第3話 平民にしてはマシなようね。(デレるまで残り1話)

【オズリンド邸 中庭 噴水前広場】


 俺がオズリンド家の屋敷で働き始めてから数週間。

 日々の仕事をこなす中で、俺はアリシア様について色々な噂を耳にした。


「社交場を期限付きで出禁になった?」


「ああ。子供の頃に、他の貴族の令嬢を虐めて泣かせた事が原因らしい」


 社交場というのは俺も噂に聞いた事があるな。

 この国の各地から集まった貴族達が、互いの交友を深める為に開くパーティーのようなものだ。

 それをまさか、アリシア様が出禁になっていたとは。

 

「旦那様もアリシア様に、早いとこ結婚相手を見つけて欲しいみたいなんだが……社交場に入れないんじゃ、仕方ないよなぁ」


「婚約者とかはいないんですか?」


「何人もいたさ。でもどのお方も、アリシア様の【氷結】な振る舞いに耐えきれず、婚約を破棄していったよ」


「……」


「しかも、婚約破棄した相手は全員すぐに新しい婚約者を見つけてさ。今では幸せそうに暮らしているとかなんとか」


 モリーさんの話を聞きながら、俺は思う。

 仮にアリシア様に非があったとしても、婚約破棄して早々に別の相手と婚約するなんて……明らかにおかしい。

 いや、貴族の価値観ならそれが当然なのかもしれないが。


「というわけで、アリシア様という悪役から開放された貴族は真実の愛を手に入れる。そんな噂も一時立っていたくらいさ」


「なんだか、可哀想ですね」


「……おいおい。お前は本当にアリシア様が大好きだな。見た目はともかく、中身はアレだぞ?」


 同情的な俺の呟きを聞いて、モリーさんは呆れたように両肩をすくめる。

 こんなやり取りも、この一ヶ月ですでに何回も繰り返していた。


「悪い事は言わん。今どき、使用人とお嬢様の恋愛なんて吟遊詩人もネタにしないぞ? それに、相手があの……」


「あら? ずいぶんと盛り上がっているわね」


「ゲッ!?」


「ワタクシにも、何の話か聞かせて貰えるかしら?」


 俺に力説していたモリーさんの後方から、アリシア様が歩いてくる。

 どうやら今日は中庭をお散歩されていたようだ。


「こ、こここ、これはアリシアお嬢様! え、えっと……! あ、そうだ! 旦那様から呼び出されていたのを忘れておりましたー!」


 アリシア様から声を掛けられたモリーさんは額から冷や汗を垂れ流し、そのまま逃げるように屋敷の方へと走り去っていった。


「チッ……」


「おはようございます、アリシア様。本日も良い天気ですね!」


 不満げに舌打ちするアリシア様に、俺は笑顔で元気よく挨拶を行う。

 すると彼女はほんの少し目を細め、俺の方へと顔を向けてきた。


「貴方は……確か、グレイでしたわね」


「はい。お名前を覚えて頂けているとは光栄です」


「……馬鹿にしないで。いくら下等な平民が相手といえども、屋敷に仕える使用人の顔と名前くらいは一通り覚えているわ」


「失礼しました。アリシア様は聡明な方ですから、当然でございますね」


「えっ……? あっ、うん。そうね」


 俺が微笑みながら頷くと、アリシア様はきょとんとした表情になる。


「グレイ……貴方、どうして笑っているの?」


「あっ、すみません。ご不快でしたか?」


「いいえ、そうじゃないわ。ただ……理由が聞きたいだけ」


「理由と言われましても。アリシア様のようにお美しい方と話せるのは、一人の男として嬉しい事ですし……それに、先程のお言葉が嬉しくて」


「先程の言葉……?」


「アリシア様が本当に私達の事を下等な平民だなんて思っているなら、顔や名前を覚える必要も、こうして話しかける事もなさらないはずです」


「それは……」


「ですから、アリシア様がその顔立ちと同じく、心もキレイな方だと知れて……貴方に仕える者として嬉しく思ったんですよ」


「っ!?」


 俺が素直な気持ちを口にすると、アリシア様は途端に俺から視線を逸らす。

 そして胸元から一本の派手な扇子を取り出して、口元を覆い隠した。


「貴方……ずいぶんと幸せな思考をしているのね」


「そうでしょうか?」


「……ふん、まぁいいわ」


 アリシア様の表情は扇子のせいで良く見えないが、

 その声色はかなり上ずっているように聞こえた。


「そんな風に言ってくれたのは、貴方が初めて……」


「えっ? 今、なんとおっしゃいましたか?」


「なんでもありませんわ! そんな事より、早く掃除を続けなさい!」


「は、はいっ!」


 いかん。アリシア様とお話し出来るのが嬉しくて、つい調子に乗ってしまった。

 使用人としてあるまじき行動だ。反省しないと。

 

「では、失礼します」


 俺は深々と頭を下げてから、急いで掃除を再開する。

 それに合わせてアリシア様も、俺から離れるように歩き出したのだが……途中で足を止めると、振り返る事無く俺の名前を呼ぶ。


「グレイ。貴方が来てからというもの、屋敷が以前よりも綺麗になったわ」


「!!」


「平民にしては、ほんの少しマシな才能を持っているようね。これからも、ワタクシの為にその腕を振るいなさい」


 そう言い残して、お嬢様はそのまま離れていく。

 聞く人によっては嫌な気分になるかもしれない捨て台詞だが……俺にとってはこの上ない賛辞の言葉である。


「はいっ! これからも頑張りますっ!」


「……むゆぅ」


 俺が言葉を返すと、アリシア様がビクンッと体を震わせた……気もするが。

 まぁ、そんなことはどうだっていい。

 あの方に褒めて頂けた。それだけが俺にとって、重要な事なのだから。


【オズリンド邸 アリシアの自室】


 ワタクシはこの屋敷が嫌いですわ。

 

「……」


 廊下。食堂。エントランス。中庭。

 そのどこを歩いていても、ワタクシに向けられる視線は……冷たいものばかり。

 誰も彼もがワタクシを苦手とし、嫌っている態度を隠そうともしない。

 昔は優しかったお父様でさえも、今ではワタクシを避けようとしているくらい。


「はぁぁぁぁぁ……」


 天蓋付きのふわふわのベッドに飛び込み、柔らかな枕に顔を沈めていく。

 長年愛用しているこの枕に、ワタクシは今までどれだけの涙を染み込ませてきたのだろうか。

 一ヶ月前。メイド達がワタクシへの陰口を話しているのを聞いた晩なんて、もう二度と使い物にならないんじゃないかと思うくらいびしょ濡れにしたのだけれど……。


「……ふ、ふふふっ」


 でも、今日は違う。

 私は初めて、涙の味しか知らない枕に……幸せな笑顔を与える事が出来るのだ。


「グレイ……グレイですって。くふふふふふっ……」


 このワタクシに笑顔で挨拶してくれただけではなく、あんなにも楽しそうに会話をしてくれた使用人の少年。


「年齢は……ワタクシよりも少し上なのかしら」


 枕の横。お母様から頂いたクマのぬいぐるみ(これが無いと寝られない)を両手で掴みながら、ワタクシは仰向けに寝返りを打つ。


「ねーねー、ゲベゲベ。今日はとっても良い事があったの」


『へぇー、ボクにも教えてよアリシア!』


「うん。それは……」


 いつものように、ワタクシはぬいぐるみのゲベゲベと一人二役で話す。

 小さな子供の遊びだとは分かってはいるのに……どうしても、私はこの子に頼ってしまう。


「この前、新しく入った使用人がね……!」


 今夜はきっと、涙の流れない楽しい夜になる。

 それもこれも全部。あの使用人……グレイのおかげ。

 ああ、今度はいつ話せる機会があるのかしら……?

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