第2話 ワタクシの前から失せなさい(デレるまで残り2話)

 それは……俺がまだ、オズリンド家で働く前の話だ。


「グレイよ。父さん……やっちまったぜ」


「は?」


「お前の騎士学校への入学金。全部、ギャンブルで溶かしちゃった」


 平民でありながら、騎士になりたいと願い……努力を続けてきた18年間。

 働かない酒飲み親父の代わりに毎日働いて、コツコツと貯めた入学金。

 その全てが水の泡になった瞬間。


「うっ、うわぁああああああああああっ!!」


 俺は怒りに任せて親父をボコボコにした後、その勢いで家を飛び出した。

 しかし、だからといって行く宛などありはしない。

 家も無く、金も無く。

 どうしようかと迷っていた時、俺の目に飛び込んできたのは……とある貴族のお屋敷の掃除係(住み込み食事付き)という求人だった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「ほう……それは大変だったね」


「いえ、滅相もございません」


 俺はすぐに、求人を出していた貴族……オズリンド家の屋敷へと直行。

 面接の為に当主様の部屋に案内され、素直に自らの事情を説明していた。


「いいだろう。君は見た感じも誠実そうだし、困っている者を救済するのは貴族としての責務だ」


「あ、ありがとうございます!」


 旦那様……ディラン・オズリンド様は、貴族でありながらも、平民である俺に優しい態度を崩さない良い人であった。

 俺はこれまで、貴族というのは誰も彼も鼻持ちならない奴だとばかり思っていたが、その認識は覆す必要がありそうだ。


「それに、ここ最近は使用人の入れ替わりが激しくてね。猫の手でも借りたいくらいだと思っていたんだよ」


「そうなんですか?」


「どうせすぐに分かることだ。隠さずに話すとしようか」


 そう呟き、ディラン様は顎に蓄えた渋い髭を撫でる。

 そして、これまでの柔和な表情から一転。険しい顔付きで口を開いた。


「実は私には亡き妻の忘れ形見……最愛の一人娘がいる」


「お嬢様、ですか?」


「ああ。歳は君より2つ下の16歳なんだが……その、なんだ。少しばかり、気性に問題があるのだよ」


「気性……」


「くれぐれも、娘の機嫌だけは損ねないようにして欲しい」


「……かしこまりました」


 この時の俺は何も知らなかった。

 まさか、この屋敷のご令嬢が……

 貴族達の間で恐れられている【氷結令嬢】だなんて。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「新人君、これから一緒に頑張ろうぜ」


「よろしくお願いします!」


 面接を終えてすぐ、俺は使用人の服に袖を通して働く事になった。

 まずは研修として、先輩の掃除係であるモリーさんから、お屋敷の掃除の仕方を教わっているわけだが……


「窓の拭き方は……そうそう、いい感じだ。上手いじゃないか!」


「前に清掃の仕事をやっていたので」


「へぇ? それなら、逆に俺が君に教わる事も多いかもしれないな」


 ガキの頃から夢の為に努力してきた成果が、こんな場所で役立つとは。

 人生とは、案外分からないものだ……と、思っていると。


「でさぁ、思わず笑っちゃったのよー」


「えー? それ、ひっどぉーい」


 俺が窓を拭いている廊下の突き当り。

 高級そうな壺を清掃しているメイド達のお喋りが、こっちまで聞こえてきた。


「……いいんですか?」


「ああ。あの子達も先週、入ったばかりなんだけど……困ったもんだ」


 モリーさんが新人メイド達を注意しようと、歩き出そうとした――その時。


「貴方達! 何をやっているの!?」


「「ひっ!?」」


 突然、誰かが大きな声で怒鳴る。

 それに驚いたせいで、壺を磨いていた手を滑らせてしまったのだろう。

 不安定な形状の壺はグラグラと揺れた後、そのまま台座から落ちて……


 ガシャーン。


「あっ……いたっ!?」


「なんて事を……っ!」


 壺を割ってしまい、慌てふためくメイド達。

 そこへツカツカと近寄ってきたのは……俺が今までに見た事が無いほどに、美しい少女だった。


「も、申し訳ございません! アリシアお嬢様っ!」


「……申し訳ございません、ですって?」


 キレイな金髪。整った美しい顔立ち。

 豊かに実った大きな胸。細いくびれの腰。

 俺の貧相な語彙力で形容するのもおこがましく思えるほどの、美の権化とも呼ぶべき少女……彼女がこの屋敷のご令嬢か。


「……お許しください! すぐに片付けますので!」


「必要無いわ。そんな暇があったら、今すぐ私の前から立ち去りなさい」


 冷酷な表情でそう呟くアリシアお嬢様の瞳は、とある一点に注がれていた。

 あれ、もしかして彼女は……。


「「そんな……!」」


「何かしら? このワタクシに文句でもあるの?」


「「ひぃっ!?」」


「この破片は……そうね。そこの窓拭きをしている貴方が片付けなさい」


 涙目で震えるメイド達を横目に、アリシア様は俺に片付けの指示を投げてきた。

 俺はそれを受けて、ペコリと頭を下げる。


「……ふんっ」


 そしてアリシア様は不機嫌そうに、そのまま廊下の奥へと消えて行ってしまった。

 それと同時に、張り詰めていた緊張が一気に霧散していく。


「うぅっ……!」


「酷い……! 何も、あんな風に言わなくてもいいのに……!」


 メイド達は不服そうな態度で、そそくさとその場から走り去っていく。

 そんな光景を見て、モリーさんは眉間にシワを寄せて首を振る。


「やれやれ。相変わらず、お嬢様は厳しいなぁ」


「厳しい、ですか?」


「だってそうだろ? お喋りをしていた彼女達も悪いとは思うが、壺を割ったのはお嬢様が急に怒鳴ったせいじゃないか」


「確かにそうですけど、でも……多分、アリシア様は優しい方だと思いますよ」


「え?」


 何を馬鹿な、という顔で俺を見るモリーさん。


「アリシア様、一度も【壺を割った事】を責めなかったですし」


 あれほど高そうな壺を使用人が割ったのに、それを一切責めない。

 そんなこと、並の貴族には到底真似出来ないだろう。 


「それにアリシア様はずっと、あの二人の足の怪我を見つめていましたから」



※※※※※※※※※※※※※



 メイド達の控え室。

 そこは主に、着替えや休憩の為にメイド達が集まる場所である。


「マジで最悪。なんなのよ、偉そうに!」


「ほんとよね。誰のせいだっつーの!」


「災難だったねー、二人とも。あーあ、足まで怪我しちゃって」


「でも、高い壺で付いた傷だから値打ちものかもよー?」


「んなわけないでしょー。あーあ、ツイてないなぁ」


 壺を割ったメイド二人に加えて、他のメイド達も一緒になって先程の一件について話している。

 無論、その話にはメイド二人による脚色がふんだんに盛り込まれていた。


「血も涙も無いわよ、あの女! こちとら、足の痛みを堪えながら片付けようとしたのにさー!」


「何が、今すぐ私の前から立ち去りなさい。嫌われ者のくせに、調子に乗るなっての」


「きゃははははっ、ひっどーい! でも、本当の事だもんねー」


 品の無い笑いや、アリシアへの罵詈雑言が控え室から漏れる。

 この余りにも迂闊な少女達は気付かない。

 いや、考えもしないのだろう。


「…………っ」


 控え室の扉一枚を隔てた廊下に、自分達が馬鹿にしているアリシアがいる事など。

 

「……あれ? アリシア様?」


「っ!?」


 扉に背を向けるようにしてアリシアが震えていると……ちょうどそこへ、壺の破片を片付け終えたグレイが通りかかる。

 それに気付いたアリシアはハッとすると、グレイから逃げるように駆けていく。


「今……アリシア様が持っていたのって」


 ほんの一瞬の出来事であったが、グレイは見逃さなかった。

 アリシアが大事そうに胸に抱えていたもの。

 それは傷に塗る為の【軟膏薬】……それも、治癒の魔力が篭められている高級品。

 騎士を目指す修行で、何度も病院に通っていた彼には見覚えがあったのだ。


「ははっ……やっぱり優しいじゃん」


 お喋りをしていたメイド達を怒鳴ったのは、よそ見をしていると危ないから。

 片付けをさせなかったのは、怪我の手当を優先させるため。

 グレイはこの時、自分のアリシアに対する仮説が正しいのだと確信していた。


「アリシア様……か」


 ただの掃除係にしか過ぎない平民の少年グレイ。

 彼がアリシアの専属使用人に選ばれ、

 彼女からの激しい寵愛を受けるようになるまで……残り一ヶ月の出来事である。

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