悪趣味
薄暗い曇天の下、一人の
僅かに緊張した面持ちで青い瞳を真っ直ぐと前に向けるのは、“
金髪碧眼のその若き加護持ちの隣りをどこか不機嫌そうな表情で歩くのは、今や狂神と呼ばれるようになった第六十一柱“渾神カイム”だった。
「ねーねー、ナベルちゃん! まじありえないと思わない!? 深層都市ジャンクボトムでのネビ、うちの扱い雑すぎでしょ!? 変な穴の下で放置されてたと思ったら、いきなり魔物の死体超燃えだすし! 事前に言っとけよ! まじ死にそうだったんだけど!」
「……死んでないんだから、いいじゃないですかぁ」
「それにそれに! その後ネビがうちの顔見た時になんて言ったかわかる!?」
「……わかりますぅ。だってその話もう二十回目くらいですし」
「ああ、いたのか、だって!? ありえなくなくなくない!?!? まじあいつ罰当たりなんだけど! 人の心がないもん! ほんともげろって感じ!」
ぷすぷすと怒り散らす渾神カイムを、ナベルは冷めた目つきで一瞥すると、そのまま歩き続ける。
ナベルからすれば、なぜいまだにこの第六十一柱の神をネビが連れているかはわからない。
彼女では計り知れない価値を見出しているのだろうかと疑問に思ったが、深く考えても答えは出ないと判断し、気にしないことにしていた。
「そろそろ、着きますね」
「うわ。ほんとだ。あからさまに変なのある」
深層都市ジャンクボトムでネビと別れてから、ナベルが目指したのはとある神の社だった。
景色が、変わる。
これまで異様に殺風景だった平原地帯に、忽然と生まれだす奇妙なモニュメント。
それは彫刻のように思える。
肉感的な曲線を再現した石彫りの人体模型。
下半身が椅子になった、異様に細身な上半身をした少年のような物体。
どこかグロテスクな、美しさというよりは不安感を煽るような様々な芸術作品がぽつ、ぽつと道中に展示されている。
「何ここ。なんかキモいんだけど」
「そうですかぁ? 私は結構、好きですよ」
「えー、うちナベルちゃんと美的センス合わないかも」
「はい。私も同感ですぅ」
「……前から思ってたけど、ナベルちゃんって意外に捻くれ者だよね」
「ギャップ萌え、します?」
「するか! 怖いだけだよ!」
「連れないなぁ」
くすくすと笑うナベルを見て、カイムは大袈裟に溜め息をつく。
どうしてこう自分の周りにいる加護持ちはおかしな人間ばかりなのかと、第六十一柱の神は不思議に思った。
「というかそもそも、ここどこなの?」
「まさかカイム様。そんなことも知らないまま着いてきてたんですか? ネビさんに言われるがまま?」
「え? まあ、うん。あんま気にならなかった」
「カイム様もカイム様で、色々アレですね」
「アレって言うな」
ネビがここに向かえという一言だけで、何の疑問もなく従うカイムに僅かな小さな狂気をナベルは感じ取ったが、それは口にしない。
堕剣ネビは、迷わない。
その精神性において、最も近しい感性をカイムから感じ取ることができたのだった。
「それで結局、どこなの? ここ?」
「それは着いてからのお楽しみですぅ」
奇々怪怪なモニュメントの森を抜けると、そこにはまた一際大きな建造物が見えた。
まず感じるのは、歪み。
一見すれば塔のように見えるが、塔にしては歪み過ぎている。
真っ直ぐとした芯はなく、幅も膨らんでは萎んだりを繰り返している。
塔の入り口には、指をさして大口を開いて哄笑している不愉快な銅像が二つ設置されている。
「なんか、悪趣味だね」
「ふふっ。ぜひそれ、この塔の主人にも直接言ってあげて欲しいですねぇ」
軽い調子でそう口にするカイムを横目にして、ナベルは小さく笑う。
ネビ・セルべロスは、始まりの女神を討つと言っていた。
今からナベル達が会おうとしているのは、唯一この世界でその始まりの女神と対等に言葉を交わせる数少ない神の一柱。
最序列の神々。
一桁の数字を冠する神の住む歪んだ社に、そしてナベル・ハウンドは一歩足を踏み入れた。
「ええやん、ええやん、おもろいやん」
扉を引けば、乾いた風が頬を撫でた。
想像とは違い、最上階まで吹き抜けの構造。
雑然とガラクタのようにも、芸術作品にも見える必ずどこが欠損しているマネキンが幾つも床に転がっている。
そんな広いようにも、狭いようにも思える奇妙な広間の中央で、一人の男が大きな模造紙に筆を走らせていた。
「え、うそ、この方って……」
「さすがに見るだけでわかりますね。格の違いが」
その神はまだ、ナベルにもカイムにも視線を向けていない。
それにも関わらず、強烈に感じる視線。
見られている。
ここは、彼の領域。
もうすでに、間合いに入ってしまっている。
ベタ、と深い緑の絵の具が白紙に塗りたくられる音だけが響く。
「知らん人間がひとりぃ。知らん神がいっちゅう。久しぶりやなぁ。僕ぅのとこに、アポなしで顔見せてきたやつは」
そこで初めて、男の握る筆が止まる。
何かを嗅ぐように、鼻を鳴らす。
ゴキィ、と首だけ九十度曲げて、男が真っ黒な瞳をナベルとカイムに注ぐ。
「
——耳元で、囁かれる。
瞬間、ナベルの後頭部が床に叩きつけられる。
一切の反応を許さない、刹那的な一撃。
男の耳についた、蛇のイヤリングが、揺れる。
不機嫌そうな表情で、その最序列の神はナベルの顔面を掴んだ右手に込める力を増した。
「僕ぅに壊される以外になんか、用、ある?」
第八柱“
人々の住処、職種を決める権利を持つ、ある意味で最も神らしい神。
絶対的な権力者である第八柱の神は、深緑の髪を揺らしながら、縦に細く割れた瞳孔をナベルに注ぐ。
「ナベルちゃ——」
「うるさいなぁ。耳きーんなるわ。気安く喋んな」
ナベルを助けようと動くカイムを、軽く足払いすると、そのまま腹を踏み地面に押し付ける。
一瞬で、制圧。
圧倒的な身体能力の差。
ナベルとカイムを完全に無効化すると、興醒めしたかのような表情で廃神ダンタリアンは小指で耳の穴をほじる。
「ネビ・セルべロスから、伝言を預かってきました」
しかし、そこで廃神ダンタリアンの動きが止まる。
これまでの退屈そうな表情が、一変する。
何かを探るような視線。
床に叩きつけたナベルの胸ぐらを掴み、宙にあげる。
「……ネビぃ・セルべロスぅ?」
「はい。そうです。堕ちた剣聖。ネビ・セルべロス」
口の端から血を流しながらも、ナベルは気丈に応える。
ここまでは、想定内。
相手は非情さで名を馳せている最序列の一柱。
だがこの程度で光が燻むほど、黄金姫は自らの輝きに傷がないとは思っていなかった。
「この先は、慎重に言葉を選んだ方がええよ」
廃神は表情を消して、ナベルの青い瞳を覗き込む。
その奥底に渦巻く、赤く錆びた光。
古傷が、疼く。
そして金髪碧眼の加護持ちが、彼の眼前に差し出す一つの包み。
「言葉より先に、価値を示せとの、ことでした」
白布で覆われた小さな包みを、廃神ダンタリアンは受け取り、その中身を覗く。
渇いた笑い声が、思わず漏れた。
ナベルの胸ぐらから手を離し、第八柱の神は耐えきれないといった様子で口元を抑える。
包みの中から出てきたのは、左手の小指が一本。
懐かしい、香りがした。
これまで生きてきた中で、唯一彼に傷をつけた赤く錆びた刃を思い出し、自然と拳に力が入る。
「……シ、シ、シシャシャシャシャシャッ! おもろ! おもろすぎぃ! どこに自分の小指を神に届ける奴がおんねん! 意味わからん! ええやん、ええやん、おもろいやん!?」
腰をのけぞらせながら、廃神ダンタリアンは呼吸ができなくなるほど笑う。
これほど笑ったのは、生きてきた中で、二度目。
ネビ・セルべロスからの贈り物は、小指。
その細い小指を玩具のように手元で遊ばせながら、笑いすぎて痛くなってきた腹部を抑えた。
「す、すごい変な笑い方……」
「神って、頭おかしい方ばかりですねぇ」
「ナベルちゃんたち加護持ちにだけは言われたくないんですけどぉっ!?」
廃神ダンタリアンに一方的な暴力を受けた割には元気そうなカイムも立ち上がり、咳き込みながらもナベルの横に立つ。
先ほどまでは打って変わって、冷たい気配を消して上機嫌になった廃神ダンタリアンは改めてナベルを見つめる。
言われてみれば、少し、似ている。
ネビ・セルべロス。
彼が最後にその印象深い加護持ちに出会ったのは、ネビがまだ十代の頃だったが、その頃から秘めていた危うさに近いものを感じ取ることができた。
「それでぇ、じぶんはネビぃ・セルべロスぅの、なんなん?」
「こういう者です。憂いなさい、【
「え?」
唐突に顕現させられたナベルの
その黄金の切先は、誰でもなく、発現者自身に向けられる。
迷うことは、もう止めた。
流れるような一閃。
血すら、出ない。
貢物を、もう一本、増やす。
「私がそう望んでる」
切断した左手の小指。
それを澄ました顔で、ナベルは廃神ダンタリアンに捧げる。
呆然とした表情を見せるカイム。
静かにナベルの小指を受け取るダンタリアン。
静寂を貫いたのは、やはり第八柱の神の笑い声だった。
「シシャシャシャッ! おもろっ! なんでいきなり小指切ってんの!? いらんねんけどっ! ええやん、ええやん、おもろいやん!?」
ネビとナベルの左手の小指をジャグリングのように、宙に放り投げながら弄ぶ。
廃神ダンタリアンは唾を飛ばしながら大笑いして、涙まで流していた。
「神って、なんか怖い方、多いですねぇ」
「いやだからさっきからどの口が言ってんのっ!?」
それをどこか引いた目つきで見つめるナベルを見て、カイムが絶叫する。
やがて笑いを収めた廃神ダンタリアンは、ナベルの小指をそのまま持ち主に投げ返す。
「《
すると今しがた切断したばかりの小指が、ナベルの左手の元の場所に戻る。
理解は、追いつかない。
信じられないように自らの手元を見つめるが、そこには縫い目すら見当たらない自らの小指が見えるだけ。
「元に、戻った?」
「そう思うんなら、そうなんやろな」
見下すような、冷めた微笑み。
廃神ダンタリアンは、ネビの左小指だけを天に掲げるようにすると、楽しそうに目を細める。
「綺麗、やなぁ」
蕩けるような、囁き声。
見惚れるようにしながら、何度もネビの小指の角度を変えて、様々な向きから眺める。
「……それで? ネビぃは、なんて? 伝言、あるんやろ?」
おもむろに、縦に割れた瞳が再びナベルに注がれる。
価値はもう、示した。
次に差し出すのは、言葉。
「力を貸せ、と」
「シシャシャッ! ネビぃが、僕にぃ、力を貸せぇ?」
ネビの左手の小指を握り締め、廃神ダンタリアンが笑みを深める。
力を、貸せ。
始まりの女神から加護を没収され、神殺しの罪を背負う男からの、助力の要請。
それはどう考えても、道理が合わないことだった。
そもそも始まりの女神を、裏切ることに繋がる。
一人の人間が、第八柱である自らに頼み事をすること自体烏滸がましい。
普通に考えれば、ネビの頼みを受け入れる理由はどこにもない。
「……ええよ」
「えぇっ!? いいのっ!?!?」
しかし、それを廃神ダンタリアンは受け入れる。
渾神カイムが信じられないものを見るような表情で、口を大きく開ける。
ナベルは特に驚いた様子はなく、静かに青い眼差しを向けるのみ。
廃神は笑顔で向かう。
より、愉快な方へ。
「そろそろ色々諸々、飽きてきたしな。ええやん、ええやん、おもろいやん? 始まりの女神を、僕ぅも、裏切るわ。堕剣ネビぃ・セルべロスぅ側に、第八柱“廃神ダンタリアン”は、つこか」
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