第8話 ワタクシの初めてを奪うつもりなのね(昼)

 朝食を終えた後のアリシア様は、自由にお過ごしになる。

 ブラブラと中庭を散歩したり、図書室で本を読んで過ごしたり。

 おおむね、誰とも関わらずに一人きりで何かをなさる事が多い。


「ふぅ……ご馳走様」


 そして昼食の時間になれば、朝と同じように食事をとる

 そこからがアリシア様の一日、その本格的な始まりだ。


「アリシア様、昼食の後はピアノのレッスンがございます。それが終わり次第、魔法学の講義となっております」


「分かっているわ。その間、グレイはゆっくり休んでいなさい」


「ありがとうございます」


 毎日のように繰り返される、アリシアお嬢様の習い事の時間。

 最初の頃は俺も同行していたのだが、俺がいると気が散るというアリシア様の言葉で(多分、俺に休憩の時間を与えるため)、ここからはしばし別行動となる。


「では、行ってくるわ」


「今日も頑張ってくださいね」


 手を振りながら食堂を出ていくアリシア様を見送る。

 すると、その少し後に入れ違いで……モリーさんが食堂へと入ってきた。


「おっ、グレイ。お前も今から休憩か?」


「ええ。一緒に食事でもどうです?」


「おうよ。色々と話を聞かせてくれ」


 アリシア様とディラン様の食事が終わったら、使用人達の食事が用意される。

 俺とモリーさんは厨房に行って昼食を受け取ると、そのまま使用人用のテーブルへと腰を下ろした。


「しかし、一途な想いっていうのは通じるもんだなぁ。まさかお前がアリシア様に気に入られちまうなんて」


「一途って……別にそういうのじゃないですけど」


「はははっ! 旦那様の手前、そこは隠さないといけないもんな」


 モリーさんは昼食の肉を頬張りながら、面白そうに笑う。

 彼がこの屋敷で働き始めてから数年間。こんな事は一度も無かったらしく、屋敷中の使用人達が俺とアリシア様を好奇の目で見ているのだとか。


「でもよ、グレイ。お前の努力も実って、屋敷の中じゃ……アリシア様に対する印象が変わりだしているみたいだぜ」


「だとしたら嬉しいですね。アリシア様って、すっごく可愛い方なので」


 彼女の本来の姿がどんどん広まっていけば……嫌われるどころか、誰からも愛される存在になる事は間違いない。


「ベタ惚れだねぇ。ま、確かに俺も最初はあの美貌に心奪われたもんだが……やっぱり、フランチェスカ様に会ったらなぁ」


「フランチェスカ様?」


「あれ? ああ、そうか。お前はまだお会いした事がないんだったな。フランチェスカ様って言うのは、アリシア様の従妹に当たる方だよ」


「へぇ……」


「これがまた、天使のようなお方でなぁ。俺達みたいな平民にも優しいし、常に明るい笑顔で……声を聞いているだけで脳みそが解けちまいそうになるんだ」


 従妹というからには、アリシア様と同じようにさぞや美しい方なのだろう。

 俺も一度でいいから、お会いしてみたいもんだ。


【オズリンド邸 アリシアの自室】


「……ふゆぅ」


 何時間にも渡る過酷なレッスンを終えて、自室に戻ってきたアリシア様はまず……ベッドの上へと倒れ込む。

 講義の最中は一切の弱音を漏らす事なく、出された課題を淡々とこなす凛々しい姿を見せているのだが……それは彼女の虚勢に過ぎない。


「グレイ……こっちに来て」


「はい」


 枕に顔を突っ伏したまま、傍に控える俺を呼ぶアリシア様。

 そしてそのまま……かすれるような声で一言。


「褒めなさい」


「アリシア様は努力家ですね」


「もっと」


「こんなにもお綺麗なだけではなく、習い事も完璧にこなして。才色兼備とはまさしくアリシア様の為に存在するような言葉です」


「……ほんと?」


「はい。俺はアリシア様よりも素敵な女性を知りません」


「そうかしら……? きっと、他にもっと美人で優れた令嬢はいると思うけど」


「そんな事はありませんよ」


「あるわよ。貴方だって、そんな子が目の前に現れたら……ワタクシみたいな面倒な女より、そっちを選ぶに決まっているわ」


「……」


 かなり疲れているせいか、いつもより褒め言葉の効き目が薄い。

 それどころか、ネガティブな感情が表に出て来てしまっているようだ。

 でも、そんな彼女のマイナスな言葉にも……真意があると俺は理解している。


「アリシア様。逆にお聞きします」

 

「ふぇ?」


 だからこそ俺はあえて、厳しめな態度でアリシア様に訊ねる。

 

「グ、グレイ……?」


 『そんな事はありませんよ』といった優しい言葉を期待していたのであろうアリシア様は、驚いた顔で俺の方を見てくる。

 そして、俺が怒っている事に気付き……彼女はビクンと小さく体を震わせた。


「もしも、私よりも顔が良くて……能力に優れた使用人が現れたとしたら。アリシア様は私を解雇して、その者を専属使用人に選ぶんですか?」


「そ、そんなはず無いじゃない! ワタクシにとって、貴方は……!」


 ベッドから飛び起きて、アリシア様は俺の元にすがりついてくる。

 それはまるで、悪い事をして叱られた子供のように不安げな表情だった。 


「なら、自分の答えも分かりきっているでしょう?」


「あっ……」


「私にとって、アリシア様以上の特別なんてありえませんから」


 俺の胸元に添えられていたアリシア様の手を握り……それから、その手の甲に軽く口づけをする。


「誰がなんと言おうとも、私の一番は貴方です」


「~~~~~~~~~~~っ!!」


 ボフンッという謎の音と共に、アリシア様の頭部から白い煙が吹き出し、二本のツインテールがピーンと真上に跳ね上がる。

 なんだか顔も、いつも以上に完熟トマトっぽくなっているような……


「アリシア様? それは、今日の魔法学で習った魔法か何かですか……?」


「あ、あぅ……わ、わた……ワタクシ、その、はうぅ……」


 目がぐるぐる状態。呂律も回っていないアリシア様。

 今日は本当にお疲れのようだし、少し仮眠を取らせてあげた方がいいな。


「失礼しますよ」


「ひゃっ!?」


 俺はアリシア様の手を引き、彼女をお姫様抱っこの要領で抱え上げた。

 そしてそのまま、彼女をベッドの方へと運んでいく。


「グ、グレイ……だ、駄目よ……いくらなんでも、まだ早すぎるわ」


「多少早くてもいいじゃないですか。疲れた後は気持ちよく眠れますよ」


「つ、突かれた後は気持ちいい……ですって? 嘘よ、本で読んだけど……初めての時は痛いって書いてあったわ」


「痛い……?」


 ああ、たしかに昼寝をしすぎると、頭が痛くなる時がある。

 それに夜に眠れなくなっても困るし。


「大丈夫ですよ。私がちゃんと責任を持ちますから(寝すぎないように起こすという意味で)」


「グレイ……そこまで真剣なのね(お父様に逆らってまでワタクシを手籠に)」


 ツインテールがぴょこぴょこと、その動きの激しさを増していく。

 本当にコレはどうなっているのだろうか。


「いいわ。ワタクシも……覚悟を決めましたわ。さぁ、好きになさい」


「では、失礼します」


 ようやく納得してくれたのか、アリシア様が両目を閉じる。

 俺はそんな彼女を、優しくベッドの上に寝かせた。


「んぅぅぅ……ちゅぅー……」


 そしてアリシア様は両手を胸の前に組み、なぜか唇をタコのようにすぼめ始める。

 その意図は良く分からないが、俺はとりあえずアリシア様に掛け布団を被せた。


「……グレイ?」


「おっと、明るいと嫌ですよね。カーテンは閉めておきます」


「そ、そうね……ワタクシったら焦りすぎね。こんなにも明るいままだと……流石に恥ずかしいわ」


 恥ずかしい? いつも俺にはバッチリ寝顔を見られていると思うのだが。

 まぁ、乙女心は複雑なのだろう。


「では、アリシア様。これから貴方を、めくるめく夢の世界へとご案内しましょう」


「ええ。夢のように素敵なひとときにして……」


 俺はベッドの脇にひざまずくと、アリシア様の手を握る。

 そして、彼女を夢の世界へ旅立たせるために……


「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……」


「…………」


「羊が四匹……羊が五匹……」


「ず、ずいぶんと変わったプレイですわね……」


「えっ? プレイ?」


「へっ……?」


「お昼寝には子守唄の方が良かったですか?」


「お昼寝…………あっ」


【数十分後 オズリンド邸 アリシアの自室】


 その後、鬼のような形相になったアリシア様が『馬鹿! 鈍感! デリカシーの無い唐変木! このワタクシに恥をかかせるなんて!』と大激怒。

 枕で何度も俺を叩いた後、わんわんと泣きじゃくり始めたので……。


「……あの、今回きりにしてくださいよ?」


「黙りなさい。これはお仕置きでしてよ」


「……はい」


 俺を叩いてボコボコになった枕の代わりとして、俺はアリシア様と一緒にベッドへ横たわり……彼女に腕枕をしている。

 ああ、こんなところをディラン様に見られたらどうなる事か……。


「……んふふふっ。あったかい」


 顔を青くして不安に駆られる俺を尻目に、楽しげに笑うアリシア様。

 ああ、この人は本当にずるい。

 だって、こんなにも可愛い表情を見せられたら……何をされたって許したくなっちゃうじゃないか。

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