第17話 残念だけどグレイはワタクシのモノよ?

【オズリンド邸 パーティー会場】


「これは……!!」


 フランチェスカはパニックに陥っていった。

 アリシアの痴態を白日の下に晒し、嘲笑う予定だったというのに。

 自分の手にする映像水晶から映し出されたのは、自らの首を締める映像。


「フランチェスカ、答えなさい。これは一体なんだね?」


「あっ……うっ……!?」


 混乱する頭の中、次第に現状への理解を深めていく。

 この映像水晶には最初から、アリシアとグレイの痴態など記録されていなかった。

 つまりこれは、イブが自分を罠に嵌める為に用意した映像なのだと。


『伯父様も間抜けって感じ。実の娘のアリシア様より、フランちゃんの可愛さにメロメロだもんねー。ま、あんな無愛想な娘じゃ嫌になるのも当然だけど』


「ああああああああああっ!!」


 もうこれ以上、この映像を流すべきではない。

 そう判断したフランチェスカは、手に持っていた映像水晶を地面に叩きつけようとしたのだが……


「あら、ダメよ。こんなにも面白い映像……最後まで見なくちゃ」


「ア、 アリシア姉様っ!?」

 

 フランチェスカの振り上げた腕を、右手でガッチリと掴むアリシア。

 その顔には、フランチェスカが見た事が無いような恐ろしい笑みが張り付いている。


「あ、あ、あ……許して、姉様……!」


「フランチェスカ。貴方は知らなかったようだから、教えてあげる」


 アリシアは左手でフランチェスカの顎を掴むと、クイッと自分の方へ向けさせた。

 そうしてフランチェスカは目の当たりにする。

 自分とおそろいの真紅の瞳。そこに灯る……狂気と嗜虐心。


「ワタクシもね、貴方と同じ。おもちゃで遊ぶのがだぁいすき」


「ひっ、ひぃぃぃっ……!」


「まだまだワタクシを楽しませて。ねぇ、いいでしょう? ねぇ、ねぇねぇねぇ」


 このままだと壊される。フランチェスカはそう直感した。

 だが、今の彼女にどんな抵抗が出来るというのか。

 ディランを始め、周囲のギャラリーは全員、自分の本性を知ってしまった。

 唯一連れてきた従者のイブは確実に裏切り者。

 ここにはもはや、フランチェスカの味方なんて一人もいない。


「フランチェスカ様……ふざけやがって」


「内心ではあんな風に思っていやがったのか」


「結局、貴族は貴族って事ね」


「信じられない。最低だわ……!」


 もはや誰も、フランチェスカを可愛い天使だとは思っていない。

 化けの皮を剥がされた彼女に出来るのは、もはや年相応の姿で……泣きじゃくる事だけであった。


「ひっ、ひぐっ、ふぐぅっ……! うぇぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 大量の涙が溢れる。

 今までに何度も演技でウソ泣きしてきた彼女ではあるが、このように人前で本気で涙を流すのは初めての経験。

 そのあまりの屈辱感。そして、それでもなお自分に向けられる敵意に対する恐怖心。

 それらが重なり合った結果……フランチェスカの精神は限界を迎える。


「うわっ!? おい、見ろよ……!」


 へなへなとその場にしゃがみ込んだフランチェスカ。

 次の瞬間、彼女の座り込んだ床に……半透明の液体がじわじわと広がっていく。


「きったねぇ……!」


「なんて無様な姿なの……」


「ざまぁねぇな。俺達を馬鹿にした罰だぜ」


 そんなフランチェスカを見て、使用人達は嘲笑こそすれど……誰も彼女を助けようとはしない。

 唯一、ディランとアリシアだけが鎮痛な面持ちでフランチェスカを見下ろしていたが……彼らも自ら動く事はない。


「ひっく、ぐすっ、うっ、うっ、うぅぅぅぅぅっ……!」


 気色悪い。濡れた下着の感触も。この鼻に付く匂いも。

 誰も自分を助けない。誰もが自分を馬鹿にしている。

 だってそれは当然。悪いのは全て自分だから……。

 フランチェスカが全てを諦め、心を折りそうになった――次の瞬間だった。


「大丈夫ですか? フランチェスカ様」


「……うぇ?」


 ふわりと、フランチェスカの背中に上着が掛けられる。

 涙でずぶ濡れの顔を上げると、そこにはグレイの姿があった。


「……皆さん、何をしているんですか?」


 彼は自分の上着をフランチェスカに被せた後、立ち上がって周囲の使用人達を見渡す。


「パーティーはもう終わりです。ディラン様も、それでよろしいですね?」


「グレイ、しかし……!」


「ディラン様。これ以上、貴方様の姪に恥をかかせるおつもりですか?」


「……うむ、そうだな。フランチェスカへの仕置は、またの機会にするとしよう。全員、片付けを始めるように」


 有無を言わさないグレイの迫力に押されたのか、ディランは頷く、

 そして周囲の使用人達に向けて、パーティー終了の号令を出した。


「あーあ。グレイったら、結局助けちゃうのね。この程度じゃ、まだまだお仕置きには足りないわよ?」


「……すみません」


 両手を腰に当てて、不満げに口を尖らせるアリシア。

 グレイはそんな彼女にペコリと頭を下げてから、もう一度その場で腰を下ろし……フランチェスカを抱き上げた。


「ふぁ……」


「捕まっていてください。浴場までご案内します」


 滴る液体が服に染みる事に、なんら嫌悪感を見せないグレイ。

 彼はそのままフランチェスカを抱え、浴場の方へと向かっていった。


【オズリンド邸 大浴場】


「後で着替えをお待ちしますので。それまではご入浴なさっていてください」


「……待って」


 失禁したフランチェスカを浴場まで連れてきたグレイ。

 続けて、脱衣所から出ていこうとする彼を……フランチェスカが呼び止める。


「どういう、つもり? 貴方と姉様は……イブと組んで、フランちゃんを罠に嵌めたんでしょ?」


「……はい」


「だったら、どうしてフランちゃんを助けたの? あのまま、惨めで無様な姿をみんなに見せつけていたら良かったじゃないっ!」


「貴方がアリシア様を、そうしたかったように……ですか?」


「っ!?」


 真顔でそう返されて、フランチェスカは言葉に詰まる。

 そうだ。もしもイブが裏切ってさえいなければ、自分の代わりにアリシアがあんな恐ろしい目に遭っていたのだ。

 自ら体験した事で、自分の行いがどれほど悪辣であったかを知るフランチェスカ。


「……前にも言ったでしょう。俺はアリシア様と同じ目をした貴方を放っておけなかっただけですよ」


「っ!」


 まただ。グレイがアリシアの名前を口にする度に、チクチクと胸の奥が痛む。

 フランチェスカはギュッと胸を抑えながらも、怒りの色を浮かべて……グレイに詰め寄る。

 

「……フランちゃんを罠に嵌めたって事は、自白剤もすでに解毒済みなんでしょ?」


「…………」


「本心ではどう思っているのか分かったものじゃないわね。ただのロリコンなんじゃないの? フランちゃんを助けたのも、本当はいやらしい目で見ているからとか。いい人ぶらないでよ、気持ち悪い!」


 違う。自分が言いたいのはこんな言葉じゃない。

 あんな酷い事をしようとしてごめんなさい。

 さっきは助けてくれてありがとう。

 これらの言葉を口にしたいのに、グレイに嫌われたくないのに。

 フランチェスカの発する言葉は、自分の意思に逆らうばかり。


「ぷっ、くくっ……! あはははははっ!」


「え?」


 しかし、そんなフランチェスカの態度を見てグレイは笑う。

 そして彼はその腕を伸ばし、彼女の頭にポンッと乗せる。


「やっぱり、アリシア様の従妹ですね。こういう時の強がり方までそっくりだ」


「わぷっ!?」


 わしゃわしゃと頭を乱暴に撫でられる。

 少し痛い。可愛く整えてある髪が乱れるじゃない。

 そんな不満が浮かぶも、それらをすぐに塗りつぶしてしまうくらいに……嬉しかった。


「なんで……?」


「はい?」


「なんで、強がりだって思うの? フランちゃんは本気で、そう思っているかもしれないのに……」


「……そりゃあ簡単ですよ。俺はアリシア様の専属使用人ですから。素直になれない可愛い女の子の扱い方は、誰よりも心得ています」


「あっ……」


 フランチェスカの頭から離される手。

 彼女はそれを名残惜しそうに見つめる。


「それと、これは個人的な意見なので参考にならないかもしれませんが。普段の猫を被っているフランチェスカ様よりも、今の貴方の方が……年相応のじゃじゃ馬っぷりで可愛いと思いますよ」


「ふぁっ……?」


「では、失礼します」


 背を向けて、脱衣所を出ていくグレイ。

 その背中を見つめながら……フランチェスカは、徐々に頬をだらしなく緩める。


「可愛いって、言ってくれた」


 嬉しい。


「あの男が、やっと……」


 嬉しい、嬉しい。


「あ、は、あはは……」


 彼女は今夜、色んなモノを失った。

 忠実な従者。自分を慕っていた大勢の人間からの信頼。

 だというのに、胸の奥からこみ上げてくるのは歓喜の感情ばかり。


「グレイ……! グレイ、グレイ、グレイ……!」


 アリシアの使用人。彼女を大切にし、深く愛している使用人。

 そして、フランチェスカが生まれて初めて……恋心を抱いた相手。


「……好き」


 噛みしめるように呟いた一言。

 もはや彼女の頭に、失ったものの事なんて何も浮かんでこない。

 ただ、グレイの事をもっと知りたい。

 彼と話したい。彼と一緒にいたい。彼に好かれたい。

 ただ……それだけであった。




【フランチェスカがグレイに心の底から惚れて、どうしても手に入れたいと駄々をこねるもまるで相手にされず、イヤイヤと泣き出してグズりだすまで……残り一時間】


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