第24話 乾杯といきましょう【前編】

【王都リユニオール マリリーのヘア&メイクサロン】


「はふへぁ……」


 マリリーさんの激しいメイクとヘアセットを施されたファラ様。

 彼女は満身創痍といった様子でフラフラとアリシア様の前にへたり込んだ。


「つ、疲れましたぁ……」


「お疲れ様です、ファラ様。それとマリリーさんも」


「ウフフ、久しぶりに本気を出し過ぎちゃったかしら。ごめんねぇ、アリシアちゃん。グレイちゃんがファラちゃんに心を奪われちゃうかも」


 ひと仕事を終えたマリリーさんが額の汗を拭いながら笑う。

 その言葉通り、彼によるメイクによって――ファラ様はまさしく生まれ変わった。


「……ファラ。立ち上がって鏡を見てみなさい」


「は、はい……ふわぁ!?」


 メイクされている最中は鏡を見ている余裕も無かったのだろう。

 変身を遂げた自分の顔を目の当たりにして、ファラ様は驚愕の声を上げた。


「これが……私?」


 ただ簡単に束ねられていた髪は三つ編み状のサイドテールでアレンジされており、あんなに目立っていたそばかすも細やかなメイクによって消えている。

 決して派手でケバい印象ではなく、彼女が持つ生来の純朴さをほんのりと際立たせるような絶妙のバランス。

 今の俺には到底真似できそうにもない、最高のメイクだといえよう。


「こんなに見違えるように変身しちゃって。ファラ、これからは社交場でモテモテになるでしょうね」


「…………」


 アリシア様が声を掛けても、呆然としたまま動かないファラ様。

 その反応だけで、彼女がどれほど満足しているのかが分かるというものだ。


「そろそろ、いい時間だし……食事に向かいましょうか」


「……」


 少し経って、ようやく平常心を取り戻したのか。

 ファラ様は無言のまま頷いて、アリシア様の背後にそそくさと駆け寄った。


「マリリー、今日はありがとう。また近い内に、グレイと一緒に来るわ」


「ええ、楽しみにしておくわぁん。グレイちゃん、今度のレッスンは激しめにイクから、ちゃーんとお尻を鍛えてきておいてね?」


「えっ」


「それとファラちゃんも、良かったらまた来てちょうだい。アタシの実力がまだまだこんなものじゃないって、証明してあげるから」


「……コクコクコク」


 まだ声が出せないのか、ファラ様は激しく首を縦に振って答える。

 そんな彼女の姿を微笑ましく思いながらも、俺は次のメイクレッスンの事を思い……ほんの少し憂鬱になるのだった。



【王都リユニオール とある料理店】


 ドレス、メイク、ヘアセット。

 それらを変えて、新たに生まれ変わったファラ様。

そんな彼女がアリシア様と一緒に店内に足を踏み入れた瞬間、周囲の客達は一斉にどよめいた。


「ねぇ、アレって【氷結令嬢】じゃない?」


「間違いないわ。この店をよく利用しているというのは本当だったのね」


 店内の女性客の大半が、悪名高いアリシア様に対して批判的な反応。

 そして、残る男性客はというと……


「アリシアの隣にいる美しい令嬢は誰だ?」


「今まで見た事がないな。オズリンドの家と関係するのなら、ルヴィニオンのフランチェスカ嬢か……?」


「いいや、フランチェスカはもっと幼いはずだ。しかし、それにしても……」


「「「「可憐だ……」」」」


 ファラ様に目を奪われ、熱の籠もった視線を送る。

 場所が場所でなければ、今にでも口説きにやってきそうなほどの反応だ。


「ちょっと! 私と食事をしながら、他の女に見惚れるなんて!」


「あんな女のどこがいいの!?」


 男性客の連れである女性客達が、苛立ち混じりに批判の声を荒らげる。

 それはあちこち、店内のあらゆるテーブルで起きていた。


「あらあら、困ったわね。この店は最高の料理を提供するのだけど、客の品質は最低レベルなのが欠点だわ」


 マナーのなっていない客達を一瞥し、呆れたように呟くアリシア様。

 一方、今までに体験した事のない注目を浴びて……ファラ様は顔を赤くして俯き、アリシア様の袖をきゅっと掴む。


「大丈夫よ。ワタクシとグレイがいる限り、あんな連中には手を出させないから」


「はい。必ずお守り致しますので、ご安心を」


「……ひゃい」


 一応、この店は貴族しか利用できないはずなのだが……こんなにも騒々しい連中ばかりなのは、たしかに客層がいいとは言えないな。


「お待たせ致しましたアリシア様。いつものお席へご案内します」


「ええ、よろしくお願いするわ」


 俺達はウェイターの案内で、店の奥の方へと進んでいく。

 貴族しかいない客の中でも、更にVIPの客だけが利用出来る特別席だ。


「ここなら、周囲の目線も声も気にならないわ」


「お、お気遣いに感謝します」


 特別席は少し階段を上がった位置にあるので、一般席の客を見下ろす事は出来ても……こちらが見上げられて困る事はない。

 数ある店の中からこの店を選んだのは、こうしてファラ様を気遣う為だろう。


「何か希望のメニューはある? なければ、ワタクシがいつも頼むコースにするけど」


「えと、その……じゃあそれで……」


 椅子に腰を下ろした後も、もじもじそわそわと落ち着かない様子のファラ様。

 そんないじらしい姿はなんとも可愛らしい。


「では、いつものコースで」


「かしこまりました」


 俺はウェイターに注文を伝えた後、アリシア様の背後に控える。

 俺もお腹が空いてきたが、当然この場所で食事など出来るはずもない。

 アリシア様達がメチャクチャ美味しそうな料理を食べている間は必死に我慢だ。


「あの、アリシアさん。まだ少し、気が早いのかもしれないけど……どうしても、言っておきたい事があって」


「あら? 急に改まって、何かしら?」


「今日は本当に、ありがとうございました。私、こんなに……こんなにも楽しくて、嬉しい時間を過ごせたのは初めてで……!」


 感謝の言葉を口にしながら、ファラ様の瞳に今日何度目か分からない涙が浮かぶ。

 それを見たアリシア様は苦笑しつつ、すぐに厳しい顔になった。


「泣き止みなさい」


「っ!?」


「淑女たるもの、何があろうとも人前で涙を晒してはいけないわ。折角のメイクを崩して、無様な顔を衆目の面前に晒すつもり?」


「うぅっ、ふぐっ……ぐぐぐっ……」


 アリシア様の強い言葉に、ファラ様は一瞬だけビクッと体を震わせた。

 しかしすぐに上を向き、グッと思い切り歯を食いしばり……どうにか溢れ出る涙を堪えきったようだ。


「ええ、それでいいわ。女が涙を見せてもいいのは、本当に愛する人の前だけなのだから……ねぇ、グレイ?」


 そう言ってチラリと後ろの俺に目配せをしてくるアリシア様。


「……ノーコメントで」


「ふんっ!」


「ふぐぉっ!? その通りでございます!」


 鋭い肘鉄が俺の腹筋に突き刺さったので頷いておく。

 槍でも貫けない俺の腹筋にこれほどのダメージを……流石はアリシア様だ。

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