終わりの女神


「殺すさ。お前は、殺していいんだ。そうだろう?」


 言葉に合わせて、二人の神が飛び出してくる。

 殺神パイモンと忠神ハーゲンティ。

 その両者の動きを冷静に見極め、腐神アスタは細かなステップを刻む。


「お手合わせ願います。第七十三柱の神」


「ほお? 知ってて挑むか。痴れ者め」


 驚異的な身体能力を生かして拳を振るうパイモン。

 そんな彼の動きに合わせて、サポートするようにハーゲンティは動く。

 見覚えのある構え。

 身体能力任せのパイモンに比べれば洗練された、精密な動きだった。


「その戦い方、誰に習った?」


「無論、我が女神より」


「なるほど。どうりで鬱陶しいわけじゃ」


 それでもアスタの全力は、忠神の武術を上回る。

 次々と繰り出される強烈な乱舞を、全て受け流す。

 右半身でパイモンを捌き、左半身でハーゲンティを対処する。

 アスタはバックステップを刻みながら対応しきった。


(もう一人の小娘はどこにいった?)


 勢いこそあるが大振りのパイモンに足払いをし転倒させ、防御の姿勢を一瞬とったハーゲンティに掌底を打ち込み距離をつくる。

 息つく間はないが、後手はまだ踏んでいない。

 すると上空に気配を感じ、アスタは顔を上に向ける。


「わあー! 君めっちゃ強いね! にゃははは! パイモンがボコボコにされるのも納得なのですますまる!」


「……お主、飛べるのか?」


 迷神セーレは、浮いていた。

 雨の宙空で、何もないところに胡座をかきながら拍手をしている。

 翼の類はない。

 しかし第七柱の神は空にいた。

 

「誰がボコボコだ殺すぞ」


 うねる寒獄コキュートス

 再びパイモンが自らの固有技能ユニークスキルを発動させる。

 これまでとは違い自らを中心にではなく、離れた空に大量の氷柱つららを創り出し、それを一気にアスタに向かって押し寄せる。


「どうぞ私のことはお構いなく、とお伝えする前にパイモン様は力を発動なされていますね」


 パイモンの広範囲氷結攻撃は、ハーゲンティもろとも。

 しかしそれを第五柱の神は気にすることなく、涼しげな表情で雨で濡れた髭を整えていた。

 

「芸のない奴じゃ。《編集エディット巻き戻リワインド——」


 取り戻した自らの固有技能を手繰り、その氷をまた改竄しようとする。

 だが、そこで灰鼠の空で高みの見物をする迷神が、チッチッ、と人差し指を二度横に振った。



「ダメだよ。もっと迷わないと……《忘留オブリヴィオン》」



 ——アスタの時空の上書きが、止まる。

 白銀の瞳を瞬きさせる間に、氷の牙が押し寄せる。

 固有技能は、まだ発動しない。

 思考を切り替え、アスタは鋭い氷剣に拳で対応する。


「ああ、いいな。これで殺せそうだ」


「ちっ」


 氷の雨の中、パイモンが白い息を吐きながら踏み込む。

 反応しきれず。一撃を脇腹にもらう。

 走る痛み。

 アスタは吹き飛ばされ、歓楽都市マリンファンナの建物を幾つも貫いたところでやっと踏みとどまる。


「《寒獄コキュートス》」


 畳み掛けるようにパイモンが氷の竜を形づくり、それをアスタに向けて解き放つ。

 殺神パイモンには固有技能発動時のクールダウンがほとんど存在しない。

 圧倒的な殺意を、容赦なく連発することができる。

 ネオンを放つ看板が凍結し、光すら氷に閉じ込めていく。

 

「さすがに小童三匹の面倒を見るのは目が回るのう……《編集エディット巻き戻しリワインド》」


 歪む、時空。

 氷竜が大口を閉じようとした瞬間、今度こそアスタの固有技能が発動し切る。

 雪に変わった雨が、また水滴に戻る。

 氷漬けにされたネオンが、再び明滅を取り戻す。

 瓦礫の中から、ゆらゆらと白銀の髪を揺らして、第七十三柱の神が瞳を光らせる。


「お主らに、聞きたいことがある」


「あ?」


 口元に僅かに付着した血を手の甲で擦り落とす。

 アスタは感情を他者に悟らせないようにした、冷たい目で三人の神を見つめる。

 不意に宙からセーレが地面に落ちてきて、氷柱の森の中からハーゲンティが肩に積もった雪を落としながら出てくる。


「お主らにとって、始まりの女神は、ルーシーはどんな存在じゃった?」


 唐突なアスタからの問いかけ。

 パイモンは不機嫌そうに眉をしかめ、セーレは不思議そうに唇を尖らせる。

 

「うーん? 迷うねぇ! その質問!」


「どんなもクソもねぇ。あいつも殺す。それだけだ」


「……」


 パイモンとセーレがそれぞれの答えを返す。

 ハーゲンティだけは無表情なまま沈黙を貫く。

 その三者三様の反応を見て、アスタは少しだけ寂しそうに笑った。


「そうか。なら、いい。なら、いいのじゃ」


「話は終わりだな? じゃあ、殺す」


 最後まで話を聞かず、パイモンが追撃に一歩踏み出そうとする。

 だがそれを、セーレが腕を取り引き止める。

 苛立ちに殺神は振り返るが、そこには珍しく真剣な表情を見せる迷神がいて、驚きに目を見開いた。


「待って、パイモン。本当に、迷わないといけない」


「あ? どういう意味だ?」


 カタカタッ。

 何かが、震える音がした。

 気づけばハーゲンティもパイモンの横に並び、腕を前に出し、それ以上前に進まないように促している。


「ハーゲンティ、何のつもりだ」


「見届けましょう。ルーシー様が唯一信じたお方の力を」


 カタカタッ。

 また何かが震えている。

 そこでやっと、パイモンは気配に気づく。

 あまりに大きな、神の気配に。


「取り戻した力は、何も固有技能だけではない。私の神域レ・ルムも本来の姿を手に入れた。逃げろ、小童ども。さもなくば滅ぶぞ」


 パイモンの額に、水滴が一つ浮かぶ。

 降り続ける雨ではなく、それは冷や汗。

 彼がこれまで経験したことのない、濃厚な死の気配。

 あまりに殺意になれた彼ですら感じ取ることができる、獰猛すぎる力。

 カタカタッ。

 どこからともなく聞こえるその音は、骸骨の哄笑のように錯覚する。



「盛者必衰の理を顕せ、【迦哩腐神域カリフ・レ・ルム】」



 空間が、黒く染まる。

 カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタッ。

 姿なき骸骨の歓声は止まらない。

 パイモンの冷気によって雪に変わっていた雨が、水滴を越えて真っ白な水蒸気に変化する。


「もらうぞ、その時間」


 反射的に、“寒獄コキュートス”をパイモンは発動させるが、氷の衝撃波は漆黒の神域に触れた瞬間、全てが水蒸気に変わり果ててしまう。

 瓦礫が全て、さらさらと砂埃に変わる。

 腐神の神域の中では、雨は降らない。

 

「にゃは、はは。さすがにこれは、ずるくないと思ったり思わなかったり?」


「あの神域に、触れてはいけないようですね」


 迫り来る黒の神域。

 その効能を本能的に悟ったセーレとハーゲンティは踵を返し、全力でアスタから離れる。

 

「……殺してる、わけじゃない。ただ、生き急がせてるのか」


 僅かに遅れて決断したパイモンも、一旦その場から離れることにする。

 カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタッ。

 積み上げられた石壁も、繁華街に立ち並ぶ高層建築物も、その全てが砂塵に帰していく。

 

「ああ、さぞ生き苦しかろうな」


 アスタの独り言が、枯れた世界に寂しく響く。

 障害物を破壊しながら、パイモン達は最短距離で走り抜ける。

 迫り来る神域。

 対抗する術を考える前に、身体が退避を望んでいた。


「凄まじいですね。これが、腐神アスタルテの力ですか」


 目の前で滅んでいく歓楽都市の街を振り返りながら、ハーゲンティが感嘆する。

 隣では珍しくセーレが大声で叫んでいて、呼応するように逃げ走る先に時空の切れ目が生まれ、その向こう側で泣き顔を模した仮面をつけた魔物ダークが丁寧にお辞儀をしている。

 それらを横目で見ながら、パイモンは一人舌打ちをする。



「……殺すのも、簡単じゃないな」



 カタカタッ、カタカタッ、カタカタッ。


 カタ、カタ、カタ、カタッ。


 カタッ。



 そしてこの日、連合大国ゴエティアの歴史から、歓楽都市マリンファンナの名前がなくなり、七大都市の一つが終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

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