狂言



 コーンッ、と竹が石を打つような抜けた音が響く。

 剣王アガリアレプトの肌が、悪鬼のように赤く染まっていく。

 これまで感じたことのない威圧感に、コメット・フランクリンは呼吸することすらままならない。


(これが、“剣想想起アナムネーシス”。初めて見るが、信じられない力。もはや、人が手にしていいものとは思えない)


 ひしひしと感じる重圧。

 剣王アガリアレプトの右腕に捕まりながら、世界がまるでモノクロに染まっていくような錯覚をコメットは覚えた。


「アハハハハハハハッッ!!!!!!」


 しかし、それでも堕剣の動きが錆びつくことはない。

 勢いそのままに、ガードの間に合わないアガリアレプトの顔面に白い切先を突き刺そうとする。

 爛々と輝く赤い瞳。

 黒い獣に対して、獅子の仮面を被った剣王が叫ぶ。



「ヨォーッ! アイヤー!」



 ぎゅるん、とアガリアレプトの首が軟体生物のように伸び曲がり、ネビの一撃を回避する。

 老婆を思わせる白い長髪が宙を舞う。

 コーンッ、とまたどこからともなく聞こえてくる甲高い音。

 異様に長い首をぶらんぶらんとぶら下げながら、アガリアレプトがあの誇り高い剣王とは思えない声を叫び続ける。


「よってらっしゃいみてらっしゃいッ! 天下無敵の大剣士! 剣王アガリアレプト・ベッキーの今世紀最大の大立ち回りィ〜! ここで見ずとしていつ見ずるぅ〜!? ヨォーッ! アイヤー!」

 

 ギュルルッ! という凄まじい音を立て、突如アガリアレプトの剣想がその刃を回転させ始める。

 細かな歯のように不揃いとなった刃が、高速で回転し斬るというよりは削るための凶器に変貌する。

 “翡翠狂言獅子威かわせみきょうげんししおどし”。

 想起状態になり、剣と呼べない外見に変わり果てた剣想を、手首のスナップだけでアガリアレプトは振り回し、自らの肩を切り捨てる。

 

「は?」


「アリャリャリャ〜ッ!? こいつぁドジっちまった! 生涯一の大恥っかきぃ〜ッ! ソイヤソイヤソイヤッ!」


 迸る血飛沫。

 掴んでいた右腕が取れ、コメットの思考が止まる。

 表情のない赤い獅子の仮面が、彼女を見つめる。

 コーンッ、という音がどこからともなくまた鳴り響く。

 心地よいはずの音色が、段々と不気味に思えてくる。


「ネビネビセルセルベロベロスぅ〜ッ! ここらで一丁首一つぅ〜! お駄賃代わりにもらえやしないかと問うてみるぅ〜!」


「なんだ?」


 腕を切り離したことで自由を取り戻したアガリアレプトが、首をもとの長さに戻すすと、突如逆立ちして、宙を向いた両足の先でネビが持つ剣を挟み込む。

 それはどこか滑稽で、芝居染みた光景。

 コメットの頭の中が、汚染されていくような気がした。


「ヨォーッ! アイヤー!」


 そのまま凄まじい勢いで、剣ごとネビを吹き飛ばす。

 突風が吹き荒れ、破れた本のページが紙吹雪のように全層図書館の中を舞う。


「どれどれ唾でもつけときゃくっ付くだろうよい。ほれほれ。芝居はまだ続く」


 アガリアレプトが獅子の仮面の内側に手を伸ばして、自らの指をしゃぶる。

 コメットもすでに手放して、地面に落ちていた自分の右腕を拾うと、傷口に唾をべちゃりと塗りたくり、ひょいといまだに血が止まらない肩口に雑に引っ付ける。

 ギュルルッ! と、なぜか再びまた刃が回り始めるアガリアレプトの剣想。

 確かに切り捨てたはずの右腕はそれだけで元通りになり、ぐるんぐるんと戯けた調子で肩を回す。


(いったい、どういうことだ? どんな能力なんだ? そもそも剣王の人格自体も大きく変わっている気がするが……)


 下手なスプラッタコメディーを見ているような感覚。

 剣想想起を発動させると、人格に大きな影響が及ばされるという話は聞いたことがあったが、それにしても剣王はほとんど別人と化しているように思えた。

 

「ソイヤソイヤソイヤッ! 祭囃子に手拍子ご拝借!」


 そこら中に落ちている書物が、すっとひとりでに立ち並び、パサパサと勝手にページを開いたり閉じたりを繰り返す。

 ばさばさばさばさ。

 あまりに不気味なスタンディングオベーション。

 それに満足したのか剣王アガリアレプトが両手を大きく広げる。


「踊れや《斬衝波ヴァニッシュ》。踊らにゃ損々」


 これまでとは違い、斬撃が忽然と宙に浮かぶ。

 その斬撃は瞬く間に増殖し、ゆらゆらと小鳥のように揺れている。

 道理のわからない光景。 

 コメットの視線の先では、ぼろぼろの堕剣が呆然とそれを見上げていた。


「これが、“剣王”アガリアレプト・ベッキー……」


 コメットもまた、諦観に立ち尽くしている。

 初めて目の当たりにする神下六剣の全力。

 獅子を模した仮面を被り、首を自由自在に伸ばし、切り捨てた右腕を簡単に付け直す。

 それはもはや、人ではない。

 寓話や与太話の中の、怪物物怪かいぶつもののけの類。

 コメットの想像は、もう追いつかない。


「……ね、ねぇ、君、一つ教えてもらってもいい?」


「……え?」


 すると、恐る恐るといった調子でコメットに声をかける者がいる。

 可愛らしい赤毛の羽根を頭から伸ばした、細身の少女。

 目元を黄色い化粧で鮮やかにしているのが特徴的な、第六十一柱の神。

 渾神カイムが、非常に怪訝な表情でコメットの肩を指で突く。



「さっきから、皆、何と戦ってるの?」



 ——コーンッ、と音が突き抜けた。

 少しだけ申し訳なさそうな、カイムの照れ隠し混じりの笑顔。

 刹那、長い時間をかけてコメットが身体に染み込ませた、強烈な自己暗示が薄まる。


「イマ、ナンテイッタ?」


 ぐるん、と剣王アガリアレプトの顔が百八十度回る。

 白髪を逆立たせたまま、蛙のように大きく跳躍する。

 たった一つの動作さえ、反応はできない。

 気づけば腹を踏み潰されている。


「がはッ……!」


「ぐぅええっ!? うちも巻き添えっ!?」


 カイムと同時にアガリアレプトに踏まれるコメット。

 踏んだ本人である剣王は、そんな二人のことはまるで気にしていないようで、腰を折り曲げて、自分の股下越しに辺りに視線を回す。


「……ああ、そういうことか。やられたな」


 いまだに宙に浮かんだ、白い斬撃の鳥たち。

 それを惚けた様子で見仰ぐ、ネビ。

 剣王アガリアレプトは、そこで気づく。

 彼の待ち人は、ここにはいないのだと。


「そうか。俺はまた、見たいものを見ていただけか」

 

 アガリアレプトの剣想が、消える。

 姿勢を正し、獅子の仮面を外す。

 肌から邪悪な赤みが抜けていき、穏やかな翠色の瞳が堕剣を見つめる。


「ならせめて、夢の中では勝たせてもらうよ、ネビ」


 空っぽになった手を、振る。

 宙で揺れていた数多の斬撃が、無表情のネビの下に殺到する。

 

 勝てると、思っていた。


 強さがあれば、全て救えると思っていた。


 でもそれは全て、幻想ゆめでしかなかった。



「ごめんな」


「なんであなたが謝るの?」


「だってお前が、悲しそうな顔をしてるからさ」



 数えきれない程の斬衝波が、ネビの亡霊に押し寄せる。

 何の抵抗もなく、それを受け入れる堕ちた剣聖。


 風が、また吹き抜ける。


 アガリアレプトが、隣を見る。

 そこでは涙ぐむ、美しい女性が一人立っている。

 剣王が世界で唯一愛し、そして唯一守りきれなかった人。


 剣を離した手で、隣に立つ彼女の涙を、拭う。



「笑ってくれ。お前の笑顔が、みたいんだ」

 

 

 夥しい量の斬撃がネビを切り刻むのと同時に、アガリアレプトの隣に立つ美しい女性の姿もまた、薄まって消えていく。


 きっと後悔するべきは、剣聖ネビに勝てなかったことではない。


 もっと愛する妻の傍に、いてやれなかったことなのだと、剣王は気づく。



 それでも最後に見た彼女の表情は、優しく笑っているように見えた。

 

 

 


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