第16話 因果応報という言葉を知っているかしら?

【オズリンド邸 来客用寝室】


「ふーん? 案の定、あの二人は乳繰り合っていたってわけね」


「はい。まさかこんな昼間から、ヤッているとは思いませんでした」


「げっろぉ。何よあの男……あんな顔して中身はケダモノじゃない」


 自白剤を打たれたグレイが、アリシアとどのような会話をしているかの調査。

 もしも【そういう事】になっていた場合、その記録を残してきなさい。

 その指令に関する報告を受けているフランチェスカは、酷く落胆した様子で眉間にシワを寄せていく。


「姉様も姉様ねぇ。貴族なのに卑しい平民に肌を許すなんて、バッカじゃないの」


「……」


「で? その映像は記録してきたのよね?」


「はい。こちらの水晶に……ご覧になられますか?」


 そう言って、イブは一つの映像水晶を取り出した。

 これを使えば、記録されている映像を見る事が可能なのだが……


「そうねぇ。あの姉様がどんな風に処女を散らしているのか気になるしぃ」


 とりあえず水晶に手を伸ばそうとするフランチェスカ。

 しかしその直前で、イブが水晶を引っ込めた。


「は? なんの真似よ?」


「お楽しみは取っておいた方がよろしいのではないでしょうか?」


「……どういう意味?」


「実は今晩、この屋敷の者達がフランチェスカ様の為にパーティーを開いてくださるそうなのです。当然、ディラン様も参加されます」


「へぇ? まさかイブ、姉様と使用人の交尾映像をパーティーで流そうってわけ?」


「はい。そうすればきっと面白い事になると思いますよ」


 ニヤリと口元を歪めるイブ。

 それを見て、フランチェスカは若干の戸惑いを覚える。


「それは最高にファンタスティックなイベントだけど……珍しいわねぇ。貴方がそんな提案をしてくるなんてさぁ」


「あの男に自白剤を打ち込む時に、ひと悶着ありまして。どうせなら、最悪の形で地獄に突き落としてやろうかと。


「そういえば、昨晩からあの男をやけに気にしていたっけ? まぁ、いいわ」


 フランチェスカはイブに対する興味も関心もない。

 だから、気付かない。気付けない。気付こうともしない。

 彼女の心がもはや、自分に向いていない事に。


「計画ではこうです。フランチェスカ様がこの映像水晶を屋敷で拾ったと、ディラン伯父様にお渡しになる。ディラン様はすぐに中身を確認されるでしょう」


「そうしたら、可愛い自分の娘が下賤な使用人に穢されているってわけね。きゃはははははっ! なにそれ!? すっごく面白そうじゃない!」


「ええ。ですので、この水晶の中身を確認するのはその時にされた方が……より新鮮な反応が出来ます。そうすれば変に疑われる事もありません」


「ま、フランちゃんの演技力ならそこまで徹底する必要もないけどね。でも、貴方の言うようにお楽しみには後に取っておくべきね」


 イブは熟知している。

 フランチェスカがいつも、好物を最後に食べる事を。

 一番の楽しみはいつだって、後回しにする事を。


「では、この水晶は後ほどお渡しします」


「くすくすくすっ……! ああ、可哀想なアリシア姉様! パーティーで自分の痴態をみんなに見られて、一体どんな反応をするのかしらねぇ」


「…………」


【オズリンド邸 廊下】


 フランチェスカは上機嫌であった。

 ニコニコといつもより愛想のある笑顔を周囲へふりまき、天使のように可愛いと褒められ、憧れを持たれ……心の中のドス黒い心で嘲笑う。

 何も知らない馬鹿な使用人達。

 連中がこの後、自分達の仕える令嬢の痴態を目にしたら……どんな反応をするか。

 それを思えば、こんな下々の民に媚びるのも苦痛ではない。


「……あっ!」


 と、ここでフランチェスカは屋敷の窓越しに今回のターゲットであるグレイの姿を見つけた。


「……」


 彼は中庭で一人、空を見上げながら静かに佇んでいる。

 その表情は妙にアンニュイというか、憂いを秘めているように思えた。


「(アリシア姉様と一発ヤって賢者タイムって感じ?)」


 直前の彼の行動を思うと気持ち悪いと感じたが、折角の機会。

 フランチェスカはパーティーの前にグレイをからかってやろうと、中庭の方へと進んでいく。


「お兄さんっ! 何をしているの?」


「フランチェスカ様……」


 背中の後ろで手を組みながら、傾けた体で上目遣い。

 これまでに多くの男達を魅了し、虜にしてきたフランチェスカの必殺コンボだ。


「あれれ~? アリシア姉様はいないの? お話をしたかったのにぃ」


「わざとらしい演技は、もうやめませんか?」


「……」


 振り返り、フランチェスカを一瞥したグレイが呆れたように呟く。

 その態度に、フランチェスカのこめかみがピクッと一瞬だけ動いた。


「ふぅん、そっかぁ。イブに襲われたから、フランちゃんの本性にも気付いているってわけね。それとも、アリシア姉様から聞いたの?」


「そのどちらも、ですかね」


「あはっ、正直だね。って、自白剤の力で当然だけど」


 もう間もなく、一切の弁明すら許されずに処分が下る事となるグレイ。

 フランチェスカは愉快で堪らなかった。

 自分は善人ですと顔に貼り付けているようなこの男が、裏ではアリシアに邪な欲望を懐き……実際にそれを行動に移したのだというのだから。


「……ねぇ、お兄さん。今すぐ地面に頭を擦りつけて、フランちゃんの靴を舐めるっていうのなら……特別に許してあげてもいいよ?」


「……」


「アリシア姉様を捨てて、フランちゃんの奴隷になるの。ね? 伯父様に秘密がバレて死刑になるよりも幸せになれるでしょ?」


 ケラケラと悪意に満ちた表情を浮かべるフランチェスカ。

 グレイが自分の立場を理解していれば、この誘いに乗ってこざるをえない。

 そうしなければ確実に、彼の身には破滅が待っているのだから。


「貴方の奴隷になれば幸せ? ありえないですね」


「……へっ?」


「俺が仕えるべき方はただ一人。俺の命は全てアリシア様の為にあります。貴方のような性悪のクソガキに仕えるわけがないでしょう?」


「!?!?!?」


 てっきり、素直に従うものだとばかり思っていたフランチェスカは面食らう。

 そして、そのあまりの動揺によろよろと後ずさりながら……口を開く。


「は、ははっ……なぁに、それ? 強がりのつもり? それとも虚勢……」


「俺の正直な気持ちですよ。嘘は吐けない状態だって、分かっているでしょう」


「……あっ」


 イブの自白剤で、目の前の男は本心しか口にできない。

 その意味を理解したフランチェスカは一瞬顔を青くしたが……やがて、思い出したように怒りの表情へと変わっていった。


「このフランちゃんをクソガキですって!?」


「はい。貴方はただの我儘で聞き分けの悪い子供です。アリシア様は手のかかる子供のようで可愛いですけど、フランチェスカ様の場合は不快なだけですね」


「~~~~~!?」


 ペラペラと自分の悪口を言ってのけるグレイに、もはや怒りを通り越して恐怖すら感じるフランチェスカ。


「(コイツ、自分がもう終わりだからってヤケになっているの!?)」


 動揺を悟らせないように表面上は平静を装いつつも、フランチェスカの心臓はバックバクであった。

 なにせ、こんな風に敵意を向けられた経験が彼女には乏しかった。

 唯一、脳裏に浮かぶのは――かつて、大好き【だった】母親に……


「フランチェスカ様」


「はっ!?」


 嫌な思い出からフランチェスカを引きずりだしたのは、グレイの声。

 彼はフランチェスカをまっすぐに見つめたまま、力強い声で言葉を続ける。


「貴方の過去に何があったのか。どうしてそんな風に拗らせてしまったのか。俺はそれを知りませんし、たとえ知ったとしても……貴方の気持ちを心から理解する事は出来ないでしょう」


「…………」


「でも、これだけは言えます。たとえどんな事情があったとしても、関係のない人を傷付けたり、陥れたりしてもいい理由にはなりません」


「……ハッ? なぁにそれ? 平民のカス如きが、このフランちゃんに説教?」


「俺は……アリシア様を何度も傷付けてきた貴方が憎い。ですがそれでも、貴方に幸せになって欲しいとも思えるんです」


「な、何を……!?」


 フランチェスカには意味が分からなかった。

 自白剤の力で、グレイが自分を憎んでいるというのは間違いない。

 でも、彼はフランチェスカの幸せをも願っていると言ったのだ。


「どうして……?」


「貴方の目が俺の大切なあの人と同じ……綺麗な瞳だったから。きっと、まだ間に合うと信じたいんです」


「っ!」


 それはとても優しい笑顔だった。

 今まで、フランチェスカを前にしてデレデレしてきた汚い大人達や、ミーハーなファンとはまるで違う。

 慈愛に満ちた、相手を心から思いやる笑顔――。

 それは今のフランチェスカにとって、あまりにも眩しすぎた。


「くっだらない! 何よそれ! 馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ!」


 だから彼女は吠える。

 まるで、何一つとして認めたくないとでも言うように。

 自分の瞳がアリシアに似ている事。

 目の前の男が自分へ優しさを見せてくれた事。

 そして――そんな彼に対して、ほんのわずかに胸を高鳴らせてしまった事を。


「馬鹿な平民! 今に見ていなさい! お前の人生はもうすぐ終わりなんだから!」


 フランチェスカは逃げるように走り去っていく。

 結局、グレイの説得は彼女の心を揺さぶっても……動かすには至らなかった。


「……そうか」


 一人残ったグレイは、再び空を見上げる。

 それは――間もなく本当の地獄を迎えるであろうフランチェスカに対する、哀れみと同情によるものであった。


【オズリンド邸 パーティー会場】


 明日には自分の屋敷へと戻ってしまうフランチェスカ。

 そんな彼女の為にと開催される事になったパーティー。

 数多くの使用人達が集まり、美味しい料理を囲みながら談笑にふけっている。


「おお、フランチェスカ。とうとう主役のご登場だ!」


「「「「「フランチェスカ様―!」」」」」


 そして、そこにやってくるのはフランチェスカ。

 つい先程、グレイの言葉に心を乱されたせいか……その笑顔は少しぎこちない。


「あら、フランチェスカ。浮かない顔ね」


「っ!」


 ディランと共に並び立つアリシアを見て、フランチェスカは内心で舌打ちする。

 彼女を絶望に堕とす為にアレコレ動いた結果、グレイに不愉快な気持ちさせられた事を逆恨みしているのだ。


「(でも、もうすぐ。姉様のその澄ました顔を……絶望に染めてあげる!)」


 ゆっくりと、フランチェスカはディランの元へ歩み寄る。

 その手に握られているのは、さっきイブから手渡されたばかりの映像水晶。

 中身は当然、アリシアとグレイの情事である。


「お待たせしてごめんなさい。さっき、変なものを拾ったので……」


「変なものだと?」


「はい。この映像水晶なのですけれど、再生方法が分からなくてぇ。きっと、何かとんでもないお宝の映像が入っているのかも!?」


 ディランに映像水晶を差し出し、困ったように小首を傾げるフランチェスカ。

 周りのギャラリー達も、なんだなんだ、と興味深そうに視線をこちらへ集めていく。


「(そう、もっと注目しなさい)」


「はははっ、なぁに簡単だよ。ここを軽く擦れば映像が浮かび上がるんだ」


「わーいっ! ありがとうございます伯父様!」


 フランチェスカの企みも知らず、ディランは映像水晶を再生する。

 それと同時にブゥンッという音と共に、記録されていた映像が空中へ映写され始めた。


「一体、どんな映像なのかしらぁ?」


 ピントの合っていない映像が、徐々にハッキリし始める。

 この場の全員が、何が映るのかとワクワクした様子でそこへ視線を向けていく。


「(ダメよ、ここで笑っちゃ……ふふっ。とんでもないショッキング映像で、周囲が混乱したら笑いましょ……ええ、そうするのが一番……)」


 プルプルと震え、歓喜の時を待ち望むフランチェスカ。

 だが、そんな彼女の願いも虚しく。

 空中に映し出されたのは――





『はぁ、気持ち悪い。どいつもこいつも、馬鹿ばーっか。ちょーっと演技しただけで、コロッと騙されちゃうんだからさぁ』





「「「「「「「「「「…………えっ?」」」」」」」」」」


「……は?」


 ベッドの上で足をバタバタさせながら、気だるそうに愚痴を漏らすフランチェスカ。

 その表情は普段の天使の様相とは違い、まるで悪魔のように醜悪なもの。

 そして室内に響き渡るのは、耳を溶かすような甘ったるい声ではなく……トーンの低いフランチェスカの地声。


『みんな死ねばいいのに。あっ、でも奴隷は必要だよねー。フランちゃんの可愛さをキープするには、ああいうカス共を使い潰さないとさ!』


「な、ななっ、なぁっ……!? 何よこれぇぇぇぇぇっ!?」


 衝撃のあまり、フランチェスカは演技すら忘れて大絶叫する。

 しかし、彼女はまだ気付いていない。


「……フランチェスカ。これは一体どういう事だい?」


「ひっ!?」


 ここからが本当の地獄だという事を。

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