第25話 乾杯といきましょう【後編】


 アリシア様に叱られ、泣くのをなんとか堪えたファラ様。

 彼女は少し苦しそうな顔で、苦笑を漏らす。


「あは、はは……淑女になるのって、難しいですね」


「そうよ。ただでさえワタクシ達は生まれが、一般的な人達よりも恵まれているんですもの。上に立つ者として、相応の立ち居振る舞いは必要だわ」


「無闇にベタベタ甘えてきたり、ちゅっちゅしたりするのはいけませんよね」


「…………グレイ、今夜は本気で覚悟しておきなさいよ?」


 俺がボソッと入れたツッコミを受けて、アリシア様がとんでもない表情(例えるのなら肉親の仇を見つけた復讐者のような顔)で言い返してくる。

 あ、やべ。最近の過剰なスキンシップに釘を差すつもりだったんだけど……これはマジで怒らせてしまったかもしれない。


「……こほん。ファラ、ワタクシは回りくどいのが嫌いだから正直に言うわ。今回、貴方をこうして誘ったのには理由があるの」


「え……?」


「リムリスの事よ」


「っ!!」


 その名前が出た瞬間、ファラ様の顔が強張る。

 アリシア様。いくらなんでも、これは悪手なのでは……?


「彼女の家が大変な事になっているのは知っているでしょう?」


「……大まかには」


「貴方が彼女を許せない気持ちは分かるわ。でも、貴方は本当にそれでいいの?」


「…………」


「このままだとリムリスの家は潰れ、あの子は露頭に迷う。世間知らずのリムリスの末路は……想像に難くないわ」


 しかもこのご時世。貴族に対して恨みを持つ平民は多い。

 平静から横暴な態度で振る舞っていたリムリス様が平民に堕ちれば、これ幸いと薄汚い手が彼女に伸びる事だろう。


「私は……もう、あの人に騙されたくないんです」


「……」


「アリシアさんもご存知でしょう? 私の家はたしかに大きい力を持っていますけど……私自身は父が愛人に産ませた末子です」


「……勿論よ」


 前もってアリシア様から、俺も聞かされていた。

 ファラ様は名門貴族であるアストワール家の当主が、地方の村娘に半ば無理矢理に産ませた子供なのだという。

母親が数年前に亡くなったので、アストワール本家に引き取られたらしい。


「王都に来た私を……父は無視しました。いいえ、父だけじゃなく、兄や姉も私とは目も合わせず、一切話しかけてくださらなかったんです」


「……」


「他の貴族達も、私を田舎者だと馬鹿にして。だから、リムリスさんが私に話しかけてくれた時……友達になってくれた時は本当に嬉しかった」


 しかし、そんな彼女の思いは踏みにじられた。

 リムリス様の目的はあくまで、ファラ様を自分の引き立て役とした上で、可哀想な境遇の彼女を護る自分の偽善に酔いしれていたのだから。


「もし、アリシアさんがリムリスさんに何かを頼まれたのだとしても……ごめんなさい。私はあの人を、もう……」


「別にそれでいいんじゃない? じゃあ、この話は終わりにしましょう」


「「え?」」


 アリシア様は呆気なく答えると、ウェイターがタイミングよく運んできた前菜に目を輝かせた。


「ここの料理は本当に絶品なのよ」


「ア、 アリシアさん? どういう……?」


「何が?」


「だって、今日は私を説得する為に来たんじゃ……?」


「いいえ。あくまでもワタクシは貴方に魔法を掛けたかっただけ。それとグレイとデートしたかったのもあるわね。だからリムリスからの頼みはついでよ」


「で、でーと? ついで……?」


「だって、あの子と仲直りするのは嫌なんでしょう? それなら無理をする必要はないし、ワタクシも貴方に強制させたくないの……んぅ~~! 美味しいわ」


 一口、前菜を口に運んだアリシア様は頬を緩める。

 だが、俺とファラ様は唖然としたままだ。


「でも……!」


「でも……何?」


「うっ……!」


「……いい加減にしなさい。貴方、まだ分からないの?」


 フォークを皿の上に置いて、アリシア様は苛立たしげに口元をフキンで拭う。

 そしてファラ様を睨みつけ、俺もゾッとするような怖い声色を出した。


「ワタクシが今日教えたかったのは、オススメの店なんかじゃない。貴族も平民も、己の力と努力で……信頼を勝ち取れるという事」


 きっとアリシア様なりの、自分の生き方を見せようとしたのだろう。

 誰になんと言われようとも、自分の目で良し悪しを判断し……それに応えてくれる人材を見つけて大切にしていく。

 それがアリシア様という人間なのだと。


「大切なのは貴方の意思よ。自分がどうしたいのか、どうありたいのか。それを考えて、決めて……自信を持って行動に移すだけの話だわ」


「アリシアさん……」


「貴方はいつだってそう。家族に無視されたですって? それなら勿論、貴方の方から話しかけようとしたのよね?」


「……っ!!」


「リムリスに騙されていた件だって同じよ。貴方はリムリスに全てを頼り、依存していた。その方が楽だから。何も考えなくて済むから」


 みるみる、ファラ様の顔から血の気が失せていく。

 しかしそれでも、アリシア様の責めは止まらない。


「そして次はワタクシに依存するの? ワタクシの後を追って、真似をして、自分の事も全てワタクシに決めて貰うつもりなのかしら?」


「わ……私は……!」


「……ファラ。難しいのなら友達に相談したり、頼ったりしてもいいわ。でも、決断を下すのはいつだって自分自身よ。貴方の人生は貴方のものなんだから」


 最後は優しい声で、諭すように告げるアリシア様。


「アリシアさん、すみません。何から何まで教えて頂いてしまって……私が間違っていました」


「ファラ……」


「本当は……怖かったんです」


「怖かった?」


「はい。今回の一件でリムリスさんに激怒したのは……私じゃなくて父なんです。ただそれは、私への愛情じゃなくて……家の名誉を傷付けられたから」


「……」


「そんな父に『リムリスさんを許してあげてください』と伝えるのが怖かった。父に関わる事を恐れて……私は大切なお友達を見捨てようとしたんです」


 ファラ様の気持ちを思うと、俺は胸が苦しくなる。

 あんな境遇で育ったのなら、彼女のように動けなくなるのも無理はない。


「今でも、リムリスさんにはムカつきます。一度、頬をひっぱたいて、嫌な気持ちにさせてやるんだーって思うくらいには」


「(……それは喜びそうだからオススメしないけど)」


「(きっと大喜びだろうなぁ)」


「ですが、彼女が私と一緒に過ごした時間。その全てが演技だったとは思えませんし、楽しい時間も過ごせました。だから、私は今でも彼女を……」


 ファラ様はおもむろに椅子から立ち上がると、力強く拳を握りしめる。


「申し訳ございません、アリシアさん。急用を思い出したので、食事はまたの機会にさせて頂いてもよろしいでしょうか?」


「……ええ、勿論よ。もしもワタクシの力が必要なら、声を掛けてちょうだい」


「はいっ! それでは!」


 ドレスの裾を掴み、スタタタタッと階段を降りていくファラ様。

 その足取りは軽く、表情は活き活きとしているように見えた。


「ファラ様、大丈夫そうですね」


「ええ。きっと父親にガツンと一発、決めてくれるでしょうね。もう、以前の気弱なファラはいないんですもの」


「なるほど。最初からこの【魔法】を掛けるのが狙いでしたか」


「ふふっ、貴方にしては珍しく、ワタクシの真意に気付くのが遅れたのね」


 衣装やメイクで自信を付けさせるだけではなく、彼女の生き方の問題を指摘して生まれ変わらせるとは……流石はアリシア様だ。


「でもね、グレイ。ワタクシの完璧な計画には、もう一つの目的があるのよ」


「え?」


 もう一つの目的?

 それは一体、なんなのだろうか?


「ねぇ、ファラが一口も食べずに出て行ったせいで……これからのコースが全て一人分余ってしまうわ」


「ま、まさか……?」


「ほら、グレイ。彼女の代わりに席に付きなさい」


「いぃっ!? でも、使用人の俺がテーブルに付いたら……」


「馬鹿ね。その為の特別席でしょう? ウェイター以外の誰にも見えないわ」


 ……ああ、なるほど。

 アリシア様がこの店を選んだ本当の理由は、そういう事だったのか。


「はは、つくづく敵いませんね。アリシア様には」


「今頃気付いたの? グレイ、貴方はとっくにワタクシの手のひらの上よ」


 してやられて悔しい気持ちはあるが、まぁいい。

 アリシア様のおかげで、この店の最高の料理を味わえるのだから。


「それじゃあグレイ。乾杯といきましょう」


「ええ、アリシア様」


 いや、料理なんてどうだっていい。

 俺が何よりも嬉しいのは……こうしてアリシア様と同じ目線でテーブルを囲めること。


「「乾杯」」


 絶対にこの日だけで終わらせたりはしない。

 俺は心の中でそう誓うと、グラスを片手に微笑んでいる最愛の人……アリシア様の笑顔を目に焼き付けるのであった。

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