金とモルヒネ

硝水

第1話

「ボタンに牛乳が入ってるのは知ってる?」

 夕陽がほんの少しだけ差し込んだのがちょうど彼女の横顔を照らしていて、なんだか映画でも観ているような心地だった。込み入った路地の奥にある、この薄暗い喫茶店は密会にはうってつけといった雰囲気で、でも私達は別に人目を忍んでいたわけでもなかった。先の彼女の質問を脳内で反芻する。私は無論それについては承知していたので、すべてのボタンがそうというわけではないけど、と脳内で反駁しながら静かに頷いた。

「愛に毒が含まれてることは?」

 彼女はナポリタンを飲み下す毎に唇を舐めて赤みを落ち着けようとする。私はそれを眺めながら、ホイップクリームの溶け切ったココアを啜っていた。愛に毒か。

「そうかもしれない」

 そう思ったので、そのように答える。勿論すべての愛がそうとは限らない、という注釈を添えて。彼女は(おそらく貰い物の)金時計を閃かせる。目の前に壁掛け時計があるのに、だ。そしてそれを見計らったようにスマホのアラームが鳴る。

「今日はありがとう。またね」

「うん」

 彼女は先に立って(おそらく貰い物の)ブランドバッグを肩にかけて去っていった。彼女の食べ残したナポリタンを引き寄せ、ソース一滴残さぬよう食べ切る。彼女は私の次にも予定があって、そこでもまた食事をしなければならないのだ。そして愉快な思い違いでなければ、彼女は私に食べ残しを与えるためにわざわざ、飲み物でなく食事を注文するのだ。滞在した一時間で彼女が吐いた息をすべて肺に触れさせるように長い長い時間をかけてココアを飲んだ。


 お洋服、どこで買ってるの?と訊いたことがある。買ってないからわかんないんだって。(私以外の)顔も知らないたくさんの人の、彼女に着せたい、が寄り集まって固まってできたのが彼女のファッションだった。ハイブランドや、流行りのデザインや、時々怪しいコスプレ衣装みたいなのもあった。そんな雑多な趣味趣味を華麗にまとめあげて着こなす彼女の手腕には敬服するばかりであった。

 大きな箱に詰め合わせになったお菓子をくれたこともあった。冗談めかしたように、貢ぎ物、と言った。それは彼女が貢ぎ物として貰ったという意味か、私に貢ぎ物としてあげるという意味かは図りかねたけど、まぁまず前者であろうと思う。これを贈った人は可哀想だな、と思いながら賞味期限の近いお菓子をもぐついていた。こうやってたらい回しされるのも、他人の好意と同列に扱われるのも嫌で、私は会う時の食事代以外に彼女に何かを施したことはなかった。


 呼び鈴が鳴った。誰も呼んでいないし、零時を回った後の訪問者というのは妙であった。安アパートのドアスコープを覗くと彼女が立っていて、それもたしかに妙なことであった。ドアを開けるとタオルケットを被った彼女は裸足で、ここまで歩いてきたらしかった。

「ドア閉めて」

 足元に濡れタオルを敷き、足の裏を拭いて貰っている間に鍵をかけると彼女はタオルケットを丸めて胸の前に抱え込む。どういうわけか下着姿だった。

「服貸してくれる?」

 彼女をクローゼットの前まで引っ張っていき、好きなの選んで、と言い残してキッチンへ向かう。彼女は私よりも小柄だし、どれも着れないということはないだろう。紙コップにお茶を注いで持って行くと、彼女は去年のライブTシャツにデニムのショートパンツを合わせていて、私が着るよりかなり様になっていた。

「お茶いる」

「ありがとう。服も」

 彼女がお茶を飲み切るのを待って口を開く。

「どうしたの、今日は」

「何から説明したらいい?」

「思いついた順に話して」

「んーと、じゃあ……この間尾行して家突き止めちゃった、ごめん。それから、あたし自分で買った服ってもう一着も持ってなかった。それでね、あとは、毒が回っちゃった」

 底に残った水滴を飲み干さんと舌を出して首を傾けた彼女はそのまま倒れた。

「明日、服買いに行こう」

「いやだよ」

 彼女がしばらく居座る気でいるのは察していての提案だったのだが。私が黙っているのを見かねてか彼女が付け足す。

「あたし今お金持ってないし」

 彼女の意図するところに遅れて気付いたけれど、それは私の目論見が概ね成功していたことを裏付けるだけだった。

「私の愛にも毒は含まれてると思うけど」

「きみはモルヒネだから」

 彼女はTシャツの裾をびよんびよんに伸ばしながら弱々しく笑う。麻薬か。ちゃんと依存性があったらいいのだけど。

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金とモルヒネ 硝水 @yata3desu

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