役割


「その首、貰いますね? わんわん」


 “黄金姫エルドラド”ナベル・ハウンドは、夕日に似たダークオレンジの髪をした女神を捕捉する。

 先端の尖った耳。

 一見自信のなさそうな狼狽えた表情。

 逆十字のネックレス。

 事前に聞いていた情報の一人と一致している。


(パターンB。第九柱“苦神グレモリー”、ね)


 すでに発現させている剣想イデアを握る力を強め、冷静に首元を狙う。

 白煙の中からの奇襲。

 先手を取るのは最低条件。

 ナベルは自らが命の瀬戸際にいることを自覚していた。


「ひぃっ!? だ、誰ですかっ!? 人の子?」


 ナベルが一振りをする間に、苦神は三歩分のステップを刻み、回避をしつつ反撃の態勢を整える。

 瞬間、放たれる鋭い蹴撃。

 不意打ちが届かないことを予想していたナベルは、黄昏を胸元に構え蹴りを受ける。


「ごめんなさいっ! 私いま、人の子に構ってる余裕ないんですっ!」


「ぐっ!」


 ずしり、と感じる凄まじい圧力。

 華奢な外見とは全く一致しない、超重量級の一撃。

 最序列の神々に相応しい一蹴に、ナベルはいとも簡単に吹き飛ばされる。


(当たり前だけど、強すぎる。勝てるイメージが、湧かない)


 部屋の壁を突き破り、なんとか廊下を転がるところで勢いを止める。

 ただ一撃もらっただけで腕が痺れてしまい、今にも剣想を落としてしまいそうだった。

 それでもナベルはすぐに顔を上げ、再びグレモリーの下へ疾走する。



『まあ、僕ぅのところに最初に来るのは十中八九アスモデウスやろな。次に考えられるのはグレモリーらへんか。あとはセーレあたりも可能性はあるかもやけど、あいつは対策するだけ無駄やから考えんでいい。もしグレモリーが来たら喜んでええよ。あいつの固有技能は格上向けやからな。君ぃら相手に使ってくる場面はほぼないと言っていい』



 格の差を見せつけたはずにも関わらず、血気迫る勢いを変えないナベルを見て、グレモリーが再び驚きに目を丸くする。

 なぜ、この少女は自らに剣を振るうのか。

 理解が追いつかなかった。


「あれっ!? 私の話聞いてましたっ!? いまちょっと立て込んでるので、手荒な真似でしか対応できないですよっ!?」


「聞こえている上で、無視しているんですよ。憂うには、もう遅い。《金環日食イクリプス》」


「きゃっ!? 眩しいっ」


 迷わず固有技能ユニークスキルを発動させるナベル。

 視界全てを埋め尽くす閃光。

 白爆の世界の中で、黄金姫は牙を研ぎ澄ます。


『君ぃらにできるのは、ひたすらに攻め続けることだけや。少しでも受けに回れば、すぐに終わる。そこで君ぃらは、を果たせなくなるで』


 役割が、ある。

 自らの命より大切な、役割が。

 そのために、は勝てる可能性が万に一つもない殺し合いに挑んでいた。



「どれほど眩しくても、血の匂いは手に取るようにわかる、と思ふ」



 黄金の光の中で、美しい波紋に彩られた片刃の剣が煌めく。

 綾なせ、友禅ゆうぜん

 吐息のような声で、剣想を呼ぶ。

 細かやかに結われた藍色の髪が、揺れる。

 もう一人の加護持ちギフテッド——グラシャラ・ヴォルフが刃を神に突き立てる。

 

「えぇー! 二人目っ!? どうして!? 私、一応、最序列の神ですよ!? あんまり逆らわない方がいいというか! あなた達人の子では、絶対敵わないですって!」


 ナベルよりも速い一閃。

 それでもグレモリーは第九柱の肩書きに恥じない反応で、上体を逸らして紙一重で避け切る。

 グラシャラが舌打ち一つ。

 カウンターに蹴りを側頭部にもらい、脳が揺れ、額が切れ血が飛ぶ。


『僕ぅに出来るのは、ネビぃの心臓を治すところまでや。その先は、君ぃらがやるといい。エンジンを直すのは僕ぅで、エンジンをかけるのは君ぃら。わざわざネビぃが、君ぃらにその役割を与えたんやろ? なら、心配ないよ? おもろく、なるよ? 君ぃらが責任持って、命をかけて、おもろく、せなあかんよ?』

  

 自らより加護数レベルが上のグラシャラですら、まるで歯が立たない。

 想像通りでは、ある。

 相手は最序列の神々。

 あの神下六剣ですら、まだ試練を突破していない未知なる規格外の力を秘めた怪物たち。

 それでも、ナベルは立ち止まらない。

 まだ、黄金は輝き続けている。


(ずっと疑問だった。どうしてネビさんは私が傍にいることを許したのか。私は、弱い。まだまだ、弱い。あの人の、役に立てない。剣帝ロフォカレを見て、理解できた。ネビさんの邪魔にならないのは、最低でもあの領域にいる人だけだと)


 視界は奪ったまま。

 グレモリーはあくまで反撃カウンターしかできない。

 この黄金が消える前に、辿り着く必要がある。

 あの、領域に。

 一線の、向こう側に。


「グラシャラさん。血は、足りていますか?」


「無論、まだまだ渇き切っている、と思ふ」


「ふふっ。よかったです。では、お供しますよ、血の海に浸るまで」


 廃神から自らの役割は、すでに聞いている。

 最初のその話を聞いた時はナベルですら驚いたが、今ではそれが自然な結論だと受け止められていた。

 点と点が、繋がった感覚。

 どうして自分を、ロフォカレとあの古の魔物ダークに出会わせたのか。

 全ては、この時のため。

 そう考えれば、全てに納得がいく気がした。


「そう、私は選ばれたんです。私が、選ばれた。ふふっ。今、この瞬間に、ここにいていいと、あの人が許してくれた……っ!」


 黄金姫は、焦がれていた。

 堕剣が死んだ、その訃報が届いた瞬間から、ずっと燻り続けていた火の種が急速に勢いを増していく。


「選ばれたのは私の方、と思ふ」


「ご冗談を」


「は?」


「なにか?」


 バチバチ、とグラシャラとナベルの間に剣呑な気配が満ちる。

 それでも、二人の加護持ちは剣想を第九柱に向けたまま。


「うぅ、なんでこの子たち、こんなに必死で私を殺そうとしてくるんですか!?」


「私が選ばれた、と思ふ」


「私が選ばれたんですよ、クソが」


 ナベルは自らの異能のため、金環日食の影響受けず、正確にグレモリーの位置を把握することができる。

 グラシャラは最初に自分の固有技能を使い、赤い犬を爆発させグレモリーにマーキングしたため、その位置を追尾することができる。

 狂気の猟犬と赤狼が、苦神を執拗に追い立てる。


「セルべロスくんが、待っている。涎をたらして、待っている、と思ふ。彼の役に立てるなら、どれほど血を流しても構わない」


 加護数レベルの差で、グラシャラの方が先に届く。

 視界を奪われているグレモリーの動きに段々と慣れ始め、カウンターを貰う回数が減り始める。


「堕剣が死んだ? どいつもこいつも、わかってない。クソ馬鹿どもがよ。ネビさんが、本当に死ぬと思っているんですか? 脳みその中、何が入ってるんですか? クソしか詰まってないなら、カチ割って便器に突っ込んでやろうかアアアアアアアアアア!?!?」


 ナベルが咆哮する。

 全く足りていない身体能力の差を、観察と分析で補う。

 グレモリーの一挙手一投足、呼吸の乱れまで青い瞳に焼き付け、瞬きをする暇もないほどの情報量を頭に叩き込む。

 

「ひぃいい!? な、なんかこの子たち凄い怖いんですけどっ!?」


 グラシャラとナベルの動きが、加速していく。

 眩い黄金の中、徐々にグレモリーは二人の加護持ちの動きに遅れを取り始める。

 前提として、蹴りを主体とした戦闘パターンが、初めから把握されている。

 表面上ではぶつかり合っているが、互いの邪魔をしないように調和の取れた連携攻撃。

 片方を振り払えば、もう片方が襲いかかってくる。

 

「うぅ、まずいまずい。気持ち悪くなってきた。こんなところで時間を取られていたら、アスモデウスさんに怒られちゃう。苦しい苦しい。オェ。気持ち悪い」


 薄皮一枚、削り取られる。

 グレモリーに、狂犬たちの牙が掠り始める。

 焦燥に、息苦しさを感じ出す。


「苦しい、苦しい、苦しい。どうしてこの世は、これほどに苦しいんですか?」


 苦神グレモリーは、そこで瞳を閉じる。

 全身をだらりと弛緩させ、口を半開きにして、気配を探す。

 動きが読まれ出しているのは、わかっていた。

 だが、それは第九柱の神もまた同じ。

 愚かな人の子たちの動きに、彼女また慣れ始めていた。


「苦しいのは、私だけでいい。せめて人の子は、苦しませずに済ませます」


「なっ!?」


 正確無比に首を狙った一撃。

 捉えられたのは、ナベル。

 急所を狙うことに固執した代償に、そこを待ち構えられた。

 素手で掴まれた黄昏。

 神の血が、溢れる。

 そして視界が白く飛ぶほどの一撃を、ナベルは顔面にくらう。

 

「もう、苦しまなくて、いいんです」


「がっ……は」


 これまで蹴り主体から一変。

 手刀を織り交ぜ、グラシャラの友禅を弾き飛ばし。無防備な下腹部を問答無用で貫く。

 神の手に、人の血がこびり付く。

 苦悶の表情を浮かべながら、グレモリーは貫いた手を抜き去ると、強烈にグラシャラの身体を蹴り飛ばした。


(まずい、頭が、光が、消える)


 点滅する視界。

 ナベルは知らない間に横たわっていた身体をなんとか起こすと、勢いよく咳き込む。

 神経のどこかがやられたのか、視界がモノクロに染まり、色が消えた。


「溢れて溶けて交わりて、《赤縄繋足ゲルニカ》」


 ナベルの視界の中で、漆黒の狼が雄叫びを上げる。

 天井に届きそうなほどの巨躯。

 首が二つあり、ドボドボと白い涎を流している。

 グラシャラ・ヴォルフの固有技能ユニークスキルは、流した血の量に依存した怪物をしもべとして召喚することができる。

 二頭狼オルトロス

 今のグラシャラが顕現させることのできる最大出力の血の狼が、静かに嘶く。


「wooh」


 そんな白黒の世界で、ナベルは自らの輝かしい過去を回想していた。

 ほん少し前まで、一切のノイズなく、完璧で、思い通りだった、人生不敗の黄金の日々。



『すごいわ! ナベル! あなたは天才よ!』


『噂のナベル・ハウンド、か。強すぎる。俺は、加護持ちにはなれない。お前みたいな奴だけが、きっと生き残っていくんだろうな』


『あれがナベル・ハウンドか。黄金世代最強の加護持ち。すげぇな』


『聞いたかよ。もうあの黄金姫は選別試練を突破したらしいぜ』


『剣聖が堕ちたんだってさ。もう、決まりよ。次の神下六剣はナベル・ハウンドに決まってる』



 ずっと、特別だった。

 ナベルは、自分だけが特別なのだと信じていた。

 剣想を握ったのも、加護持ちになったのも、魔物を討つのも、全ては特別である自分のため。

 ナベル・ハウンドという存在証明のために、彼女は輝き続けてきた。


「woh——」


「苦しいですよね? 可哀想に。今、救ってあげます」


 凄まじい勢いで飛びかかる二頭狼。

 しかしそれすら凌駕する反応と速度で、グレモリーは血狼の顎を掴むと、勢いよく上下に引き裂いた。

 これまでとは変わって落ち着き払った表情で、苦神は血飛沫を身に受ける。

 

「……やはり届かない。まだ私にはこの役割を果たせない、と思ふ」


「誰も悪くないんです。神も人も、悪くない。ただ私たちは平等に苦しんでいるだけ」


 もう一つの頭を、今度は蹴り潰す。

 そこでグラシャラの固有技能は、消えてただの黒い血溜まりとなった。

 

「私はずっと特別だと思っていた。私だけが、特別なんだと」

 

 もう黄金は、消えた。

 白と黒の世界で、ナベルは自らの剣想をそっと撫でる。

 美しい、黄金の刃。

 これ以上はないと、錆びることはないと信じていた自分の分身。


「でも、違っていた。私は、特別じゃない」


 それは認めてしまえば、二度と後戻りはできない。

 自分という存在証明を、自分自身で否定する。

 ある意味で、自らの剣想イデアを捨てるような行為。



『無意味だから。それだけだ』



 ナベル・ハウンドという存在に、価値はない。

 これまで自身だけが唯一絶対だと信じていた彼女にとっては、あまりに残酷な現実。


 だが、それはもう、乗り越えた。


 引かれた一線。

 その先に踏み込むための覚悟は、ゆっくりと時間をかけて、身に馴染ませた。

 もう二度と消えない、錆びが心に染み渡っている。



「【剣想想起アナムネーシス】」



 モノクロの世界が、僅かに傾いた。

 黄金に、影が差す。

 覚悟はあるが、資格も、力も、足りていない。

 それでも、ナベル・ハウンドは、その一歩を踏み込む。

 全てを失う準備は、できていた。


「何をするつもり、ですか?」


「ごめんね、【黄昏たそがれ】。私は、私たちは、特別じゃなかった。本当に、ごめんね。私のためだけに貴方を振るうつもりだった。でも、もうそれはできないの。私という陽は、堕ちてしまった」


 苦神グレモリーが、これまでとは違う表情を見せる。

 いつもの不安気な表情ではなく、最序列の神々に相応しい威厳に満ちた警戒の視線。

 神としての本能が警鐘を鳴らす。

 あの金髪碧眼の少女は危険だと。

 神に届きうる狂気を、孕んでいると。



「嗤いなさい、【金糸雀斜陽かなりあしゃよう】。がそう望んでる」



 黒い影が、世界を包む。

 刹那、苦神グレモリーは最序列の神の力を解放することを決意する。


 これ以上は、先手を取らせてはいけない。


 ナベルの手に握られた黄金の刃に、落日のように黒紋が広がっていくのを目にすると、これまで感じたことのない危機感を覚えた。


 攻勢に、出る。


 第九柱の神は、両手を重ね、複雑に指を絡める。

 


哀毀骨立あいきこつりつに日を悼め、【不吉祥天神域アラクシュミ・レ・ルム】」



 咄嗟に、神域を発動させる。

 眩しい茜色の光が広がり、ナベルが生み出した影を払っていく。

 苦神グレモリーの神域に包まれた黄金姫は、ゆっくりと嗤う。

 

「これで、私の役割は、果たせましたね」


 黒い陰が刻まれた剣想に、ヒビが入る。

 覚悟はあっても、力が足りない。

 粉々に刻まれ、砂のように崩れ去っていくナベルの金糸雀斜陽。

 もういくら呼びかけても、返事はない。

 しかし、それでもいいと、黄金姫は知っていた。

 

「……え?」


 先に違和感に気づいたのは、苦神グレモリー。

 顕現させたはずの、自らの神域。

 脅威に感じたナベルの剣想は、すでに消え去った。


 それにも関わらず、、されている。


 最初から、ナベルは最序列の神々に届くとは思っていない。

 彼女の役目は、勝つことではない。

 あくまで、引き摺り出す、だけ。

 この神域だけが、エンジンをかけるための鍵だった。



「《領壊神犯インクイジション》」



 反射型発動技能カウンタースキル

 変更不可の自らが設定した条件を満たした瞬間、自動で発動するという珍しい形式の異能が存在する。

 この力は、本人の意思とは関係なく、発動する。

 たとえ使用者の意識がなくとも、永遠の眠りについていたとしても、条件さえ揃えば、再び息吹を取り戻す。


「オェ。気持ち悪い。なんですかこれ? 私の神域が、魔素に、侵食されていく……?」


 ぞくりと背筋が、凍る。


 何かが、来る。


 何か怖ろしいものが、近づいてきている。


 もはや二人の人の子も、廃神ダンタリアンさえ気にならなくなるほどの、存在感が身に迫っている。


 ミシミシと、音が聞こえたのは、足元。


 床がヒビ割れ、咽せ返るほどの魔素が溢れ出す。


 崩れ去った床から、黒い獣が赤い目を光らせている。


 そして苦神グレモリーは、試練に直面する。



「——さあ、濡れろ。【赤錆】。試練レベリングの時間だ」

 


 

 

 

 

 

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