第7話 ワタクシとグレイの優雅な一日(朝)

 アリシア様の専属使用人となった俺の朝は早い。

 まず、日の出と共に起床。

 歯を磨き、顔を洗い、寝癖を直してから使用人の正装へと着替える。

 そしてそのまま、まっすぐにアリシア様の自室へと向かう。


「……そろそろかな」


 胸元から懐中時計を取り出して時間を確認し、予定時刻になったところでノック3回。

 しばらく待って、返答が無い場合は扉を開く。


「失礼致します」


 アリシア様の自室は【氷結令嬢】のイメージとは裏腹に、とてもファンシーで可愛らしい内装となっている。

 至るところに愛らしいぬいぐるみが置かれているし、ベッドにもお気に入りのクマのぬいぐるみが常にスタンバイしているほどだ。

 名前は確か……ゲベゲベとか言ったか。


「アリシア様、朝でございます」


「くー……くー……」


 そのゲベゲベを胸に抱きしめるように丸まりながら、安らかな寝息を立てているアリシア様。

 ピンク色で薄地のネグリジェ姿は俺の中のオスを刺激するが……それを懸命に忠誠心で抑え込む。


「起きてください。アリシア様」


「むにゅぅ……うーっ」


 俺が肩を掴んで揺すると、アリシア様は嫌がるように寝返りを打つ。

 その際、さらに強く抱きしめられたゲベゲベがぎゅーっと絞られて、今にも中身が飛び出してしまいそうな程に潰される。


「(ボクヲタスケテ……ボクヲタスケテ……ボスケテ……)」


 ゲベゲベの瞳がそんな風に訴えているように見えたが、気のせいだろう。


「アリシア様!」


「ひゃふっ!?」


 アリシア様が一向に起きる気配を見せないので、俺は両手を勢いよくパァンと叩いて鳴らす。すると驚いたアリシア様が跳ねるように上半身を起こしてきた。


「……ほぇ?」


「おはようございます」


「あっ……グレイ」


 未だ寝ぼけているのか、ボーっとした表情でこちらを見るアリシア様。

 そして彼女は両手を左右に広げ、俺に甘えるように訴えてくる。


「抱っこ」


「……ご自分で起きてください」


「やっ!」


「はい……」


 意識が完全に覚醒するまでの間、寝起きのアリシア様は幼子のように甘えん坊モードとなる。俺は仕方なく、彼女の両脇に手を差し込むようにして彼女を抱き上げた。

 子供相手ならともかく、体はすでに大人……それも巨乳のアリシア様を抱え上げようとすると、手が胸に当たってしまう。


「わぁ~」


 無邪気に喜ぶアリシア様には悪いが、これだけは本当に勘弁願いたい。

 その内、厳しく言ってやめさせないといけないな。


「では、こちらへ」


 俺は抱え上げたアリシア様を、ドレッサーの前の椅子へと下ろす。

 続けて、引き出しから櫛を取り出し……今度は髪の毛の手入れを開始する。


「ふんふふ~ん♪」


 寝起きでわずかに跳ねている金髪に櫛が入る度、アリシア様は嬉しそうに微笑む。

 その喜ぶ姿があまりにも可愛いので、手入れする俺の手にも熱が籠もる。


「んふふふっ……」


 俺が耳元に近い箇所に触れると、アリシア様は俺の手にスリスリと頬擦りをしてきた。

 まるで猫みたいだ……と、俺が思った瞬間。


「……う? え? あっ……!」


 ようやく意識がハッキリしてきたのだろう。

 鏡越しに見えるアリシア様の瞳が、だんだんと見開かれていく。


「グ、グレイ……!?」


 みるみると、アリシア様の顔が赤く染まり始める。

 毎日の事なのに、いつまで経ってもこの瞬間には慣れないらしい。


「……おはよう、グレイ」


「ええ、おはようございます」


「昨晩は夜更かしをしすぎたみたい。おかげで目覚めるのが少し遅れてしまったわ」


 取り繕うようにキリッとした表情、冷たい声色で言い訳を始めるアリシア様。

 俺はそのギャップに吹き出しそうになりつつ、役目を終えた櫛を引き出しに戻す。


「それでは、続けて朝食の方へ……」

 

「待って。貴方、何か忘れているんじゃなくて?」


「え?」


 不満げに頬を膨らませたアリシア様が俺の手を掴む。

 そしてそのまま、掴んだ俺の手をゆっくりと……自分の頭の上へと運んだ。


「……わ、ワタクシは別にしてもらわなくても構いませんけれど。貴方がどうしてもと言うなら、その……撫でる事を許可してあげなくもないわ」


 妙に早口で、アリシア様がそう言う。

 これもまた、ほぼ毎日のように繰り返されるやり取りだ。


「はい。どうしてもアリシア様の頭を撫でたいです」


「ふん。下等な平民の分際で、なんて身の程知らずなのかしら。いいわ、貴方には過ぎた事だけれど、そこまで……くふぅー♪」

 

 いつもの詠唱を遮り、俺が手を動かすのと同時に。

 アリシア様は目を細め、うっとりとした表情で息を漏らす。

 早く終わらさないと、用意された朝食が冷めてしまうからな。


「名残惜しいですが、ここまでにしておきます。さぁ、食堂へ行きましょう」


「……そうね」


 そして再び、アリシア様は冷徹の仮面を浮かべる。

 俺に見せてくれるような表情や仕草を、他の使用人達の前でも見せれば……みんなあっという間にアリシア様を大好きになると思うんだけどなぁ。


【オズリンド邸 食堂】


「……」


 アリシア様が朝食をとられている間、俺はすぐ後方に控えている。

 基本的にはコーヒーのおかわりを注ぐくらいの役目しかないのだが、ほんのたまに【通訳係】としての役目を果たす必要がある。

 そう、たとえば……こんな時。


「あら? あそこにある花瓶。昨日までは綺麗なバラが活けてあったと思うのだけれど……今日は違う花のようね」


 アリシア様がふと、視界の端に映った花瓶に注目する。

 それと同時に、壁際で控えていたメイドの一人がビクッと体を震わせた。


「お、恐れながらお嬢様。実はその……先日、実家の両親から花が届きまして。食堂に飾らせて頂きました……」


 今にも消え入りそうな声で事情を説明するメイド。

 たしか彼女は……以前アリシア様の陰口を叩いている場面をディラン様に発見されて、牢屋送りにされたメイド達(壺事件の連中)の代わりに入った新人メイドさん。

 地方出身の素朴な感じが可愛いとモリーさんが太鼓判を押していたな。


「ふーん? あんな花、今まで一度も見た事が無いわ。有名な花ではなさそうね……貴方、一体どこの出身なの?」


「も、申し訳ございませんっ! 私の地元では有名な花なのですが、お嬢様のように高貴な方にはお目汚しですよね……!」


 すっかり涙目になったメイドさんが、花瓶を片付けようとして駆け出す。

 どうやら、アリシア様が怒っていると勘違いしたようだ。


「あっ」


 それを見たアリシア様が、一瞬だけ困惑したような表情を見せる。

 こういう時こそ、俺の出番というわけだ。


「ちょっと待った。その花は片付けないでください」


「ふぇ?」


 泣いていたメイドさんを呼び止めると、彼女は驚いた顔で俺を見る。


「アリシア様はこう言いたかったんですよ。『あんなにも綺麗な花なのに、ワタクシは一度も見た事が無いわ。貴方の地元にしか咲かない花なのかしら?』……と」


「ふぇぇぇ……?」


 そんなわけあるかい、とでも言いたげにアリシア様を見るメイドさん。

 アリシア様はそれを受けて、首を左右に振る。


「そ、そこまでは思っていないわ。ただ、貴族として……名前の知らない花がある事が許せないだけよ」


「要するに、花の名前が知りたかっただけですよ。その花もすっかり気に入っているみたいなので、出来れば名前も教えてあげて貰えませんか?」


「グレイ……!」


 この期に及んで誤魔化そうとするアリシア様の真意を、俺はメイドさんに伝える。

 すると彼女は、懐疑的な表情から一転。

 心底嬉しそうな笑みを浮かべて、その口を開いた。


「はいっ! この花の名前はですね……!」


 こうして、最初はアリシア様を怖がっていた一人のメイドは、彼女がとても花好きだという事を知った。

 それ以来この二人は時々、花に関する会話を交わすようになったわけだ。


「あ、あの……! グレイ君!」


「ああ、花の時のメイドさん」


「わ、私! メイって言うの! それで、その……覚えて貰えると、嬉しいなって」


「メイさん、ですね。はい、覚えましたよ」


「えへへ……うんっ!」


 しかし、彼女はなぜか俺にも積極的に話しかけるようになってきて。


「……やっぱり、仲良く出来そうにないかもしれないわね」


 その後はいつも決まって、アリシア様が不機嫌になるのだった。

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