注文



 全層図書館の第三層。

 本来ならば七十二柱の神々や国王、それに並ぶ者にしか入ることの許されていない領域で、“黄金姫エルドラド”ナベル・ハウンドはまだ癒えていない傷の痛みに耐えながら歩いていた。

 隣では額に包帯を巻いた背の高い女性、グラシャラ・ヴォルフが珍しく落ち着かない様子できょろきょろと周囲を見回していた。


「凄い。私が見たことない本がこんなにあるなんて。興奮が止まらない、と思ふ」


「グラシャラさんは読書が趣味なんですか?」


「私の趣味は本とセルべロスくんの二つ、と思ふ」


「なるほど。いい趣味してますね。一応言っておきますが、皮肉です」


 ナベルとグラシャラが並んで歩く少し先には、異様な雰囲気を纏った男が二人。

 片方は深い緑の髪をした袴姿の神。

 第八柱“廃神ダンタリアン”。

 黒い棺桶を背負いながら、何が面白いのかニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて、ダンタリアンは隣の男に話しかけている。


「なあ、聞いたで。選別試練トライアルで第十一柱のベレトと遊んだんやろ? あいつ神域レ・ルム使えへんくせに、異能持ちやから相性悪かったんちゃうの? どう遊んだんか教えてや」


「ああ、鬼神か。あいつはよかったな。いい鍛錬レベリングになったよ。別にあいつのために用意したわけじゃないんだが、ドッペルゲンガーをぶつけたんだ」


「ドッペルゲンガー? あの寄生型の魔物ダークの? そんな珍しい玩具よう見つけたな」


「確かにな。あのタイミングで見つけられたのは今思えば幸運すぎる。若干の作為的な気配は感じるが、まあいいさ。成長レベリングに繋がれば何でもいい」


「それであのドッペルゲンガーをベレトに仕込んで、内側から食ったわけやな」


「いや、違う。ドッペルゲンガーは俺に寄生させた」


「は? なんて?」


「それで俺がドッペルゲンガーを殺すタイミングで、鬼神にも混ざってもらったんだ。そっちの方がお得だろ?」


「……シシャシャッ! どういうこと? 何がお得なん?? ちょっと待ってーや。理解が追いつかん。シシャシャシャッ! あかん。ネビぃ面白すぎるわ。君ぃと喋とると脳が溶けてまうよ」


 げらげらと神経質そうなダンタリアンを笑わせるのは、黒髪赤目の男。

 堕剣ネビ・セルべロス。

 始まりの女神に加護を剥奪され、自ら己の首を刎ね死んだはずの堕ちた剣聖だった。


「グラシャラさんは、ネビさんと同期なんですよね」


「そう。同じギフテッドアカデミー十三期生、と思ふ」


「ネビさんは昔から、あんな感じなんですか?」


「セルべロスくんは変わらない。多分産まれた時からあのまま。あ、赤ちゃんのセルべロスくん想像したら、ちょっと興奮してきた。抱きしめて食べちゃいたい、と思ふ」


 途端に何故か顔を赤らめモジモジとし出したグラシャラから視線を逸らし、ナベルは赤く錆びた剣を片手に堂々と歩き続けるネビの背中を見つめる。

 初めて会った時は、たった加護数レベル1のはずだった。

 それにも関わらず一年足らずの内に、もうナベルすら越えて加護数レベル39まで辿り着いている。


「……上には、上がいる。世界は、広いですね。広すぎる」


 そして今やナベルに至っては剣想想起発動の代償で、剣想イデアすら発現できない状態に陥っている。

 差があるのはわかっていたが、近づくことはおろか、むしろ遠のいていくばかり。

 黄金姫は完全な自信喪失に陥っていた。



「よお、やっと来たか。ネビ。遅かったな。一応聞いておくが、お前は本物だよな?」



 すると全層図書館の第三層の最奥。

 これ以上先は、最序列の神々と神下六剣しか進めない神層へと続く扉の前に、一人の男がいる。

 眩しい金髪にエメラルドグリーンの瞳。

 血と傷に塗れた服装から、激戦の跡が窺える。


「……アガリアレプト先輩! こんなところで会えるなんて!」


「だからいつも言ってるだろ。お前の先輩になった覚えはないってな」


 “剣王”アガリアレプト・ベッキー。

 超然とした雰囲気を漂わすその男もまた神下六剣。

 つまりは数少ないネビに並び立つ人外の内の一人だった。


「へえ? 剣王君。こんなところで、何の用? 僕ぅの試練でも、受けたいん?」


「驚いたな。第八柱、廃神ダンタリアンか。まさか最序列の神々すら味方につけてるとはな。本当にお前はいつも俺の想像を超えてくる」


 予想外の人物だったのか、廃神ダンタリアンも先程までのリラックスした雰囲気を打ち消して、臨戦態勢をとる。

 しかし剣王アガリアレプトは意外にも無抵抗をアピールするように、両手を上に向けるのみ。

 

「今の俺は、剣想が使えない。戦う意思は、ないよ。お前が世界の宿敵だとしても、止める術がない。そうだろ?」


「そうなのか? 残念だな。久しぶりに先輩と鍛錬レベリングできると思ったのに」


「芝居はやめろよ、ネビ。お前の罠に俺はまんまと嵌められたよ。相変わらず頭の回る奴だな、お前は」


「何のことだ?」


「まあいいさ。とにかく、俺はもう行くよ。お前のおかげで、俺は少しは前に進めた気がする。それに関しては、感謝しておくさ」


 ネビが不思議そうに首を傾げているが、それ以上言葉を交わすつもりはないらしく、そのまま剣王は歩き去っていこうとする。

 途中で、ナベルとアガリアレプトの瞳が交錯する。

 剣帝ロフォカレとはまた別の輝き。

 そこに黄金姫は問いかけをする。


「剣王アガリアレプト・ベッキー、貴方は誰よりも強くなれますか?」


「……初対面なのに、嫌な質問をする子だな」


 足を止めて、アガリアレプトが思案げに瞳を閉じる。

 神下六剣に、強さを問う。

 どうすればこの先も自分が足掻き続けられるか、知りたかったから。


「上には上がいる。ただ、それだけさ。大したことじゃない。誰よりも、というよりはネビより強くなる必要はない。守りたいものを、守れるだけ、強くなれれば、それでいい。物でも、誇りでも、人でも、何でもそうだ。いつだって越えるべきは、自分自身さ」


 一瞬、剣王を見つめる寂しそうなネビの方を振り返ると、そんな目で見るなとアガリアレプトは少し笑う。

 そして翡翠の視線をナベルに戻すと、肩を軽く叩く。

 穏やかな激励には、確かに後悔が滲んでいた。


「きっとそれを一番理解しているのが、あそこにいる堕ちた剣聖なんだろうな。だからお前は間違えるなよ、目指す強さを。強くなるためにネビを目指すのは間違いじゃないが、正解でもない。憧れと執着は違うからな」


 じゃあな、若き加護持ちギフテッド

 そうナベルに言葉を残すと、剣王アガリアレプトは外に繋がる全層図書館の上層へと、また歩き出す。


「先輩、また今度、レベリングしよう。始まりの女神を殺したら、会いにいくよ」


「来なくていい。せっかく錯覚だとしても勝ち逃げ気分なんだ。邪魔するな」


 二、三歩、前に歩く。

 そこでアガリアレプトは、また一度立ち止まる。

 名残惜しさを隠さないネビに向かって、顔だけを振り向かせる。


「ネビ」


「なんだ? やっぱりレベリングしたくなった?」


 穏やかな表情に僅かな真剣さを滲ませて、真っ直ぐと剣王は堕剣を見つめる。

 その彼が唯一敗北を認めた加護持ちは、きっと何も必要としていない。

 加護を剥奪されたことに対する弁明も、説明も、アガリアレプトに対して何もしない。

 その赤く錆びた剣想を持つ男が、揺るぐことはない。

 だから剣王は、一方的に注文をつけるだけ。



「二度と勝手に死ぬなよ。なんか、ムカつくからさ」



 剣王が、初めて感情的に言葉を紡ぐ。

 そこで視線を誰もいない前に戻し、それからは二度と振り向くことはない。

 剣王の背中を見送りながら、ナベルは少しだけ安堵した。

 ネビの背中だけを追い続けていると、心が折れそうになる時があるが、それは自分だけではなく神下六剣ですら同じであり、その事実が彼女の心を救ったのだった。

 




————

 




 痩せた森の中で、白い吐息を吐く。

 ひしゃげた大木。

 抉れた大地。

 大嵐の後のように景観の崩れ去った針葉樹林の中で、虚な瞳をした青年が立ち尽くしていた。

 

「あー、クタクタ。さすがに疲れたな。どうせ死んでくれるんだから抵抗とかしないでくれたらよかったのに」


 全く感情の乗っていない無表情で、青年は自分の頬をつねったり、引っ張ったりす。

 その際に白い肌に血が付着して、疲労だけが滲む顔が汚れる。

 

 第六柱“化神けしんオセ”。

 

 謎多き最序列の神々の一員である彼は、おぼつかない足取りで、ゆっくりと歩く。

 

「でもこれでノルマは達成か。これをエルに届けたら、コメットのところに戻らないと」


 不意に鼻から血が垂れてきて、それを手の甲で拭う。

 そこからまた数歩進んで、緩慢な動きで腰を屈めると、歪な長方形をした物体を両手に抱える。

 

「よっこらしょっと」


 オセが拾った物体は、美しい銀色の毛に覆われていて、粘っこい血が糸を引き続けている。

 デコボコとした表面を上に向けて、オセはその物体と



「ありがとうございます。堕神ベリアル。僕のために死んでくれて」



 第二柱“堕神だしんベリアル”。

 真紅の瞳を驚きに見開いたまま、もう物を言わない屍となった第二柱の生首。

 それを雑に抱えたまま、オセは身動き一つしないただの肉塊となった堕神ベリアルの胴体を踏みながらそのまま歩いていく。

 

「意外に重いな、これ」


 少しでも軽くしようと、片耳をもいでみたが、あまり重量は変わらない。


 溜め息を一つ。


 第六柱の神は、諦めたように深いフード被り直すと、第二柱の神の頭を抱えて深い森の奥へと消えていった。

 


 

 

  

 

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