第9話 夢の中でも貴方と一緒に(夜)
【オズリンド邸 食堂】
「ふわぁ……」
「ほう? アリシア、お前が欠伸をするなど珍しいな」
「あら、ワタクシとした事がはしたない真似を。失礼致しましたわ」
日が沈み、夜の帳が落ちたオズリンド邸。
今は夕食の時間なのだが、ここで初めてアリシア様とディラン様はご一緒に食事の時間を過ごす事になる。
というのも、ディラン様は基本的に書斎に籠もりきりで仕事をなさっており、朝と昼はそこで済ませる事が多いのだ。
「気にしなくてもいい。むしろ、私の前でそうした部分をさらけ出してくれる事を嬉しく思うぞ」
そう微笑んだのも束の間、ディラン様はアリシア様の後ろの俺を見て……眉間にシワを寄せる。
アリシア様の変化に俺が関係していると思って、複雑な心境なのだろう。
「この調子で、いずれは社交の場に復帰出来ればいいのだが。そして今度こそ、お前に相応しい婚約者を見つけ……」
「結婚なんて興味ありませんわ。ワタクシは一生、独り身で過ごすつもりですので」
「なんという事を……アリシア、お前は私に孫の顔を見せてはくれないのか?」
「孫……ワタクシの子供……それって」
チラリと横目でアリシア様が俺の方を見てくる。
まだ熱があるのか、頬がほんのりと蒸気しているみたいだ。
「……うぉっほん、まぁいい。お前もあと数年もすれば、考えが変わるはずだ」
「そうだといいですわね。もっとも、考えが変わるのはワタクシではなくてお父様の方かもしれませんけど」
鴨肉のテリーヌをフォークで口に運びながら、ニヤリと口角を上げるアリシア様。
ああ、きっとこの人は……自分が負けるなんて微塵も考えちゃいない。
その溢れんばかりの自信こそが、アリシア様のアリシア様たる所以なのかも……。
【オズリンド邸 大浴場前の廊下】
夕食を終えて、今度はアリシア様のご入浴の時間だ。
アリシア様が入浴している間は暇になる……なんて思っていたら大間違い。
むしろ、ここが一日で一番の正念場かもしれない。
「グレイ」
「駄目です」
「まだ最後まで言っていないじゃない」
「言わなくても分かります。お背中を流すのはメイドにお任せください」
そう。アリシア様は毎晩のように、俺を浴場へと誘おうとする。
と言っても、別に裸を見せるつもりがあるというわけじゃなく。
「目隠しをすれば、何も見えないでしょう?」
「それでもお断りします。年頃の男女が一緒の浴場に入る時点で、あってはならない事なんですから」
「……ぷくーっ」
「頬を膨らませても駄目です」
「グレイ、いい加減にしなさい。ワタクシの命令が聞けないの?」
「急にキリッとした顔で駄々をこねても、駄目なものは駄目です」
「むぅーっ! えいっ、えいっ!」
「たとえ足を蹴られても許可しま……あいだっ! い、痛いです!」
スカートを両手でたくし上げ、ゲシゲシと俺の足を蹴ってくるアリシア様。
しかも的確に同じ場所を何度も……! や、やりおるわ……!
「何よ! ワタクシはただ、髪を洗って欲しいだけなのに! 泡が目に入って、ワタクシが失明したらどうするつもり?」
「泡が目に入ったくらいで失明しませんし、もし不安ならコレをお使いください」
「……何よ、コレ」
「シャンプーハットです」
俺はこんな時の為に用意しておいたシャンプーハットを取り出す。
アリシア様の大好きなクマのキャラが描かれた、とても愛らしいデザインだ。
「……かわいい」
「今夜はこれで我慢してください。不安なら、メイドを誰か呼んで来ますけど」
「いえ、いいわ。こ、こんな子供じみた物を使っているところを見られたら、一生の笑いものだわ」
などと言っているが、アリシア様は俺からひったくるようにしてシャンプーハットを奪う。すっかりお気に召してくれたらしい。
「本当はこんなもの使いたくないけれど、貴方がワタクシの為に折角用意してくれたんだもの。嫌々でも、使ってあげないとね」
そう言い残し、アリシア様は浮かれた足取りで脱衣所の中へと入っていった。
やれやれ……今夜はすんなり説得出来て良かった。
でも、明日にはまた別の方法を考えておかないとな。
「というか、俺が専属使用人になるまで……どうやって入浴していたんだ?」
※ アリシアは元から髪を一人で洗えます(ただグレイに甘えたいだけ)
【オズリンド邸 裏庭】
「はぁっ! せいっ! やっ! とりゃあっ!」
アリシア様が入浴なさっている間、俺は屋敷の裏庭の片隅で剣の鍛錬をしていた。
これはかつて、騎士を目指していた頃の名残なのだが……今でもこうして体を思いっきり動かさないと、俺は眠りに付く事が出来ない。
「……ふぅ」
重りを巻いた剣の素振り。
この屋敷に来る前に比べると、鍛錬の時間が減った分……少々体が鈍ってしまっているように感じるな。
「よし、今度は片手で……」
俺は右腕に力を込め、剣をグググッと持ち上げていく。
くぅーっ……この重さがクセになるんだよなぁ……。
「まぁ、すごいですわね」
「え?」
不意に背後から呼びかけられ、俺は思わず重りの剣を地面に落としてしまう。
「きゃっ!?」
ズズゥーンッと、ちょっとした振動が発生するのと同時に、俺の後ろにいた声の主は可愛らしい悲鳴を上げる。
振り返ってみると、そこにいたのは……アリシア様。
「あれ? まだご入浴の最中では?」
「何を言っているの? もうとっくに上がったわ。十数分前にね」
「あっ……」
そう答えたアリシア様はすでに寝巻きのネグリジェ姿に着替えており、その髪はしっとりと濡れているようだった。
という事はつまり……
「し、しまった……」
どうやら鍛錬に夢中になりすぎて、予定の時間をかなりオーバーしていたらしい。
その間に入浴を終えたアリシア様が、俺を探してここまで来たのだろう。
「申し訳ございません」
「別に。この程度で怒るほど、ワタクシの器は小さくないわ」
と言いつつ、アリシア様の顔は不機嫌そうだ。
俺とした事がとんだ失態だ。
「ところで、これは何をしているの?」
「あっ、えっと。これは騎士を目指していた頃の日課みたいなもので」
「騎士を?」
そういえば、アリシア様にはまだ言っていなかったか。
俺がこの屋敷に来るきっかけとなった事件の事を。
「俺は元々、騎士学校に入る予定だったんです。でも、平民なりに頑張って貯めた入学金を……親父が勝手に使い込みまして」
「……それで、このお屋敷で働く事になったのね」
聡明なアリシア様はすぐに俺の事情を察したらしく、気まずそうに視線を落とす。
「でも、今はこれでいいかなって思ってます。だって、騎士学校に入っていたら……アリシア様に出会えませんでしたし」
「……っ!?」
「騎士ではないですけど、命を掛けて貴方をお守りしますよ」
照れくさくて、ちょっと半笑い気味に言葉を紡ぐ。
するとアリシア様は、ポーッと呆けたような表情のまま固まってしまう。
「……アリシア様?」
「しゅきしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきしゅきちゅっちゅしたい」
「えええええっ!? アリシア様っ!?」
「ハッ!? ワタクシ、今何を……?」
「なんだか、機械みたいな音が出ていましたよ」
「そ、そう。きっと魔法学の後遺症ね……たまげたわ」
小刻みに震えながら、呪文めいた言葉を高速で呟く。
そんな異様な光景に、流石の俺も少し引いてしまいそうになった。
まぁそれでもアリシア様は最高に可愛いんだけど。
「とにかく、貴方の事情は分かったわ。辛い事もあったでしょうけど、これからはワタクシの専属使用人として……頑張りなさい」
「ええ、勿論です!」
「……騎士学校、ね。もしもあの制度を利用すれば、グレイも……そしていずれは、陛下に頼んで……それならお父様も反対出来ないだろうし」
顎に手を当てて、またしても何かをブツブツと呟き始めるアリシア様。
断片的にしか聞き取れないので、その意味は分からない。
「アリシア様?」
「いいえ、なんでもないの。それより、夜風に当たったせいで冷えてきちゃったわ」
「あ、すみません。では、一緒に寝室まで戻りましょう」
「今夜もワタクシが眠るまで、手を握っていて貰うんだから。覚悟していなさい」
「は、はい……!」
とまぁ、こういう具合で。
アリシア様と俺の長い一日が終わるというわけだ。
世の中には凄いお金持ちとか、可愛い女の子達をはべらせてハーレムを作っている男とかいっぱいいるんだろうけどさ。
どうかな? 俺の一日も全然負けていないだろ?
【数十分後 アリシアの自室】
「ア、アリシア様……まだ寝ないんですか?」
「ぐすっ……お昼寝したせいで、ちっとも眠くならないのよ! 責任持って、今夜はずっと一緒にいなさい!」
「ええー……?」
いや、本当に幸せだってば。
うん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます