第14話 ああ、これは夢ですのね(絶頂)
「はぁっ、はぁっ……! ただいま、戻りました……」
オズリンド邸に存在する、VIP客用の寝室。
そこに逃げるように駆け込んだイブは、肩で息をしながら扉に背中を預ける。
ほんの少し前に受けた、グレイからの精神攻撃(本音)により、かなり疲弊している為であった。
「イブ。貴方にしては珍しく、遅かったんじゃない?」
ベッドの端に腰掛け、退屈そうに髪を弄っていたフランチェスカ。
彼女は戻ってきたイブの様子を見て、訝しげに首をかしげた。
「どうしたの? まさか、失敗したんじゃないでしょうねぇ」
「いえ、計画通りに自白剤を打ち込んで参りました」
息を整え、平静を取り戻したイブが答える。
それを受けて、フランチェスカは楽しげに微笑んだ。
「あはっ! これで明日は面白くなるわね。あの男はもう、アリシア姉様に対する本心を偽れなくなったんだし」
「本心……」
イブの脳裏に浮かぶのは、グレイが濁流のように告げた言葉。
可愛いだの、鍛えられているだの、匂いがいいだの。
あの、あらゆる称賛の言葉が、ほとんど初対面である自分に向けられたものだと思うと……少し気味が悪いと思うのと同時に、なぜだろうか。
心の奥底に、ぽかぽかした何かを感じてしまうイブ。
「姉様の体や金が目当てなら、その本心を知った姉様は失望する。仮に姉様を本気で愛しているのだとしても、それを伯父様や他の者の前で口にすれば……くすくすくすっ」
フランチェスカの言うように、こうなった以上……グレイは詰んでいる。
アリシアに嫌われるか、ディランによって厳しい処分を受けるか。
いずれにせよ、彼がこの屋敷にいられなくなるのは間違いない。
「ご苦労さま、イブ。流石は失われし隠密忍者……その最後の生き残りってとこね」
「……ありがとうございます」
隠密忍者。古来より貴族に陰ながら仕える者。
今では騎士という存在によって廃れてしまい、その技能を受け継ぐ者はイブのみとなっていた。
そしてそんな彼女はフランチェスカに拾われ、彼女の為に忍の力を使う。
今回、グレイに与えた自白剤も彼女が調合した特製のものだ。
「んー、そろそろ寝よっかなー。明日のイベントを見過ごすわけにはいかないもの」
「フランチェスカ様」
「うん? 何よ、イブ」
「……あの男がこの屋敷を追い出された後は、どうなさるおつもりで?」
「決まってるじゃない。恋に敗れた惨めな姉様を励ますと見せかけて、心の中でうーんっと嘲笑ってやるのよ」
その時の光景を思い浮かべているのか、フランチェスカの表情が緩む。
しかし逆に、イブの顔は険しくなっていく。
「いえ、そうではなく。グレイという男の処遇です」
「は? あの男がどうかしたの?」
「そ、その。フランチェスカ様はあの男を手に入れるおつもりはないのですか?」
「なんで?」
フランチェスカはきょとんとした顔で答える。
無理もない。今までイブがこんな風に質問してきた事が無かったのだから。
「いつもお嬢様は、アリシア様からおもちゃを奪っていらっしゃるので」
「まぁ、そうね。本当なら、あの男がフランちゃんにメロメロになって、アリシア姉様を悔しがらせたかったわねぇ」
「だったら」
「でも、なんかアイツ……姉様にゾッコン過ぎてキショいし。わざわざ追い出した後に、手に入れる必要も無いでしょ? どうせ手に入れても壊すだけだもの」
「…………」
ギュッと、拳を強く握りしめるイブ。
しかし、そんな彼女の異変にフランチェスカが気付く事はない。
「くだらないを質問しないでくれる? 貴方はただ、フランちゃんの言う事だけ聞いていればいいの」
「……はい」
「まったく。能力以外は本当にウスノロなんだから」
「っ」
忍の一族は一度仕えた主に絶対の忠誠を捧げる。
イブの祖父も、両親もそうして生き……主の為に死んだ。
自分もそうするべき。そうあるべきだと彼女は思っていた。
だから、いくらフランチェスカが自分ではなく【自分の能力】にしか関心が無いと分かっていても……ただの一度も、まともに褒めてくださらなくても。
彼女の為に命を捧げるべきだと、イブは思っていた。
「フランチェスカ様。最後にもう一つだけ、よろしいでしょうか?」
「あ? 何よ?」
「私は……可愛いでしょうか?」
「うるさい。もう寝るんだから、邪魔しないでよクズ」
「……はい。おやすみなさいませ」
もしかすると、それはイブなりの最終通告だったのかもしれない。
ここでもしもフランチェスカがイブの事を見ようとすれば。
彼女を理解しようという気持ちが少しでもあったなら。
この先の運命は大きく変わっていたのかもしれない。
【オズリンド邸 アリシアの自室】
昨晩、フランチェスカ様の従者であるイブさんに襲撃されて、俺は体に嘘を吐けなくなる自白剤を打ち込まれてしまった。
だが、そんな事を俺が訴えたところで、信頼されるとも思えない。
無論アリシア様は信じてくださるだろうが、ディラン様のフランチェスカ様への溺愛ぶりを見るに、期待するだけ無駄だ。
「アリシア様、起きてください」
「むにゅぅ……」
なので結局俺は、いつも通りに業務をこなす事にした。
そもそも俺は普段から隠し事や嘘を言うタイプじゃない。
ちょっと本音が漏れる程度で、困る事など何一つ無いのだから。
「くぁっ……グレイ? おはよう」
「おはようございます、アリシア様。今日も一段とお美しいですね。特にその寝癖、独創的で面白いですよ」
「んぅ~?」
くしくしと目を擦りながら、アリシア様は小首を傾げる。
俺の言葉を処理出来るだけの意識が覚醒していないのだろう。
「ほら、いつものように髪を整えますよ。こちらへ」
「うんっ!」
アリシア様が普段通り、俺に抱きついてくる。
「いやはや、なんとも柔らかくて温かい……素晴らしい抱き心地でしょうか」
「ほわぁ?」
「いつまでだってこうしていたいですよ。アリシア様に触れていられる瞬間こそが、俺にとってはかけがえのない大切な時間なんです」
「よくわかんないけど、グレイはうれしいの?」
「ええ、最高です」
「だったらもっとぎゅーするー」
「でも、ちゃんと髪はセットしませんと。アリシア様の美しい顔を、俺にもっとよく見せてください」
アリシア様の包容が強くなるが、俺はそれを引き剥がして化粧台の前に座らせる。
そして毎朝のルーティーンを開始。
ご機嫌なアリシア様の髪を、櫛で整えていく……と。
「……うぇ?」
パチパチと、アリシア様の目が激しく動く。
どうやら今さらになって、さっきの俺とのやり取りを飲み込めてきたらしい。
「グ、グレイ……?」
「はい、なんでしょうか?」
「貴方さっき……少し変じゃなかった?」
「俺が変、ですか? 普段と同じだと思いますが」
「お、俺……? あっ、なんだか格好いい感じがする……って、そうじゃなくて」
モジモジとしながら、アリシア様は両手の人差し指をこすり合わせる。
そして赤らんだ顔のまま、鏡越しの上目遣いで……彼女は呟く。
「わ、ワタクシも……グレイに触れているとね。その、幸せなの。胸の奥がきゅーっとして、苦しいんだけど……嫌な苦しみじゃなくて」
「…………」
「グレイも、同じ気持ちだったらいいなって……いつも思っているの。だから、もしそうなら……えっと……」
「同じ気持ちではありませんよ」
「っ!?」
俺の返答に、アリシア様の体がビクッと跳ねる。
「……ごめんなさい。ワタクシったら……」
「何を勘違いしているんですか? まだ俺の言葉は終了していませんよ」
「ふぇ?」
「俺が言いたいのは……アリシア様をお慕いする気持ちは、アリシア様が俺を想ってくださっているお気持ち以上だという事です」
「……???」
「俺は常にアリシア様の事を考えています。アリシア様が幸せになるにはどうすればよいのか、アリシア様の幸せの為に俺には何が出来るのか。アリシア様の素晴らしさがどうすればみんなに伝わるのか。アリシア様を認めないクソ共をどうすれば黙らせられるのか。いえ、それだけではございません。アリシア様の顔を見るだけで、俺の心は激しく揺さぶられます。でも、残念ながら俺は平民で貴方と結ばれる事は出来ません。もしも俺が貴族だったら、すぐに求婚していますよ。そして絶対に貴方を悲しませたりせず、永遠にその愛らしい笑顔のままでいられるように全身全霊で尽くします。貴方の幸せこそが、俺の幸せ……力になるんですよ。それなのに貴方との婚約を破棄したというクソ貴族共はマジで許せません。たとえこの身がどうなろうとも、全員の顔を思いっきりぶん殴ってやりたいです。ああでも、貴方がそんな事を望んでいない事は分かっています。だからこそ俺は、この立場から貴方の役に立たなければならない。それが大変もどかしく、自分の中の劣情を抑え込むにいつも必死なんですよ」
「はひゅっ……!?」
アリシア様が振り返り、俺の顔を見つめる。
そこには「何を言っているんだコイツ?」という困惑が見て取れた。
いや、というよりは「これはもしかして夢なの?」って表情か。
「あの、ちょっと待って。貴方の言葉は、今のワタクシが理解するには時間が掛かりすぎてしまいそうよ」
「そうですか」
「だからね、あの。シンプルに……聞いてもいい?」
「ええ、どうぞ」
「グレイはワタクシのこと、好きなの?」
「はい。まぁ、好きというか……愛しております」
「ワ、ワタクシも……!」
「この世界中の誰よりも。身分の差さえなければ、今すぐにでも貴方をこの場で押し倒し、唇を奪いたいと思っております。ですがご安心ください。決してそのような事はしないと神に誓って……」
「あひっ……!?」
ビクンッ。ビクンビクンッとアリシア様の体が痙攣する。
そして彼女は瞳を上に向けたまま、ズルズルと崩れ落ちていってしまった。
「アリシア様!?」
「あへっ、あへぇ……」
お尻を高く突き出すような格好で、床にうつ伏せで倒れたアリシア様。
なぜだか分からないが、彼女の腰はカクカクカクと小刻みに震えていた。
「一体これは……どういう事なんだ!?」
もしかして俺は無意識の内に、何かとんでもない事を口走ってしまったのでは!?
おのれ自白剤! 絶対に許さんぞ!
「しっかりしてください! アリシア様!」
「う、うぅーん……? なんだか素敵な夢を見ていたような気がするわ」
俺が抱き起こし、体を揺さぶるとアリシア様が意識を取り戻す。
良かった。どうやら大事ではないらしい。
「グレイがあんな事を言うはずがないもの。ワタクシが普段、どれだけ必死に誘惑しても揺らがない鈍感ぶりなのに」
「アリシア様からの誘惑には気付いておりましたが、必死に堪えていました。正直今もこうして触れているだけで、アリシア様への気持ちを抑えられそうにありません。体に当たる柔らかな胸の感触、伝わってくるお嬢様の鼓動……甘い花のような香り。俺の理性はもうボロボロですよ」
「かひゅっ……!?」
それからしばらくの間。
アリシア様が目覚める→俺の言葉を聞いたアリシア様が気絶→アリシア様が目覚める→俺の言葉を聞いたアリシア様が気絶
このループを何回か繰り返し、ようやくある程度慣れてきたアリシア様が意識を失わずに耐えきったのは……お昼頃の話であった。
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