異端審問
「いいわよ。それじゃあ、始めましょうか。始まりの女神の、最後の試練を」
始まりの女神ルーシーは純白の剣を左手に構え、青い瞳で堕剣ネビと腐神アスタに視線を送る。
先に動いたのは、ネビの方。
赤く錆びた
「それなりに力は取り戻しているみたいだけれど、それで私に届くかしら?」
「ああ、届くよ。届くところまで、
迷いのない鋭い一閃。
それを正面からルーシーは受け止める。
僅かな衝撃を手首に感じるが、気圧されるほどではない。
第一柱の女神は、試すように剣戟を返す。
「うふふっ。堕ちた剣聖、ネビ・セルべロス。貴方の復讐心はこの程度?」
「復讐心? そんなものはない。あるのはただ、飢えと誓いだけ。それだけが俺を突き動かす」
流れるような動きで振り抜く純白の剣閃。
ネビの赤い瞳が小刻みに左右に微動する。
口元では何かをブツブツと呟きながら、赤錆の刃を添わすようにして勢いを受け流す。
「その集中力は大したものね。瞬きとか、しなくて平気なのかしら?」
「想定を微修正。心拍数をもう少し下げてもいい。予想より戦い慣れている。時間はかけてもいい。怒りも焦りもない。狙いはどこだ探せ探せ探せ」
ルーシーの言葉に返答することもなく、赤錆を突き出すようにして胸を狙う。
それを反転するようにして躱わすと、振り向き様に回し蹴りを見舞う。
左手を強固に構え、ネビは蹴りを受け止める。
その際に、ネビの左手の小指が欠けていることに気づき、ルーシーは不思議に思う。
ミシ、と軋む骨。
踏ん張ることはせず、そのままネビは蹴り飛ばされることを受け入れた。
「左手の小指、どこかに落としてるわよ?」
「俺は右利きだから問題ない」
「ふふっ。そういう問題?」
蹴り飛ばされたネビは空中で上手く体勢を整え、教会の壁に両足で着地する。
衝撃が伝わり、窓のガラスにヒビが入る。
街の喧騒の音圧が増す。
白煙が混じった空気が、部屋に流れ込む。
かちかち、と歯を慣らしながらルーシーを注視するネビの方へ、追撃しようと一歩踏み込む。
「私は誓ったのじゃ、お主だけは、許さんと」
「……なるほど。そういうことね」
しかし、追撃に剣を振るうとした瞬間、始まりの女神ルーシーの動きが止まる。
眼前に飛び出してきたのは、白銀の髪を揺らす腐神アスタ。
“
神々の不干渉は、第七十三柱の神々にも適応される。
「さすがに無策じゃないというわけね。よかったわ。これで少しは、楽しめそう」
「硬直時間の測定。反応速度の修正。まだ無駄が多いな。もう少し近づけよう」
刹那の隙を見逃さず、ネビがすかさず飛び込んでくる。
身体を捻りながら、切り上げるように赤錆を振り抜く。
口角を上げ、ルーシーはそれに反応し、ほとんど予備動作なく力づくで剣を振り下ろす。
弾ける、火花。
先ほどより手首にかかる負担が、僅かに増した。
少し、近づいてきている。
また、赤い瞳孔が左右に細かく微動する。
ルーシーの一挙手一投足を網膜に刻み、唇を濡れた舌で舐める。
「この時をどれほど待ち望んだことか。感じるか、ルーシーよ。お主の最後が近づきつつあるのを」
「さあ? どうかしら。私、不感症だから。感じさせてみせてくれる?」
蹴り潰そうと踵を上げれば、股下にアスタが走り込み、ネビを掴むと宙に放り投げる。
踵落としの射線にアスタが入り込んだことで、また再び
「濡れろ、【赤錆】」
アスタによって宙に飛ばされたネビが天井に両足をつけ、両膝をバネのように折り畳むと、凄まじい勢いでルーシーに向かって飛びかかる。
後頭部に迫る赤く錆びた刃。
完璧な意思疎通。
洗練されたコンビネーションに、段々とルーシーは後手を踏み出す。
「知らない間に、随分と仲良くなったのね。妬けちゃうわ」
「そのまま焼け死んでくれると嬉しいのじゃが」
左手首のスナップだけで白い両刃の剣を逆手に持ち変えると、半身だけ身体を曲げネビの一撃を防ぐ。
また少し、手首にかかる負担が増した。
確かに、近づいてきている。
堕剣の錆びた牙がゆっくりと、しかし確実に、始まりの女神の身ににじり寄って来る。
「まだ、足りないな。だからもう少し近づく。匂いを嗅ぎ分けられるくらいに、近く」
アスタが疾風の如き瞬発力でステップを踏む。
その動きに完璧に合わせたネビが、小柄な腐神の背後に潜り込み、ここぞというタイミングで飛び出してくる。
(どちらかというとネビがアスタに合わせてる。でもその協調の完成度が高すぎる。読み切れない)
気づけば眼前に迫っている赤い錆。
黒い獣が、涎を垂らしながら瞳を大きく広げている。
視線が合致しているようで、合っていない。
自らの青い瞳の、その更に奥を覗き込まれている。
それは長い時代を生きたルーシーですら感じたことのない、未曾有の感覚。
「うふっ。ずるいわ。貴方ばかり私を見て。私にも、見せてよ、
期待はしていた。
“剣聖”ネビ・セルべロス。
数多くの人間を見てきたが、その中でも明らかに異端だった人類最強の
始まりの加護を没収し、これまでの努力を全て無に返し、一度は世界から追放した男。
その男は、怒りも、恨みも、絶望もなく、自らに剣を振ろうとしている。
一体この男の内側に秘められた何が、ここまで駆り立ててるのか。
ここに辿り着くまで、楽な道のりではなかったはず。
それにも関わらず、これほどの執着を見せ、第一柱である自らを追い詰めようとしている。
驚嘆と感謝と、そして好奇心を持って、始まりの女神は自己開示を要求する。
人の子が、彼女に隠し通せることは、何一つとして許されない。
「救われたければ、知らせなさい。《
始まりの女神ルーシーの
“
全人類が生まれた際に始まりの加護と共に、ルーシーからの知らせを受け取ることができるようになるという限定的な能力の承継をする。
その異能の、本来の能力。
それは、相手に自らの思考を伝達するだけではなく、相手の思考を自らが受け取るという力。
【レベリングレベリングレベリングレベリングレベリング早く早く早くレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリング魔素が足りない足りない足りない引き出す引き出す引き出すレベリングレベリングレベリングレベリベリングレベリングレベリングレベリング心拍数116幻聴幻覚正常範囲偏頭痛許容範囲レベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングルーシーの固有技能発動確認想定内レベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングアスタが左に回り込むルーシーが知覚するのは二秒後レベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリング早く早く早くレベリングがしたいしたいしたいレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリング外気温と湿度の変化を確認レベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリング血液がルーシーの左脚で僅かにパンプアップ踏み込み予兆動作確認レベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリング視線はいまだにこちらに集中確認レベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングアスタが右手人差し指を斜め下方向に向けた息を吸うタイミングが変わるレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリング僅かなステップバックで調整可能レベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリング早く早く早くもっともっともっと先まで先まで先まで想定を修正修正修正レベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリングレベリング】
——が、ネビの思考に潜り込んだ瞬間、思わず始まりの女神は息を詰まらせる。
(……え? 情報量、多すぎじゃない?)
尋常ではない並列思考と高速計算処理。
ほんの少し脳内を読み取っただけにも関わらず、あまりの負担にルーシーは反射的に
あまりに一瞬で流れ込んできたネビの頭の中の情報量の勢いに押し負け、必要な思考を取捨選択しようとする前に更なる情報に押し流されそうになってしまう。
「澱んだ。アスタ、今だ」
「お主の悪い癖じゃな、ルーシー。この赤い錆に、不用意に触れるからそうなる」
七十二の誓約とは関係ない、完璧な硬直。
身体の動きだけではなく、思考も滞る。
慌てて純白の剣を構えようとするが、左側から突如吹き荒れる突風に姿勢を崩される。
風を巻き起こしたのは、アスタの掌底。
ルーシーに対してではなく、床に向かって強烈に叩きつけられた拳。
白煙が舞い、黒い獣を一瞬見失う。
「まだ始まってない。試練は、これからだ」
赤く錆びた刃が、死角から伸びる。
ほとんど直感に近い反射で、ルーシーは大きく背後に飛び退く。
それでも仄かに刻まれた、真紅の軌跡。
——ドクン、と魂の奥底が黄金に揺れる。
完璧な美貌が、崩れる。
白い頬を伝う、一滴の血。
第一柱の神に、傷がついた。
「……ネビ・セルべロス。うふふっ。やはり私は正しかった。期待通り。でも、期待通りじゃ、足りないの」
指で頬を流れる血を拭うと、ルーシーは静かに笑う。
堕ちた剣聖を、自らの住処に招待することに決める。
その資格が、目の前の男にはある理解した。
「諸行無常の響を露せ、【
空間が、白く染まる。
ぱらぱら、と世界が咲き誇る音がする。
気づけば床には草花が生え、両側の壁にも青々とした蔦が一瞬で茂る。
“
ほんの一握りの神にしか許されていない、魔の物にも人にも扱えない特異的な秘術。
始まりの女神だけが自由を許される停滞の世界で、しかし異質なノイズが混じる。
「……ああ、やっとこれで、
堕剣が、嗤う。
白い神域が、錆びつく。
(ありえない)
期待は、していた。
だが、それは期待以上と言うよりは、想像を遥かに超えた異常事態。
——
変更不可の設定条件を満たした瞬間、自動で発動する異能。
まさかこの世界に、一生の内にほとんど目にする機会すらないはずの神域の発動を対象にしている狂人がいると、第一柱の神ですら予想することはできなかった。
「さあ、ルーシーよ。これが私からお主に贈る、最後の試練じゃ」
終わりの女神が、皮肉げに笑う。
ここで初めてルーシーは理解する。
試されていたのは、自分の方なのだと。
「《
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