第18話 たった一度の謝罪で許すとでも?

【オズリンド邸 アリシアの寝室】


 コンコンコンッとノックを3回。

 それから俺は、アリシア様の部屋へと足を踏み入れる。


「失礼します」


「むすぅ」


 入って早々に、俺の目に飛び込んできたのはゲベゲベを胸に抱きしめながらベッドの端に腰掛けているアリシア様の姿。

 しかも、ぷくーっと両頬を膨らませて、ジト目で俺を睨んでいる。


「……えーっと」


「隣に座って」


「あっ、いやでも……フランチェスカ様のところに着替えを」


「座りなさい」


「……はい」


 有無を言わさぬ迫力に負けて、俺は言われた通りにベッドに腰を下ろす。


「ずいぶんと優しいのね。あんな子にも情けを掛けるなんて」


「……彼女はアリシア様の従妹ですから。どうしても、貴方の面影を重ねてしまうんですよ」


「ふぅん? あの子と私が……ねぇ」


 アリシア様は顎に手を当てて、少し考え込むように瞳を伏せる。

 そして、ゆっくりと……語り始めた。


「フランチェスカもね。可哀想な子なのよ」


「……え?」


「昔は天真爛漫で、無邪気で……明るくて素直。まさに今の演技の仮面こそが、あの子の本当の顔だったのよ」


「それなのに、どうして……?」


「これは……お父様から聞いたお話なのだけれど。フランチェスカのお母様……つまり、ワタクシの叔母に問題があってね」


「……」


※※※※※※※※※※※


【数年前 ルヴィニオン邸】


「フランチェスカ!! 何度言ったら分かるの!?」


「……ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 フランチェスカは物心が付いた頃から、母親に叱られてきた。

 普段は優しい母親が、決まって激怒する瞬間。

 その法則性を……彼女は幼いながらに理解していく。


「貴方はね、私の娘なんだから……世界で一番可愛い子じゃないといけないのよ。分かるでしょ? アリシアや他の子に負けてはいけないの」


「……はい、おかあさま」


「そうよ。だから、もう二度とこんなもので遊ばないで」


 そう言って、フランチェスカの母親は剣のおもちゃを踏みにじる。

 おとぎ話の女騎士に憧れ、親しいメイドに頼んで買ってきて貰ったおもちゃ。


「貴方にこれを買い与えたメイドはクビにしたわ。いい? 貴方に可愛くない事をさせる者は、みんな貴方に嫉妬しているの。だから、絶対に言う事を聞いてはダメ」


「はい」


「いい子ね。私のように可愛い淑女になるのよ」


 大好きなメイドがクビにされた。

 飼っていたペットが殺された。

 言葉遣いを間違えると頬を叩かれた。

 少しでも、フランチェスカを可愛くないと判断した瞬間。

 決まって彼女は激怒し、フランチェスカに苛烈な虐待を行うのだった。


「お母様……! フランちゃんね! クラスの一番になったの!」


 通っている貴族用の学院において、学年で一番の淑女を決めるコンテスト。

 その優勝トロフィーを母親に早く見せたくて、フランチェスカは学院を早退して屋敷へと戻った。

 執務で屋敷を留守にする事の多い父親アルフレッド。

 彼には、優勝の瞬間を撮影した映像水晶があるから心配ない。

 だから、まずは大好きな母親に報告しなくては。


「……おかあ、さ……ま?」


 しかし、そこで彼女は見てしまった。

 娘の留守中。夫の長期出張を見計らい……不貞を働く母親の姿を。

 好色家の貴族男性との情事にふけり、淫らに乱れる母親。


「あは、ははっ、ははは……お母様、ちっとも可愛くないね」


 その瞬間。フランチェスカの心の中から、母親への愛情が一気に消え失せた。

 コンテストの優勝を記録した映像水晶を手に持ち、録画機能を発動させる。

 もはや、優勝の映像なんかに価値は無かった。

 そんな事よりも自分を可愛くなくさせる存在……この邪魔な女を消す必要がある。


「さようなら、お母様。フランちゃんは、お前のようにはならないから」


 数日後。何者かの告発によって、フランチェスカの母親の不貞は明らかとなった。

 そして数日後。アルフレッドから離婚を言い渡された彼女は屋敷を追い出され……やがて自らの手で命を絶った。


【オズリンド邸 アリシアの自室】


「そんな事が……」


 フランチェスカ様の過去を聞き、俺は複雑な心境だった。

 少し前、彼女に告げた一言。


 『たとえどんな事情があったとしても、関係のない人を傷付けたり、陥れたりしてもいい理由にはなりません』


 これが間違っているとは思わない。

 でも、もっと優しい言い方があったのではないだろうか。

 彼女の心の闇を晴らしてあげられるような――


「ふふっ、グレイは本当に甘いですわね」


「そうでしょうか?」


「いいのよ。ワタクシは貴方のそんな部分が大好きなんですもの」


「アリシア様……?」


「何よ。こんな時くらい、素直に貴方への好意を伝えてもいいでしょ?」


 ふわりと、アリシア様が俺の首に両腕を回して抱きついてくる。

 

「んふふふ……捕まえた」


「ダメですよ、アリシア様。これはいけません」


「分かっているわよ。今はまだ、一線を越えるつもりはないの」


「はい?」


「いいからいいから。それよりも、ワタクシとイブの計画を台無しにした償いをしてもらうわよ?」


 アリシア様が俺の頬にチュッと口づけをする。

 その柔らかい感触に、俺の心臓がドキーンと高鳴ったと思うのも束の間……


「ふぇぁっ!?」


 アリシア様が突然、大きく後ろにのけぞり……ピーンと背筋を伸ばす。

 そしてプルプルと痙攣しながら、熱い吐息を漏らす。


「あはぁ……♡ なんて美味しいのかしらぁ……」


 顔を戻し、ぺろりと舌を舐めずるアリシア様。

 すっかり目が座り、覚悟完了といった面持ちである。


「頬でこれだけなんて。ああ、唇を奪う時が待ち遠しいわ」


「絶対に奪わせませんけどね」


「あら、いつまでそんな事を言っていられるか……楽しみよ」


 アリシア様は次に、俺の左の耳たぶをハムッと唇で挟む。


「っひぅっ!?」

 

「むにむにむにっ。ひゃはふぁふぁひ……わねっ!」


 俺が身悶えした直後、アリシア様がカリッと耳たぶを甘咬みする。

 その瞬間、俺の全身に電流が走ったような感覚が迸る。


「うぐぁっ……!?」


「まぁ、ここが弱いの? なら、こういうのはどう?」


 まだ軽くズキズキと痛む耳たぶが、暖かくて湿った舌でチロチロと舐められる。

 もはや、これはお仕置きというレベルを越えていた。


「あぁぁぁっ……!?」


「おいひぃ……ねぇ、もっと。もっとちょうだい、グレイ。貴方の全てを……ワタクシに捧げて?」


「……お、お断りします!」


 このままだとヤバい。

 俺は消し飛びそうな理性を振り絞り、アリシア様をはねのける。

 そして、逃げるように部屋の扉へ向かおうとして……気付く。


「「あっ」」


「え? イブさん? それに……フランチェスカ様も」


 扉のスキマから、イブさんとフランチェスカ様がこちらを覗いている。


「フッ、見つかってしまいましたか」


「いやいや、そんな格好つけたように言われましても」


 なぜか得意げな表情で中へ入ってくるイブさんに呆れつつ、俺は視線をフランチェスカ様の方へ向ける。

 着替えはイブさんが用意したのだろうか。ウサギを模したような可愛らしい寝間着姿のフランチェスカ様は、もじもじとイブさんの背中に隠れている。


「がるるるっ……! 貴方たち、ワタクシ達の愛の巣になんの用かしら?」


 一方、アリシア様は不機嫌を隠そうともしない顔で二人を威嚇する。

 まるでキマイラの如き威圧感だ。


「実は先程、フランチェスカ様から謝罪を受けまして。私だけではなく、お二人にもちゃんと謝りたいとおっしゃるので……お連れしました」


「「え?」」


「……あうっ」

 

 イブさんの説明を聞いて驚く俺とアリシア様。

 それを見て赤面したフランチェスカ様は、うさ耳付きのフードパーカーを両手で引きずりおろして顔を覆い隠そうとする。


「謝罪? そんなものは要らないから帰りなさい。今からワタクシとグレイはお楽しみなのよ」


「いえ、そんな予定はございませんのでご安心ください」


「むぐぅーっ!」


「いい加減に諦めてくださいね?」


 アリシア様にぽかぽかぽかと背中を叩かれるが、それは軽くスルーして。

 俺はフランチェスカ様の前で膝を下ろした。


「フランチェスカ様、本気で謝罪に来られたのですか?」


「……うん。勿論、今さら信じてもらえるなんて思わないわ。でも、たとえ無意味だとしても……ちゃんと言葉にして伝えおきたかったの」


 そう言って、フランチェスカ様は顔を上げる。

 そしてまずは俺を。続けてアリシア様の方へ視線を向けてから……深く頭を下げた。


「アリシア姉様、グレイ。本当にごめんなさい」


「……やめなさい、フランチェスカ。貴方からの謝罪なんて気色悪いだけよ」


「っ!?」


 しかしアリシア様は、そんな彼女の謝罪を一蹴する。


「信頼を失うのは一瞬だけど、取り戻すのは簡単じゃない。貴方はこれから一生……ワタクシに謝り続ける必要があるのよ」


「……ごめんなさい」


「ふん。どうせすぐに音を上げるでしょうけど、精々頑張って謝り続けるのね」


 プイーッと顔を背けるアリシア様。ショックでうなだれるフランチェスカ様。

 どうやらここは、俺の出番のようだ。


「フランチェスカ様。そんなに落ち込まなくても大丈夫ですよ」


「ふぇ?」


「アリシア様はこう言いたかったんです。『ワタクシに許して貰えるまで、何度もここへ遊びに来なさいよ』……ってね」


 もしも本気でフランチェスカ様を許さないのであれば、あんな言い方をする必要はない。

 もう二度と顔を見せるな、とでも言えば済む。

 でもあえてそうしなかったという事は……


「~~~~~っ!? グレイ!!」


「アリシア様、こんな時くらい素直になっときましょうよ」


「うぐっ……!?」


「姉様……フランちゃん。また、姉様に会いに来てもいいの?」


「……ふん。ただし、もう一度あんな汚い真似をしようとしたら。その時は今度こそ、貴方を見捨てるわよ。いいわね?」


「わぁっ! 姉様っ!」


 トテトテトテと、アリシア様の傍へ駆け寄って抱きつくフランチェスカ様。

 その様子には、以前のようなあざとさも……どこか芝居がかった素振りも見られない。

 もしかすると俺は今ようやく、初めて……フランチェスカ様の素顔を見る事が出来たのかもしれないな。


「まったく……困った従妹だわ」


「えへへへっ。こうして心から姉様に甘えられるなんて……!」


「……もう、調子がいいんだから」


 年相応の愛くるしい笑顔に、アリシア様も綻んでいる。

 しかし、こうして見ると二人は本当に似ているな。

 従妹というより、本当の姉妹のようにも見え……


「ねぇ、アリシア姉様」


「うん? どうしたの?」


「フランちゃんね、いっぱい反省したの」


「ええ、そうらしいわ」


「それでね。反省したの同時に、初めて好きな人も出来ちゃって……すっごく胸が苦しいの」


「……うん?」


「だから姉様、お願いっ!」


 姉妹のように似ているという事は、趣味嗜好も近いというわけで。

 それはすなわち、フランチェスカ様もまたアリシア様と同じく――


「グレイをちょうだいっ! フランちゃん、グレイと結婚するっ!」


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 俺を気に入っても、おかしくないってわけだ。











【フランチェスカがグレイに心の底から惚れて、どうしても手に入れたいと駄々をこねるもまるで相手にされず、イヤイヤと泣き出してグズりだすまで……残り0分】


【グレイを絶対に渡さないと、甘えん坊モードで駄々をこねた結果。グレイが自分への揺らぎない愛を示してくれて完全勝利するアリシアまで……残り0分】


【アリシアに主を鞍替えし、グレイと同僚になろうと画策するも、結局はフランチェスカの元へ戻る事になってしょんぼりするイブまで……残り0分】



次回 フランチェスカ編がやっと終わるの巻


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