陰謀



「ネビ・セルべロスが自決だとぉっ!? また適当なことを吹聴しおってこの五流タブロイド紙めがああああ!!!」


 中央都市ハイセントラルの王城。

 最上階の片隅にある執務室で、初老の男が血走った目で唸っていた。

 手には号外と称された記事があるが、強く握りすぎてしわしわになっている。


「……これは陰謀だ。陰謀に違いない!」


 ヒューヒューと浅い息を繰り返す男の名はエイブラハム・ソロモン。

 三王分権という制度を基盤とする連合大国ゴエティアに君臨する三人の王の内の一人だ。


(また始まった)


 そんなエイブラハムが座る大机の前で直立不動の体勢を続ける女性が一人。

 彼女の名はアンジェラ・ギルバート中佐。

 数ヶ月前の要塞都市ハイゼンベルトでの魔物の侵攻を食い止めた功績を持つ、軍部の若き俊英だった。


「こうして吾輩を油断させ、貶めて暗殺するつもりだろう! 馬鹿にしよって! 吾輩は全てお見通しだぞ!? 吾輩は騙されん! 裏の組織と結託して吾輩を脅かすつもりだな!?」


口から唾を飛ばして騒ぐエイブラハムを、アンジェラは冷めた目で見やる。


(裏の組織ってなんですかね。これほど頭が弱くても王になれるなんて、世も末です)


 思わず吐きたくなる溜め息を我慢して、アンジェラは毅然とした態度を保ち続ける。

 三王の内、唯一王家の血筋による世襲から選ばれる“閣王”であるエイブラハムは、被害妄想が強く陰謀論者として知られていた。


「ひゃあああっ!? まさかネビの奴がこの城に潜んでいるのではなかろうな!? 吾輩の首を噛み切ろうとすぐ近くに隠れているのではないか!? 中佐! 衛兵に確認はさせたか!? 不審な情報はないか!?!?」


「いえ、報告はありません。警戒体制も厳重に敷かれています」


「下水や通気口の中まで調べたか!? あいつは狙った獲物は逃さない! 魔物や神や吾輩のような王だとしても関係ない! 調べろぉ! 調べたかぁ!?」


「……はい。調査済みです。異常はありませんでした」


「そ、そうか。ならいいが、油断するなよ! ネビに対して一秒でも油断をしてみろ! そこをあいつは虎視眈々と狙っている!」


 アンジェラは、小さな嘘をつく。

 さすがに下水道やダクトの内部までも日常的に検査はしていないが、それを口にする必要はないとすでに上官から指示を受けていた。

 過去のトラウマを思い出したのか、突然エイブラハムは顔を真っ青にさせて悲鳴をあげている。

 しかしそれも軍部や王家に関わる者からすれば見慣れた光景だったため、アンジェラは特に何の感慨もなくそれを見やる。

 エイブラハムのネビ嫌いは有名だった。


「それで閣下、要件というのは」


「んあ? ああ、そうだったな」


 ネビ・セルべロスに対する異様な拒絶反応を見守るために時間を割いているわけではない。

 早朝、この執務室に呼び出された理由をアンジェラはまだ知らされていなかった。


「アンジェラ・ギルバート中佐。君を呼んだのは、他でもない。ある特別な任務に君を任命したいからだ」


「はっ。何なりと」


 嫌な、予感がした。

 アンジェラは背筋を伸ばしながらも、不安を感じる。

 軍部と直接的な関わりの薄い閣王エイブラハムが、それなりの階級とはいえども一中佐にしか過ぎないアンジェラを直接呼びつけるのは不自然だ。


(このメンヘラ王。おそらく私の上司や軍王に話を通してませんね)


 アンジェラはあくまで軍部の人間であり、エイブラハムの直属の部下ではない。

 通常であれば、上司伝いに自らに任務伝達は行われるはず。

 それにも関わらず、わざわざ最高権力者の一人であるエイブラハムが直接アンジェラを呼び出し、勅命を授けるという状況は明らかに普通ではなかった。

 

「宗教都市アトランティカに向かい、堕剣ネビ・セルべロスの大虐殺事件について詳細を調査し、ネビの遺体捜索を命じる」


 やっぱり、な。

 とアンジェラは不安が現実のものとなったことを理解する。

 エイブラハムが軍部との面倒事が起きる可能性があるにも関わらず、わざわざ個人的にアンジェラに任務を頼むとしたら、堕剣絡み以外にはありえないとわかっていた。


「聞けば君は要塞都市ハイゼンベルトで堕剣ネビの狙いを看破し、被害を最小限に収めたのだろう? 話はよく聞いているよ」


「……いえ、私は軍部に連なる者として当然のことをしたまでです。堕剣ネビとも直接接触はしていません」


「謙遜するな。あのネビと少しでも関わりがあってなお生き残っている。それだけで賞賛に値する」


 アンジェラは内心で舌打ちをする。

 堕剣ネビの狙いを看破できたことなど、一度もない。

 要塞都市では堕剣にいいように踊らされ、結局影一つ踏むことすらできなかったことを彼女は覚えていた。


「しかし、調査というのは? すでに司法団による現場検証は終わっているはずですが」


「ふんっ! あんなもの現場検証は言えん! ネビの目撃情報もなし! ネビの遺体の一部すらも発見なし! よくあの程度で調査完了などと宣われたものだ! 今代の司王はだから詰めが甘いというのだ!」


 宗教都市アトランティカの大虐殺。

 すでに司法を管理する司王フランソワ直下の調査組織によって現場調査は完了していたが、それをエイブラハムは認めていないらしい。

 

「ただ再調査とは言いましても、私は特別現場分析に優れているわけではありません。もっと相応しい者がいるのではないでしょうか」


「話に聞いていた通り、聡明ではあるが自己評価が低いようだな、中佐。実は吾輩が真っ先に協力を頼んだのは別の人間だが、その男が君を協力者に派遣すること条件に協力すると言ってきたのだよ」


「別の人間、ですか?」


 閣王エイブラハムが個人的に協力を依頼するような大物。

 そんな人間が、アンジェラを派遣することを交換条件にする。

 心当たりが、たった一人だけあり、彼女は心底億劫な気分になった。


聖騎士協会ナイトチャーチ幹部、“水の騎士”サウロ・ラッフィー殿だよ。彼が君の派遣を要求してきたんだ。どうも君は非常に評価されているらしい」


「……なるほど。合点がいきました」


 “水の騎士”サウロ・ラッフィー。

 要塞都市ハイゼンベルト防衛戦で共闘したことは記憶に新しい。

 予想通りの名前が出てきたことに、アンジェラは気分が重くなった。


「彼は元々、魔物生態学を専門にしていて、調査や分析、また追跡も得意としている。そして現場経験が豊富な君がいれば問題はない。本当にネビが死んだというのなら、その証拠を吾輩に見せろ。わかったな?」


「はっ」


「よし。話は終わりだ。支度をしたら明朝、宗教都市アトランティカに向かえ。アドルフには吾輩から話を通しておく」


「畏まりました」


 軍王アドルフの名を出した時に、エイブラハムの視線が泳いだのをアンジェラは見逃さなかった。


(こいつ。絶対にアドルフ様に報告しないでしょうね)


 中佐一人動かすのに、戦時中でもない今ならば、閣王の権力を使えば確かに書面一つでも準備しておけば済む話だろう。

 つまり、アンジェラに拒否権はないということだ。

 彼女は敬礼を一つ済ませると、執務室を去る。


「ああ! ネビよ。頼むから死んでいてくれ。ああ! でもどうせ死んでないに決まってる! あいつは死なないんだ! 何をしても死なない! だけど死んでて欲しい! あああ!? 頭がおかしくなりそうだ!?」


 なりそうではなくて、すでになっているのでは、と頭に浮かんだ言葉を飲み込んでアンジェラは扉の外に出る。

 人気の少ない長い廊下。

 窓の外から見える中央都市は、まだ平穏を保っている。

 だが、この穏やかな時間はいつ崩れてもおかしくないと彼女は身をもって知っている。



「長期出張に、ならないといいですが」



 堕剣は、死んだ。

 そのはずにも関わらず、世界はむしろ混沌を極めていくばかりで、アンジェラの憂鬱は募っていった。

 

 



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