嘘ばかり言う男
eLe(エル)
第1話
嘘ばかり言う男がいた。
狼少年。虚言癖。ホラ吹き地蔵。皆、色々な言葉で彼を罵った。
私は彼と同じ部署に配属することになって、初めて顔を知った。
「気をつけた方がいいわよ。あの人、本当に嘘ばっかりなんだから」
そんな忠告を受けた矢先、彼から挨拶をされた。
「あ、よろしくね。俺は吉田」
「よろしくお願いします。私は佐藤です」
「あ、そうなんだ。実は嘘ついてて、俺も佐藤なんだよね」
「え? そうなんですか?」
「ううん、それも嘘。実は卑弥呼です」
彼はそれをコメディアンのように言うのではなく、実に真面目に告げてきた。周りをそれとなく見れば、またか、という呆れた表情をしていて、私は静かに頷いた。
「とにかく、よろしくお願いします」
まあ、会社に入ればこれくらいの人、一人二人はいるだろう。そう思って仕事を始めていたのだけれど。
「佐藤さん、今すぐこれコピーしてくれない」
「あ、わかりました。急ぎですか?」
「ううん、来週必要なだけ」
「え、来週ですか」
「ううん、実はコピーもいらない。自分でコピーしたから」
本当ならそこで、苛立つものなのかもしれない。ただ私は、やるべき仕事をやらなくていいと嘘をつかれた時、困るなと思っていた。それ以外では特別、彼に感情を抱くことはなかった。
と、恐れていた事態がすぐに訪れた。直属の上司が帰社した後に、手元の書類に承認が必要だったか、今日中に先方に送るべきだったか、確認し損ねたのだった。それを知ってそうなのは、ベテラン社員の彼くらいだった。
私は少し迷ったが、彼に聞いてみることにした。
「あの、吉田さん」
「何?」
「この書類なんですけど」
「あぁ、これは明日でも大丈夫だよ」
「本当ですか?」
「本当だよ」
私は、とても不安だった。しかし、彼としてもこの部署で長く勤めてきている以上、会社の不利益になるような嘘までは吐かないだろう。そう思って、信じることにした。
次の日、私は大目玉を食らった。やはりあの書類は昨日中に送らなければいけなかったらしい。
私は流石に、彼に抗議しようと思った。すると、彼の方から。
「昨日の、送らなきゃ行けなかったんだね。ごめん」
「あ、いえ」
「嘘。実は知ってたよ」
「え?」
その顔は相変わらずポーカーフェイスで、嘘なのか本当なのか分からなかった。
「知ってたなら、どうしてそんな嘘ついたんですか」
「説明しても、信じてくれないでしょ」
「それはそうですよ、ずっと嘘ばっかり吐いてるんですから。でも、一応聞きます。どうして会社に迷惑が掛かるような嘘まで吐くんですか」
「この会社が嫌いだからかな」
彼がそう言うと、部内がピリッと空気に包まれた。この人は本当に怖いもの知らずだ。
「それは、嘘ですよね」
「うん、嘘だよ」
もはや彼がどちらのことを言ってるか分からない。仕方ない、これは経験として気を取り直して仕事に掛かろう。そう思っていたのに。
「この会社は、嘘つきの集まりだからね」
「だからどうしたんですか」
「嘘つきだって分かってる人間の嘘なら、一周回って聞く気になるんじゃないかな」
「はぁ」
本当に、何でこの人は首にならないのだろう。そう思ってノルマ表を見たら、ぶっちぎりの一位だった。不思議でならなかった。嘘のつき方が上手いからだろうか。
彼にそのノウハウを乞うた所で、まともに教えてくれることはないだろう。私は気を取り直して営業活動に勤しむことにした。
瞬間、彼がまた何か言おうとして、私は無視して電話を繋ぐ。
「はい、私担当の佐藤と申しますが……」
と、彼は私の受話器を取り上げて、そのまま乱暴に電話を切った。
流石におかしいだろうと立ち上がって。
「いい加減にしてください」
「君はここに来たばかりだから、知らないだろうけど」
「はい?」
「嘘を吐くのは、やめた方がいい」
「……ご忠告ありがとうございます」
もう話にならない。どの口が言うのだろう。すぐに荷物をまとめて営業に出る。
「はい、私先ほどご連絡差し上げました。えぇ、これからお伺いしますので、よろしくお願いいたします」
そう言って彼女は早足で営業先に向かって行った。
一人会社の窓からその様子を覗いていた彼は。
「……全く、この会社の仕事が詐欺だってまだ分かってないみたいだね」
嘘に塗れて生活をしていくうちに、本当の嘘が分からなくなる。おかげで目を輝かせた新人が、一切疑うことなく悪徳商品を売り込んでくれるもんだから、うちの業績は右肩上がりだ。
「なんて、嘘だよ、嘘」
彼はそう呟きながら、席に戻る。彼女が出て行った事務所で、彼は嘘つきだと冷たい目で見られていたはずの周りの社員と顔を合わせて、微笑んでいた。
嘘ばかり言う男 eLe(エル) @gray_trans
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