歓楽地




 “剣想想起アナムネーシス”。

 加護持ちギフテッドの中でも選ばれし神下六剣のみが現状発現できるとされる、もう一つの剣想イデアの姿。

 自らの思想の否定を代償に、神にも匹敵する力を持つとされていた。


「ファックファックファック仕事ファックファックファック」


 悠然と、無防備とまでも評せるような足取りでロフォカレはゆっくりと歩き出す。

 一歩一歩、確実に。

 深い紫の瞳は地面の上に転がる塵芥を見つめている。


「どうせもう残業だ。何も急ぐ必要はない。本当は仕事ってのは、メリハリが大事なんだ。だが、残業時間は違う。集中力は切れていて、緩慢で、流されるままに溜まった業務をこなすだけの非効率的な消化試合。嫌になるよ、本当に」


 ぶつぶつと誰に言うわけでもなく、ロフォカレは掠れた声で呟く。

 右手には異様に剣身の長い、想起状態の剣想——紫薇縮緬百日紅しびちりめんさるすべりが握られている。

 紫紺の斑点が滲み出た剣先は地面をなぞっていて、じぐざぐとした不揃いな軌跡が残る。


【MO!】


 危険な気配を感じ取った基礎の黒水牛カトブレパスが、先手を取る。

 これまでと同じように、圧倒的な質量を乗せた憤死の一撃を見舞おうと前脚を掲げた。

 ロフォカレは、いまだに視線を合わせない。

 基礎の黒水牛カトブレパスの動きを把握できていないようで、脳天に振り下ろされる一撃に反応する気配すらもなかった。


「時々、わからなくなるんだ。私は、なんのために仕事をしているんだろうなって」


 轟、と響き渡る凄まじい衝撃音。

 振り下ろされた基礎の黒水牛カトブレパスの一撃によって、軽い地震のようなものが生まれる。

 突風が吹き荒れ、大地にヒビが入る。

 薪が上がる砂塵。

 その中で若干猫背気味に立つ女が一人。


「だが、それは考えられるだけ幸せなことなんだ。残業時間は、そんなことすら考えられなくなる。いつもはループしてる仕事仕事仕事。それすら頭の中から消えてファックファックファック。意味も意義も考えることすらしなくなる」


 ロフォカレの背中から伸びる、骨ばった黒い片翼。

 その漆黒の翼が基礎の黒水牛カトブレパスの棍撃を受け止め、剣帝と呼ばれる女傑が剣を不意に振り抜く。


「だから嫌いなんだよ残業は、本当に」


 どこか脱力した力みのない一振り。

 基礎の黒水牛カトブレパスの右脚が切り裂かれ、血が舞う。

 これまでと同じ様に、刻まれた傷が瞳に変質する。

 不用意に交錯する瞳と瞳。

 しかし、ロフォカレの硬直の前に、悲鳴が上がる。


【Nooooooooooo!!!!!!!!】


 白濁した分泌液を口から飛ばしながら、基礎の黒水牛カトブレパスが痛みに絶叫する。

 新たに生まれたばかりの魔眼が、黒々しい紫に染まり上がる。

 そして瞳は充血では収まらず、血の涙を流した。


「私の【紫薇縮緬百日紅】には毒がある。きっと苦しいだろうな。時間をかけてお前を蝕むだろうな。これ以上なくファックだろうな。でも、悪いな。手短に仕事は終わらせる主義なんだが、お前は時間をかけて殺すよ」


 基礎の黒水牛カトブレパスの悲鳴の間に、体の硬直が解ける。

 ロフォカレがまた一足分、近づく。

 一歩一歩、確実に。

 焦ることなく、思考は硬直したまま。

 機械的に、剣閃を振るう。


「ファックファックファック仕事ファックファックファック」


【Mooooooooo!!!!!!!】


 ザク、ザク、ザク、ザク。

 濁った血が、宙を飛び散る。

 怒り狂った基礎の黒水牛カトブレパスが、分厚い舌をしならせてロフォカレを鞭打つ。


「快も不快もない。あるのは仕事だけ。これってファックか? ファックではない?」


【NO】


 ロフォカレの意識とは関係なく、反射で黒の片翼が動く。

 基礎の黒水牛カトブレパスのざらついた舌を受け止め、あまりの衝撃に細身の身体が浮く。

 それでも耐え切ったロフォカレは、また同じ様に切り刻む。

 ザク、ザク、ザク、ザク、ファック、ファック、ファック。

 くぐもった独り言を混ぜながら、彼女は返り血を浴び続ける。


「救いのない我慢比べだ。これってファックか? ファックではない?」


 ザク、ザク、ファック、ファック、ザク、ザク、ファック、ファック、ファック。

 切り傷が、どれもこれも魔眼に変わっていく。

 顕現した魔眼は、そのどれもが痛々しく充血していて、夥しい量の血を流している。

 苦痛に苛立ちを隠せない基礎の黒水牛カトブレパスが、癇癪を起こしたかのようにロフォカレを何度も叩き潰す。

 

 【MOWMOWMOW!】

 

 地面が波打つ様に揺れ、砂埃が濃さを増していく。

 身体中に回る毒は、痛みを増すばかり。

 無尽蔵の体力を誇る基礎の黒水牛カトブレパスですら、自らの命が削られつつあるのを自覚できるほどの猛毒。


「これってファックか? それともファックではない? 教えてくれよ。答えろよ。なあ。おい。聞こえてるか? これってファックか? ファックではない? ああ!? どっちなんだよ!」


 何度叩き潰されても、剣帝ロフォカレは剣をふるい続ける。 

 言語感覚が麻痺し始め、自分自身でも何を口走っているか把握できなくなり始める。

 段々と抑えが効かなくなる感情。

 極限の耐久性を手に入れた代償に、彼女は沢山のものを失っていく。


「感情的に仕事をする奴は嫌いだ。それってファックか? ファックではない? 仕事に私情は持ち込むべきではない。それってファックか? ファックではない? ファックファックファック仕事ファックファックファック」


 本来は冷静沈着なはずの剣帝ロフォカレの脳が焼かれていく。

 全身が体の内側から炙られるような激痛を覚え始める。

 それでも、今にも千切れそうな腕を振り回し続ける。


 ザク、ザク、ファック、ファック、ファック、ザク、ファック、ファック、ファック。


 並大抵なら、何度殺されたかわからない。

 大体の相手なら、何度殺したかわからない。


 それでも、まだ決着はつかない。

 殴られるたびに、紫薇縮緬百日紅で斬りつける。

 それをひたすら繰り返すだけ。

 殴られすぎて、脳内に空白部分が増えていく。

 斬られすぎて、基礎の黒水牛カトブレパスの全身が魔眼だらけになっていく。


 ザク、ファック、ファック、ファック、ファック、ザク、ファック、ファック、ファック、ファック。


 もはや独り言か、脳内の反芻か区別がつかない。

 仕事は終わらない。

 まだ仕事は終わらない。

 まだまだ仕事は終わらない。



「ファック」


 

 剣帝は壊れるまで、壊れてもなお、自らの剣想を振り続ける。

 




————



 

 それは、あまりにも壮絶な光景だった。

 “黄金姫エルドラド”ナベル・ハウンドは、呼吸することすら億劫に感じるほどの圧力を一身に受け、少しでも油断すれば気絶してしまいそうだった。


(これが現人類最強の加護持ちの本気の戦い。次元が違うなんて領域じゃない。本当に、人間なの?)


 全身が濡れた黒い体毛で覆われた規格外の魔物ダーク

 その怪物は明らかに神話級の存在。

 神々ですら容易に手を出せるとは思えない一種の災害のような相手だ。


(そんな化け物相手に、ノーガードの殴り合いだなんて、狂ってる)


 そんな基礎の黒水牛カトブレパスに対して、剣帝ロフォカレはあろうことか真正面からひたすら剣戟を繰り返すという戦い方を選んでいた。

 背中からは片翼を生やし、剣想の姿を変えたとはいっても、相手の魔物はたった一撃でナベルくらいならば絶命させてしまう怪物。

 その基礎の黒水牛カトブレパスの必死の一撃を、もう何度耐えたか数えることもできない。


(これは間違いなく世界でも頂上級の戦い。このの化け物は、明らかに世界の理の外にいる)


 大きすぎる衝撃の余波で、金髪が乱れる。

 地面の揺れに耐えるだけで、ナベルは精一杯。

 少しでも目を逸らせば、ほんの僅かな飛び火で即死してしまいそうな緊張感。

 極限状態の中で、ナベルは呼吸をするだけで心臓が軋むのが実感できた。



「お、やってるやってる。いいね。盛り上がってるじゃないか」


 

 ——しかし、そんな同世代最高峰の力を持つナベルですら、緊張に硬直する極限の空間にあまりに不釣り合いな気楽な声が響く。

 あまりに自然体な足取りすぎて、ここが歓楽地かと一瞬勘違いしてしまいそうになるほど。

 砂埃を肺いっぱいに吸い込み、気持ちよさそうに赤い瞳を細める、黒髪の男。


 “堕剣”ネビ・セルべロス。


 彼女が唯一憧れ、あの剣帝が唯一敗北を認めた加護持ち。

 ベロリ、とその唯一の男は真っ赤な“33”という刻印タトゥーの刻まれた長い舌で、自らの唇を舐めている。


「アハッ! イッツァレベェェェェリングタァイム!」


 そして、堕剣が跳ねた。

 口元から涎を垂らしながら、爛々と真紅の瞳を輝かせて。

 胸には刺し傷があり、そこから垂れる血が点々と足跡をなぞる。


「ロフォカレ姉さんには一口目を譲った、みんなにもデザートは残しておく。だから、メインディッシュは俺がもらう。公平なレベリングだ」


 パチン、と堕剣が何かの合図のように指を鳴らすと、そのタイミングでガラス瓶が宙に放り投げられる。

 驚きに背後を振り返ってみれば、悪夢から逃げるように必死で目を閉じながら、リュックサックの中にある大量のゴミであるガラス瓶を投げる少年がいた。


「あーサイアクだ! もうどうにでもなれ! これでいいんだろ!? 加護持ちになるくらいだったら廃棄物収集者スカベンジャーの方がマシだぜ!」


 突如響く幼さの残る声には、自暴自棄な色が混じる。

 パリン、と砕け散るガラスの破片に、きらきらと光が反射する。

 合わせ鏡のように、様々な角度と奥行きを捉え、秒毎に写す光景を変化させる。

 そんな煌めくガラス片に向かって、ギョロギョロと高速で視線を動かしながら堕剣が駆ける。

 観光に興奮する少年のような無邪気さは、押し潰されそうな圧迫感のあるこの場所では、これ以上なく異質に見える。


「ああいいね、これで、よく


 異変に気づいたらしい基礎の黒水牛カトブレパスが、再び舌を伸ばすようにしてしならせるが、それを堕剣は一度も直接見ることなく、完璧なタイミングで紙一重の回避を見せる。


 くつくつ、と漏れる笑い声。


 赤く錆びた剣が、宙を漂うガラスを楽しげに叩く。

 嬉々と目尻の皺を深め、はしゃぐように口笛を吹く。

 誰もが痛みを、死を間近に感じるこの空間で、その男だけが満面の笑みを浮かべている。



「さあ、濡れろ! 【赤錆あかさび】! 俺のレベリングの時間だ!」

 





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