役割
「その首、貰いますね? わんわん」
“
先端の尖った耳。
一見自信のなさそうな狼狽えた表情。
逆十字のネックレス。
事前に聞いていた情報の一人と一致している。
(パターンB。第九柱“苦神グレモリー”、ね)
すでに発現させている
白煙の中からの奇襲。
先手を取るのは最低条件。
ナベルは自らが命の瀬戸際にいることを自覚していた。
「ひぃっ!? だ、誰ですかっ!? 人の子?」
ナベルが一振りをする間に、苦神は三歩分のステップを刻み、回避をしつつ反撃の態勢を整える。
瞬間、放たれる鋭い蹴撃。
不意打ちが届かないことを予想していたナベルは、黄昏を胸元に構え蹴りを受ける。
「ごめんなさいっ! 私いま、人の子に構ってる余裕ないんですっ!」
「ぐっ!」
ずしり、と感じる凄まじい圧力。
華奢な外見とは全く一致しない、超重量級の一撃。
最序列の神々に相応しい一蹴に、ナベルはいとも簡単に吹き飛ばされる。
(当たり前だけど、強すぎる。勝てるイメージが、湧かない)
部屋の壁を突き破り、なんとか廊下を転がるところで勢いを止める。
ただ一撃もらっただけで腕が痺れてしまい、今にも剣想を落としてしまいそうだった。
それでもナベルはすぐに顔を上げ、再びグレモリーの下へ疾走する。
『まあ、僕ぅのところに最初に来るのは十中八九アスモデウスやろな。次に考えられるのはグレモリーらへんか。あとはセーレあたりも可能性はあるかもやけど、あいつは対策するだけ無駄やから考えんでいい。もしグレモリーが来たら喜んでええよ。あいつの固有技能は格上向けやからな。君ぃら相手に使ってくる場面はほぼないと言っていい』
格の差を見せつけたはずにも関わらず、血気迫る勢いを変えないナベルを見て、グレモリーが再び驚きに目を丸くする。
なぜ、この少女は自らに剣を振るうのか。
理解が追いつかなかった。
「あれっ!? 私の話聞いてましたっ!? いまちょっと立て込んでるので、手荒な真似でしか対応できないですよっ!?」
「聞こえている上で、無視しているんですよ。憂うには、もう遅い。《
「きゃっ!? 眩しいっ」
迷わず
視界全てを埋め尽くす閃光。
白爆の世界の中で、黄金姫は牙を研ぎ澄ます。
『君ぃらにできるのは、ひたすらに攻め続けることだけや。少しでも受けに回れば、すぐに終わる。そこで君ぃらは、役割を果たせなくなるで』
役割が、ある。
自らの命より大切な、役割が。
そのために、ナベル達は勝てる可能性が万に一つもない殺し合いに挑んでいた。
「どれほど眩しくても、血の匂いは手に取るようにわかる、と思ふ」
黄金の光の中で、美しい波紋に彩られた片刃の剣が煌めく。
綾なせ、
吐息のような声で、剣想を呼ぶ。
細かやかに結われた藍色の髪が、揺れる。
もう一人の
「えぇー! 二人目っ!? どうして!? 私、一応、最序列の神ですよ!? あんまり逆らわない方がいいというか! あなた達人の子では、絶対敵わないですって!」
ナベルよりも速い一閃。
それでもグレモリーは第九柱の肩書きに恥じない反応で、上体を逸らして紙一重で避け切る。
グラシャラが舌打ち一つ。
カウンターに蹴りを側頭部にもらい、脳が揺れ、額が切れ血が飛ぶ。
『僕ぅに出来るのは、ネビぃの心臓を治すところまでや。その先は、君ぃらがやるといい。エンジンを直すのは僕ぅで、エンジンをかけるのは君ぃら。わざわざネビぃが、君ぃらにその役割を与えたんやろ? なら、心配ないよ? おもろく、なるよ? 君ぃらが責任持って、命をかけて、おもろく、せなあかんよ?』
自らより
想像通りでは、ある。
相手は最序列の神々。
あの神下六剣ですら、まだ試練を突破していない未知なる規格外の力を秘めた怪物たち。
それでも、ナベルは立ち止まらない。
まだ、黄金は輝き続けている。
(ずっと疑問だった。どうしてネビさんは私が傍にいることを許したのか。私は、弱い。まだまだ、弱い。あの人の、役に立てない。剣帝ロフォカレを見て、理解できた。ネビさんの邪魔にならないのは、最低でもあの領域にいる人だけだと)
視界は奪ったまま。
グレモリーはあくまで
この黄金が消える前に、辿り着く必要がある。
あの、領域に。
一線の、向こう側に。
「グラシャラさん。血は、足りていますか?」
「無論、まだまだ渇き切っている、と思ふ」
「ふふっ。よかったです。では、お供しますよ、血の海に浸るまで」
廃神から自らの役割は、すでに聞いている。
最初のその話を聞いた時はナベルですら驚いたが、今ではそれが自然な結論だと受け止められていた。
点と点が、繋がった感覚。
どうして自分を、ロフォカレとあの古の
全ては、この時のため。
そう考えれば、全てに納得がいく気がした。
「そう、私は選ばれたんです。私が、選ばれた。ふふっ。今、この瞬間に、ここにいていいと、あの人が許してくれた……っ!」
黄金姫は、焦がれていた。
堕剣が死んだ、その訃報が届いた瞬間から、ずっと燻り続けていた火の種が急速に勢いを増していく。
「選ばれたのは私の方、と思ふ」
「ご冗談を」
「は?」
「なにか?」
バチバチ、とグラシャラとナベルの間に剣呑な気配が満ちる。
それでも、二人の加護持ちは剣想を第九柱に向けたまま。
「うぅ、なんでこの子たち、こんなに必死で私を殺そうとしてくるんですか!?」
「私が選ばれた、と思ふ」
「私が選ばれたんですよ、クソが」
ナベルは自らの異能のため、金環日食の影響受けず、正確にグレモリーの位置を把握することができる。
グラシャラは最初に自分の固有技能を使い、赤い犬を爆発させグレモリーにマーキングしたため、その位置を追尾することができる。
狂気の猟犬と赤狼が、苦神を執拗に追い立てる。
「セルべロスくんが、待っている。涎をたらして、待っている、と思ふ。彼の役に立てるなら、どれほど血を流しても構わない」
視界を奪われているグレモリーの動きに段々と慣れ始め、カウンターを貰う回数が減り始める。
「堕剣が死んだ? どいつもこいつも、わかってない。クソ馬鹿どもがよ。ネビさんが、本当に死ぬと思っているんですか? 脳みその中、何が入ってるんですか? クソしか詰まってないなら、カチ割って便器に突っ込んでやろうかアアアアアアアアアア!?!?」
ナベルが咆哮する。
全く足りていない身体能力の差を、観察と分析で補う。
グレモリーの一挙手一投足、呼吸の乱れまで青い瞳に焼き付け、瞬きをする暇もないほどの情報量を頭に叩き込む。
「ひぃいい!? な、なんかこの子たち凄い怖いんですけどっ!?」
グラシャラとナベルの動きが、加速していく。
眩い黄金の中、徐々にグレモリーは二人の加護持ちの動きに遅れを取り始める。
前提として、蹴りを主体とした戦闘パターンが、初めから把握されている。
表面上ではぶつかり合っているが、互いの邪魔をしないように調和の取れた連携攻撃。
片方を振り払えば、もう片方が襲いかかってくる。
「うぅ、まずいまずい。気持ち悪くなってきた。こんなところで時間を取られていたら、アスモデウスさんに怒られちゃう。苦しい苦しい。オェ。気持ち悪い」
薄皮一枚、削り取られる。
グレモリーに、狂犬たちの牙が掠り始める。
焦燥に、息苦しさを感じ出す。
「苦しい、苦しい、苦しい。どうしてこの世は、これほどに苦しいんですか?」
苦神グレモリーは、そこで瞳を閉じる。
全身をだらりと弛緩させ、口を半開きにして、気配を探す。
動きが読まれ出しているのは、わかっていた。
だが、それは第九柱の神もまた同じ。
愚かな人の子たちの動きに、彼女また慣れ始めていた。
「苦しいのは、私だけでいい。せめて人の子は、苦しませずに済ませます」
「なっ!?」
正確無比に首を狙った一撃。
捉えられたのは、ナベル。
急所を狙うことに固執した代償に、そこを待ち構えられた。
素手で掴まれた黄昏。
神の血が、溢れる。
そして視界が白く飛ぶほどの一撃を、ナベルは顔面にくらう。
「もう、苦しまなくて、いいんです」
「がっ……は」
これまで蹴り主体から一変。
手刀を織り交ぜ、グラシャラの友禅を弾き飛ばし。無防備な下腹部を問答無用で貫く。
神の手に、人の血がこびり付く。
苦悶の表情を浮かべながら、グレモリーは貫いた手を抜き去ると、強烈にグラシャラの身体を蹴り飛ばした。
(まずい、頭が、光が、消える)
点滅する視界。
ナベルは知らない間に横たわっていた身体をなんとか起こすと、勢いよく咳き込む。
神経のどこかがやられたのか、視界がモノクロに染まり、色が消えた。
「溢れて溶けて交わりて、《
ナベルの視界の中で、漆黒の狼が雄叫びを上げる。
天井に届きそうなほどの巨躯。
首が二つあり、ドボドボと白い涎を流している。
グラシャラ・ヴォルフの
今のグラシャラが顕現させることのできる最大出力の血の狼が、静かに嘶く。
「wooh」
そんな白黒の世界で、ナベルは自らの輝かしい過去を回想していた。
ほん少し前まで、一切のノイズなく、完璧で、思い通りだった、人生不敗の黄金の日々。
『すごいわ! ナベル! あなたは天才よ!』
『噂のナベル・ハウンド、か。強すぎる。俺は、加護持ちにはなれない。お前みたいな奴だけが、きっと生き残っていくんだろうな』
『あれがナベル・ハウンドか。黄金世代最強の加護持ち。すげぇな』
『聞いたかよ。もうあの黄金姫は選別試練を突破したらしいぜ』
『剣聖が堕ちたんだってさ。もう、決まりよ。次の神下六剣はナベル・ハウンドに決まってる』
ずっと、特別だった。
ナベルは、自分だけが特別なのだと信じていた。
剣想を握ったのも、加護持ちになったのも、魔物を討つのも、全ては特別である自分のため。
ナベル・ハウンドという存在証明のために、彼女は輝き続けてきた。
「woh——」
「苦しいですよね? 可哀想に。今、救ってあげます」
凄まじい勢いで飛びかかる二頭狼。
しかしそれすら凌駕する反応と速度で、グレモリーは血狼の顎を掴むと、勢いよく上下に引き裂いた。
これまでとは変わって落ち着き払った表情で、苦神は血飛沫を身に受ける。
「……やはり届かない。まだ私にはこの役割を果たせない、と思ふ」
「誰も悪くないんです。神も人も、悪くない。ただ私たちは平等に苦しんでいるだけ」
もう一つの頭を、今度は蹴り潰す。
そこでグラシャラの固有技能は、消えてただの黒い血溜まりとなった。
「私はずっと特別だと思っていた。私だけが、特別なんだと」
もう黄金は、消えた。
白と黒の世界で、ナベルは自らの剣想をそっと撫でる。
美しい、黄金の刃。
これ以上はないと、錆びることはないと信じていた自分の分身。
「でも、違っていた。私は、特別じゃない」
それは認めてしまえば、二度と後戻りはできない。
自分という存在証明を、自分自身で否定する。
ある意味で、自らの
『無意味だから。それだけだ』
ナベル・ハウンドという存在に、価値はない。
これまで自身だけが唯一絶対だと信じていた彼女にとっては、あまりに残酷な現実。
だが、それはもう、乗り越えた。
引かれた一線。
その先に踏み込むための覚悟は、ゆっくりと時間をかけて、身に馴染ませた。
もう二度と消えない、錆びが心に染み渡っている。
「【
モノクロの世界が、僅かに傾いた。
黄金に、影が差す。
覚悟はあるが、資格も、力も、足りていない。
それでも、ナベル・ハウンドは、その一歩を踏み込む。
全てを失う準備は、できていた。
「何をするつもり、ですか?」
「ごめんね、【
苦神グレモリーが、これまでとは違う表情を見せる。
いつもの不安気な表情ではなく、最序列の神々に相応しい威厳に満ちた警戒の視線。
神としての本能が警鐘を鳴らす。
あの金髪碧眼の少女は危険だと。
神に届きうる狂気を、孕んでいると。
「嗤いなさい、【
黒い影が、世界を包む。
刹那、苦神グレモリーは最序列の神の力を解放することを決意する。
これ以上は、先手を取らせてはいけない。
ナベルの手に握られた黄金の刃に、落日のように黒紋が広がっていくのを目にすると、これまで感じたことのない危機感を覚えた。
攻勢に、出る。
第九柱の神は、両手を重ね、複雑に指を絡める。
「
咄嗟に、神域を発動させる。
眩しい茜色の光が広がり、ナベルが生み出した影を払っていく。
苦神グレモリーの神域に包まれた黄金姫は、ゆっくりと嗤う。
「これで、私の役割は、果たせましたね」
黒い陰が刻まれた剣想に、ヒビが入る。
覚悟はあっても、力が足りない。
粉々に刻まれ、砂のように崩れ去っていくナベルの金糸雀斜陽。
もういくら呼びかけても、返事はない。
しかし、それでもいいと、黄金姫は知っていた。
「……え?」
先に違和感に気づいたのは、苦神グレモリー。
顕現させたはずの、自らの神域。
脅威に感じたナベルの剣想は、すでに消え去った。
それにも関わらず、侵食、されている。
最初から、ナベルは最序列の神々に届くとは思っていない。
彼女の役目は、勝つことではない。
あくまで、引き摺り出す、だけ。
この神域だけが、エンジンをかけるための鍵だった。
「《
変更不可の自らが設定した条件を満たした瞬間、自動で発動するという珍しい形式の異能が存在する。
この力は、本人の意思とは関係なく、発動する。
たとえ使用者の意識がなくとも、永遠の眠りについていたとしても、条件さえ揃えば、再び息吹を取り戻す。
「オェ。気持ち悪い。なんですかこれ? 私の神域が、魔素に、侵食されていく……?」
ぞくりと背筋が、凍る。
何かが、来る。
何か怖ろしいものが、近づいてきている。
もはや二人の人の子も、廃神ダンタリアンさえ気にならなくなるほどの、存在感が身に迫っている。
ミシミシと、音が聞こえたのは、足元。
床がヒビ割れ、咽せ返るほどの魔素が溢れ出す。
崩れ去った床から、黒い獣が赤い目を光らせている。
そして苦神グレモリーは、試練に直面する。
「——さあ、濡れろ。【赤錆】。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます