしていたのだけど。そんなにも美しい顔をしているなんて」


 挨拶をしたマインさんを見て、アリシア様が思わず褒める。

 それも当然だ。彼女の顔立ちは、まるで貴族の令嬢を思わせるほどに整っており……そのきめ細やかな肌は戦いなど知らないように見える。

青い髪は首元で短く切り揃えられてはいるものの、丁寧にケアされており、枝毛一本すら見当たらない。

というのを、俺が一目で見抜けるのは……マリリーさんの教育の賜物だな。


「お褒めに預かり、光栄でございます。ですがアリシア様、私の最も誇るべき部分は顔ではなく……強さです。その事をすぐに証明してご覧に入れましょう」


「あ、うん。そう……頑張って」


 返ってきたマインさんの言葉を受けて、アリシア様が露骨に顔をしかめる。

 そして、すぐに俺の方へと振り向き……ヒソヒソと小声で囁いてくる。


「あの子、ワタクシの苦手なタイプだわ……!」


「あははは、真面目そうですもんね」


 例えるのなら、まさしく騎士というイメージをそのまま具現化したような存在。

 言葉遣い。立ち居振る舞い。そして強さ。

 こうして面と向かっているだけで、彼女は一流の騎士なのだと感じ取れる。


「……」


「っ!?」


 と、俺がマインさんを観察しているのと同じように、彼女も俺へと視線を向けてきた。

 しかしその瞬間、背筋にゾクッと薄気味悪い感覚が走ってくる。


「(おいおいおい、なんて殺気だよ……)」


 アリシア様もディラン様も気付いていないようだが、マインさんは鋭い針のような殺気を俺へとぶつけてきている。

 視線だけで相手をぶっ殺せてもおかしくないほどのレベルだ……!


「貴方も初めまして……でよろしいですか? グレイ・レッカー殿」


「……いえ、ほんの少しですが……顔を合わせた事はありますよ」


 俺は冷や汗をかきながらも、内心の動揺を悟らせないように返事をする。


「ほら、騎士学校の入学試験の時に挨拶を」


「…………そうでしたか。これは失礼」


 蛇のようにねっとりと絡みつく視線。

 俺という標的を狩りたくてウズウズしているといった感じ。

 おかしいな。前に見た時には、こんな雰囲気じゃなかったのに。


「挨拶はこれくらいでいいだろう。さて、肝心の試験についてなのだが……ここは正々堂々の一騎打ちで構わないな?」


「はい、それで構いません」


「私も特に異論はございません」


「よし。ならば戦いは本日の正午、我が家の裏庭にて行う」


「「ハッ!!」」


「では、その時を楽しみにしているぞ」


 ディラン様は立ち上がり、そのまま食堂から出ていく。

 続いてアリシア様も席を立ち、俺に目配せをする。


「行くわよ、グレイ。眠くてしょうがないから、時間まで仮眠をしたいの」


「かしこまりました。でもその前に……」


 俺は直立不動でこちらを見ているマインさんを刺激しないよう、なるべく優しめの声色を心がけて……彼女に伝える。


「裏庭の場所はそこにいるメイさんに聞いて貰えば分かると思います」


「……ええ」


「では、また後ほど! 良い勝負をしましょうね!」


 そして俺はアリシア様を追って食堂を出る。

 すると廊下では、アリシア様が腰に両手を当てて……怒りの表情を見せていた。


「……何よ、あの女。ワタクシのグレイに、あんな目をして」


「あ、もしかして気付いていました?」


 流石にアレ程の殺気ともなると、アリシア様も気付くか。

 だとしたら、とても不快な思いをした事だろう。


「許せないわ! いやらしく、舐め回すように見つめたりして……! きっとグレイに一目惚れしたに違いないわ! あー、なんて卑しい女騎士!」


「へ?」


「でも、グレイはあんな女の色目に負けたりしないわよね? ワタクシの方が大好きよね?」


「……あの、何か勘違いしていらっしゃいません?」


 どうやら、マインさんの殺気を愛欲によるものと誤解しているらしい。

 まぁある意味紙一重なのかもしれないけど。


「なんだっていいわ。とにかくグレイ……! あんなドスケベ破廉恥女に負けたりしたら、一生許さないんだから!」


「はい、お任せください」


 やれやれと呆れつつも、可愛い嫉妬だなーと受け止め。

 俺はアリシア様と一緒に、彼女の自室へと向かうのだった。


【オズリンド邸 裏庭】


 グレイとアリシアが食堂を出ていって数分後。

 ドスケベ破廉恥女は、メイドのメイに案内されて裏庭へとやって来ていた。


「あの、ここが裏庭になります」


「ありがとう、感謝する」


「はい。では……頑張ってくださいね」


 頭を下げてそそくさと去っていくメイ。

 彼女の姿を見て、素直で良い子だと直感するマイン。

 こういう子がいるのなら、この屋敷で騎士として過ごすのにも不便は無さそうだと。


「…………」


 グレイが訓練に使用した形跡で、あちこちの地面が抉れている裏庭。

それを興味深そうに観察しながら、マインは先程の事を思い返す。


「随分な余裕を見せたな、グレイ・レッカー」


 その実力を測ってみようと、戯れに向けた殺気。

 それに気付きながらも、彼は困惑の冷や汗こそ浮かべたものの……一切取り乱す事もなく、最後にはこちらを気遣う余裕ぶりだった。


「そんなにも……自分の実力に自信があるのか。ならば、その体に嫌というほどに思い知らせてやる」

 

 背中の鞘から剣を引き抜き、彼女は目にも留まらぬ速さで一閃を放つ。

 そしてその剣を鞘へと戻し……キンッと鍔が音を鳴らした瞬間。

 グレイが訓練用に使っていた重りの剣が【四つ】に分解されていく。


「【一番】の実力者が誰なのか……! 本当の主席はこの私だという事を!」


 怒りによって狂気に染まる瞳。

 彼女の脳裏にあるのは――グレイによって与えられた屈辱の記憶のみであった。









【NEXTマインズヒント!】

・くっころ

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