剣王



「救え、【堕剣】。せめて私を」


 血の、匂いがした。

 黒い髪に、赤い瞳。

 自らとほとんど変わらない背丈の、赤く錆びた片刃の剣を持った男。

 堕ちた剣聖、ネビ・セルべロス。

 よく知る無愛想な顔が視界の中に見え、“剣王”アガリアレプト・ベッキーは脈が早くなるのを感じた。


「……始まりの女神から加護を剥奪されたと聞いた時は、正直迷った。さすがに加護のないお前になら、俺にも勝てる可能性があると思ったからだ。でも、それってどうだ? 意味、あるか? 弱くなったお前に勝っても、意味がない気がしたんだ。そもそも初めてお前と戦って、負けた時とは状況が違う。もはや今の俺に、お前と戦う意味はないからな」


 アガリアレプトはずっと握り締めていた右手を開く。

 目の前の男相手に、決して隙を見せてはいけないと知っていた。

 今のネビがどれほどの加護数レベルなのかはわからない。

 だが、全力で叩く。

 少しでも驕れば、足元を掬われると理解していた。


「だけど、お前が自分で自分の首を刎ねたという福音ゴスペルが流れた時、思ってしまったんだ。やっぱり、お前を殺すのは、俺でありたいと。あの日の借りを、まだ返せてないってな」


 ネビはまだ何も語らない。

 アガリアレプトの記憶と同じように、どこまでも冷め切った表情で、見下し続けるだけ。

 苛立ちはない。

 なぜなら、彼は一度敗北をしたから。

 強い者が弱い者を見下すことを、アガリアレプトは否定しない。

 彼は剣王でありながらも、自分が挑戦者であると自覚していた。


いななけ、【翠豹すいひょう】。誇り高く」


 空気が、震えた。

 アガリアレプトの右手に収まる、巨大な両刃の剣。

 剣王の剣想イデア

 重厚な鋼の中央部には真っ直ぐと溝が走る。

 薄らと翠に輝く白刃は鋭く、どこか神聖な雰囲気を漂わせていた。


「行くぞ、ネビ。堕剣おまえは、剣王おれが殺す」


 膝を曲げ、アガリアレプトが剣を構える。

 それとほぼ同時に、ネビが動く。

 ほんの僅かに蛇行しながら、側面に回り込むようにして赤錆が振るわれる。


「さあ、剣王せんぱい鍛錬レベリングをしよう」


「前にも言っただろ。お前の先輩になった覚えはない、ってな!」


 記憶の通りの台詞。

 ネビの動きに反応し、翠豹を振り抜くが、その剣閃は予期されていたらしく、空を切るのみ。

 しかし、ネビが自らの剣筋を呼んでくることは、想定内。

 剣の勢いを途中で力尽くで殺し、剣先を横から真下に途中で無理やり変える。


「砕けろ、ネビ・セルべロス」


「さすがだな。耐え切れない」


 ガツッ、と鈍い音を立ててネビがアガリアレプトの一撃を受け止めるが、規格外の一撃を耐え切ることはできない。

 赤錆に走るヒビ割れ。

 ただ、剣王は知っていた。

 これはあくまで、大前提。

 この赤い錆は、剣聖と呼ばれる男の力を抑える枷でしかないと知っていたのだ。


「俺相手に錆びた剣なんか、使わせるかよ」


「堕ちろ、【赤錆】」


 ネビの気配が、増す。

 赤錆が砕け散る前に、消失する。

 力の負荷対象が急に消え、体勢が崩れたアガリアレプトへネビが拳を振るう。


「隙に乗じて、じゃない。わかってるさ。お前はそういう奴だ。そういう戦い方をする」


 しかし、アガリアレプトはあえて目の前のネビではなく、周囲に意識を集中させる。

 ネビ・セルべロスという加護持ちの戦い方は、その身をもってよく知っている。

 傾向こそあるが、対策を練ることはできない。

 なぜならその剣聖は常にその場でしか成立しない戦術をもって挑んでくるからだ。

 


「ネビ様に染まれば染まるほどに、《苦空無我アニトヤ》」



 視界の隅で、美しい白髪が踊るのが見えた。

 卓越した戦術構築能力。

 彼の知る剣聖は、周囲の環境全てを利用する。

 当意即妙の境地。

 元人類最強の男は、触れたもの全てを錆びつかせ自らの剣とした。


「剣王だかなんだか知らないけど所詮は人類二番手以下の有象無象なんだからあんまり調子乗らないで欲しい」


「俺との力量差を理解しながらも、迷わずネビのために突っ込んでくるか。なるほどな。お前もまた犠牲者の一人ってわけだ」


 背後から迫る、ノアの気配。

 アガリアレプトは自らの剣想を、一撫でする。


「【翠豹】」


 小さな旋風が、巻き起こる。

 その風に乗って、アガリアレプトは急速な方向転換を行う。

 これこそが剣王アガリアレプトの剣想の異能。

 自らの傷の治りが遅くなる代償に、体勢を変える程度の小さな風を操ることができる。


「でもお前如きが、耐え切れるか? ネビの剣になり得る器なのか?」


「耐え切る? 耐え切る必要、ある?」


 ネビの拳撃を紙一重で回避しながら、背後に翠豹を振るう。

 剣王の一閃。

 並大抵の者では、受け止めることはできない。

 しかし、その“潔癖”の少女は瞬き一つなく、自らの鍔すらない雪のように白い剣を黒く染める。


「《山王権現ビマシッタラアスラ》」


 ノアの細腕が、漆黒に染まる。

 ゴキゴキと不自然な音を立てて、筋肉が膨張し硬化。

 剣術において人類最高と称された加護持ちギフテッドすら反応に遅れる、神速の一撃。


「なるほどな。一振りなら、耐え切るか」


 轟。

 剣王の一閃と、ノアの黒閃が衝突する。

 巻き起こる嵐のような風。

 風圧で、ネビが吹き飛ばされるような形で距離をとる。

 威力は、ほぼ互角。

 体勢が不安定で、足が地面についてない分、アガリアレプトが僅かに押し負ける。


「だが、一振りだけじゃ、足りないだろ?」


 弾かれた、翠豹。

 僅かに痺れる、手首。

 しかし、それだけ。

 もう一度、緩んだ手を強く握り直す。

 返す刃で、翠豹をもう一度振り抜く。


「気をつけろ。その元剣聖は、剣を使い捨てるからな」


 固有技能ユニークスキルを発動させた直後の、硬直。

 一方、アガリアレプトにとってはただの一振り。

 二閃目に、ノアは反応できない。


「使い捨てで結構それでもノアを拾ってくれたことに変わりはない」


 風が、踊る。

 アガリアレプトが返す刃で、袈裟にノアを切り裂く。

 致命的な一撃。

 肩から腰にかけて、刻まれた剣跡。

 迸る、血飛沫。

 ノアの紫紺の瞳から、光が薄まっていく。

 

「もったいないな」


 剣王アガリアレプトは力なく倒れ込む白髪の少女を、残念そうな目つきで見やる。

 今度こそ、再起はない。

 ノアを意識から切り離し、ネビの気配を探る。


「先輩がぁ、こんなにぃ、近くにいるぅうううう!!!!!???」


「今度はなんだ?」

 

 唐突な、絶叫。

 一度距離をとっていたはずのネビが、気づけばまた背後に迫っている。

 攻撃体勢はとっておらず、なぜかアガリアレプトの腕に抱きつくような行動を取る。

 理解は不能。

 しかし、それもまた予想通り。

 想像を超えてくるのがネビ・セルべロス。

 想定外であることは想定内。

 アガリアレプトは、その奇行の狙いを探す。

 答えを頭の中で見つけるより先に、耳を劈く絶叫が回答を示す。


「gyaoooooooooooooo!!!!!!!!!」


 目と鼻のない白い魔物ダークが、ひしゃげた腕を振りかぶっている。

 対応しようとするが、腕が重い。

 全力で腕に絡みついた、堕剣ネビが笑う。


「先輩の手、あったかぁい」


「……相変わらずお前の言う冗談は、鳥肌が立つよ」


「gyaaaaaaaoooooo!!!!!!!」


 主君ネビもろとも。

 ギャオが壊れた腕を、凄まじい勢いで膨張させながら、アガリアレプトに伸ばす。

 急速な膨張に耐え切れず血肉が吹き飛びながらも、すぐに再生を繰り返しつつ、迫りくる巨大な腕。


「再生能力持ちか。それにしても、嫌な使い方だな。誰に習った? どうも悪い見本を見て育ったらしい」


「gyao!!」


 “異常再生フリクサー”。

 襲いかかる狂気の技に、緑の視線を送る。

 アガリアレプトは、思考する。

 腕に絡みついたネビは、離す気配を見せず、耳元でハアハアと無駄に喘ぐだけ。

 目の前のブヨブヨとした肌の魔物は、まるでネビの姿が見えていないかのような大胆さで、ネビごと一気に潰しに来ている。

 読書の趣味はない。

 多少の焚書に対して、躊躇いはなかった。



「理を断て。《斬衝波ヴァニッシュ》」

 

 

 堕剣の絡みつく右腕ではなく、空いている左手。

 ただ手刀を軽く振り抜いただけで、凄まじい大きさの斬撃が飛んだ。

 衝突。

 ギャオの腕が、半分消し飛ぶ。

 余波で、本棚が半壊する。

 剣王は、澄んだ瞳で、もう一度手を振る。


「《斬衝波ヴァニッシュ》」


 山すら砕くほどの一撃を、容易く連続で発動させる。

 ギャオの腕が肩まで、消し飛ぶ。

 魔物は涙のように涎を撒き散らしながらも、再び腕を再生させる。

 ネビの絡みついた右腕のことは、一旦意識から切り捨てる。

 不死身の怪物に、意識を集中させる。

 

「gyaaaaaaaaaaao!!!!!!!!!」


 これまでより、さらに速く。

 自らの血霧の中を、貫く骨と肉と皮膚がごちゃ混ぜになった腕とも呼べない肉塊。

 それでも剣王は、別れに手を振るだけ。


「《斬衝波ヴァニッシュ》。《斬衝波ヴァニッシュ》」


 二連の斬撃。

 ギャオの再生速度を、剣王は容易く超えていく。

 完全に消し飛んだ、ギャオの片腕。

 あと一度、手を振れば、それで終わる。

 右腕に残っているのは段々と弱くなっている人の重み。

 視線の先には腕の再生が追いついていない魔物。

 白い剣想を掴んだまま地面に倒れ伏した白髪の少女。


 過るのは、違和感。

 

 アガリアレプトは視界に映る情報と、自らの感覚に引っかかりを感じる。

 ギャオを潰すべく、再び斬撃を飛ばそうとしながら、違和感の正体を探る。


「《斬衝波ヴァニッシュ》——っ!?」


 左手を振り抜き、そこでやっとアガリアレプトは違和感の正体に気づく。

 右腕の段々と弱くなっている人の重み。


 なぜ、弱くなっている?


 視線をずらし、右腕を確認すれば、そこに絡みついているのは黒髪の少年にも少女にも見える小柄な加護持ちギフテッド

 意識をギャオに集中させた、ほんの僅かな一瞬の隙。

 そこで、入れ替わった。

 もっとも目を離してはいけない堕ちた剣聖の姿を、慌ててアガリアレプトは探す。


「さあ、剣王。腹は減ってるか?」


「……ネビィいいいいいい!!!」


 飛んでいく、斬衝波ヴァニッシュ

 消し飛ぶ、ギャオの上半身。

 血の雨が、神層の書物を赤く濡らす。

 吹き飛んだギャオの背後から、飛び出してくる黒い野獣。


「……漂白ノアを拾ってネビ様」


「アハハハハハッッッ!!!!!」


 ギャオの半身が消し飛ばされることを前提とした、死角からの飛び出し。

 まるで前方ではなく、脳内から響き渡るように感じるネビの高笑い。

 ノアの剣想を拾い上げ、一気に加速し、アガリアレプトの目前に赤い瞳が迫る。


 反応が、遅れた。


 右腕も、左腕も、一手出遅れている。

 しかし、怒りは燃え続けている。

 それは他人の痛みも、命も、盤上の駒扱いするネビの戦い方に対してでもあり、そんなネビに後手を踏む自分に対してでもある。


「俺は、守れなかった。この世界で俺にとって最も大切なものを、守れなかった」


 回顧は後悔と怒りに満ちている。

 たった一つの条件だった。

 彼の愛する者を救うたった一つの条件。

 

 最も強い者であること。


 どんな傷も病も治す能力を持つ神と結んだ、その条件を彼は満たせなかった。


「だから、誇りは捨てるよ。誇りを捨てても、悔いは残る」


 剣王が、嘶く。

 誰よりも誇り高く、強くあろうとした剣王は、自らの剣技を否定する。

 それは酷く醜い、誇りのない、世界を壊すためだけの剣。


「【剣想想起アナムネーシス】」


 風が、止んだ。

 アガリアレプトの周囲に魔素が満たされ、鎧のように彼の体に纏わりつく。

 翠と紅が魔素を色付け、彼の剣想の刃がぎざぎざと不揃いな牙のように変形していく。

 かつて、ネビと一度だけ戦った時、彼は剣想想起を発現させなかった。

 それは、誇りがあったから。

 ネビも剣想想起を発動させなかったため、対等に戦おうと合わせたのだ。


 たった一つの、剣王アガリアレプトの人生最大の後悔。

 

 ゆえに、誇りを捨て、後悔の中で、彼は剣を振るう。


 目の前の人間を、壊すためだけに、剣王は剣を握る。


 赤肌の獅子を模した仮面がどこからともなくアガリアレプトの顔を覆い、美しい金髪から色素が抜け、地面にまで届く老婆のような白髪に変化する。



うそぶけ、【翡翠狂言獅子威かわせみきょうげんししおどし】。情け無く」

 

 

 

 

 


 

 

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